数日後、ソムリエの滝川が「依田、明日は大丈夫か?」と訊いた。
「うん」と和夫。
「この間の居酒屋に二十時でヨロシク!」と滝川。
「滝川、お前も来るんだろ?」
「俺は行かないよ。若い子だけど依田、抱いてやってくれよ」
「そういう事だったら断る!」
「嘘だよ。向こうがそうしたいって言ってきたら断れば良いだろ?」
「そういう事ね、了解!」
*
当日。
すでに愛美は居酒屋に居た。和夫はかなり遅れて行った。
「すみません。仕事が終わらなくて、待たれましたよね?」と和夫が申し訳なさそうに言った。
「いいえ、そんなに待ってないですから、お気になさらないで下さい。それよりも本日はお忙しい中、お時間を頂戴致しまして大変に申し訳ございません」と愛美が神妙に言った。
店員が注文に来たので、和夫は愛美に「何にします?」と訊くと、愛美は「依田さんと同じ物で」と言った。
「私はお酒を飲まないので、お好きなものをどうぞ!」と和夫。
愛美は接待をする立場だったので迷っていると「生ビールは飲めますか?」と和夫が訊いた。
「はい」と愛美が答えると「生一つと、温かいウーロン茶一つをお願いします」と和夫が丁寧に言った。
その後、ドリンクが運ばれてきて、和夫は「嫌いな食材はありますか?」と訊いた。
愛美は「何でも食べます」と答えた。
「では私がご馳走しますから」と和夫が前置きをして「唐揚を二人前、刺身盛り合わせ二人前、揚げ出し豆腐二人前、揚げとろ二人前、サラダ盛り合わせ二人前、サイコロステーキ一人前、とりあえず、これでお願いします」と言った。
愛美は豪快な注文をした和夫に対し「プッ!」と親しみを込めて笑った。
「私、お酒が飲めなくなってから大食い、いや飲めている時からですね。大食いでした」と言い舌をペロッと出して照れ笑いを浮かべた和夫だった。
和夫は職場の男性陣全員が彼女のファンだと言っている事に対し今更だが愛美の美しさを感じるようになり、日頃は若い女性に対しては興味も無かった事からあまり饒舌ではなかったが彼女にだけはどういう訳か口数が多くなっていき彼も個人的な話しをもするようにもなっていた。それというのも和夫は若い女性よりも人妻の熟女が好きだったからだ。
料理が次々に運ばれてきて和夫は愛美に「どうぞ、食べて話しましょう!」と言いながらバクバクと食べていた。愛美の婚約者の茂雄も家族の中で唯一の男だった父親の正和も好き嫌いが多く偏食でそれでいて小食だった事で和夫が何でも美味しそうに食べる姿に本当の男性はこういうものなのかと思って見ていた。
途中、愛美のドリンクが運ばれて来た時に和夫は店員に「何を食べても美味しくて感動しています」と言ったその言葉を聞いて彼女は自分の耳を疑った。一流ホテルのシェフである和夫は居酒屋の料理で、きちんと褒めるその姿勢に愛美は感動したのだ。
それというのも自分の周りにいる婚約者の茂雄もそうだが社内の男性陣も更には父親の正和も含め、自分たちは一流企業に勤務しているということだけで自分たちがあたかも成功者として思い上がりで店のスタッフたちに対し見下した言動をし、このような優しい気遣いをする人を見た事が無かったからだった。
最後のサイコロステーキを愛美の分を取り皿に取った後は全て和夫が平らげ「愛美さん、遠慮しないで食べて!」と言ったので愛美も全部とまでは食べられなかったが殆どを平らげると「こんなに食べたのは今までの人生で初めてです!」と言って笑った。
和夫は愛美が残した料理を「残したらここの料理人さんに悪いからね」と言い、彼女から皿を受け取り平らげた。「食ったよね~!」と和夫は優しく微笑んで「アハハハハァ……!」と豪快に笑った。
愛美にとってこんなにも気取らないで済んだ接待の営業は初めてだったが今回も愛美が接待をされてしまった感が否めなかった。
二人の話しが盛り上がり愛美も和夫も楽しい会話をして男女の関係ではないが親しさを感じるようになっていた。愛美はアルコールが入ってきて、饒舌になっていた。
*
愛美は和夫がスペインで修業した事も話してくれた事で、更に親近感と懐かしさを抱くようになったのでスペイン語で話し出した。
”SoyManamiOhkubo.”
"Losiento...estoyenfermo...estoycansadoderecordar...LlevotresañosenEspaña,peronopuedohablar."と和夫が続けて、
"Cocinéprincipalmentecomida,¿asíquenoentiendolaspalabrasdifíciles?"と言った。
"graciasporsucortesía."と愛美。
"SoyKazuoYoda.”と言った。
"Mipapáesdueñodeunhotelymimamátrabajaconmigo.” と愛美。
"Mispadressontrabajadoresdeoficina.”と和夫。
"¿EstácasadoelSr.Yoda?"と愛美。
"No,estoysoltero."と和夫。
"¿QuéhaydeManami?"と和夫。
"Tengounprometidoymecasarépronto."と愛美。
¿PorquétuvistesexoconTakikawacuandotienesunprometido?"と和夫。
"¿Quésignificaeso?"と愛美。
"Takikawamemostróunvideodesexocontigo."と和夫。
"¿Debesestarbromeando?"と愛美。
"Escierto."と和夫。
愛美はあまりの衝撃で、その後の言葉が見つからなかった。
「幾ら営業の為とは言っても婚約者が居るのに結婚間近でのそれはないんじゃないですか?」と和夫は言ったものの彼の女性遍歴は人妻熟女専門だったので人に言えたものではなかった。
愛美は居酒屋の中で声を上げて号泣しだした。和夫は自分が原因で泣かせたのではないが周りの客たちが彼に対し冷たい視線を投げかけていた。和夫は居難くなり「愛美さん、帰りましょう!」と言い立ち上がった。
会計を済ませ店を出ると和夫は愛美に「今日はどうもありがとうございました」と言った。
*
「私、どうしたら良いのかわからなくなって、死にたくなりました……」と愛美が力なく言った。
和夫は愛美を追い込んだようで責任を感じていて、「何処かでゆっくりお話しをしましょうかね? お力になれる事があればと考えています」と言った。
「何も考えられないので静かな所でお願いします」と愛美。
和夫には静かな所はこの時間なのでラブホぐらいしか思い浮かばなかっ弾さかこの状況でラブホはないと思い仕方ないので「汚い所ですが、私のアパートで良ければ……」と言った。
「お願いします」と愛美が言ったのでタクシー停めて彼女を乗せ自宅に帰った。
他人を連れて来られるような部屋ではなく汚れで色が変わっていて皺くちゃのシーツが敷かれた万年床があり前夜に食べたラーメンの鍋とコンビニで買ったおにぎりの包み紙が流しに置いてあった。少しだけ自慢が出来るとすればキッチンで栽培していたハーブの水耕栽培ぐらいだった。とりあえず、愛美の気持ちを落ち着かせる為に滝川にハンズフリーにして電話した。
「滝川? 俺だけど」と和夫。
「おー、今晩、愛美ちゃんに会ったんだろ?」と滝川が明るい声で言った。
「うん、それでなんだけど、お前から大久保さんとのセックス動画を見せてもらった話しをしたら、お前を警察に訴えるって言うんだけど、どうしたら良いかな?」と和夫が冷静に言った。
「えぇ? いっ、今、そっ、そこの愛美さんは、いっ、居るの?」と滝川が慌てた調子でどもりながら言った。
「いらっしゃるよ」と和夫。
「かっ、代わってくれないかな?」と焦る滝川の声。
「あっ、愛美、さん、せっ、先日は、ほっ、本当にすみませんでした、けっ、警察にだけは、訴えないで、ほしいのですが?」と相当、焦っているかのような滝川だった。
「だったらあの動画を消してほしいのですが!」と強い口調で言った愛美。
「わっ、わかりました、けっ、消します、消します!」と未だ焦ってどもっている滝川。
和夫は滝川に聞こえないように小さな声で愛美に「代わって」と言った。
「依田さんに代わっても良いですか?」と愛美。
「はっ、はい、おっ、お願いします!」と滝川。
「そんな訳だ。で、消したかどうかが分からないから消す時には俺がやって画像を撮るからどうする?」と和夫。
「そっ、そうしてくれると、あっ、有難いよ、ほっ、本当に悪いな!」と滝川が相当、焦っているかのようだった。
「こんな事が会社にバレたらお前、首だけでは済まないぞ!? ましてや週刊誌にでも載ったら?」と和夫が脅した。
「ほっ、本当だよ。よっ、依田、ありがとう。ほっ、本当に命拾いしたよ」と滝川が未だ焦っていた。
「わかった。じゃぁ、大久保さんにはそう伝えておくよ」と和夫。
「だっ、大事に至らなくて、たっ、助かったよ。ほっ、本当にありがとう」と未だ焦っている滝川だった。
「じゃぁな!」と和夫。
「うん」と滝川。
電話を終了して、「愛美さん、これで良いですか?」と和夫。
「はい、依田さんがまさか解決して下さるとは思ってもみませんでした。本当にありがとうございました」と明るい声になって愛美が言った。
「気持ちは落ち着きましたか?」と和夫。
「はい、お陰様で落ち着きました」と愛美。
「では、送って行きますから」と和夫が言って立ち上がった。
*
「ここに今日、泊めてもらっても良いですか?」と愛美が言った。
「ダメです」と冷たく言う和夫だった。
「何で……ですか?」
「聞きたいですか?」
「はい」
「常識ですし、婚約者のいる女性を泊める訳にはいきません」
「それは充分に分かっていますが、それでもお願いします」
「ダメです。私も男ですから魅力的な愛美さんが隣で寝ていたら抱きたくなるからです」
「抱いて下さい! 先程、依田さんから婚約者が居るのにと怒られましたが滝川さんの時はレイプされた訳で依田さんとは合意なのでそれでしたら良いですよね?」と正に愛美はセックス依存症になっていたからだった。
「愛美さんは、バカですか!? もっと自分を大切にして下さい!」
愛美は絶句して無言だった。
「絶対にダメですからね!」
「どうしてですか?」
「お互いに滝川と変わらなくなってしまうし、抱いたら愛美さんの事が好きになってしまうからです」
「好きにはならないで下さい。お礼の意味ですから」
「はぁ? お礼で体を? 有り得ないです。帰って下さい!」
「嫌です!」愛美は和夫とセックスがしたくて仕方なかった。それほど既にセックス依存症に陥っていたからだった。
「愛美さんを信じない訳ではないのですがレイプされたと後で警察に言われてしまうかもしれないので」
「そんな事は絶対に言いませんから!」
「いや信じられません!」
「信じて下さい!」
「それにホテルにワインを入れて下さいと言われかねないですから!」
「それも絶対に言いませんから!」
「何でそんなに私とセックスがしたいのですか?」
「依田さんの事が好きになってしまったからです。強くて優しい男性に抱かれたいのです」
「私は愛美さんの事は女性として未だ好きになっていませんよ」
「それでも良いですから」
「わかりました。これ以上押し問答をしていても仕方ないので、では私としたからと言って婚約解消をするのは止めて下さいね?」
「はい、必ず結婚します」
和夫は愛美にシャワーを浴びさせた。
愛美が出てくる前に脱衣所に和夫のTシャツとジャージのズボンを貸して穿かせる為に置いた。
愛美がテレビをつけて見せている間に和夫はシャワーを浴びた。愛美の肉体は滝川から見せてもらっていたので、それを考えると息子が硬くなったが、ここでは絶対にしないと和夫は決めていた。理由はここでしたら滝川と同類になってしまうからだ。それに和夫は女性にはそれほど飢えていなかった。仕事は忙しかったが、セックスがしたければ人妻で熟女のセフレがホテル内に何人も居たからで、それよりも人妻セフレで一番のお気に入りの京香を思い出していた。そんな愛美への邪な気持ちを鎮めてシャワー室から出ると流しはキレイになって整理整頓されていた。
「あっ、ありがとうございます!」と和夫が言った。
「こんな事しかできないので」と愛美。
和夫は万年床の布団を伸ばしシーツを新しい物に替え和夫は「愛美さん、どうぞ寝て下さい!」と言った。
「はい」と愛美は答え横たわった。
和夫は押入れからキャンプ用のシェラフを出してその中に入り「愛美さん、おやすみなさい!」と言い疲れていたので朝まで爆睡した。
*
朝、起きると愛美は居なく置手紙があった。
依田和夫様
昨夜は大変に失礼致しました。
私がしなくてはいけなかったご接待なのに、
逆に依田様に接待をして頂いたみたいで心苦しく思います。
また人としての生き方まで教えて頂きました。
今後は依田様の教えに裏切る事なく婚約者との結婚に対し
真摯に向き合っていこうと決意致しました。
またいつお会いできるかは分かりませんが、
その時はどうぞ宜しくお願い致します。
この度は大変にお世話になり、ありがとうございました。
静丘県御天場市萩原〇〇〇番地(実家の住所です)
〇〇〇-◇◇◇◇-〇〇〇〇(私のケータイです)
大久保愛美
++++++
朝、ホテルに出勤した和夫は滝川を呼び出し昨夜の話しを詳細に伝えビデオから愛美と滝川のセックスの録画を消去した画像を和夫自身のスマホで撮った。
その後、和夫は滝川に「お前がバカな事をしたから、こういう事になったんだからな!」と厳しく叱責し、その後「大久保さんのワインを採用してあげてよ!」と言った。
滝川は「依田、本当にすまん。そしてありがとう! 本当に感謝しているよ」と言い持ち場に戻った。
和夫は愛美に対し、昨夜の件と滝川もビデオから削除した旨、そして消去の証拠画像を添付し送信した。直ぐに愛美からお礼の返信があった。
*
その二週間後に愛美と高木茂雄の結婚式と内々の披露宴が帝丸ホテルで行われた。
大久保家はホテルを営業していた事と正和の親戚とは疎遠だった事で親戚には知らせず大久保家の正和と妻の寿江《としえ》そして高木家の両親と兄弟だけの内々の式だった。その料理は和夫が担当した。式が終わり直ぐに愛美からメールが来た。
「依田和夫様 お陰様で本日、式を滞りなくあげる事が出来ました。ありがとうございました。(中略)お料理の全てが美味しくて感動しました。依田様のご厚情にお応えすべく、主人と二人で幸せな家庭を築いていく所存です。(後略)」だった。
和夫は、「おめでとうございました。末永くお幸せに!」とだけ返信した。
その後の愛美と夫の茂雄は三ヶ月に及ぶ海外への新婚旅行に旅立ったとホテルのスタッフから和夫は聞いた。
金持ちの娘は違うなと和夫は溜息をついた。
つづく
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