昨夜も睡魔に襲われ、朝まで泥のように眠ってしまった。朝、メールを見ると代々木シェフから返信があった。十三日午前十時で了解との事だった。
県庁の榎田と美術館の植野そして愛美にメールして報告をした。当日は全員、御天場駅に集まって一緒に行く事にした。
ここ最近の和夫、疲れが酷くて寮内での夜のルーティーンが全くできなくなっていた。これでは怪我や事故をする元になるので、心身ともに余裕を持たせないといけないと思っていた。こういう時は帝丸ホテル時代もキッチンハーブを育て、緑を見るようにすると心が落ち着き、元通りの生活ができるようになるので、折角ベランダの屋根を作ったので水耕栽培でもまたやろうかと思っていた。
その為に、ホテルの清掃のオバサンたちが各部屋から集めたペットボトルや空き缶などのゴミを選別してゴミ袋に入れてゴミ集積所に置いてあったペットボトルを貰ってきていた。それらを時間が空いている時にカッターナイフで切って、栽培容器にする為にアルミホイルを被せて作ったのをベランダの横棒に吊り下げた。貧乏人には最適な栽培方法だ。
作り方はペットボトルの口の所にはミズゴケを入れてその上にはバーミキュライトを入れる。これに播種するのだが発芽するまでは水道水で栽培し、その後は大塚ハウスの水耕栽培専用の水溶液を希釈した液で栽培する。ヤフーショッピングでいつも買っている。
素人には丁度良く、二リットルのペットボトルに入れて希釈する粉末状の液肥が一回分ずつになっているので使いやすいからだ。早く発芽してくれる事を願って出勤した。
*
朝の清掃と朝食のスタンバイそして和夫は社長からの呼び出しを受ける。
事務所に出勤すると、深夜勤務の品川が居て、「今度、A国大使館の行くんですって?」と言われた。
「はい」と和夫は言った。
「俺も連れてってよ」
「すみません、もう先方に人数の報告をしてしまったので、また次の機会にでも」
「残念だな」
「すみません」
「そんなに謝らないでよ」
「はい……」とそんな会話をして、いつものルーティーンのホテル外周の清掃に行った。
確かに滅多に行ける場所でもないので皆、行きたくなるのは仕方ないと思うが、遊びに行く訳ではないので、「俺も、俺も」と言われると辛いものがある。こんな会話だけでも今の和夫は落ち込むのだから、やはり心身共に疲れが溜まっているのも確かだと自己分析をしていた。
それに落ち込む一番の理由が、副社長が社長に和夫の事で嘘の報告をする事が一番堪えていた。社長から和夫にとって身に覚えのない事で自分の潔白を説明するのが疲れるのだ。もう既に二回もあった。何も会社にとって悪い事などしていないのに辛かった。和夫は自身の福運の無さを感じる今日この頃だった。帝丸ホテル時代の宗教をしていたパートの奥さんが良く言っていたのは「福運」という言葉だった。
「あー! こんな会社に就職したくなかったー!」と大声で叫びたい気持ちでいっぱいだった。その後、「ダメだな、愚痴が出たら」と自身で戒めて掃除をした。朝のルーティーンを終えて、レストランに行った。
ホールのスタッフと洗い場と調理場に余計な事を言わずに挨拶をしてカウンターのスタンバイをした。スタンバイをし終えたところで副支配人の品川が来て、「社長が会議室に来ていて、『依田さんを呼んで来い!』って言われたので。」と。
和夫は(またですかと思い)向かった。
トントントン
「おー入れ!」社長は一番奥の席に座っていた。
「おはようございます。」と和夫。
「今度、大使館に行くんだってな?」と社長。
「はい」と和夫。
「何でそんな重要な事を愛美と二人で決めてしまうんだ?」と社長。
和夫は言葉が出なかった。
「答えられないのか?」と社長。
和夫は(理由を話すのも嫌だった)
「そういうのは俺か妻に相談するのが筋ってもんだろ?」と社長。
「では今回の大使館に伺ってアドバイスを受ける事についてはキャンセル致します。本当に申し訳ございませんでした」(もう面倒臭くなっていた)と和夫は言った。
「そういう意味で言っている訳じゃないだろう?」と社長。
和夫は(副社長が社長に黙って入札して落札した事を和夫と愛美の二人に丸投げしておいて、それは無いだろうと思い、和夫は口を開く事さえ面倒になっていた。今回キャンセルをしたら次の機会は作れないと思っていた)。
五分ほど沈黙が続いた。
「妻(副社長)も連れて行け!」と言った。
それが答えだった。
「承知致しました。失礼致します」と和夫は言った。
「ちょっと待て!」と社長。
「はい」
「ついでだから料理長も連れて行け、妻(副社長)がそう言っているから」と社長。
「承知致しました」と和夫は言って会議室を出た。
取り急ぎ、スマホから代々木シェフに追伸をして全員で八名になる事を報告した。
*
朝食スタートと賄いと中抜け休憩そして剪定枝葉を捨てに。
和夫は心身共に、疲れていた。そこに愛美が来て、「依田さん、またうちの社長と副社長が我儘を言い出してすみませんでした。この話しが決まって直ぐに私から父と母に報告した時は何も言ってなかったのですが昨夜、急に父が『何で依田は勝手にそんな事を決めたんだ!』と怒り出したのです。そして母が、『何で私を連れて行かないのよ!』と言い出して、私は『急に二人して何よ!ちゃんと報告したじゃない!』と言ったのですが、父は『お前の出る幕じゃない!』ってカンカンに怒ったんです」
「愛美さんが謝る事ではないですから、気にしないで下さい。私が悪かったんだと反省しています。私から社長に直々に報告をしていれば良かったんだと思います。かえって愛美さんにご迷惑をお掛けしてすみませんでした」と和夫が言った。
その後の和夫は全く冗談を言わずに朝食を終え、賄いを食べようとした時に料理長が、「依田さん、大使館に私も連れて行って下さるとの事でありがとうございました」とお礼を言われた。
和夫「はい」と笑顔で言ったが(私が連れて行くと言った訳じゃないから)と心の中で呟いた。
賄いは大崎と愛美と和夫だった。大崎と愛美は雑談しながら食べていたが、和夫はさっさと食べて中抜き休憩でタイムカードを押して昨日、やり残した部分の大浴場前のフローリングの洗浄をし、寮に帰って生垣を剪定した枝葉を市の焼却施設に自分の軽ワゴンに載せて捨てに行った。
庭に散乱していた、産業廃棄物をどうするか、今の和夫の懸案事項だった。産業廃棄物は埋め立て用地不足で処理費用が嵩み、これも製品価格に転嫁されている。古紙も集まり過ぎて価格が下落、回収業者は転廃業に追われていると聞く、リサイクルルートの危機が続いている。国は地球環境を守る経費は最終的に消費者が負担すべきだと強調している。更にゴミとリサイクルは有料化させて消費者のマインドに定着、拡大を図るべきだとの事だ。有料化されれば、この大塚旧邸のようなゴミ集めの消費は無くなると思った。
ゴミ零、同感だと和夫は思っていた。
帰って来て昼寝をした。昼寝から起きて受信トレイを見ると、代々木シェフから了解のメールが来ていたのでお礼の返信をした。
*
夕食のスタンバイと夕食そして賄い。
中抜け休憩後に出勤した。タイムカードを押していると、LINEが入った。見ると愛美からだった。
大久保愛美
「何だか依田さん、
元気がないのが心配です。
今晩、仕事が終わったら
寮に伺います」
依田和夫
「お気持ちだけ有難く。
夜遅くに家を空けるのは
止めた方が良いと思います」
大久保愛美
「行きます」
和夫は返信をしなかった。
そして今までと同様に明るくホールのスタッフに挨拶をして、洗い場のオバサン二人にエッチな会話をして、調理場に行って挨拶をした。
その後、愛美にも元気を装って話しをした。彼女は目に涙を浮かべていた。和夫は抱き締めたい衝動に駆られたが必死で抑えた。
「そんな顔をしていると皆が気にするからダメだよ」と和夫が言った。
愛美はコクリと頷いた。夕食は何の問題もなく終えた。片付けを終えて、賄いを食べた。山形と愛美と和夫のいつものメンバーだった。
「ティールームの話しは進んでいるの?」と山形。
「はい」と愛美。
「専務、元気ないわよ。そう言えば依田さんもだけど、何かあったの?」と山形。
「何にもないですよ」と和夫。
「そう言えば副社長が来て品川さんが、依田さんの報告をしていたのを聞いたんだけど、あまり良い話はしてなかったような」と山形。
「勘弁してくださいよ。良い話しなら聞きますけど、そういう話しはここ最近、聞きたくないです」と和夫。
「ごめんなさい」と山形。
和夫はまた急いで食事をして、「お先に失礼します。お疲れ様でした」と言って帰った。
寮に着くと山形から電話が。
「ごめんなさい、私が余計な事、言ったからだよね?」と山形。
「気にしてないですから大丈夫ですよ。それよりご主人帰ってこられたみたいですね」と和夫。
「そうなのよ、嫌になっちゃうわよ」
「仲良くして下さいね」
「仕方ないから、するわよ」
「そうですよ。おやすみなさい!」
「おやすみなさい」
和夫は昼寝をしたので、眠くなかった事で洗濯と入浴をした。暫くネットを見ていると玄関ドアを叩く音が聞こえ、出ると愛美だった。
玄関に入るなり和夫に抱き付いて泣き出し、「ごめんなさい、ごめんなさい、本当にごめんなさい!」と連呼していた。
和夫は頬をつたう涙を指で拭い、「泣かないで……」と言った。
そして自然と二人は唇を合わせた。その後の行動を和夫は自身で精一杯、セーブした。愛美は和夫の下半身に手を下ろしていったが、和夫は「これ以上はダメだよ」と言って愛美の手首を持って退かし、「本気で愛美さんの事を愛してしまうから」と言った。和夫も自身の愛美に対する肉欲を必死で押さえた。それだけ今の和夫にとって愛美は大切な女性になっていたからで、だからこそ安易な交わりをしたくなかった。
「本当に依田さんが私の事を愛して下っているのですか?」と愛美。
「だから、私も必死で我慢しているんです」と和夫が言った。
愛美がディープなキスをしてきたので和夫も応えた。
長い、長いディープなキスで、それを終えると愛美は帰って行った。
和夫はこの日、何十年振りだが、自身で愛美を思ってオナニーをし、いつの日か愛美を抱いた時を想像して自身で気を遣った。本当に気持ちの良いオナニーだった。
今まで人妻ばかりをターゲットにして身体を重ねてきたが、愛美も人妻だが、今までの人妻とは一線を画した大切な女性なので、安易な交わりはしたくなかったからだ。
つづく
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