連絡をしてきたのは、トスカーナ地方にある小さな孤児院の院長だった。
「仰せの通りに……あの子には道中の景色を見せずに連れてきました」
やけに憔悴しきった印象の口調で、孤児院の院長は言った。年齢は五十代の半ばほどのようだが、悲劇に見舞われてすぐに此処へ来たかのような佇まいが、奇妙に疲れた姿に見せていた。
数日前に、少女を引き取って欲しいと依頼され、カテリーナは少女を召喚したのだった。『少女の園』──件の少女にその場所を、教えないことを条件に。
「確認します。わたくしが何者で、此処が何の施設か、分かっていらっしゃるのかしら」
「貴女が奴隷商人だということは、存じております」
カテリーナは尋問のように続けた。
「大切に預かっている子を、奴隷商に渡そうというのは……どう言った理由かしら」
「院を閉めることになったのです。他の子は里親が見つかったのですが、その子だけ見つからなくて」
院長は疲労とは違う息を、重苦しく溢していた。疲れに覆われた表情の下には、何かを恐れる震えがあった。院長は自分が怯えていることを、カテリーナに知られることはあってはならないとでも思っているみたいだった。
「それだけが理由だとは思えないわね」
「…………他の理由は、聞かないでもらえるとありがたいです」
「訳あり、ということかしら?」
「……」
さりげなく追及するも、院長は本当に、理由は一つしか言わなかった。頑なとは違う感情の支配に基かれた口は、重いと言うよりも話してはいけないとして唇を縫われているような風情がある。
悄然とした様子が不気味にさえ思えて、カテリーナは曰く付きの詳細を探ることをやめた。少女の園の実態を分かっているのならば、残る質問は一つだ。
カテリーナは鋭い眼光を走らせた瞳に、睫毛の影をぎらりと躍らせる。
「その少女は、美しい? 美しくなければ、此処にはいられないわよ」
「美しいです……それだけは、保証します」
「その子、検めさせていただくわ」
釈然としない中で、カテリーナは少女そのものに問題がある気配を感じていた。だがいくら環境が劣悪だったとしても、福祉施設が奴隷商人に子供を渡すような事態に至る経緯までは、カテリーナにも想像がつかなかった。正当な理由など、問うたところで何もないのかもしれない。
少女は別室に待機していた。部屋の近くにはエリオと、アントニオの姿もあった。アントニオが来ていたのは、珍しいルートで少女の園に来た事故物件的な少女を見てみたいという、同じ奴隷商人としての興味らしかった。エリオがカテリーナに耳打ちする。
「カテリーナ様、やっぱりあの院長、怪しいのではないですか……今から追い返しても……」
「見てから決めるわ。ちょっと可愛い程度なら、最初からそのつもりよ」
カテリーナはカフェオレ色のツインテールを振って、エリオの前を通り過ぎた。福祉施設にいたような子供に、カテリーナは期待などなかったのだ。カテリーナが少女を見る目は厳しい上に、素人が判断して下すような「美少女」などに、すぐに同意をすることなどあり得ないことだった。
むしろカテリーナが気にしていたのは、少女が此処へ連れられた理由の方だった。少女の顔を見たところで何かがわかるとは限らないが、院長の口を破らせることができる流れがあるかもしれないとも考えていた。何処から少女の園の情報を得たのかも、情報源によってはこの院長も始末することを考えないといけないからだ。
カテリーナは少女が待つ部屋の扉をノックした。扉を開いて中に入るカテリーナに、エリオとアントニオが続いた。
カテリーナが入室すると、ふわりとした白髪が翻った。そこで待っていたのは、粗末なドレスを着た、淡雪のような色彩の少女だった。
「あら……」
カテリーナは虚を突かれたように感嘆を溢して、眉を開いた。少女を見る目が厳しいカテリーナの目にも、連れられた少女が美しかったのだ。
白い髪は肩の下に少しかかる程の長さで、横分けの前髪に隠れながら、丸い瞳が輝いている。黒真珠のような瞳の奥には、淡い金色が滲んでいて、気位の高い猫を思わせた。長い睫毛の隅々まで白く、瞳だけが黒い宝石のように洞然と佇む様は謎を感じさせた。何処の国の血が流れているのか、疑問が浮かぶほどだった。カテリーナが今まで見てきた美少女たちとは、美しいということ以外系統が全く違っていた。
カテリーナはエリオに告げた。
「この子、引き取るわ」
エリオは黙って頷いた。カテリーナの判断に、エリオは異を唱えることはしない。少女は美しかったのだ。疑いようなく、少女は『国』で暮らすのに必要な国籍を持っていた。ただ、美少女の中の美少女を常に優先するカテリーナと違って、エリオは頷いた後に、部屋の外に立ちっぱなしの院長を顧みていた。院長は、少女が待つ部屋に入ろうとしない。院長は明らかに、白髪の少女を避けていた。
「カテリーナ様……」
この美少女に問題があるようには見えなかったものの、顧みるべき事情はあるのではないかとエリオはカテリーナに声をかける。だがカテリーナは柔らかな目線で制した。事情を考えているのは、カテリーナとて同じだったのだ。カテリーナは白髪の美少女に名を尋ねた。
「あなた、お名前は何て言うの? わたくしに教えて」
白髪の美少女はにこりと微笑んで、名乗る。緊張する様子もなくて、はきはきと喋る姿はしっかりしているだけに見えた。
「わたしはマティルデと言います。姓はありません」
「マティルデ、ね。素敵な名前だわ」
カテリーナは飼っている少女たちの前で使う笑顔を拵えて褒める。アントニオが訝るような目をしているのは無視して、エリオがカテリーナを紹介する役になる。
「こちらの方は、此処で一番尊い方、皆には『ぜげん様』と呼ばれていらっしゃる。君も、そうお呼びするように」
「ぜげん……?」
白髪の美少女マティルデは長い睫毛を瞬いた。難しい言葉だが知っているものについて聞いたような間があった。噛み砕いて考える時間は数秒で、マティルデは何を悟ったのか丁寧に会釈する。
「承知しました、ぜげん様。そのようにお呼びします」
「いい子だわ、マティルデ。すぐにあなたのドレスを用意させるわね」
「ぜげん様、一つだけお願いをしてもいいでしょうか?」
「何かしら?」
マティルデは遠慮がちに申し出た。
「院長先生に、今までのお礼とご挨拶をしたくて」
「勿論よ、お別れを伝えていらっしゃい」
マティルデとともにカテリーナも部屋を出る。マティルデは小動物のような足音を立てて廊下へ出た。部屋の外にいた院長はマティルデが近づくと崩れた愛想笑いを浮かべた。マティルデは別れを惜しむように瞳を濡らした。涙の紗幕の奥で、金色の光が明滅する。
「院長先生、今までありがとう……お元気で」
院長はカテリーナにだけ会釈をすると、立ち去った。
カテリーナはマティルデの肩に手を添えて、退出を促す。
「さあ、行きましょう」
マティルデは院長の背中をしばらくじっと見つめていたが、やがてそっぽを向くみたいにして、カテリーナに従った。
「お元気で……」
呟いた声は小さくて、誰の耳も拾うことはなかった。
カテリーナはマティルデに青いドレスを与えた。白髪には、青が映えると思った。
粗末な装いを捨てたマティルデは一層美しくなった。貴人に飼われている白猫のような雰囲気にも、気品が増して、少女の園の中でも一際目を引く空気を纏い。存在感が違っていた。
マティルデは他の少女たちと違って、一人で本を読みながら過ごすことが多かった。仲良く一緒に暮らすことを美徳としているカテリーナの方針には反していたが、マティルデは他の美少女たちとは馴染む気配もなく過ごしていた。本と、読書に費やす時間のみがマティルデにはあった。
一人でいるマティルデの姿が、群れて過ごしている少女たちの目には異質に映っていた。
加えて、マティルデは他の誰よりも美しかったから、他の美少女たちに疎まれるようになるまで、時間はかからなかった。
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