危険ロリータ

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01.少女の園

公開日時: 2020年9月1日(火) 16:50
文字数:3,328

 気怠さを催すような甘い香りが漂っていた。食事と紅茶を済ませたあとの、何もしたくない昼下がり、その眠気が永遠に続くような香りだった。延々と終わりのない昼下がりの園には、およそ可愛いものに囲まれて、美しい少女たちが生活を共にしていた。皆、揃いのドレスを着て、名前が刻印されたチョーカーやアンクレットを身につけた格好で、仲良く暮らしていた。

 少女たちは生まれた土地も瞳の色も、肌の色も違っていた。しかし少女たちはそのような取るに足らない違いなど気にしてはいなかった。此処での公用語は「美しさ」であり、少女たちは美という共通の価値を国籍として、小さな国を作っている。甘いサルビアや芥子の花が香る、ピンク色に染められた国の領土という名の室内には、マカロンを塔状に飾った置物や、くまの縫いぐるみ、お菓子を模した家具でいっぱいだった。過剰に小女性を詰め込んであるのは、此処の持ち主の趣味であった。誰かが揶揄して、この国のことを「少女の園」と言ったものであるが、その誰かが今どうしているのかは、誰も把握していないことだった。

 少女の園には十六歳以下の美少女たちが暮らしている。少女たちは自分たちが選ばれた少女であると教えられ、自分の容姿を誇っていた。十六歳になると、少女は外の世界に出ることを許可される。許しが下りるまで、少女たちは仲良しを美徳として守りながら、自分よりも年下の少女の面倒をみたり、家庭教師と勉強をする。此処で教わらないことは、外の世界と「園」の所在地、それから少女の国の領主の正体くらいであった。

 不和を知らない少女たちは、今日も仲良く過ごしていた──園に近づく靴音をぱっと顧みた顔が、同じ存在を信仰する者独特の、奇妙に同じ表情を含んでいることを除いて、暮らしぶりは睦ましかった。少女たちは、何も疑わない。

 恭しく扉を開けた従僕の少年の後に、少女の園の持ち主が現れた。リボンがついたピンクのエナメルの靴が見えただけで、少女たちは酩酊する。


「ぜげん様がお見えだわ!」


 一人の少女が言った。その言葉を待っていたかのような魔術の頃合いで、少女の園の主人は微笑む。時間と歓声、長い睫毛に宿る自信の煌めきが共謀して、主人の微笑は不敵な格式を以ちながら、少女たちの前に最も美しい表情で現れる。


「ぜげん様」「ぜげん様」「相変わらずお美しいわ」「見て、わたしに微笑んでくださった」「いつかわたしもぜげん様のように美しくなれるかしら」


 少女の園の主人、カテリーナ・ルッソは、高い位置で結んだカフェオレ色のツインテールをふんわりと揺らして、首をかしげた。


「ごきげんよう、わたくしの可愛い娘たち」


 ふんだんにあしらわれたフリルとレースが幾重にも揺れるピンク色のドレスは、豪奢なケーキのようだった。美しい金髪、白い肌に大きな瞳、整った鼻筋と薄桃色の唇。カテリーナの容姿は愛らしさと気位の調和が完璧になされた造形であった。瑞々しさと可愛らしさの均整は少女時代に相当する女の子がこうあるべきだという信念のもとに厳格な形式美を放っている。少女という特殊な年代に於いて、他の少女たちに対して芽生え始める容貌に関する劣等感につけ込む美しさ。その少女性に憧れを抱かざるを得ない心境に連れ去る、身分違いの美。美少女の標本をつくるとしたら、カテリーナの心臓が杭という名の白羽の矢が立たれるであろう。

 それが少女の園の領主「少女主人」カテリーナという絶対だった。

 甘い芥子の香りを纏うカテリーナは、気品と共に屈強な男たちを従えながら、棒付きキャンディーの詰まった籠の鞄を下げて少女たちに歩み寄る。

 少女たちに飴を配りながら、カテリーナは年長の少女たちを見定めていた。傍に立つ侍従の少年と時折目線を交わす。カテリーナから飴を渡された少女たちは、ほくほくとしていた。

 カテリーナは一人の少女に近づいた。優しくその名前を呼んでやる。カテリーナは五十人ほどいる少女たちの顔と名前を、全員覚えている。同じ名前の少女は多く存在していたが、間違えて呼びかけたことは一度もなかった。


「フローラ、こっちにいらっしゃい」


 フローラと呼ばれた少女はぱっと表情を明るくした。喜びが隠しきれないはにかみを頬に乗せて、カテリーナに近づく。


「お呼びいただけて嬉しいです、ぜげん様」


 カテリーナは薄いピンク色のエナメルを塗った爪先の繊手で、フローラの手を包み込んだ。そして悪戯っぽく睫毛をぱちりと半瞬伏せる。


「外に行く気はない? フローラ。わたくしは、あなたはもう外を見るのにふさわしく成長したと思っているの」

「外に? わたしがですか? 是非行きたいです!」


 カテリーナの誘いに、フローラは二つ返事で諾を言った。フローラの周りに他の少女たちが祝福に集まってくる。


「おめでとう、フローラ!」「フローラお姉ちゃん、お外の世界に行くの? すごいわ!」「いいなあフローラ! よかったわね!」


 俄かに花畑のような彩りに変わった空気を、カテリーナは微笑ましげに見つめていた。作り物のような睫毛に刷かれた優しさが、少女たちの祝福をさりげなく終わらせるのは早い。


「さあ、フローラ。荷物をまとめてちょうだい。出発はすぐよ」

「はい、すぐに参ります」

「駄目よ、フローラ!」


 フローラとカテリーナは割って入った声に顔をあげた。フローラは怪訝そうに、カテリーナは緩慢に。きょとんとしたフローラの瞳に映っていたのは、下品に体を露出したドレスを襤褸(ぼろ)にして、汚れた髪を振り乱した少女だった。フローラは、彼女を知っていた。


「ドーラ……?」

「逃げるのよ、フローラ! その女に従ったら駄目!」


 フローラは狼狽で動けずにいた。乱入してきた少女はまるで娼婦のような格好であったことと、先日少女の園を嬉々として出て行った少女であったこと、カテリーナを敬っていたはずが尊称を捨てて放った呼び名。全てがフローラを困惑させるには充分だった。

 カテリーナはフローラのすがるような無垢の瞳に安心を与えるように柔く笑った。一切の動揺がないカテリーナを見て、フローラは何に安堵したのかカテリーナの影に隠れる。乱入した少女を汚い者でも見るかのように、顔を背ける。

 逆に少女は焦りを見せた。黒服に押さえつけられて暴れながら、何かを伝えようとするも、フローラが訴えに応じる気配がなかったからだ。使命感のみで乗り込んだ策のなさが、哀れなくらい透けて見えた。引きずられながら床に爪を立ててものを言う姿は、園の内側にいる少女たちには譫妄の中にある者の言葉にしか聞こえない。


「その女は、どれ」


 大きく開けられた口に、鉄の塊が連続して叩き込まれる。告発は弾けて、血を纏った弾丸が喉から延髄にかけて通り過ぎる。カテリーナの侍従である少年が発砲していたのである。

 告発の少女が倒れても、少女たちは誰一人として悲鳴を上げることさえしなかった。妄人が死んだ。醜いものが死んだ。美しい少女たる自分たちが関わってはいけない汚れを蔑む目だけが、ぎょろぎょろしていた。

 カテリーナはフローラの背中を押した。愛らしく添えた微笑みに一点の曇りもなかった。


「行きましょう」



 カテリーナはなじみの仲介人から札束を受け取った。すぐ侍従に確かめさせて、金額が間違っていないと、にこりと笑う。


「流石と言うべきか、相変わらずと言うべきか……貴女が扱う商品は美しく高品質なものばかりで、客受けがいい」


 仲介人はちくりと含みを持たせて、カテリーナを見つめた。


「少女主人……カテリーナ・ルッソ嬢──初めて貴女の存在を知ったときの驚きは、全く色褪せません」

「光栄ですわ」


 カテリーナは出された紅茶を一口啜って、絶やさぬ微笑みに傲慢な自負を翳らせる。仲介人が見せた哀れみの響きは、悪びれる態など欠片もないカテリーナにではなく、札束と交換された少女の悲運に向けられていた。揶揄にしては、力ない慨嘆だった。


「あの少女たち、いや、貴女からしたら、ただの家畜か」


 仲介人の目の中には、カテリーナの悪辣さを褒めることしかできない非力だけが存在していた。


「まさか貴女が、美少女専門の奴隷商人だなんて、思わないでしょう」


 奴隷売買の仲介人らしからぬ少女への同情を、カテリーナは品位を失しない程度に笑っただけであった。


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