危険ロリータ

退会したユーザー ?
退会したユーザー

1.少女主人カテリーナ

00.つま先にキスを頂戴

公開日時: 2020年9月1日(火) 07:02
更新日時: 2020年9月26日(土) 09:36
文字数:2,980

 カテリーナは光に包まれていた。眩ゆいにも拘わらず、不安な喜びに心が慄えていた。風もないのに揺らめいている光の帯が、髪留めを貫いていた。きつく結わいていたはずの長い髪、甘い色をした金髪が、殺伐として風に広がる。

 長い間、身体と人生に積み重ねていた疲弊が、光に洗われていく。体内に蓄積された時間が、毒を抜かれるように消えていく。

 あらゆる人々を奴隷として従える「時間」。カテリーナの内側では、時間の激しい逆行が起きていた。暖かで眩しい光の中で、伏せた瞼の奥で、カテリーナは幼い日々と苦い記憶を見た。遡る時の流れに身を委ねる間、激痛に見舞われていた。それでも、四肢は不思議と痛みを忘れて軽くなる。過去の激情をなぞる営みが静かになっていくと、カテリーナは伏せていた目を開いた。宝石のような瞳が最初に捉えたのは、手の切れるような紙幣を数える、爪に黒のエナメルが光る指先だった。

 忘れたいことを幾重にも睨んだ後、花開いたのは芥子(けし)の匂いだった。熱をもたらす気迫に勘付いたものがあったらしく、金を数えていた者は手を止める。

 カテリーナは時の逆行に刃を振り落とした。淡くなっていく光の中に佇んでいたのは、美しい少女──カテリーナであった。痛みも恍惚も醒めていくと、漂っていた煙草の煙が、その匂いと荒廃が、現実を感じさせた。苦い煙の香りは、我に返るには充分な現実の香りだった。

光が蒸発すると、カテリーナは自らが全ての価値を置く概念を永遠に我がものとした悦びに、不敵な慄えを覚えて笑っていた。何も自分に勝つものがないと思うと、笑うしかなかったのである。

 十六歳のカテリーナは美しかった。甘いカフェオレ色の金髪をふわりと長く伸ばし、均整のとれた小さい顔にはあどけなさと気品が備わっていた。大きな目に上向の長い睫毛、小さな唇は愛らしい。

紙幣の束を掴んでいた大きな手が、テーブルの上に札束を置いた。節と節の間が長い指先が、煙を昇らせる煙管を挟む。

 金を数えていたのは、銀髪の若者だった。横分けの前髪から、色素の薄い切れ長の目が、水に溶けた青より淡い瞳が、気怠げだが意味深にカテリーナを見ていた。肌色の薄い面長の化粧面は酷く虚無的な表情をしていた。瑞々しさでいっぱいのカテリーナとは対極にある不敵さが隠然と口を閉ざしている。薄い瞼に塗り落とされた青紫のアイシャドウと、切れ長の目を縁取る黒、紺色の唇は、何も言わないがカテリーナに何か思うことを黙っている曖昧な静けさで妖しく、微動だにしない。

 激しく波打つ柔らかな銀の長い髪と、殆ど色のない青の瞳、派手な化粧と咥え煙草。それが若者の象徴だった。この面妖だが精悍で端正な若者の存在をカテリーナに教えた者が言っていたことに、カテリーナは時間が経ってから納得していた。銀髪の怪傑、その通り名が「魔術師」であることを。

 恐れるものなど何もないと言わんばかりの視線と、無気力でありながら鋭い視線がぶつかった。敵意とは違う、目線の交錯。沈黙は言葉に代わって何かを語ることもなければ、訴えもしない。光はもはや影もない。棚になっている壁に奇妙なものが並ぶ煤けて黒く汚れた狭い店の中という、夢のない埃っぽさだけがある。


「あんたは賢いな」


 夢のない沈黙を壊したのは、魔術師の方だった。言葉の上では褒めているが、声には微塵も気持ちがこもっていなかった。カテリーナを見据える切れ長の鋭い囲み目は、賢さへの敬意ではなく、カテリーナの強かなあざとさを睨んでいる。

 魔術師は美しいカテリーナに、やる気のなさそうな声で話した。強かさへの感心が半分と、無気力な冷徹さが半分ずつ混ざった台詞の内容は、悪どい暴露だった。魔術師が語ったのは、カテリーナと似た道を買い取った者たちの行方である。


「いいことを教えてやろうか。俺から美しさを買った客は、全員、死んでる」


 カテリーナは魔術師の過去の客たちを鼻で笑った。


「わたくしが買ったものは、美しさではなくってよ?」

「お前は美を、買わなかった。だから俺はお前を褒めてやったんだ。本当に、上手い買い物で破滅を避けた。呆れるくらい大した自信だよ」


 魔術師はぷかぷかと煙を吹かしながら、やはり口先だけの言葉を煙みたいにふわふわさせていた。褒め言葉も呆れているような台詞も、両方が嘘っぽく漂っていた。何も思っていないというのが、魔術師の本当のところなのかもしれなかった。


「お前は、どうなるのかな」


 カテリーナは細い腕を胸の前で組んだ。


「わたくしが死ぬように仕向けられないのが面白くないのかしら?」

「人聞き悪いな。俺は何も仕向けてなんかいない、連中が勝手にくたばっただけだ」

「わたくしは死なないわ」


 カテリーナは不敵な表情はそのままに、魔術師に提案した。カテリーナは自らの美しさに、絶対の自信があった。


「魔術師、賭けをしましょう」

「……賭け?」


 魔術師は短い眉を片方持ち上げた。


「あんたに、わたくしを殺す機会をあげるわ」


 横柄な語気に、魔術師は苦笑した。

 

「殺す機会、か」


 曖昧に呟いて、魔術師は黒のマスカラを重ねた目を伏せる。魔術師が異論を言い出さないうちに、カテリーナは魔術師に契約外の注文をした。


「何でもいい。わたくしが醜い気持ちを抱いたら、わたくしの美しさと若さが削れるようにしてちょうだい」

「削れるように?」


 魔術師は難色を示した。


「そんなことしてどうする、俺は欠陥品は売らねえぞ」

「美しさと若さは、わたくしの命よ。だから、わたくしは命を賭ける」


 魔術師はカテリーナが持ちかける賭けの内容を分かってきたのか、気のない声で納得してみせた。


「殺すって、そういう話か……美と若さがなくなった時点で、お前は死んじまうってことか?」

「そう」


 カテリーナは頷いた。


「期間は二年。二年守りきれば、わたくしの勝ち。二年のうちに美と若さを失う敗北をしたら、あんたにわたくしの全財産をあげるわ」

「俺は負けたらどうすればいい?」

「魔術師、あんたが負けたら、跪いてわたくしのつま先にキスをしてちょうだい。それから、その首をいただくわ」

「ははは、参ったな」


 魔術師の困り顔は意味深だった。ふと思いついたことをどうやって遂行しようかを考えている表情だった。この短いやり取りの中で、魔術師が何を見つけたのかは、誰の知るところでもない。持ちかけられた賭けから滲んでいるカテリーナの自信に付き合っている風情の笑い方はそのままに、ゆっくりと煙を吐く。禍々しい紫煙が、くらくらと昇った。


「そうだな……お前の行き先でも、見届けてやるか」


 裂けた舌先で飄逸な感嘆を弄び、魔術師は呟いた。昇る煙は細く切れて、天井のあたりで悪意のように蟠った。化粧面に刷かれた覇気と、目の奥に宿る気迫には、カテリーナの挑発を叩き潰す殺気が含まれている。器用に隠した殺意に、禍めいた害意に、カテリーナが気付くことはなかった。魔術師は気怠い表情を仮面にして、何も見せなくしていたのだった。

 カテリーナは美しく上品な眦を細めて、満足げに微笑んだ。

 魔術師は、カテリーナの秘密を知るただ一人の存在となった。カテリーナが魔術師から買ったものは、誰にも知られてはいけないものとなった。

 魔術師にも、秘密は墓まで持っていかせなくてはならないのだ。秘密を使って脅される前に、魔術師には死んでもらわなくてはならない。

 全てはカテリーナが、永遠の美少女でいるために。




読み終わったら、ポイントを付けましょう!

ツイート