スパイシー・ダーク・チェリーパイ

甘い情熱のスパイスは、冷たく苦い死の秘密。
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後編

公開日時: 2021年6月7日(月) 08:35
文字数:2,366

「なんで?」と僕が聞いたのは、オマエがバカの一つ覚えみたいに毎月同じケーキを買ってくるからなのに、オマエは、

「今日セールなんだ、アタシのイキツケのケーキ屋さん」


案の定、また、見当違いな答えを返してきた。


オマエの大学の近くのケーキ屋では、毎月第3土曜日は全品3割引きのセールをやっている……って、ウンザリするほど聞かされてるから、イヤでも覚えてる。僕が聞きたいのはそこじゃないのに。


僕が毎月同じタイミングで「なんで?」と聞いているのに、不思議そうなそぶりも見せず同じ答えを返してくるオマエ。

きっとオマエは僕との会話なんていちいち覚えちゃいないんだろう。だから、毎月飽きもせず同じ問いかけをされても、ちっとも疑問に感じないで即答するんだ、同じ答えを。


今日も僕は、オマエの見当違いを指摘するのをあきらめて、冷めかけのパイにフォークを刺す。サクランボのソースよりずっと甘ったるい笑顔でフォークの先端を見守るオマエは、僕の失望に気付かない……また今日も。



だって、どう考えたってオマエらしくないだろう? 砂糖漬けの黒い果実がギッシリ乗っているだけの平凡なパイに、飽きもせず執着するなんて。

あそこのショコラティエのザッハトルテがどうの、こっちのデパ地下の季節限定プディングがどうのと、いつだって僕にはチンプンカンプンな新作ケーキの話題で勝手に盛り上がるオマエが。どうして? とりたてて特徴もない定番のチェリーパイを、毎月律儀に差し入れてくる?

まったく、我ながら本当につくづく、くだらなすぎると思うけど……僕は知りたくて知りたくて仕方がないんだ。オマエが「第3土曜日のチェリーパイ」にこだわる理由……



だいたい、そもそも、オマエときたら、どんなモノだって目新しい方にすぐに目移りする。綺麗な羽根でひらひらと花から花へ舞い移る……陳腐な表現だけど、まさしくそんな、……気まぐれで移り気な蝶々そのもの。


ああ、ほらそうやって……また思わせぶりに笑う。つややかな桜色の唇になんともいえない可憐な弧を描いて。長い睫毛まつげに彩られるハシバミ色の大きな瞳をかすむように細めて。謎めいた思い出し笑いで僕を動揺させる。激しく。僕の心を揺るがす。


「何が可笑おかしい?」

予想外に殺気だった声をあげてしまった、なかば無意識に。僕は自分に驚きながら、オマエを怯えさせることをひどく恐れた。

けれどオマエは、いっそもっと意味深な笑顔を浮かべながら、「別に」と素っ気なくひとこと。つれなく僕をはぐらかして、それからふいに、繊細な細い人差し指で僕の口の端をぬぐって。その指を、自分の口の中に入れたんだ。


ふっくらと濡れた唇の中央で、柔らかな乳白色の指を出し入れする。ゆっくりと、僕の焦燥をあおるように……甘い唾液に濡れて光る指が、オマエの口を行き来する。明らかな挑発。

僕は急いで目を反らしたが、僕の脳内に反射的に浮かび上がった甘美な記憶の連想が僕の息を荒くしてやまない。

オマエのその唇の柔らかさ、その奥でうごめく粘膜が僕に与えてくれる快感……絡み付いて包んで僕を吸い上げる、熱いしたたり。


チェリーパイなんてくそくらえ。味なんか分かりやしない。ただ必死に平静を取り繕うためだけに、機械的に咀嚼そしゃくを繰り返しているだけだ。


「……なにを考えてる?」

つとめて高圧的に、もう一度、聞いてみる。そうしないと、体の芯が震えだしてしまいそうで。まるで十代のガキだ。まったく情けないけど。僕は、こんなにもオマエに溺れてる。


オマエは、今度は、茫洋とした遠い目をして僕をはぐらかす。

けぶるようなまなざしが、僕を素通りして僕の背後に向けられる……


もしや、床の間が興をそそるんだろうか? あえて、わざとらしく無造作に並べたてて置いたつぼ。僕には珍しく釉薬うわぐすりを生がけして、予想のつかない意外な亀裂や形崩れを趣として焼いてみた作品ばかりだ。馴染みの骨董屋がしつこく声をかけてくるが、床の間の壺だけは絶対に売る気はない。ひとつたりとも。


オマエが僕の一番大切なコレクションに興味を持ってくれたのだとしたら、僕はどんなに嬉しいか。でも、違う。そんなわけないだろう?

オマエの移り気な好奇心を惹きつけることができるのは、口当たりが良くて甘く愉快で見栄えが良くて……目新しいモノだけだ。


だから僕は、オマエが机に頬杖ほおづえをつきながらうっとりと夢見るように微笑んでいる、その理由が知りたい。どんな思い出が今オマエを楽しませているのか。多分それは、野暮で無愛想で面白味のない僕なんかより、オマエにとってずっと魅力のあるモノなんだろう。ああ、気まぐれで移り気なオマエの記憶の中で忘れ去られることなく回想されるなんて。

僕との会話なんて、右から左に、みんな聞き流されてしまうのに。


僕は、うらやましくてたまらない。オマエを今喜ばせている、その思い出が。いっそなりふりかまわず胸をかきむしりたいほどに。どうしようもなく羨ましくて、そして、……妬ましい。


なあ、本当に、いったい、……どういうつもりなんだ? その脈絡のない綺麗な微笑みは、誰のため? 目の前の僕? それとも……


聞きたい、どうしようもなく。とことんまで問いつめたい。ああ、でも、聞けない……僕に、そんな資格があるものか。


僕にできることといったら、また今日も、オマエの挑発に翻弄ほんろうされるがままに溺れるだけだ。もっと深く、もっと深く。底の見えない深みを夢中で目指して。オマエの奥底に引きずり込まれていく……もっと僕を誘って、もっと煽って、沈めてくれ。


そうすることでしか、僕は、僕の身の程知らずな問いかけを抑え込むことができない。だから、もっと強くその甘い舌を絡めて、僕から言葉を奪ってくれ。

オマエの気まぐれな微笑みひとつを身勝手に深読みしてしまわずにいられない、僕の後ろ暗い猜疑心さいぎしんを、どうか、根こそぎ包んで封じ込めてくれ……



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