「ああ、ああよく戻った銀」
「叔父貴も、荒れてんな。勝子姉さんも、白金子も……仏間のか?」
「ああ、あの空襲で吹っ飛んじまった。骨も、勝子のか白金子のかも定かじゃねえ。でも、多分アイツなんな、あの子の骨なんだ」
神戸の空襲はかなり大規模なモノだと聞いた。それの巻き添えになったのだろう。
引揚局の人間に話を聞いたが神戸を皮切りに、連中、アメリカは空襲の爆弾を焼夷弾に切り替え、より街に甚大な被害を齎す様になったのだと言う。
ここでの空襲はかなり大規模なモノであったそうで、聞いている限りでも五千人は下らない程、民間人が焼き殺された。
歯痒いかな、悔しいかな。汚辱だ、ここまでの屈辱あって堪るか。
守るべき人々、国、土地が辱められ殺されていて、反撃も出来ず降伏するなど。
「線香の一つでも上げてやりたいが、物資統制が酷くてな。ろくに物が手に入らない」
「じゃあ、このまま干乾びるのか? 叔父貴、まさか敗戦と一緒に牙も抜かれたのか? 昔みたいにギラギラしてねえなあ」
「馬鹿いうな。やる事やってるさ。ただまあ、身が入らねえってのは確かだが」
真面な酒ではないそれが収まった酒壺を煽って渇を入れる銅造。
その眼に宿っているのは、在り在りとした復讐心とともにた悪質な執念深さ。
まだまだ戦争は続く、続けて見せる。まだまだ我らは劫火の一億火の玉。
敗北して尚足搔く、廃して尚燦然と燃ゆる。
往生際が悪いと言うべきか、だが言わんとすることは理解できた。大切な家族を奪われ、奪った奴らが、我が物顔でのさばり果てには第三者が顔を突っ込んできて好き勝手やっているのだ。
鬱憤の一つや二つ、十や百など下らない。全てが憎く、全てが忌々しい。
我が神州、鬼畜英米に踏みにじられるのは受け入れようとも、志那朝鮮共にまで下に見られる謂れわない。
戦いはまだ続いている、敗戦の後もまだまだ、まだまだ火の燻った灰のように。
「それで、そちらさんは誰なんだい?」
顎で俺を見てくる彼に軍帽を脱ぎ、敬礼をする。
「同じ引き揚げ船で戻ってまいりました。関東軍防疫給水部所属の一等兵、澁谷吉郎であります」
「俺の舎弟だ。叔父貴」
「そうか……そうか、あんたも満州から引き揚げてきたのですか。ご苦労様です」
「いえ……我々が不甲斐ないばかりに──」
ご家族を失われてご愁傷様です。とは口が裂けても言えそうになかった。
ご愁傷様と言える口があるのならその腹を今すぐ切って責任をとれと言いそうな雰囲気があったからだった。
まるでどこか腹の底を覗き込んでくるような、年の功か。俺の何かを感じ取ろうとしている気がする。
「……ふん、てめえの不甲斐なさだけはキッチリ把握してるみたいだな。それを承知の上でご家族云々言いやがったら引きずり回してやったぞ」
「重々理解しております。赦しは必要ありません」
「ほう……」
銅造は立ち上がって腰に帯びている短刀の柄に手が掛かって俺の前に立ちはだかった。
「赦しが欲しくないか、じゃあ何が欲しんだ。ええ? 答えて見ろ、敗残兵の一兵卒が」
「生きる糧を、この先の時代を生きる糧を俺は欲します。身体であれ、面子であれ、生きる為には捨てて見せます」
短刀が抜かれ俺の眼の先にまで切っ先が立った。今にも目を抉らんと襟元を掴み取って、刃の冷たさが空気を伝い眼球に伝わってくる。
心臓が高鳴り、恐怖心で今にも失禁してしまいそうだが──戯れだ。
試されている。俺の口から出る言葉が本当に信用なるのかそう眼で語っていた。
そしてそれと同時に瞳に宿っていたのは、憎しみ?
何故だ、初めて会うはずなのに。
まるで親の仇、いや、嫁娘の仇のように俺を睨みつけていた。
「良き恥を晒して、本気も出さないうちにアメ公どもに負けやがって──」
「我々日軍、粉骨砕身血反吐を吐いて戦いました、多くの将兵を、仲間を満州の地で果てて生き延びました!」
「ああそうだろうな、そうだろうとも! じゃあなんで手前は生きてんだ、なんで死んでねえんだ! 面子はねえんだろ! 矜持がねえなら、なんで生き延びた! 生き延びて勝つ術が在りながらなんで使わなかった! ええ?」
「一体……何を?」
意味が理解できなかった。彼の言う事が、銅造の言う事が。
勝つ術があった? 我々に──どこに?
銅造はゆっくりと開けた小袖の袖口からそれを取り出した──銃だった。
それも、『先生』から託されたモ式大型拳銃だった。
銀に託し引き揚げ船で本州上陸の際にGHQに接収されないために秘密裏に持ち込んだそれであった。
検疫所で持ち歩く訳にもいかず、闇物資に紛れ込ませここに送ったと聞かされていた俺の銃だった。
「この銃はなんだ? 何だってこんな力があるんだ?」
「ただの銃です、弾が出て敵を殺す銃です、が」
「ああ見た目はなそうだろうよ、でもコイツは何なんだ? ただの拳銃じゃねえよなァ」
いよいよもって意味が分からなくなり始めた。
銅造が一体何が言いたいのか、一体このモ式の何を伝えたいのか、その真意が分からない。
その疑問にいよいよもって聞いたのは俺ではなかった──銀だった。
「おい、おいおいおい。叔父貴一体何の話してるんだ?」
「そうか、銀。てめえも知らねえのか。──じゃあ魅してやるよ。コイツの魅力をな」
銃口を己の眉間に向け、押し当てた。
俺たちは泡食って止めようとしたが、遅かった。
引き金は一瞬にして引かれたのだった。
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