「どうしてこうなったんだ」
俺は今、高崎さんの家で夕食をご馳走になり、お風呂を借り、ソファーでガチガチに固まっている。
身体が休まっている気が全くしない。
高崎さんと雫ちゃんは、現在お風呂に入っている。
俺の入った後のお風呂に。
ダメだダメだ!
変なことばかり考えてしまう。
別に高崎さんは変な意味で俺を泊めたんじゃない。決して。
雫ちゃんのためにしかたなくなんだ。うん。
「情けないわね。ここまで来たんだから行くところまで行っちゃいなさいよ」
「行くところってどこだよ! もう早く寝たい!」
溜息とともに外に出る前橋さん。拳はギュッと握られていた。
勉強中も外に行くことが多く、ほとんど俺たちの前に姿を現していない。
さすがに退屈だよな。
そんなとき下腹部から生理的欲求が。
「トイレ行きたくなってしまった。トイレはたしか……」
リビングからトイレに向けて進む。
美少女ゲームの定番では、間違ってお風呂の扉を開き「キャー、エッチ、バチン」展開が定番だ。
しかし、俺はトイレの場所をあらかじめ聞いていたし、間違うはずもない。
何事もなくトイレを済ませ、リビングへ戻ろう……としたそのとき————
「あはははは!」
急に扉が開いたかと思うと、お風呂上がりで一糸まとわぬ姿の雫ちゃんが飛び出してきた。
「うわ!」
「あっ、おにぃちゃんだ!」
濡れた身体を俺で拭かないでくれ! 高崎さんのお父さんのパジャマなんだから!
「こら雫、太田君がリビングにいるんだから待ちなさい……。えっ」
「えっ」
目の前に現れたのは、タオル一枚の高崎さん。
「あっ、おねぇちゃん、ごめんなさーいっ♪」
俺から離れる雫ちゃん。そして、ものすごい勢いで高崎さんに抱き着く。
ダメ!
タオルは引っ張っちゃダメぇぇ!
パサリ
「きゃ!」
雫ちゃんの引っ張る力が強くて一瞬落ちかけたタオル。
いつもほわほわした高崎さんからは想像できないスピードでタオルを元に戻す。
「み、見た……?」
「いや、見てません」
このままいけば千切れるんじゃないかと思えるくらいの勢いで首を横に振る俺。
本当に見えませんでした。
でもあとちょっと反応が遅かったら……
「お見苦しいものをすみません……。ほら雫、行くよ」
高崎姉妹は、そのままいそいそと脱衣所に帰還した。
あまりの衝撃に呆然自失になっていたところ、いつの間にか雫ちゃんを寝かしつけた高崎さんが向かいのソファーに座る。
「今日は本当にありがとね。勉強だけじゃなくて雫の相手も。すごく喜んでた。疲れて寝ちゃったけど」
慈愛に満ちた表情でそう語る高崎さん。
そのまま言葉を続け、
「今思えば最初からだけど、やっぱり太田君は優しいね……。成り行きだったと思うけど、こんな私に勉強を分かるまで教えてくれて、妹の相手までしてくれて」
「お、おう……」
気の利いた言葉が何ひとつ出てこない。
勉強のときはあんなにスラスラ言葉が出てくるのに。
恥ずかしさと自分の応答スキルの無さに打ちひしがれていると、高崎さんが改まってこちらをまじまじと見つめる。
「あのね、ずっと前から気になってたことがあったんだけど、せっかくだし、聞いちゃってもいいかな?」
「ん? 別にいいけど……」
気になることってなんだろ?
高崎さんからの質問を待ちつつ、出してもらった麦茶を口に含む。
「太田君って、前橋さんと付き合ってたの?」
「ゴフッ! ケホケホケホッ! ヤバい……変なところに入っ……ケホケホケホッ」
いきなりの突拍子もない質問に、麦茶が気管に入ってしまい、思わず咳込む。
幸い麦茶を撒き散らさずに済んだが、胸に何か重たいものが残っている感覚がする。
「い、いきなりなんだよ!?」
「ごめんね。まさかそこまでびっくりするなんて思わなかったから……。その反応、もしかして————」
「ないないないない! それは勘違いだよ! なんでそう思ったんだ?」
「私、見ちゃったんだよね。前橋さんがまだ生きていたときの放課後、部活終わりに忘れ物に気付いて教室に向かったの。そしたら教室で誰かの話し声が聞こえるなぁと思って、こっそり覗いてみたんだぁ。そしたら、普段全然喋らない前橋さんが誰かとお話ししてたの! えっ、あの物静かな前橋さんが誰と話してるんだろうって思って、相手を確認したら、なんと太田君だったのです! これまたびっくりだよ! 太田君も女の子と話してるところ見たことなかったし、もしかして二人ってそういう関係なのかなって……」
そっか。
高崎さんはあの日の放課後の一幕を見ていたわけか。
まぁ普段の俺たちからすると考えられない組み合わせだし、驚くのも無理はない。
でも、誤解はちゃんと解いておかないと。
「あれは……たまたまだよ! あのとき俺も教室に忘れ物を取りに行って、そしたらたまたま前橋さんがいたから、なんとなく話すことになっただけで……」
「ふふっ、なにそのふわふわな回答。 じゃあ、太田君は前橋さんのこと、どう思ってたの?」
「えっ? どうって……」
思わず前橋さんの方に視線を向ける。
「あなたはなんて答えるのかしら」とでも言いそうな興味深々の顔をしている。
「ベ、別に……ただのクラスメイトだよ」
「本当に?」
「……うん」
「そっか! そうだったんだ!」
重々しい雰囲気をまとっていた高崎さんだったが、パァっとほんわか笑顔に戻る。
かと思ったら、もう一度探偵が犯人を追い詰めるような重い空気に。
「もう一つ確認したいことがあります。これもたまたま見ちゃったんだけど、この前学校近くのファミレスで、年下っぽくて可愛い子といたでしょ? あの子は誰だったの?」
もしかして、愛ちゃんのことかな?
まさかあれも高崎さんに見られてたなんて……
別にお忍びってわけでもないし、やましいことは何もないのだけど、なんか恥ずかしい。
「あれは、伊勢崎先輩の妹だよ。これもたまたま話す機会があって……。でもあれ以来会ってないし……」
「なんで伊勢崎先輩の妹なのかはひとまず置いておくとして、彼女じゃないってことでいいのかな……?」
近くにあったクッションを胸に抱きながら、目元より上をちょこんと出してこちらを伺う高崎さん。
「うん。俺に彼女なんてできるわけないし、本当にたまたま————」
「そうだったんだ! はぁ、なんかスッキリしたぁ! もしかして太田君って、隠れプレイボーイだったのかなって思ってたんだけど……良かった」
俺の言葉を遮ったかと思うと、急に言葉がゴニョゴニョしだして聞き取れない。
でも高崎さんの表情は、まるで今まで解けなかった超難問を解いたかのようなスッキリとした笑顔だ。
これを見られるのが俺だけだなんて、学校中の男子が聞いたらボコ殴りされるだろうな。
しばらく沈黙の後、突然高崎さんが立ち上がる。
「な、なんか変なこと聞いちゃってごめんね。私もそろそろ寝ようかな。太田君には、お客さん用のお布団があるからそれで寝て。それじゃあ、おやすみ」
「おう……おやすみ」
お互いぎこちなく挨拶をすませ、高崎さんがリビングに敷いてくれた布団に入る。
最後はちょっと気まずい雰囲気になってしまったけど、勉強会はなんだかんだ楽しかった。
人に教えることは自分のためにもなるし。
なによりあの高崎さんと、ここまで話すことができるようになったんだ。
これは一歩どころか百歩くらい進んだんじゃないか?
あとは試験を待つのみ。高崎さんならもう心配はいらないだろう。
昨日は緊張してあまり眠れなかったせいなのか、いつの間にか眠気に襲われ、そのまま朝まで目を覚ますことはなかった。
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