どちらかが突然攻撃を仕掛けない限り、対峙する二人の均衡は崩れない。けれど、多少会話をする気がある? ジュスティ先輩に対して、ロウさんはそもそも会話なんてする必要が無い。この違いは中々だ。私は蓋の隙間から見える光景をじっと観察する。
……何かアクションを起こすにしても、この通気口から出来ることじゃないと。
例えば、頑張れば通気口の蓋は内側からでも外せそうだ。しかし、それを行動に移す時は私の存在がバレる時である。これは最終手段。では時計を使うのはどうか? いや、結局私がいることがバレそうだ。これも最終手段。
そんな調子でまた別のアプローチを考えて、そこで私はふと気づいた。否、気づいてしまった。
これ、私が弱すぎるせいで全部最終手段じゃない!?
相手が悪いのも勿論ある。だが、それを抜きにしても私が問題だ。弱いこの身があまりにも自分の足を引っ張っていた。せめて学園長が到着するまでの間だけでも、何とか死なずに持たせたいだけなのに。
有難くも焦れったいことに、眼下の膠着状態はまだ終わらない。仕方なく私は一旦それを見つめる。
そのうちに、ぐにゃりと歪み重なった音が響いた。
「あの女は、いないのか」
これは以前も聞いた、ロウさんの声だ。一周まわって清々しいくらいの加工は、本当の声を特定されないための対策なのだろう。今更これ自体に驚きはしない。けれど、聞き取れた内容は正直予想外だった。
女、って……私?
それは自意識過剰だろうか。いやまあ、仮に私のことじゃなかったとしても、タイミングが唐突すぎることは変わらない。なぜ急にそんなことを言ってきたのかはわからないが、話を引き伸ばす糸口になるのでは? そう思い、念を込めてジュスティ先輩の後ろ姿を見る。
「……誰のことだ。ここには俺しかいない!」
彼は少しの沈黙の後、私にもハッキリと聞こえるくらい大きな声でそう言い切った。声量と、はぐらかし。それらはどちらも恐らくわざとだろう。そうして、ジュスティ先輩は大剣を構えた。
えっちょっと? 戦うんですか??
「そうか。あの、黒い目のあいつは……いないのか」
もちろんそれを見せられたロウさんも、戦闘態勢を取る。どうしてこうなった??
何かしら考えがあるのだろうが、ジュスティ先輩がここからどうしたいのか私には一切見えない。これではだめだ。一度、逆……ロウさん側を止めることを考えてみる。
えーと……まず、ロウさんは女にいて欲しかった? のかな……黒い目の、女……って、それやっぱり私じゃん!?
この異世界において、黒髪黒目は珍しい。これは転移してすぐに理解した事実のうちの一つだ。学園の人間がやけにカラフルだったから、目立ちたくないなあと思ったことを覚えている。その上、今回はそれに加えてロウさんが暗殺者だ。彼と出会ったことがあって、生きている黒目の女性なんてそういないはずである。なんなら私だってなんであの時殺されずに済んだのかわからないが、それはそれ。だ。
とにかくそうときたなら話は早い。私がいるだけで二人、主にロウさんが一旦停戦してくれると言うならば、そうするしかないだろう。
私は通風口の蓋に手をかけた。最大限音が出るように、蓋を揺さぶる。思惑通り、一触即発だった二人がこちらを見たのがわかった。
「……いるじゃないか」
「っリューネ! 貴様……! そこまで馬鹿なのか!?」
「ば、ばかじゃない……! です!」
中々蓋は外れない。尚もガシャガシャとやりながら、とりあえずジュスティ先輩に反論だけしておく。
「そんなことをせず、いいから逃げろ!」
「今更無理ですよ!」
「くそっ……だろうな!!」
私の返答を聞いて、ジュスティ先輩は忌々しげに片手で頭を押さえた。そりゃあ逃げれるわけがない。ジュスティ先輩だってわかっているだろうにそう言ったということは、もしかして先程までの行動は私を逃がすための時間稼ぎだったのだろうか。
「あ、いけた。ちょっと、ちょっと待ってくださいね!?」
ガシャンと音を立て、蓋が落ちる。ロウさんは驚くこともジュスティ先輩を人質に取る事もなく、ただじっとこちらに頭を向けていた。前はただ深く被っているだけかと思っていたが、何故かローブのフードの中は暗くて、ロウさんの表情は一切見えない。何を考えているのかわからないので、一応釘を刺して、私はずりずり前に進む。
「今そっちに……あっ」
そういえば、これ降りるのってどうすれば……?
だが残念なことに、そこで私は通風口の高さを忘れていたことを思い出してしまった。少しだけ身を乗り出した状態で固まる。
「……えー、と……」
蓋がない分開けた視界を見渡してみた。ベッドはやや遠く、クッションにはならなそうだ。比較的高さが近いクローゼットは、そこから先のルートがない。え? どうしよう……。
「た、助けてください……あのーその、ロウさん!」
「何故そいつなんだ! というかそもそも貴様状況を理解しているのか!?」
瞬間ジュスティ先輩の鋭いツッコミが刺さった。しかしこれにはちゃんとした理由があるのだ。ジュスティ先輩に助けを求めた場合、まあ多分なんだかんだでジュスティ先輩は私を助けてくれると思う。けれど、その助けてくれている最中に、ロウさんが気まぐれでサクッと刺してくる可能性は捨てきれない。だからだ。説明はちょっとできないけれど、そういうことだ。
「……頭がおかしい女だな」
「えぇ……シンプルな罵倒……」
とはいえ、ロウさん視点から見たら仕方がないか。さすがに無理があったかもしれない。そう思っていれば、ロウさんは適当に部屋の椅子を持ってきて、そこに登った。急にグッと距離が近づいたことと、距離が近づいたにも関わらずフードの中が闇なこと、その両方にちょっぴり驚く。
「来い」
そのうちに短剣をどこかに仕舞ったロウさんが、おもむろにわたしに両腕を差し出してきた。
マジ? 言ったのは私だけど……ガチ?
「あ、りがとう……ござい、ます……??」
少し離れたところで青くなったり顔を歪ませたりと負の百面相をしているジュスティ先輩には悪いが、言い出しっぺなので逆らえない。私は素直にロウさんに抱えていただき……そして床の上に普通に下ろしていただいた。
え、優しい〜……。
謎だ。あまりにも謎である。助けてもらって散々な言い分だとは思うが、それなりに気味が悪い。
「………………」
「………………」
「………………」
しかもここで何と全員が黙ってしまった。このままではまたすぐにバトルがスタートしてしまう。私が会話を回すしかない。服についた埃をパタパタと軽く払い、ロウさんに向き直る。
「そ、そういえばロウさん! その、なんで私をお探しで……?」
「……聞きたいことがあった」
「え、なんでしょう……」
「今もある。例えば……俺の名前を何故知っている?」
「………………」
そういえばそうだった。まだ教えてもらっていないのに、素で呼んでしまっていた。これはロウさん目線で行くと、とても不審なポイントだ。すみません先輩……私、ばかだったかもしれないです……。
「まあいい。後で全て聞く。依頼を終わらせてからな」
「えっ」
依頼、それはどう考えてもジュスティ先輩を殺害することだろう。ジュスティ先輩もさすがにその発言でハッと意識を取り戻し、また大剣を構える。
いやいやいや、私はこれを避けるためにわざわざ姿を現したんだが!?
「待って、待ってくださいロウさん……!」
「止める気か」
「まあ……そう、そうですね! 止めたいですはい!」
「今回だけだとあの時言った」
「うっ……たしかに……そう……!」
それを言われてしまうと弱い。何せなにも切り札がないので。
「……リューネ、止めても無駄だ」
「せ、先輩までそんなこと言わないでくださいよ……」
ああどうしよう。私があたふたとしているうちに、ロウさんもまた短剣を片手に握っていた。どうしよう、どうしよう。
私は混乱した頭のまま、ふらりと二人の間へ歩き出す。互いの盾になるためだ。
しかし、その時、誰かが私の肩にそっと触れ、私を押しとどめた。
「そんなことはしなくていい」
瞬きの隙間よりももっと一瞬、本当に気づいた時には、本来私が立とうとしていた場所に学園長がいた。
「……学園長?」
「遅くなってごめんよ、リューネ。アレウスも、よく耐えたね」
学園長はにっこり笑うと、大きな大きな杖を軽々と振る。すると、先生が校庭で使ったようなバリア? の魔法によく似た、小さな透明な膜が私とジュスティ先輩をそれぞれ囲んだ。光の粉が微かに宙を舞う。
「やあ、こんにちは」
「そこを退け」
「やめておきなさい。力量の差を理解できないほど愚かじゃないだろう?」
ロウさんへ不敵に微笑む学園長は、たしかにとびきりの威圧感を放っていた。こんにちは、なんて朗らかな挨拶が、ただの宣戦布告にしか聞こえない。
「それに。うちのアレウスを殺す理由なんて、もうないよ」
余裕綽々な態度を崩さぬまま、学園長が告げた言葉に、ロウさんがピクリと反応する。
「なに……?」
「ほら、命令が来るんじゃないかい?」
少しの間固まったロウさんは、深くため息をついてから、短剣を仕舞った。本当に、学園長の言う通り、命令とやらが来たらしい。
「たしかに……そのようだ。ならもう良い」
「が、学園長! みすみす逃がすのですか!?」
「ん? ああ……今回だけ、ね?」
ロウさんへ今にも追いすがりそうなジュスティ先輩にも学園長は笑顔を崩さない。今回だけ、という発言に盛大な舌打ちをして、ロウさんは掻き消えた。
「………………」
な、なんとかなった……?
やはり学園長は強かった。抑止力だったのだ。
なんだか気が抜けて、私はへなりと座り込む。
「リューネ!」
「先輩……?」
すると、ジュスティ先輩がすぐに駆け寄って来てくれた。お互いを包んでいた透明な膜は、シャボン玉のようにぱちりと消えて光の粒になる。
アレウスを殺す理由なんてない、と学園長は言った。そして実際にロウさんはこの場から去った。それはつまり、ジュスティ先輩はもう命を狙われない。ということだ。
「おい、大丈夫か!」
「……先輩……」
ジュスティ先輩が手を差し出してくる。見上げれば、彼のもう片手にあった大剣はいつの間にか杖に戻っていた。もしかしてあれも魔法だったのだろうか。まあ、それはいいや。
「先輩! よかったですね……!」
「……は?」
手を重ねグッと引っ張り上げられた私は、その勢いのままジュスティ先輩へ心からの賛辞を送った。だってもう彼の命は安心だ! あとまあ、ついでに私も多少は死ななくなるかもしれない。
懐の手帳も忘れないうちに、と慌てて取り出す。
「あの、これ。これ、先輩のお母上の手記です。すぐ渡せなくてすみません……先輩が持っててください。ただえっと、多分冤罪の件にも関わってる? と、思う、ので……一応、一度学園長とかにも渡した方がいいのかなとは思うんですけど……」
そこまで伝えても無言だったので恐る恐る表情を窺えば、彼はただ涙を堪えるかのように唇を噛み締めていた。ああそうか。これに、見覚えがあるのだろう。
「………………」
「……アレウス。ちょっとお前、外に出ていなさい。」
なんと声をかけるべきか迷っていれば、不意に学園長が笑顔でジュスティ先輩を部屋の外へ押し出した。手帳もサラッと持たされて、一瞬目を見開いたジュスティ先輩は、ほんの少し会釈をし、見えなくなる。
「学園長……」
「ん?」
「……ごめん、なさい」
一番初めに口から出たのはそれだった。今回もなんだかんだ無茶をした気がする。
「うん……まあ、そうだね。それも正解。でも、まだ満点じゃないなあ。他に言うことは?」
「ええ……と……来てくれて、ありがとう……ございます?」
「よくできました!」
にっこり笑みを深めた学園長は背伸びをし、私の頭を撫でた。あんまり怒っていなさそうで、ほっとする。
「でも、お説教はさせてもらうよ」
「あわ……」
しかし、気を緩めた瞬間、人差し指でツンと頬を押された。やっぱりあるんだ……。
とはいえ、今回ばかりは粛々と聞くしかない。何せ、学園長が来てくれたおかげで何か……根本的なことまで解決したっぽいのだから。正直、これが大人の力……! と感動してしまった。私は果たして役に立てていたのか? 疑問に思ってしまう。
まあでもとにかく、これできっと第二区画も突破だろう。心の底から安堵の息を吐き出した。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!