とうとう見知った人間と出会ってしまった。いや、見知った人間どころかもう、私の仇その三ぐらいの相手である。あ〜苦しかったな〜!
アレウス・ジュスティ……先輩。青い髪と青い瞳の彼は、初日の私が助けを求めた相手のうちの一人だ。しかし融通が利かないというか、ちょっとした事ですぐさま私を不審者認定してくる、警戒心も難易度も激高さんであった。だから私は三度水泡で殺されて、彼の説得を諦めたのだ。
ジュスティ先輩から学園長へ方向転換した後は、失敗しても一瞬死ぬほどの衝撃を感じたらもう死んでいる、という感じだったのでまだマシだった。けれど、窒息死は中々に苦しい。そう簡単には心の整理もつけられない。
とはいえ、ここで手を差し出して来ているのを無視するのはおかしいわけで。震えそうな身体をなんとか抑え、私を見下ろすジュスティ先輩へ私からも手を伸ばす。
「よ、よろしくお願いしま……えっ」
なのに、その勇気を捩じ伏せて電子音が鳴った。握手を遮るようにあのピンク色、乙女ゲーウィンドウまでもが浮かんで来る。ねえちょっと? 今私が頑張ってたじゃん?
出鼻をくじかれ、とりあえず行き場のなくなった手をそっと戻す。それから、こんなものが急に現れたら驚かれるのでは、と周囲を伺えば、彼らはピタリと固まり動かなくなっていた。
「え、ええ……?」
少し待ってみたが、やはり誰も動かず、言葉も発しない。まさかと思い腕時計を確認する。秒針の針は止まっていた。
つまり今は私だけ、正確には私とこのウィンドウだけの世界となっているのだろう。ファンタジーってそんなことも起こるものなの……?
「………………」
仕方ないので、ウィンドウの文字を見る。一応探してみたが、相変わらずキャンセルはない。早くアップデートして〜バージョン上げて〜
しかも表示された文面は酷く端的で、なんと【どうする?】の五文字だけ。
「なにを!?」
これにはつい、ツッコミを入れてしまった。そして声は静かな世界に掻き消える。いけない、落ち着かなければ……。
私は深呼吸をして、次へのボタンに触れる。謎の二択が現れた。
【A、握手をする(高)】
【B、この場から逃げる(低)】
「……あ、これ選択肢か」
数秒間じっくり眺めた末に、やっと合点がいく。なるほど、乙女ゲームにおいて好感度分岐とはよくある事だ。きっとこれもその類いなのだろう。
だがこんなもの、どう考えたって当然Aの握手をする、ではないだろうか。(高)がどういう意味かはわからないが、乙女ゲームなら好感度上昇率とかが妥当だし。
なにより、私が死んでることなど知らないジュスティ先輩を露骨に避けるのは、私に普通の価値観が備わっている以上、選べない。
うん、時間が止まってることと急すぎたこと以外はまあ、許容範囲かな……。
なんとか新要素の整理が出来た私はひとつ頷き、そっとAを押した。世界が動き出す。
「よろしくお願いします、ジュスティ先輩」
ついでに私の身体も勝手に選択肢を遂行するため動いた。私とは思えないほどすらすら言葉が出てきて驚きだ。そんな強制力あるんだあ……。
「もちろんだ! しかし貴様、随分弱そうだな?」
「え? あ、は……」
実際弱いので返事をしようとしたが、その肯定の言葉を言い切る前に左の側頭部に強烈な痛みと熱を感じて、私はただ地面に向かって倒れていく。
「………………」
痛い。あまりに急で、声も出ない。受け身なんか取れるわけもなく、右半身が床材に叩きつけられた。真っ暗な視界の中、音もなく、生ぬるい液体がどくどくと流れていくのだけを感じる。
そうして、私は死んだ。
目が覚めるとまた世界が固まっていた。眼前には二択が浮かんでいる。どうやら選択肢前自動セーブを採用しているらしい。ちょっとありがたい。
「でも、痛かったなあ……」
私は一体なぜ死んだのだろう。思い返すと少し気持ち悪くなる。あれは恐らく初めての死因だ。そのくせ中々にキツかった。嫌な死因ランキング上位に食い込むかもしれない。
死の直前の感覚からして考えられるのは……何かに撃たれた、とかだろうか。
停止した世界なのをいいことに、少し辺りを調べてみる。もうあんな死に方はしたくない。
「えっと、ここに立ってて……左側から来たから……」
私の左にあるのは、窓だ。私は壁に嵌め込まているアーチ窓に近づいた。
西洋建築なんかでよくありそうな上部が半円型のアーチ窓は、幅が狭く中々全ては見渡せない。それでも目を凝らし、景色をくまなく眺める。
見えるのはほぼ敷地内だ。けれど、壁の向こう、遠くの方に町らしきものと一際目立つ塔があった。
「……まさか」
そんなわけないと思いたかったが、どう考えても私はあの塔から狙われ撃たれた確率が一番高い。いやなんで? 私が何したって言うんですか?
詳しいことは何もわからないが、謎の相手に謎の方法で何度も殺されるなんてごめんである。私は少々申し訳なく思いつつ、選択肢Bの逃げる方を選んだ。
「…………っ!」
そしてウィンドウが消滅したと同時に、私の身体の制御は効かなくなった。鞄が手から離れ、私はジュスティ先輩の横を全速力で駆け抜けていく。
「なっ……おい! リューネ!」
「え!? ちょっとリューネー!」
後ろからかけられる声にも自分の意思では反応ができない。ごめんなさい、と強く思いつつ、私は走り続ける。
「待て! 止まれ!」
「あっ、監督先輩!」
むりです! 追いかけてくるジュスティ先輩へ、心の中だけで返事をした。その瞬間、私の背後で何かが高速で射出され、壁にめり込んだ音が鳴る。ひええ……!
急に動き出したから、狙いが逸れたのだろうか。何にせよこれで一応、死なずに済んだようだ。正解ルートがこんなのだなんて思わなかった。
「くっ……おい! リューネ、貴様! ホームルームまでには戻ってくるように!」
ある程度選択肢に従って動いたからか、強制力が落ちてきていたので、私は肯定の意を込めぶんぶんと首を縦に振る。
ただジュスティ先輩、ホームルームって何時ですか……!?
さすがに問えはしなかった。
「……っはあ……はぁ……」
階段を下り、少し進んだ辺りで私は息を整える。幸か不幸か、体力が切れたことで強制力も私を無理やり走らせるのをやめてくれた。もういやだ……。
これまだ初日って嘘じゃない?
そう思えども、嘘ではない。授業を受ける前からもう疲弊してしまいそうだ。今日も世界は私に厳しい。
「リューネ先輩、大丈夫ですか」
「っ! あ……メア、くん?」
「はい。メア・パラミシアです」
俯く私に声をかけてきたのはメアくんだった。彼は膝を曲げ、少し上から私をじっと見下ろしている。相変わらずの無表情だ。
「そっか……あ、あの……怪我とか、ない?」
「大丈夫です。ご心配ありがとうございます」
「ああ、それならよかった……」
私だけが死ぬのならまだしも、私の巻き添えで皆が怪我をするのは少々心が痛い。呼吸も整ってきて、ほうと安堵の息を吐く。すると、彼はどこか機械的に首を傾げた。
「何故、リューネ先輩が俺の心配をするのでしょうか」
「え? だっ、て……」
あの銃弾? は私じゃなくても中々危険だろう。かすっただけでも痛そうだ。
しかし、それをどう言ったものか。本来、背後で起きたことはわからない。死に戻りのことは言えないし、音だけで判断したことにするのは軽率なような気がする。
私が悩む間もメアくんは私を見つめて動かない。結局、頑張って考えた割に、私は在り来りなことしか話せなかった。
「メアくんが、私に優しくしてくれたから……? というか、メアくんが大事、なので……?」
ほぼ初対面の人間に何を、という感じだろうが、嘘は言っていない。けれど、反応もない。やっぱりこれはさすがに無し? 間違えた?
一切表情を変えないまま、彼は口を開く。私は何を言われるかとほんの少し身構えた。
「不思議な方ですね」
「えっ……いや、そんなことない、よ?」
ところが贈られたのは、予想よりも随分あっさりとした軽さの言葉だった。あっあれで良かったんだ……と思いつつ、不思議な方発言にはつい否定もしてしまう。
確かに多少、異世界人で脆弱だったり死に戻りしてたりするけど、そんな変では……あれ……?
「特待生に選ばれたのも納得です」
「………………」
そして今度はとうとう何も返せなくなってしまった。何せ私は強いとか特別とかじゃなく、いっそ驚異的なまでの弱さからなった特待生だ。なのに、メアくんの態度にはどう見ても"凄い存在"への尊敬が滲んでいたのである。
ど、どうしようこれ……。
このまま行けば近い将来幻滅させてしまいそうだ。だがひとり困った私のことなどメアくんには関係ない。
「リューネ先輩」
「はっはい!?」
急に名を呼ばれ、心臓が跳ねた。次は何を言うのか、ドキドキと待つ。
「俺に、感情を教えてくれませんか」
「……え?」
ファンタジーな力で言葉の聞こえ方は同じなのに、予想の斜め上を行かれてしまい中々意味が理解が出来なかった。な、なに? どういうこと?
メアくんはどこから見たって人間だ。感情は確かに難しいものではあるが、そんな……私に教えを乞うようなものでもない。真意がわからず返答に戸惑う。すると、電子音が聞こえた。
【どうする?】
瞬きの間に世界は固まって、目の前にはピンクに発光するゲームウィンドウ。せ、選択肢だあ!
ちょっと今だけは嬉しいかもしれない。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!