壁に手を当て、私は地下を進む。ここまで来たら、もう目を瞑ってしまった方が第六感やらなにやらが研ぎ澄まされたりするのだろうか。
「んー……んん?」
なんとなく、手のひらから伝わる振動が強い方へ歩く。ただそうしていれば、不意に手がドアノブに当たった。恐らくここが一番揺れが強い部屋だ。少し悩んだ末、扉をこじ開ける。
まあ、揺れが強い部屋とは言いつつも、私が動いているうちに振動自体は少しずつ収まってきており、今特に気になるのはこの……丁度入ってきてから聞こえるようになった、真上からの物音である。ガタガタと鳴るそれは、まるで家捜しでもしているかのようだ。
「………………」
あれ? これって割とやばくない?
物音がするということはつまり、この屋敷に私とジュスティ先輩以外の誰かがいる、ということになる。よく考えたらここは事故物件だし幽霊がいる世界のようなので、ポルターガイストも否定し切れないが……今までのループで一度も心霊現象は起きていなかった。そして学園の関係者ならば、直接来るより私かジュスティ先輩の時計へ連絡を入れれば良い。よって、これは人為的なものかつ、味方の可能性は極めて低いと言える。だろう、多分……。
状況を鑑みればみるほど詰んでいる気がした。こんな閃きは要らない。
え? やばいよねこれ?
とりあえず私は時計を操作する。あまり触りたくなかったが、背に腹はかえられない。これは一人で何とか出来ません……。
うっかり上階の不審者さんに存在がバレても逃げれるよう、扉にくっついたまま浮かんだ薄青緑のウィンドウに指を伸ばした。
以前の休日にメールと電話のやり方だけは教わったので、ポチポチとウィンドウをタップしていく。厳密に言えば原理が違う? らしく、メールと電話に限りなく似た連絡ツールという感じなのだが、そこら辺はよくわからない。
「……わぁ……」
先に電話の履歴を見たら、不在着信が山ほど来ていた。そういえば、定期連絡を言いつけられてたような気がする。
「………………」
幼児に言うように伝えられた約束事も、十何回もの死に戻りをしていれば忘れることもあるだろう。うん。
放っておけばまた怒られそうだが、しかしここで折り返しをかけることは出来ない。それに今からメールを送るのだ。悪いと思いつつ履歴は全て無視して消した。
にしてもなにこの量……?
まだ誰の番号も登録していないので、これらは恐らく学園長や百歩譲ってニオくんなどだろうが、数だけ見ればこれもかなりのホラーである。
さて、全消去をした次はメールフォルダだ。逆にメールはたったの一件だけ。高低差が酷い。しかも相手はなんと先生だ。当たり前だが、差出人の欄にはご丁寧にウィードル・アルキュミア、とフルネームが記載されている。苗字かっこよ……。
ああいや、そんなことを思っている場合ではなかった。本文は簡潔な一言。
今、どこで誰と何をしているか、これに気づいたらすぐ報告しなさい。
とてもわかりやすい指令だ。これなら返信できる。し、先生の声色がない分怒っている感が少なくて、なんだか逆に安心してしまった。
今、ジュスティ先輩のおうちの地下にいます。ジュスティ先輩とも合流できてるので二人です。上に戻るため地下を探索していました。ただ、地上階に別の誰かがいるようで、少し困っています。
即席の内容を一度確認し、勢いのまま送信した。よし、よしこれでもう時計はしばらく触らなくて済むぞ〜……。
ただの時計としてならデザインは可愛らしく、けれど文字盤がシンプルで時間もわかりやすい、と中々良い品物なのだが、それで収まってくれないから厄介だ。
そしてここで、今一度不審者さんの様子を伺う。
「………………」
音は、聞こえない。一分ほど息すら止めかけるくらいじっとしていたが、それでも耳に入る情報は何も無かった。
この場合、一番こちらにとって都合が良い解釈は、別の部屋に行ったとか、諦めてこのお屋敷から撤退したとかだ。しかし、私は相手の様子どころか相手そのものすらわからない。そう簡単に安心していいものか?
悩み動けずいると、上から破壊音が聞こえた。完璧に真上ではなく、やや斜めの方向で多少距離もありそうだったが、それでも反射でビクリと身体が震える。
「ひぇ……」
もしやあの不審者、二階にも設置されているのだろうトラップ達を普通に解除せず見つけたそばからぶち壊しているのではなかろうか。だとしたら相当ヤバいというか……単純に強そうだ。
魔法を使われたら即死亡の時点で私の勝ち目はほぼゼロなのに、そこに素の身体能力の差までついてしまえばもうおしまいである。
早く誰か来て〜! なんなら私を帰して〜!
どれだけ泣きそうでも、泣きごとを言っても、何かが進むことはない。私はそろそろ起きていそうなジュスティ先輩のところに戻ることにした。現状頼れるのはあの人しかいない。何を言われてもしがみついて助けてもらわなくては。
「……あれ……?」
だが、その時ページが開かれた状態でうつ伏せに床に転がる小さな本が目に付いた。きっと今までの振動か、先程の破壊音の余波でどこかから落ちたのだろう。そう思い、近づき……そこでおかしさに気づいた。
この部屋は暗い。いや、廃墟と化した屋敷の地下なんてどこだって暗いのだが、とにかく暗いというそれが重要なのだ。だって本が落ちていたとして、この暗さでは私はそれに気づけない。それくらい周囲が暗闇だからだ。扉を知覚しているのはあくまで背や手が扉に触れていたからで、闇に慣れてきたと言っても野生動物ほど正確に夜目が利くわけじゃない。
なのに何故、私はこれをはっきりと本だと認識し、形状までもを識別できたのだろう。
「………………」
しゃがみこんだ私の手はもう少し、あとちょっとだけ伸ばせば、この……丁度私も持っている手帳くらいの大きさの本を掴み、引き寄せることが出来る。でも、そのほんの数センチを縮める勇気が出なかった。
この怪しさ、どう考えても厄介事だよ……。
今も拾ってください、読んでくださいと言わんばかりに小さな本は存在を主張してきている。あまりにも露骨だ。
「どうしよう……」
キーアイテムかもしれない。けれど罠とか呪いの品の可能性だって濃厚で、踏ん切りがつかない。仮に読んで死んだら……まあそれはいいのだが、チェックポイントは果たしてどこなのか。
それに今は他のことで手がいっぱいだ。やっぱりやめよう! 私はそう、決心した。
なのに、本はなんと発光を始めてしまう。
「いやなんで?」
ついツッコミを入れれば、それに合わせてまた遠くで破壊音が鳴った。偶然だろうが、効果音にしては過激すぎる。
ああもうほら、構ってる暇ないよ!
私は一刻も早く、ジュスティ先輩に色々諸々かくかくしかじかを伝えて、もしかしたらもう返ってきてるかもしれないメールも確認しなければならないのだ。全てを振り切るように踵を返す。背後で光が強くなったのがわかった。
「………………」
何故だ。そんなに私に持って行って読まれたいのか。というかなんで光るの!?
このままいけば次には扉の鍵でも閉めてきそうだ。いや、本気でそんなことをされたら真面目に怖いのだが、それくらいの気迫は感じた。相手は無機物なのに……。
こんなところで時間をかけてはいられない。諦めて私は本の前に逆戻りする。
「ちょ、眩し……眩しいです!」
ダメ元で抗議をすれば光が収まった。言ったのは自分だが、正直引いた。それはさあ……意思、あるじゃん……。
「失礼しま、す……?」
一応、一言かけてから本を手に取る。それは誰かの手記のようだった。この国独特の言語が、滑らかで細く綺麗な線で描かれ並んでいる。相変わらずほんのり光る書面のおかげで中身を読むのは容易いが、自動翻訳の効果で文字が二種類重なって見えるのには未だ慣れない。
開かれたページに書かれた日付は九月十日、内容は秋が訪れつつあることから始まっていた。ここを開いた状態で落ちていたなら、これを読み終われば私は解放されるだろうか?
黒いインクを指で辿り、続きに目を向ける。
九月十日、風が冷たくなりつつある。木の葉も微かに色づき始めた。
どうやら今年は、秋がやってくるのが早いみたい。冬を越す準備も少しづつ進めて行かなくちゃいけないですね。
そして何より、私たちの心配事を一刻も早く解決しないと。あの人が国を裏切るはずがありません。ただ、私はこの件を夫に任せ、信じることしかできない。それがなんだか不甲斐ないですね。
その分、普段から任せてもらえている仕事や、私でも替えがきく業務は積極的にこなしましょう。
願わくば、何も起きませんように。ジュスティ家が存続し、最愛のあの子が当主の座を継ぐ日を見られますように。
九月十七日、ああ、なんてこと。彼らが我が家を恨んでいるのは知っていました。けれどそれは知識としてだった。
だって私たちは、血を継いでいると言っても祖先そのものではない。時代よって生活が変わるように、意識も改革させていかなければ上手く生きてはいけない。そう思っていたのに……まさか捏造まみれの反逆罪で脅迫を行うなんて。
きっと揚げ足を取って、ほんの少しの隙を突いて、どうにか傷をつけたいのでしょうね。彼らは私がジュスティ家に嫁いだ時も、私の実家の階級が高くないからと夫や私を攻撃してきましたが、そんなのは貴族のやることではありません。
優しいあの子が将来不要な心労を負わぬよう、これしきの事に負けてはいられない。ジュスティ家をもっと発展させなければ。
九月二十五日、こちらを揺さぶり脅してきたあの時から、反逆罪の証拠が全て作り物だとはわかっていたのに。それを証明出来る手立てが整う前に司法に駆け込まれてしまった。
明日恐らく連行の要請が来るでしょう。それまでに、こちらも準備を整えなくてはいけません。こんな日記を書いている暇もないですね。
アレウスとはぐれてしまった。夫はきっともう助からない。本命はこれだったのね。悔しい。悲しい。もうどうすることも出来ない。
彼らは私を探しているみたい。アレウス、あなたにだけは逃げて欲しい。こんなところに書いたって、隠してしまうから気づかないかも。だけど、口では言えそうにないから許してね。
愛しているわ、アレウス。あなたのせいじゃないの。私たち、そうしたくてあなたを守ったのよ。
それ以降、続きはなかった。一日分を読み終える度ページが次まで自動的に捲られていたのに、それももう起きない。最後の日付、九月二十五日。途中から少しづつ走り書きになり、後半はほぼ字が右肩下がりでページに印刷された行線からもはみ出すくらいになっていたのに、それでも本当にさいごの、たった三行の遺言だけは、最初と変わらない美しく丁寧な字体だった。
この三行に込められた想いは、どれほどか。完璧には想像できずとも、紙面に点々と存在する、なにか雫が落ちて滲み乾いたのだろう跡達が全てを物語っていた。
「………………」
もう本は光らない。本来一番初めに開くべき最初のページには、九月一日にあった出来事が記載されている。これは、間違いなく、ジュスティ先輩のお母上の日記であった。
誰かに読んで、気づいて欲しかったのだろうか。そしてあの、苦しそうなジュスティ先輩の生き方を止めて欲しかったのだろうか。真意はわからない。けれど、これを持っていくのが正しいことだけはわかる。
「お借りします」
学園長や先生にこれを届ければ、きっと冤罪であることを証明してくれるはず。なにより、ジュスティ先輩は中身を読むべきだ。
私は、今心にあるこの感情を薄れさせないため、今回のループでこの区画を越えようと思った。
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