月を背負ったファム・ファタル

君のために世界は回る
月浦 晶
月浦 晶

二十六話 無知は罪になり得ます

公開日時: 2021年7月23日(金) 19:55
更新日時: 2022年3月17日(木) 22:51
文字数:3,304

 目が覚めるとベッドに寝かされていた。見えるのは白い天井、清潔感のある白い布団とカーテン。もうこれだけで何処にいるか察してしまうが、それを後押しするのが少しだけ鼻を刺すツンとした薬草の香りだ。

 うん、一週間近く保健室で寝泊まりした私が断言しよう。ここは保健室!


 ……とはいえ、これで巻き戻っていたら嫌気がさすところだったので、本当に良かった。保健室搬送であろうとあんな状況で生きてるなんて、それだけで儲けものというやつだ。それに地味に(高)の選択肢でも生き残ることが出来ると知れたのも大きい。


 後は他のみんなの安否も確認出来れば、もう何も言うことはない。私は保健室内に誰もいないことを確認してから、安堵のため息を吐く。


「がんばってよかったあ」


 第二区画はまだ終わらないのだろうが、なんだかもう既にひと仕事終えた気分だ。いや、実際終えたのでは? 今回の私はえらい。かなりえらいと思う。


 枕元のテーブルには私の鞄が置いてあった。私は起き上がり、そこから手帳を取り出す。達成感に満ちた今なら、いつもより広い心で確認できそうだと思ったのだ。


「…………うんうん」


 まず、日付はそのまま。何日も寝過ごしていなくて良かった。ミッションもまあ、いつも? の【第二区画を突破せよ】のやつなので問題なし。ないとは思っていたけれど、部屋におかしなものが増えていたりもしない。ここまではオッケー。


「あとは……」


 肝心要というか、メインかつ一番厄介な、攻略状況タブだ。これ以上面倒事を認知したくはないが、見ないわけにもいかない。私は勢いに任せてページを開く。


 攻略対象が増えていた。


「………………」


 まあ、ですよね。前手帳見た時から結構時間空いたし? うん、そりゃ増えるよね。うん……。


「はあ〜……」


 気づけば達成感なんてものは私の元を去っていた。仕方ない。仕方ないので、新たな攻略対象を確認する。


 全く知らない人だった。


「そんなことある?」


 まあある……あるか……?

 攻略状況の方で開放された見た目も、見たことがない。なのでプロフィールの方に移動し、そこに文字で書かれた特徴と攻略状況の方のイラストが一致するかを確かめる。


 後ろから二番目、ということはⅣ組の生徒ではなさそうだ。完全新顔攻略対象さんの名前は、リチャード・ロウ。(偽名)と付いている。ふーん、嫌な予感するね。


 そしてやっぱり予感は的中、読み進める度不穏な単語がボロボロ出てきた。

 くすんだ白と濃い灰色でツートンカラーになっているマッシュヘアと、これまた左右で緑・赤と瞳の色が違うロウ(仮)さん。彼は孤児であり、金さえ積めば誰でも殺す暗殺者集団に所属しており、本名も戸籍もないらしい。端的に言ってやばい。本来関わるべき世界の人じゃないことは確かだ。


「でもなあ……」


 イラスト上の彼は、不満げでどこか諦めたような表情だ。目の下には隈があり、首輪に見えなくもないタグのついたチョーカーをつけている。


「生きにくそう」


 なんとなく、自分と重ねてしまった。孤児ということはこの世界に肉親がいないということだ。本名は私の場合思い出せないだけだが……同じように仮の名前を与えられているし、少し近い。戸籍に至っては私も最初は無かった。有難いことに学園長に助けられ今の私があるが、もし道が違えばこうなっていたのでは? と思わされる。

 ……いやまあ、こうなるも何も本当なら私はトリップ後約三秒で死んで終わりなのだけど。


 とにかく、彼にはいつか救われて欲しいなあと思った。


「おい! 起きているか!」


 不意に、そんなしんみりした空気をたたっ切るように、勢いよくカーテンが開く。私は慌てて手帳を閉じた。


「はいっ!?」


 こんな暴挙をしてくる人など一人しかいない。そこにいたのは、やっぱりジュスティ先輩だった。あ、安否確認その一良し。


「せ、先輩……どうしたんですか」

「貴様の容態を確認しに……うわっ」


 ジュスティ先輩は発言の途中で目の前から消えた。どうやら一緒に戻ってきていた先生……保健医さんに、引っ張られたようだ。「女の子に貴様なんて言い方しちゃダメです!」とか「保健室には体調が悪くて休んでいる子が来るんだから、大声を出さない!」だとか、色々と言われているのだけが聞こえる。

 先生相手だとなにも言い返せないのだろう。そうして、次に私の前に現れた彼は少しだけ、しおらしくなっていた。


「………………」

「………………」

「……あー……その、リューネ。体調は、もう大丈夫か?」


 沈黙の末に絞り出された台詞はあまりにもぎこちない。私はつい、くすりと笑ってしまった。


「なっ……貴様! あ、いや……そのだな、人を笑うものでは……」

「すみません、先輩。でも、いいんですよ」

「……? なにがだ」

「先輩が私をどう呼ぶかなんて、自由なんですから」


 別に私はリューネと呼ばれなくても気にしていないし、なんならあれこれそれでも構わない。一応人間だとわかってくれているなら、それで。

 第一、ジュスティ先輩がわざわざ私のために言葉遣いを直すなんておかしな話だ。


「あ、それより私、結局先輩に強さの証明とか出来なかったと思うんですけど……」

「……それよりって、おかしいだろう。俺は……少なくともき、君、に……優しくした覚えはない。何故許せる」

「うーん……許すも何も、怒ってないし気にしてないです」


 薄々感じていたが、ジュスティ先輩は真面目過ぎる。だからこそ私が学園に向いていないと言ったのだろうし、だからこそこうやって保健医さんに注意されたことを忠実に守ろうとしているわけだが、そんなに気負わなくてもいいと思う。

 あと今なら、当初の私をすぐ殺してきたあの警戒心の高さにも納得が行くので、それも仕方ないな……みたいな気持ちだ。結構嫌だったけどそれはそれというか、向こうが覚えていない以上私が折れるしかないし。


「先輩、もっと気楽にしていいんじゃないですか?」


 そう言うと、ジュスティ先輩は黙ってしまった。保健医さんもいつの間にか気を使って席を外してくれていたようで、部屋の中から音が無くなる。


 しばしの沈黙の後、ジュスティ先輩は深く息を吐き、口を開いた。


「それは……無理だな。俺には責任がある。目標もある。なにより、俺のせいで亡くなった両親のような存在を……これ以上出すわけにはいかない」

「………………」

「貴様……そうだ、貴様もだ。何故俺を助けようとした? 何故無茶をする?」


 俯いていた彼の頭が持ち上がる。強く眩しく意志のこもった青色の瞳が私を捉えた。痛いほど感じる視線に混ざるのは、わかりやすい不信と微かな戸惑いだ。

 そしてメアくんに聞かれた時と同じように、その問いに返せる言葉はなかなか思いつかない。


「強さの証明以前の問題だ。リューネ、貴様は弱い。やはりそうだ、俺の目に狂いはなかった」


 まるで自分に言い聞かせるようにそう言いながら、ジュスティ先輩は苦しそうに笑顔を作った。口角を上げただけにしか見えない不格好なその表情は、やけに痛々しい。


「……先輩」

「もう、俺には関わるな。学園長には俺が頭を下げる。世話役はどうにか代わってもらう」

「先輩!」


 逃げるように踵を返したジュスティ先輩を呼ぶ。え? だって、そんな、急に何を言い出すんだこの人。

 つい腕を伸ばせば、それがわかっていたかのように彼は振り向く。


「これ以上……これ以上、俺の内に入ってくるな!」


 最後にぶつけられたその発言は、ただの明確な拒絶だった。私の片腕はポスリと掛け布団に落ちる。カーテンで隠れる前の一瞬だけ見えた彼の顔は、泣きそうだった。


「………………」


 私は何も言えなくて、手元に目線を落とす。一体どこで間違えたのだろう。別に苦しんで欲しいわけじゃ、ないのに。


「私って、ダメだなあ」


 仮に今ここから、この地点から自殺か他殺で死ねば、もしかしたら今の会話は無かったことに出来るかもしれない。

 ふとそう思ったが、私は少し迷ったあと、このまま進めることを選んだ。


 だって、後戻りできないのが本当の普通の人生だ。死ぬのも嫌だし、それに何より、さっきのジュスティ先輩を無かったことにするのはあまりにも惨い。


「ここからどうしよう」




 ひとり取り残された私は再びベッドに倒れ込んだ。



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