月を背負ったファム・ファタル

君のために世界は回る
月浦 晶
月浦 晶

三十三話 眠れるのは君のせいです

公開日時: 2021年9月1日(水) 21:29
更新日時: 2022年6月29日(水) 22:05
文字数:3,511

 二人分の足音が地下に響く。私たちは現在、無言で地下を歩き続けていた。


 とはいえ、進展が無かった訳ではない。探索をするうちに、この地下にはいくつもの部屋や抜け道があることがわかった。残念なことに崩壊していて確認が出来なかった部分も多いが、この地下はどうやら咄嗟の避難場所であり籠城施設であり、万が一のための逃走経路でもあったようだ。秘密基地と言うには堅牢過ぎるので、まあつまり、シェルターと考えて良いだろう。


 そして一応今のところ死んではいないし、ジュスティ先輩も新たな怪我はしていない。なので多分順調だ。途中から、ジュスティ先輩は角材のように綺麗にカットされ整えられた杖を片手に持ちだしたが、それ以外の変化はこれといってなかった。


「………………」


 そういえば、今更だがこの建物はジュスティ先輩にとって何なのだろう。なぜ彼はここに来るつもりだったのだろう。

 勝手知ったる足取りで進む、ジュスティ先輩の背中を見つめる。


「あ……」


 その時、ジュスティ先輩は私より先にいるのに、辺りも照らされ明らかに肉眼で捉えられるのに、また壁際の扉をスルーした。


「どうした」

「扉、あります」


 なので私もまた、見つけたそれを指摘する。どういう基準なのかは知らないが、彼はたまにこうして気づいているはずのものを無かったことにするのだ。

 それが全ての扉であるなら上階に戻ることを優先したいのかなとも思えるものだが、たまに自ら開ける扉もあるし、理由は教えてくれそうにない。だから私はこうしてとりあえず扉の存在を知らせるだけ知らせるのである。


「……入りたいのか」

「うーん……まあ、そうですね」


 なんだかんだ、ジュスティ先輩がわざとらしく見ないふりをして通り過ぎようとするものを含め、扉と通路を見つけては逐一寄り道をしてきた私だ。これだけ見逃すのはなんだか居心地が悪い。それに加えて、先程新たな疑問も浮かび上がったわけだし……何かわかるかもしれないなら、そりゃあ入るだろう。


 ちなみに、その度嫌そうな顔で私に入りたいのか? と尋ねてくるジュスティ先輩だが、別に嫌なら私ひとりで行くのにな。と思っていたりする。なんでか結局いっつも着いてきてくれるんだけどね。


「なら行くぞ」

「はぁい」


 地上のものより分厚く重い扉をこじ開け、お決まりの順番で部屋に入る。中は相変わらず多少荒れてはいたが、今までで一番整ってもいた。


「……ここ、は……」


 とにかくまず目につくのは、沢山の本棚だ。背の高さからか学園の蔵書庫に負けず劣らずの圧迫感を醸し出すそれらは、けれどギッシリと書物が詰まっているわけではなかった。歯抜けの棚だけでなく、丸々空っぽでホコリが積もっているだけのものもある。しっかりとした硬い床には柔らかく大きなカーペットが敷かれ、天井から吊られていたのだろうシックなシャンデリアは大理石のテーブルの上で大破していた。

 上の階にも書斎らしき部屋はあったが、こちらの部屋の方が秘密めいていて、重要度が高そうだ。


「……懐かしい」

「え……?」


 ジュスティ先輩がポツリと呟いたその言葉に、私は思わず彼の顔を見る。光の灯る自身の杖を見下ろし、柔らかく苦しそうに微笑むジュスティ先輩は、なんだか別人のようだった。

 なんと声をかけるべきか迷ったが、散々自分が空気を読まずに彼へ接してきたことを思い出す。私は静かに気合を入れてから、尋ねてみた。


「ここに来たこと、あるんですか?」

「ああ。ここは……父上の書斎だ」

「……そう、なんですね」


 学園長室で読んだ、あのファイルの中身が脳裏によぎる。そうだ、ジュスティ先輩のご両親は亡くなったのだ。そしてここがお父上の書斎だと言うのなら、この館はジュスティ先輩のご実家なのだろう。ということは、あの山ほどのトラップはやはり防犯対策か。誰が仕掛けたのかはよくわからないけれど。


 なんだか私は自然と俯いていた。そこへ、今度はジュスティ先輩が声をかけてくる。


「…………どうした」

「えっ……いや、うーんと……大丈夫、ですか?」


 私としては、悪いことを聞いたからいたたまれない気持ちでいたのだが、彼の声が存外あっさりとしていたものだから、つい質問に質問で返してしまった。


「………………」

「……? 先輩……?」


 さすがにそんなに切り替えが早いわけないと思っていたのだけれど、もしかして勘違いだっただろうか。大丈夫ですかと尋ねた途端、ピタリと黙ってしまったジュスティ先輩に呼びかける。少し遠くを見つめるような顔つきで何かを思案していたジュスティ先輩は、おもむろに口を開いた。


「大丈夫、じゃ……ない」

「……!」

「か、も……しれ、ない……」


 酷くか細く、やけにたどたどしく、なにより保険をかけまくった、石橋を叩いて渡るかのような言い方だったが、しかしそれでも彼の発言は確かに弱音だった。


 初めての、脆い部分だ。


 これは、絶対に対応を間違えてはいけない。私は、私よりずっと大きな背を心做しか小さく丸めて落ち込んだジュスティ先輩を前に高速で頭を回す。こんな時こそ選択肢が出てきてくれたら楽なのに、と少しばかり思ったが、多分それではダメで、私の意思が大事な分岐点なのだろう。死に戻りなんてものをさせるいじわるな世界なのだから、致し方なし。


「えっと……じゃあ先輩、ちょっとだけ休みましょう」


 これが正解かはわからないが、疲れているのなら休むべき……だ。多分。丁度良く座れそうな革張りのソファを見つけたので、そちらへジュスティ先輩を誘導する。ジュスティ先輩は静かに従ってくれた。そしてソファへ腰を下ろすと、彼はまた「懐かしい」と一言呟く。


「俺は……この席に座り執務をこなす父に憧れていた。テーブルの上はいつも資料だらけで、父は集中するとよく時間を忘れるものだから、幼い俺は夕食の度に父を呼びに来た。地下は俺の遊び場で、けれどこの部屋だけは不可侵の領域だった」


 ぽつりぽつりと思い出話が語られる。片手に握られた杖の光が大きくなったり小さくなったり、弱々しく変動していた。


「少し歳を重ねると、俺もこの部屋で過ごすことを許された。父は読書家で、本棚には国中のあらゆる書物が詰まっていた。間違ってもこんな……こんな場所ではなかった、のに」


 どうやら私が想像していたより、ジュスティ先輩は精神的に疲弊していたようだ。今まであちこちをふらふらと探索していたのが申し訳なくなった。彼は毎回何も言わず付き合ってくれていたが、思い出の場所を私に踏み荒らされるのはきっと嫌だったに違いない。というかそもそも他人のおうちを勝手に探索するのはよろしくない。なんならジュスティ先輩が必ず付き合ってくれたのは、私が余計なことをしないよう見張っていたのでは? とまで思う。


 口から謝罪の言葉が零れそうになったが、珍しく悲しみに浸るジュスティ先輩を見ていると、どんな言葉であれ何も言わない方が良いように感じた。

 なので、私はそっと隣に座る。今まで散々迷惑をかけた私だが、黙ってただ話を聞く相手として傍にいるくらい許されたかった。


「…………リューネ」

「え、はい……」

「すまない」

「いや……先輩が謝ることなんて、な……え?」


 ないですよ、と言おうと思ったのに。その瞬間、肩にずしりと重みがかかった。見ればジュスティ先輩が……寝て、いる。え? な、え? なんで??


 理解が全然追いつかない。追いつかないが、どうみてもジュスティ先輩は眠っているし、なにより起きている時の彼がこんなことをするわけないので、これは本当にたまたま意識が無くなったのだろう。


「つ、疲れてた……? の、かな……」


 さすがに困惑を押しとどめていられなくて、小声で呟く。ジュスティ先輩が寝てしまったからか、彼の杖の光もとうとう消えて、部屋の中は薄暗い。どうしようもないので、おずおずと私も目を閉じた。




 あれから、私も気づけば眠っていたらしい。微弱な振動で目が覚めた。なんとなく、揺れているような、いないような……寝起きのふわふわした頭のまま、私は立ち上がる。ジュスティ先輩がずるりとソファに倒れ込んだ。


「あっ……そうだった……」


 すっかり忘れていた。先輩ごめん。


 幸いなことにジュスティ先輩は起きなかったが、弱い揺れは未だに続いている。

 せっかくこんなにスヤスヤと眠っているのだから、どうせなら寝かせておいてあげたい。

 揺れの真相を突き止めるため、なんなら揺れ自体も止めるため、私はこの部屋を出ることにした。


 まあ正直そろそろ死ぬのも慣れてきたから……? 一人の方がこういう時は気楽だし……?


 心の中で適当に御託を並べつつ、薄暗闇を進み、部屋の外へ出た。ここからはもちろん、なるべく部屋を漁らない方向で行こうと思う。



 頑張るぞー……



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