独特のテンポと感性を持つメアくんは、もしかしたら少し天然なのかもしれない。今回ばかりは、現れた選択肢ウィンドウがまるで救世主のように感じれてしまった。
【A、断る(低)】
【B、引き受ける(高)】
うん、まあそうだよね。
私は停止した世界で一人頷く。断ったら好感度はあまり上がらない、当たり前だ。
前回は握手をすると……というか、握手をするためにあの場に留まると死んでしまうので致し方なかったけれど、これは引き受けて良いのではないだろうか。
ただやはり、感情を教えるというのがどういう意味かはわからないが……そこも、出来る限りは助けになりたいと思う。彼は何故か私を慕ってくれているので、なるべく応えてあげなくては。
そんなわけで、私はBを選んだ。
「いいよ、よろしくね」
「はい、ありがとうございます。よろしくお願いします」
一礼したあと、メアくんは私が立ち上がるのに手を貸してくれた。優しい。更に私もすぐ死なない。これは当たりを引いたようだ。
「えっと……戻ろうか?」
「はい」
ふたりでゆっくり階段を登っていく。やっと学園生活が始められると思うと、安堵と疲れが同時に襲ってきた。ほんとやだな……特待生……。
あと何回死ぬのだろう。きっと賭けにもならない。
「リューネ先輩」
「ん? どうしたの?」
ふと、私の数歩後ろでメアくんが立ち止まった。彼は私を呼び、まっすぐに階段の踊り場を指し示す。
「前方注意です」
「え……」
その言葉で前に向き直れば、颯爽と謎の男が現れた。黒いローブのフードを目深に被り、全速力で階段を駆け下りていたらしい男の手には、血濡れの短剣がある。
突然すぎるエンカウントでこちらが驚いている隙に、男はその駆け下りてくる勢いのまま素早い動きで私の心臓部を一突きした。そしてすぐさま短剣が抜かれ、私の左胸からは血が溢れ出す。
な、なんでこんなことに……!
絶対に助からない。痛みに悶えながら私は階段を転げ落ち、ついでに頭も打って当然のように死んだのであった。
目が覚める。目の前には選択肢。私は天井を見上げ、深いため息を吐いた。
「クソゲーめ!」
何も変わらないけれど、精一杯叫んでもみる。今日だけ、それもかなりの短スパンで、頭と心臓という人間の急所を綺麗に狙いうちされたのだ。やさぐれるくらい当たり前である。そう、例えば私が死ぬ程度には。
おかしいな、世界……。
けれど、どれだけおかしくても、帰れるようになるまではこの世界で生きなくてはいけない。現実逃避をしたい気持ちをぐっと堪えて、渋々私は頭を回す。
さて、一体全体どういうことなのだろう。一応乙女ゲームなのに、好感度が上がる選択肢を選んではいけない、なんてそんなことがあって良いのか?
それとももしかしたら、楽をせず好感度は地道に稼ぎなさいと言うことか。世界は私に優しくないのでこの線は結構ありそうだ。
「高と低ってなに〜……」
これが無かったら無駄に悩まず、あっち選んだら死ぬのか〜じゃあこっちだな〜で終わった話かもしれないのに。いやでも、それでは実質一択で選択肢の意味がない。本当に何故出てきているんだ選択肢、なんの意味があるのだ選択肢。
設定画面からオンオフ切り替えれたりとかしない? しないよね……。
そもそも設定画面は見当たらない。だからとにかく二択で、片方を選んで死ぬのが決定事項なら、もう片方に行くしか現状道はないということだ。
申し訳ないけれど、メアくんのお願いを断った。
「ちょっと、出来ないかな……ごめんね」
「……わかりました。謝罪をするのはこちらです、すみません」
話す内容や行動の意味は変わったが、彼は結局先程と同じように頭を下げ、私に手を差し出している。
このまま進むと同じになってしまうのではないか? という思いと、心做しか落ち込んで見えるメアくんをフォローしなければ! という少しの使命感で、私は慌てて言葉を付け足した。
「や、だって……ほら! メアくんはもう充分感情あるよ。人間だよ。こうやって優しくしてくれたしさ……ね?」
人間に対して人間だよ、なんて、中々おかしなフォローの仕方だ。即興にしても出来が悪い。しかしその私のボロボロフォローに、メアくんは初めて真顔以外の表情を見せた。
「そう……でしょうか」
「えっうん。よ、よくわかんないけど、自信持って……?」
更にそう励ませば、メアくんの口がキュッと結ばれ、頬にも微かに赤みがさす。何となく周りに花が飛んでいるようにも見えた。ほらやっぱり感情あるじゃん……。
もしや彼は、顔や声に気持ちが出にくく、誤解されてきたのかもしれない。そのうちに自分でも自分の心を把握しきれなくなった、とか。
仮説だが、それなら納得だ。
「ありがとうございます。リューネ先輩、少しここで待っていてください」
「え、なんで?」
「野暮用です」
メアくんは私を階段脇のソファに誘導すると、一人で階段を登っていく。何となく流されてしまったが、すぐにこれではいけないと思い出した。
私を刺殺してきたあの謎の男がまた来たら、メアくんが私の代わりになってしまう。それはダメだ。せめて取り返しのつく私が死ななければ。
「ま、待って……!」
私は後を追う。少し先の彼は涼しい顔で階段を飛ばし飛ばしに上がっていき、おもむろに踊り場で足を止めた。そういえば彼は死ぬ前も私に警告をしてくれた。何かが来る、というのを事前に察知していたのかもしれない。
黒い布の端がはためくのが見え、私は速度を上げる。そうしてなんとか謎の男とメアくんの間に割り込むことに成功した。
もうどこからでも来い……!
キッと前を見据える。すると、いくつか違う点がある事に気がついた。まず、勢いを一切殺さず近づいてくる謎の男は前回と同じ黒ローブではあるが、体格が小さい。しかも短剣は違うもので、血も殆ど付いていない。そして最後に、ジュスティ先輩から逃げ出した時に置いていった私の学生鞄を、何故か小脇に抱えていた。
「リューネ先輩……!」
短剣の切っ先から、黒くドロドロと蠢く弾丸が放たれる。もはや私は避けられない。だが、これはきっと魔法だ。それなら……!
魔法と私が接触するその一瞬、辺り全てが真っ白に輝いた。細く甲高い音が耳を貫き、目を開ければ謎の男が壁際でぐったりと倒れ伏している。恐る恐る近づき鞄の中身を確認すれば、学園長にいただいたブローチにヒビが入っていた。
「良かった……助かった」
思惑通り、ブレスレットと共鳴したブローチが私を守ってくれたのだ。違う選択をしたことで、私は死ななかった。
その結果自体は今までとさほど変わらないが、これまでは確実に死ぬ未来をどうにかこうにか動いて変える。という形だった。なのに選択肢の場合は、訪れる未来がそもそも二つあり、何もしないその場の流れのままでもこうして死なないことがあるようだ。
そう考えると選択肢の有用性がすこしわかる。さっき酷いこと言ってごめんね……。
普通に手探り状態よりずっと楽だった。まあ、まさかの初日、ホームルーム前でこの切り札を壊してしまったのはそのうち謝るしかないが。
「リューネ先輩」
「あ、メアくん。大丈夫?」
試みが上手くいったことで少し上機嫌の私とは対照的に、メアくんの纏う雰囲気はどこか重苦しい。
「大丈夫です。ご心配、……」
「……メアくん?」
滑らかだった口調が、途中でピタリと途切れる。大丈夫とは言っても、やはり調子が悪いのかもしれない。私は彼に近づいた。するとメアくんは、ぽつりと呟く。
「何故、リューネ先輩が俺の心配をするのでしょうか」
たしか、少し前にも同じことを聞いた。しかし、どうにも響きが違う。あれが疑問なら、これは非難だ。
「なぜ、って……」
言葉に詰まる。あんなにポンポンと出てきていたくせに、こんな時だけ選択肢もやってこない。ただ代わりなのかなんなのか、口を開閉させていれば、次第にドタバタと階段を駆け下りてくる音が聞こえてきた。
「追いついたぞ! さあ捕まえ……ああ! もう気絶しているな!」
「アレウス。お前、傷開きますよ」
ジュスティ先輩が先行して現れ、ペッカー先輩もその数歩後を面倒くさそうに降りてくる。
「先輩、方……どうしてここへ?」
「おはようございますリューネ。そこの馬鹿のせいですよ」
「あっはい、おはようございます……」
そこの馬鹿、と称されたのはジュスティ先輩だった。あの人相手で気軽に馬鹿と言えるその度胸は、さすが連続標本化事件の真犯人だっただけある。
「クトゥム貴様、学友に対しその口のきき方はなんだ!」
「………その"学友"へ、お前の都合で迷惑をかけている現状が馬鹿でなければなんなのでしょうね」
謎の男をせっせと拘束しながらも即座に反論をしてきたジュスティ先輩へ、ペッカー先輩は苦々しく吐き捨てた。あ、同級生相手でもそんな冷たいんだ……。
共にいる期間で言えば、例えば私なんかとよりずっとずっと長いはずなのだが、関係ないらしい。
「ははは! ならば埋め合わせは俺が爵位を賜り王宮勤めとなった際の出世払いとしよう!」
とはいえこちらも全く応えていないので、ここに関しては年月による慣れを感じる。
「それに今回はこうして現行犯を捕らえることが出来た。これは進展への足がけと言えよう!」
すっかり簀巻きにされた謎の男をひょいと肩に担ぎ、ジュスティ先輩は「ホームルームへ戻るぞ!」と三階へ戻っていった。え、そのままホームルーム出るんです? やば……。
傷が開くと指摘されていたのによく動けるものだ。
「全くあの男は……パラミシア君、きみも行きなさい。あれを放置すると面倒です」
「……はい。お先に失礼します」
「あ……」
そうこうしているうちに、ペッカー先輩に指示されメアくんも行ってしまった。有耶無耶なまま別れてしまい、消化不良のモヤモヤが残る。
「リューネ」
「は、はい?」
「動揺しているあなたを見るのはいささか気分が良くありません」
「ええ……急になんですか」
「何かあれば手を貸すくらいはしてあげましょう、ということですよ。おばかさん」
何を言うかと思ったが、ジュスティ先輩への態度と比べると、声色も顔つきも私に向けられたものは酷く優しげだ。そうか、ペッカー先輩は本来、人間にもちゃんとこういう態度を見せてくれる人なのか。
「……ありがとうございます」
私は深々と頭を下げた。ペッカー先輩は、更に忠告を重ねてくる。
「ああですが、アレウスには近寄らない方が良いです」
「え? でも……」
寮監らしいし、一応私のお目付け役なんですけど……。
眉を下げれば、衝撃の事実を伝えられた。
「アイツ、常に命を狙われてますからね」
「…………ガチです?」
「僕が嘘をついたことがありますか?」
いや、ありますよね?
レムレスくんに罪を押し付けたのはどこの誰だと言ってやりたい。
まあしかし、たしかに肝心なところで嘘をつかれたことは……ないかもしれない。
だとすると、塔からの狙撃も標的は私ではなくジュスティ先輩ということだ。あの謎の黒ローブの男をジュスティ先輩は現行犯と言っていた。ならばあれも、必然的に暗殺者? になる。
「……えっ……」
あれれ。もしかして私これ、まためんどくさいことに巻き込まれてる?
ペッカー先輩に「ちょっと、聞こえてます?」と目の前で手を振られたけれど、正直それどころではなかった。
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