月を背負ったファム・ファタル

君のために世界は回る
月浦 晶
月浦 晶

六十三話 月の裏側は見えないものです

公開日時: 2023年11月16日(木) 20:17
更新日時: 2023年11月20日(月) 18:54
文字数:3,542

 キラキラと、光の粒が人の形を型どるように空を舞う。次第にそれはひとつの塊になり、滑らかに色を変えながら宙に浮く、火の玉のような物体を出現させた。揺らめきの度にぼやぼやと頼りなく覚束無い七色の光を放つそれは、最終的にレムレス・スプークトが片手で掲げたランプの中へと吸い込まれる。


「今の、リューネ?」


 間髪入れず、ニオ・パリッソが問う。レムレス・スプークトはただ頷いた。


「ふーん。……お前の手の内に預けるのは癪だけど……さっきの見えない時よりはずっといいや。あは、ちっちゃくなったリューネも可愛いね」


 ニオ・パリッソは自分の視界内にリューネがいることを何より良しとする。何故かと言われれば、リューネが彼の人生史上一番の……言わば理想の友達だからだ。自分が少し目を離したら、死んでしまう。そんな彼女はまさに、ニオ・パリッソがいなければ生きていられない存在とも言えるだろう。少なくとも本人はそう信じている。だから理想の友達なのだ。彼はすっかり歪んでいて、レムレス・スプークトが彼に見切りをつけたのもこれが理由だった。

 ランプの中で灯火のように揺らぎ続けるリューネの霊魂に顔を近づけると、ニオ・パリッソは無邪気に、けれど妖しく笑顔を見せる。


「きっ……しょくわる……」


 一方それにドン引きするのは、先程も一人だけ反抗心を見せたシャーニ・スカブルだ。かつて辺境の新興宗教団体に存在を月と同一視され神として持ち上げられていたが故に、人間もこの世界もドブだと思っているような、最早その身には絶望と膨大な魔力しか残っていない男である。


「はあ? お前、目節穴かよ」

「そのままそっくり返すわゴミカス」

「ねえお前も可愛いと思うよな? レムレス」

「やめろやめろマジないってお前」

「……可愛い、……あ〜……はは、そ〜だな。少なくとも、俺のモンって感じはして、気分い〜ぜ」

「くそっ、こっちも終わってんな……!」


 彼は自分に噛み付いてくる異常者と、以前より格段にイカれてしまった異常者予備軍……否、もう既にこれは同じ域に達しているだろうか。とにかく視界に映る異常者集団共に対して、冷たく舌打ちをこぼした。


「……あの、今更なんだけど……おれとカノカが正直……か、蚊帳の外……」


 その時、正常寄りの異分子が注目される中、右手の壁際でただじっとしていた少年が恐る恐る手を挙げる。彼の名はサク・フュシア。異世界人の血が半分混ざった、左目の眼帯が特徴的な二年C組所属の男だ。

 そして、そのサク・フュシアの口から出た、カノカという名前。それは正式には、カノカ・マヌククと言う。二年B組所属のカノカ・マヌククは、今も右隣のサク・フュシアにべったりと寄りかかっていた。


「アタシも話、よくわかってナイぞ! ケド……死の摂理を無視するってことなら、賛成できない。ナ!」


 獣との入り交じりの中でも珍しい鳥人である、カノカ・マヌクク。彼は学園に入るまで野山に囲まれ生きてきた。ゆえに、死が超常現象と同じような……言わば天から与えられる対処不可能なもの。とされるこの世界において、カノカ・マヌククは他人の運命を捻じ曲げることに人一倍忌避感を抱いていた。

 彼は、サク・フュシアの頭に自身の片頬を押し付け埋めながら、木彫りの杖を左手でブンブンと振る。同じ木彫りだとしてもニオ・パリッソの杖が艶やかかつ細やかな職人技だとしたら、カノカ・マヌククの杖は荒々しい自己流の木工品と言ったところか。


「あ、じゃあ〜俺もパス〜……は、出来なさそうかあ? おいおい、確かにかわい〜お姫様だけどよお、何がそんなにお前らの心引っ掛けてるワケ? 死んじまったのは可哀想つったって、面倒ごとは御免なんだよなあ」


 と、そのあたりで、また男が一人声を上げる。今度の発言者はトレイル・ウェントルだ。

 周りを取り囲む死者蘇生賛成派に睨まれ、困ったようにへらへら愛想笑いをしながらも、紡ぐ言葉には紛れもない毒が混ざっている。


「てかそんなに軽い子なら俺も関わっときゃ良かったかあ? ま〜そうは見えなかったけどよお」


 リューネを小馬鹿にしたようなその発言に、視線の鋭さを強めた者が四名。何か言葉をかけようとする者が三名。それから、笑い飛ばした者が一人居た。


「ハッ、関わっていたなら話が早かったんだがな! そうしていれば、お前も今頃こちら側だった」


 アレウス・ジュスティは、トレイル・ウェントルへ数歩近づくと、自分より数センチ下にある彼の胸ぐらを掴む。


「……へえ? それはそれは、人は見かけによらないねえ」

「減らず口を叩くな。どうせお前に行き場などないだろうに。今更楯突いて……面倒事は御免とは、立場も理解せずによく回る舌だな!」

「っ……! お、まえ……!」


 襟元を引っ張り上げられ、トレイル・ウェントルはやや苦しそうに抗議の声を漏らした。しかしその中には、図星を突かれたが故の不快感が明らかに紛れ込んでいる。


 たしかに、トレイル・ウェントルという男は、この学園以外に行き場がない。後ろ盾は学園長の存在くらいで、言ってしまえばアレウス・ジュスティと同じように、又はそれ以上に、学園長に助けられて今まで生き延びてきたような生徒であった。

 それもそのはず。なにせ前国王の、四番目の弟……つまり学園長や現国王にとっては叔父である男が、三十そこらも下の女に手を出して産まれた子供が彼。トレイル・ウェントルなのだから。母親の身分と、父親に王位の継承権が存在しないこと。それからなんなら愛人相手ですらない行きずりの結果だということも相まって、トレイル・ウェントルの安全と最低限度の生活を約束してくれるものは学園長以外この世にない。


 なので、アレウス・ジュスティによる叱責……学園長に逆らうな。という暗黙の糾弾は、同じ境遇にある者からの"親切なご忠告"と考えれば、とてもとても的を得ていた。……まあ、ごく一般的な倫理観だけは、無いものとして勘定からも抜きにされてしまうが。


「あーあー、ほんとうちの生徒はすーぐ喧嘩するんだから」


 さて、そんな過去に掬い上げた二人の生徒を見やって、当の救世主はどうでも良さそうに呟く。反乱分子が揃ってきた。混沌とした現状に、シャーニ・スカブルは忌々しさを滲ませた舌打ちを放つ。


「ああもう嫌だ! ほんっとに!! なんなんだよ、くそっ……学園長! さっさと要件話せ!!」


 このままでは、死者蘇生反対派の顔役にまで祭り上げられそうだと判断したのだろう。そんなことは毛頭望んでいない。

 それよりも、何故。学園長は己すらもを納得させるつもりがあるのか? シャーニ・スカブルにとって何より不可解であり、今尚この場に留まる理由となっているのはその疑問のみだ。彼は怒鳴りながら、学園長へと指を突きつける。


「ん? ああ〜……そうだね。そろそろ、本題に入ろうか」


 瞬間、誰もが動けなくなった。それは言わば、本能的な恐怖。

 時間ごと切り離され固められたかのような静寂の箱の中、学園長の涼やかなライトブルーが細められる。ぐちゃりと澱んだ瞳の奥に沈むのは、圧倒的な執着と……その裏で見え隠れを繰り返す愛のような何かだ。


「いや、けれどこういう時は始まりから……がセオリーかな? リューネは元々、何故かこの学園に紛れ込んでいた少女でね。しかも侵入者として私と対峙して、開口一番、殺さないでくださいと来た。変な子だなあと思ったよ。それに、話す内容がとても面白くてね。だから偽の身分も用意してやって、帰り道を探したいなんて言うから、特待生として学園にも置いて……最初は愉快に高みの見物と行こうと思ってたのになあ。あ〜あ。このザマだよ」


 後ろ手で杖を持ち、自傷気味に学園長は笑った。それは珍しく見た目相応の幼い仕草であり、もしここに小石かなにかがあればきっと彼はそれを蹴飛ばしていたことだろう。

 と同時に、本題だなんだと言っておきながら、わかりやすく説明をする気より、リューネとの出会いを反芻することが優先されているらしいその様子を見て、シャーニ・スカブルの眉間のしわが増す。

 しかし、学園長が語る言葉の中には聞き捨てならないものも幾つかあった。


「……? 何言ってんの、あんた。あいつの帰り道ってどこだよ! だいたい身分、って……なんでわざわざ偽のものを……」


 それじゃまるで、元々は無いみたいだ。


 みなの代弁が如くシャーニ・スカブルの脳裏に過ぎったその一文を見透かして、学園長の笑みは深くなる。


「はは、感が良くて助かるな。そうだよ。そう。あの子はリューネなんて名前じゃない。この世で生まれたわけでもない」


 そして誰かが目を見開く。誰かが顔を背ける。誰かが自身の服を強く握る。

 多種多様な反応といくつかの適応を見やり、最後に放たれた呟きは存外静かな響きを持っていた。



「だってあの子は、異世界人だから」


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