学園の正門は解放されていた。当然のように門扉を押して外へ出るふたりに釣られ、私も進む。
以前も学園の外に出たことはあるが、その時は馬車に揺られて震えていたし結局辿り着いた場所はアレウス先輩のお屋敷だった。つまり、やはりこれが初めての城下町だ。そう思えば、少し心が浮ついた。
「ねえねえ、せんぱい。そういえばせんぱいは、この国についてどれぐらい知ってますかあ? えっと……すっごく遠くから来た、んですよねー?」
「あ……うん。そうだね、ええと……授業で習った程度かなあ」
木々に囲まれ舗装された灰色の煉瓦道を歩きながら、会話を交わす。そういえば異世界人であることは伏せているのだった。嘘では無いので肯定しつつ、考える。
私は今まで、この国についてなんて、気にしたことが全然無かった。それは生きるのに必死だったのと、すぐに帰るから、帰りたかったから知らなくたっていいと思っていたためだ。
けれど手帳に記されたミッションはいつまで続くのかわからない。この間のアレウス先輩の件のように、この世界について知らないと大変な事件が今後も起きる可能性も十二分にある。
何より、自分でも帰り道を探すには知識がないと……!
そう、だから、これからは生きるためにも興味がないとか言っていられないのだ。学園長に頼りきりなのも、そろそろ申し訳ないし……。
このお出かけは、いわゆる自立、だろうか。それの、はじめの一歩かもしれない。
「……町に着くまで、良ければ教えてくれる?」
「くふふー言われなくっても! もちろんそのつもりでしたあ!」
可愛く数歩先へ跳ねていくと、セルテくんは片足で器用にくるりと回って、こちらに微笑む。彼がタイルを踏む度、革靴特有の軽やかな音が鳴った。
「えっと、じゃあどこからがいいかなあ……」
「復習も兼ねて、この国についてを簡単に言うのはどうだろう。名前とその由来、成り立ち、話せることはいくらでもある」
「わあ! メアくん、それいいねえ!」
メアくんの助言によって、作戦会議は完了したようだ。とことこ煉瓦道の終着点まで歩いていって、セルテくんは周りを見渡す。それから、見つけたベンチへ私たちを誘った。ベンチの隣には、バス停のようなものが立っている。
「せんぱい、どーぞ!」
「ありがとう。あの、これは?」
「これがあるところには、定期的に馬車が来るんです。この時刻表は凡その目安が記されていて……このように道の状況が変わった時なんかは魔法によって表示が変化します」
メアくんが指し示した先で、丁度よく時刻表に書かれた到着時間が変わった。文字を構成する線たちが自動的に別れ離れ、動いてまた違う文字を形成するその様は、魔法でしか成し得ないことだろう。
「へえ……すごいね」
ほぼバス停と同じでも、こういうちょっとしたところに異世界らしさが出る。それがなんだか面白い。
感心していれば、ふたりも同じように馬車を待つためのベンチへ座った。
「で、とーとー本題です! まずこの国はロアブラン王国、えっと……この辺りだと一番大きな立憲君主制のお国なんですよう」
「同時に月を一番わかりやすく信仰している国であり、ロアブランという名も月の別名を組み合わせたものです」
「うん、うん。そこまでは大丈夫」
立憲君主制のロアブラン王国。大きな特徴は、王宮を中心に波紋状に広がる階級ごとの住み分けだ。行き来こそ自由とされているが、貴族階級の者達が大勢住む王宮付近のエリアなんかは、何となく庶民は近寄らない。らしい。私も正直近づきたくない。
地方には領主がおり、例えば……アレウス先輩のジュスティ家なんかも、過去はそうだったようだ。馬車でガッタンゴットン悪路を行った思い出が蘇る。
また、乙女ゲームの世界? だからか、教科書に載っていたり話に聞く各地の領主達は随分と優しく忠誠心に溢れているようで、貨幣制度はあるし荘園制がほぼ無くなっている封建社会なのに、それにしてはかなり上手く回っているように見える。不思議なものだ。
「学園があるこの辺りは王宮も目で見えるし、ちょっと行けばモナドっていうおっきな魔法科学を研究してる建物もあって、実はけっこう都会! ですー」
「比較的栄えている上にわかりやすく大きな建物がいくつもあるので、この辺りはまとめて観光地としても機能しています。ただ、城下町とは言いますが、あくまで王宮に一番近い町なだけです」
「へえ……! モナドっていうとこはまだ聞いたことないかも」
たしか、魔法科学は魔法が絡みつつも、純粋な魔法より科学技術の比重が大きい。なのでそれだけ、こんな私でも頑張ったら何か元の世界に帰る方法の手がかりになるようなものが有るのではないか。と考えていた。
「いつか行ってみたいな」
「わ、おそろいですねえ! ぼくも、気になるけど行ったことはないんです……メアくんはモナドの近くの出身なんだよねー? いいなあ」
「……あまり、面白い場所ではないと思う」
「ええー! そんなことないよう! ねっせんぱい」
「うん……? そうだね、少なくとも私は興味、あるかな」
そんなことを話しているうちに、無人の馬車がやって来る。私は御者もいないことに驚いたが、ふたりは当然のように立ち上がり、それぞれ入口で銅貨を支払って馬車へ乗ろうとした。慌てて後を追い、見様見真似で銅貨を払う。
「これは……すごいね……」
「くふふ、ですよねー? ほんとは頑張って歩いたら町はすぐなんですけど、これにせんぱいを乗せたくて!」
馬車は小さく、三人乗ったらギリギリだろう。というくらいの外見だったのに、中に入るとそこは正にバスのようで、細長い通路の脇に沢山の空席があった。ギシギシと年季の入った良い音が鳴る木の床を歩き、癖で一番後ろの席を目指す。窓際を譲ってもらえたので、それに甘えた。
「馬車自体も馬も、全て魔法で構築、運用されているんですよ」
「こんなことまで出来るんだねえ……みんなはいいな。魔法が使えて」
ふと、零れたそれはそれは紛れもなく本心だった。もしも魔法が使えたら、私も死ぬことなんて無かったのかな?
バスはバスでも貸切のものみたいに、馬車の窓にはカーテンがついている。それを何となく弄びながら、私は流れていく景色を見つめた。
それから馬車は進み、私たちはあっという間に町へ着いた。初めて見る世界に圧倒されていた私を気遣ってくれたのか、二人は馬車の中では私をそっとしてくれた。
「わーもうお腹ぺこぺこ! 早く行きましょおー」
馬車を出てすぐ。大きく伸びをして、セルテくんが言った。
都会というだけあって、わかりやすく西洋ファンタジー的な見た目の町には活気が溢れている。美味しそうな匂いがそこかしこから漂ってきて、私も空腹を自覚した。
「そうだね、えっと……」
「ここからなら二、三分で着きます」
「そうなんだ、ありがとう」
礼を言って笑いかければ、私たち3人の中で一番背の高いメアくんが、先導するかのように歩き始める。しかし、彼の後ろ姿は行き交う人々の中にどんどんと溶け込んで、もうすぐにでも見えなくなりそうだ。
「あ! メアくん待ってー! ……むう。せんぱい、離れないでくださいねー?」
「う、うん!」
声をかけても止まらないと察したセルテくんは、私に手を差し出した。追いかけるつもりなのだろう。たしかに、何もわからない私がこのままついて行っても一人はぐれてしまいそうなので、有難くその手を取る。
そこからは早かった。人混みにもかかわらずメアくんが本当に最短、最効率のルートを進むものだから、これは追いつけず人波に流されるのでは? と思ったのだが……セルテくんは素早く、小回りをきかせて、ピッタリ店に着いたところでメアくんに追いついた。
「メーアくん! もう、置いてくなんて酷いよう」
そう言って肩を叩けば、メアくんは振り向き、首を傾げる。
「ここにいる……」
「それは頑張ったのー!」
そういえばメアくんは天然? だった。間髪入れずに指摘をしたセルテくんはぷくぷく頬をふくらませていたが、慣れているのか最終的にメアくんを許す。
「でもでも、メアくんに追いつくために急いだから、まだ一番人気のベーグルが売ってるね。ありがとお、メアくん!」
「……? そうか」
初めは不思議なふたりだな、と思ったけれど、案外彼らはいいバランスなのかもしれない。
後輩たちのやりとりを見つつ、私は走って乱れた息を整える。走り込みをしていても、たった数日じゃ全然肺活量は増えないようだ。
「あっ……せんぱい、だいじょぶですかあ……?」
「良ければ中に入りましょう。食事をしていけるスペースがありますから、椅子に座っていてください」
「あ、いや、うん。大丈夫だよ、ありがとう」
「なら良いんですけどー……ごめんなさあい」
「ううん、気にしないで」
ただ私の体力が無かっただけの話だ。後輩に情けない姿はあまり晒したくない。気合いで平常を取り戻す。
それに、店先に飾られたパン達がどれもこれも美味しそうで、そちらの方が今の私にとっては余程重要だった。
「えっと……中入ろっか」
「はーい!」
「はい」
良い死に戻りは良い食事からとも言う。……いや、言わないけど。
でも、それでも食事はやっぱり大切だ。私を正気で生かしてくれる。
なんだそれって感じだが、たくさん死ぬせいで食いしん坊になってしまったのかもしれない。
とにかく私は、久方ぶりにワクワクの気分で店に入った。
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