流れを見守っていたら、ニオくんとレムレスさんは、段々と本格的に言葉の応酬をしだした。
私はただ、細々とニオくんが持ってきてくれたお菓子を食べて、決着を待つ。
「は〜全く、お前はめんで〜わ」
「そっくりそのまま返すよばーか」
すると、しばらくして、ふたりはコツンと拳を合わせた。
言い争う姿からもなんとなく察していたが、ふたりは仲が悪いというよりは気心の知れた間柄のようだ。そういう関係は、ちょっと羨ましい。
「リューネー! ごめんね、こいつのせいで怖かったでしょ」
駆け寄ってきたニオくんはしょんぼりと眉を下げている。これは対私用に取り繕っている姿なのだろうか。
八方美人に、イカレ頭。レムレスさんがニオくんに投げつけた主な罵倒だ。それの真意は私にはわからない。私の見るニオくんと、彼の見るニオくんは違うので、否定も出来ない。
ただまあ、別に優しいニオくん以外は知らなくていいかもしれない。
それはつい先程見た一面が怖かったのもあるけれど……この世界の人達に深入りしてしまえば、きっと私は帰れないだろうから。
「大丈夫、だよ」
へらりと笑う。それでも何度も大丈夫かと確認された。私の大丈夫は信用されていないみたいだ。
「つ〜かお前、なんか放課後用事あんじゃねえの?」
「あー……そうだった。でもリューネ……ううーん」
「いや、普通にそっち優先じゃない……?」
ニオくんに放課後の用事があるのは前でもそうだった。あのフラグ回収の勢いには呆れたし、死んだものだ。
しかし、今は前と比べて大幅に未来が変わっている。
きっと、ペッカー先輩の拠点はあの蔵書庫だ。立ち入りに許可が必要で、場所も敷地の外れの方なんて、そんなに都合良く人が来ない建物なんか他にない。
つまり、自らそこへ近づかなければ安泰のはずなのだ。少なくとも……今日は。
そこまで推測した私は、自信を持ってニオくんを急かした。
「よし、ほら、行こう? 私は大丈夫だから」
「むー……わかった。でも、レムレス! お前、リューネのこと見てて」
「えっ」
「はあ?」
袖で指し示されたレムレスさんは、当然嫌そうな顔をする。いや、私も驚きだ。予想の斜め上を飛ばれた。
「お前、さっき自分で言ったこと忘れたわけ〜?」
レムレスさんの表情は、ゲンナリ、なんて言葉がピッタリ似合う。歪んだその表情を見ていると、申し訳ない気持ちに襲われた。
「まあたしかにお前は標本事件の有力容疑者だよ。でも、オレの友だちは標本になったこと、ないだろ。だから、リューネのこともしないとみた!」
けれど、ニオくんにはレムレスさんのことなどお構いなしらしい。彼は清々しい笑顔で、キッパリ言い切った。
ついでに、標本化の対象については案外重要な情報ではないだろうか。
……まあ、その割にはサラッとでたけど。
もし初めからターゲットが決まっていたら、通り魔とは言われない。しかし、顔が広いニオくんの友達が、全員標本になったことがない。
ということは、標本化させる人を選んでいると言えるわけで。
……推理は苦手だなあ……。
何か思いつきそうで、思いつかない。これは何をどうすれば一件落着に収まるのだろう。私は死にたくないだけなのに。
「……しゃあね〜な〜」
「綿毛を扱うように接しろよ」
「ハイハイ……いやなんだよそれ」
ニオくんは暫く数歩進んではこちらを振り向いていたが、痺れを切らしたレムレスさんが手で追い払ったところ、もう振り向くことはなかった。
そうして、すっかりニオくんが見えなくなった後には、機嫌の悪そうなレムレスさんと私だけが残る。
重たい空気に耐えきれず、つい謝った。
「あの、すみません。ご迷惑を……」
「……あ〜……別にい〜よもう」
レムレスさんは髪をかき混ぜ、ぶっきらぼうに「予定が狂った」と呟く。そして、ふらふらとどこかへ向かって歩き出した。
引き止めることもはばかられて、後ろ姿を見つめていたら、振り向かれる。
「おら、早く!」
「あ……はい!」
私は慌てて駆け寄った。
初対面は最悪だったけれど、案外悪い人ではないのかもしれない。
「あ、ま、待って……待ってください……」
あれから十数分、これを言うのは三回目だ。「とりあえず寮戻ればいんじゃね〜?」と言ったレムレスさんに従い、付き添われながら歩いているのだが、如何せん足のコンパスが違いすぎるのである。
「あ? あ〜……ごめん」
「いえ……」
毎回律儀に謝ってくれるレムレスさんだが、割と本気で歩くスピードは気をつけて欲しい。
何せ私は気づいてしまったのだ。
標本事件は学園内でも起きている。標本にされた人が皆、蔵書庫に行っているわけはない。それに一人になった人間を攫い、標本にして、証拠をひとつも残さないなんて、ペッカー先輩だけで出来るとは思えなかった。
つまり、協力者がいる可能性がある。
なので、レムレスさんに置いていかれてしまうと私は高確率で死ぬ。嫌な方程式の完成というわけだ。
「レ、レムレスさん」
「あ〜? なに〜?」
また、いつの間にか前を歩いていたレムレスさんを呼び止める。私の中には、はぐれないための一つの案が存在していた。深呼吸をして、切り出す。
「手を、繋ぎませんか……!?」
「……は?」
多少強引でも、私は彼と離れるわけにはいかない。足の速さを合わせれないなら、合わせなくてはダメな状態にするのが一番だ。
レムレスさんの歩みがぴたりと止まった。
「いや……は? おま、あ〜君、この俺と?」
「え……はい」
「正気?」
「は、はい……」
丁寧に失礼な問いかけをされるので、全て肯定する。深いため息をつかれた。
そしてレムレスさんは、ぐしゃりと髪をかき乱す。なるほど、こうしてあのボサボサの髪型は生まれるようだ。
「あの〜さあ、俺、いちお〜犯人っていうか……容疑者なんだけど」
「知ってますけど……」
「知ってんのに言ったわけ!? もっと人疑えよ……」
「そう言われても……」
私はどうせ死んで戻るだけだ。いっそ未来も正規の道もわからないので、死に戻りがないと大変なことになるだろう。
例えば謎の光球によって異世界滞在一分で生を終えるとか。
なにより、まだレムレスさんは私に痛いことはしていない。最初はちょっと脅かされたけれど、それはそんなに引き摺るものじゃないし。
大体、もし私が人を疑ってかかるとしたら、その相手はこの異世界の全員である。
「……俺のこと、怖くねえの」
ふと、真剣な表情で彼は言葉を吐き出した。
ちゃんと回答すべきだと思った私は、レムレスさんを上から下まで、じっくり見つめる。
「………………」
「……やっぱ……」
「怖くないです」
結果、私は彼が怖くなかった。一応確認してみたものの、わかりきったことだった。
何せ私はレムレスさんが標本事件の犯人だと疑われている原因を知らない。Ⅳ組にいる理由も知らないし、なんだかんだ面倒みの良さそうな彼を怖がる必要はないのである。
レムレスさんは瞬きを繰り返す。私の言ったことを飲み込むのに必死らしい。
「っ変なやつ!」
そして、最終的にそっぽを向かれた。
「ちゃんと答えたのに……」
「お前は変なやつだよ……ほら!」
「え、なんですかこれ」
「手!」
「あっはい」
差し出された手は、ヒヤリと冷たい。死んですぐの私もこれくらいなのかな、なんて思った。
まあなんだかよくわからないけれど、仲良くなれたようだ。
「ありがとうございます」
「敬語やめろ」
「……レムレスさんありがとう、です」
「さんもやめろ」
「……レムレス……くん」
「チッ、しかたね〜な」
グイグイと手を引っ張られながら、会話をする。学園の出入口が近づいてきた。開いた扉の奥に見える空は酷く暗い。たしかに死ぬ前より今回は時間を食っている。
ふと、その風景が遮られた。
「あれ……?」
「……嫌なやつがきた」
立ち止まったレムレスくんの後ろから覗き込む。出入口のところに、誰かが立っていた。なんとなく見覚えのありそうな人物だが、よく見えない。
「探しましたよ」
相手が少しずつ近づいてくる。片手には注射器を持っていた。そして気づく。
「あ」
「あ?」
「ペッカー先輩……」
「おや、僕を知っているんですか」
これは、やばいのでは?
脳裏に浮かぶ、手帳の中で見たペッカー先輩。それと、程よく逆光を浴びて佇む彼の姿は、見事に一致していた。両目が鈍く怪しく、緑に光る。ペッカー先輩の瞳は案外ハッキリとした強い色味で、彼のくすんだ灰色の髪とはなんとなく不釣り合いだ。しかしそんなことを考えるこの間も、私の心情は彼に伝わっているのだろうか。
「おい、ペッカー。なんでここにいる?」
「わ、あ、あの?」
「それはこちらの台詞ですよ」
そのうちに私はレムレスくんの背に隠された。
ペッカー先輩が探していたのは、きっと私じゃない。知名度がほぼゼロの私より、同じⅣ組で罪を代わりに背負っているレムレスくんに用があると考えるのが妥当である。
けれど、なぜ、このタイミングで?
「……近づくな」
「何を、きみと僕の仲じゃないですか」
「………………」
見定めるかのように、レムレスくんは眉を寄せた。
どうやら彼は、ペッカー先輩が標本事件の真犯人だとは知らないようだ。ただ向こうの様子がおかしいから、私を庇ってくれたのだろう。
これは……どう切り抜ける?
「……そこのあなたは、先程から困惑していますね?」
「っえ」
「ああ今度は驚いた」
くすくすとペッカー先輩は口元に手を当て笑う。本当に感情がバレているらしい。だが、それを気にしている暇はない。
ペッカー先輩がわざわざ姿を現したということは、協力者が近くに隠れている可能性を考慮すべきだ。足でまといは私一択。
「やめろ。こいつにちょっかいを出すな」
「珍しいことを言いますね。パリッソ君程度としか関わりのないきみの癖に」
「うるさい」
「ああ。はい、はい。少し眠っていただきますね」
その言葉が聞こえた瞬間、私はレムレスくんを突き飛ばし、ペッカー先輩に飛びついた。
ああ、悪い予想は当たるものだ。私の想像通り、ペッカー先輩は注射器を振り上げていた。
針は私の首に綺麗に突き刺さる。感じたことのある痛みが走り、視界がぐるりと一回転した。
死ぬ間際、必死にこちらへ手を伸ばすレムレスくんが見えた。ごめんね。
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