紅月祭の当日まであと一週間を切ったある日、遂に手首が完治した。
「リューネー! おめでとう〜!」
朝、迎えに来てくれたニオくんに伝えれば、ぎゅうぎゅうと抱き締められる。
「に、ニオくん……ありがとう」
「ほんとよかったよー! リューネがもし辛いって言うなら、実家からアーティファクトでも持ってこようかなって思ってたもんね!」
「……そっかあ……」
それはそれは、本当に、ヤバげな色の魔法薬をひたすら飲み続けた甲斐があった。アーティファクトなんて高価なものを使われたら、私はどうしたらいいのかわからない。まあ、どうしたらもなにも、普通に死んで終わりかもしれないけれど。
「リハビリとかはするの?」
「ちょっとはするよ。魔法薬がすごい? らしくて、リハビリしなくても機能自体は問題ないみたいなんだけど……やっぱり筋力? 握力? そういうの、落ちてるし」
「なるほどねー! ……大丈夫?」
「大丈夫だよ?」
「そうかなあ」
そう呟いて、ニオくんは疑わしげに瞳を細める。そんなに私の大丈夫って信頼ないの? まあないか……。
もはや、それすら致し方ないと受け入れられる。
「でもとにかく、治ってよかった」
どうやら沢山心配をかけてしまっていたようだ。
「みんなにも会いに行こ!」
心底嬉しそうに笑うニオくんに手を引かれ、私も歩き出した。
まず連れてこられたのは、Ⅳ組が陣取るアトラクション建設地だ。アトラクションはもうすっかり完成して、当初何もなかったそこには大きな洋館が建っている。無茶振りスケジュールと言っても過言じゃない納期だったが、よくこんなに前倒しで完成したものだ。
まあ、殆どハリボテではあるんだけど……。
受付部分から先はもうバックヤードみたいなもので、空いた空間にはありったけの術式を書き込んで組み上げたから絶対に近づくな、とついこの間アレウス先輩に聞いた。なので、私はどうやらテストプレイは出来ないらしい。
とはいえこのアトラクションのジャンルは謎解きホラーアドベンチャー。謎解き部分やホラー部分はこの世界に馴染むよう調整されたものだ。魔法を使えない私ではテストプレイをしたところで攻略不可能。なんならネタバレを知っているわけだから、試遊出来なくて当然だろう。
「おーいみんなー! みてみて!リューネ!」
「そ、そんな捨て猫持って帰ったみたいな……」
丁度朝イチの点検が終わり、休憩がてら何人かが話し合いをしていたところのようだ。ニオくんにぐいぐい押され、私はポツリ呟いたが、それは誰にも拾われなかった。
「あーリューネせんぱいだあ! ニオせんぱい、おつかれさまでえす!」
「げ……ニオ……なんだよそんな騒いで」
「いやいや、騒ぐって! ね? リューネ」
「え? うーん……まあ、私にとっては良かった、かな?」
まず反応してくれたのは、セルテくんとレムレスくん。セルテくんは同級生のお友達とも仲良しだが、先輩達の懐に潜り込むのが上手いみたい。そういえば、昔もペッカー先輩やレムレスくんと話してたなあ。
コミュ力が高いとはこういうことを言うのだと思う。
「えー……なんだろお。リューネせんぱいにとって良いこと……あ、あー!」
「うるさいぞ、サーハシュ! というか、先程から貴様ら、何を騒いでいる?」
「……俺は騒いでね〜んだよなぁ……」
「せんぱいせんぱい! アレウスせんぱーい! 聞いてくださいよう!」
「なんだ!」
「ほら! ほらあ!」
ぼんやり過去を思い出していれば、今度は興奮した様子のセルテくんによって、私はアレウス先輩の前に突き出された。
「……リューネ」
「は、はい?」
「貴様、手首が治ったのか」
「は、はい……」
「そうか」
アレウス先輩は何故かそれ以上は何も言わない。首を傾げてみせれば、彼はまた先程までいた自分の定位置に戻っていった。
「な、なんだったの……?」
しかしそのやり取りを見て、これまた何故か、セルテくんは長い前髪の奥で瞳を輝かせる。
「すごーい! 怒られなかったあ。クトゥムせんぱいだけじゃなくて、アレウスせんぱいも、リューネせんぱいといるとなんだか優しくなっちゃうんですねえ」
「そう……なのかな……?」
私からしたらセルテくんの方が怖いもの知らずですごいと思う。
「せんぱい、手首おめでとーございます!」
「ふふ、オレからも! 完治おめでとう〜」
「これ、俺も言う流れか……? あー……リューネ、良かったな」
「あ……うん。ありがとう」
もしかして、ニオくんはこれがしたかったのだろうか。私が色んな人から祝われるのが見たかった……とか。どうしてなのかはわからないけれど。
ああでも、レムレスくんのこの表情の意味はわかる。良かったなと言う割にパッとしない、しかめっ面。これは多分、あんなやつと関わんなきゃそもそもそんなことにならなかったよなあ……って感じのやつだ。
レムレスくんはニオくんもリエスくんも好きじゃないようだし。あとペッカー先輩とか、ホオルネス先輩お二人とか……あれ。案外レムレスくんって嫌いな人多い?
「は〜!? 先輩ここにいたの〜!?」
と、その時、また更に新しい人達がやってくる。だけどこれは聞き覚えのある声だ。
「リエスくん」
に、その後ろからペッカー先輩。これが噂をすればと言うやつか。嫌いな相手がほぼ揃ったからか、レムレスくんの気配が薄くなった気がした。
「こっち来たらダメじゃん。先輩なんの役にも立たないんだからさ〜」
リエスくんはいつも通りの態度で私に近づいてくる。それをにこにこ笑ったセルテくんが迎えた。
「リエスくん! ね、ね。みてみて、リューネせんぱい!」
「そんなの見ればわかる〜、っ……!」
「あ……そう、あのね、リエスくん」
手首、治ったよ。そう伝えるより前に、リエスくんの手が目の前に伸びてくる。このまま行くと掴まれるのは首だろうか。
あれ、これまた折れたら最悪じゃない?
そう脳裏に浮かぶものの、流石にそんなことをするとは思えない。どうせ避けれないし、私はリエスくんの顔を見た。
……? なんで?
「なんで、君が泣きそうなの」
ピタリと手の動きが止まった。彼の表情は依然変わらない。これは……安心させた方がいいかもしれない。迷ったが、私はとりあえず微笑みかける。
すると、いつの間にか近づいてきていたレムレスくんが私を引っ張った。
「セルテ、お前らが何とかしろよこいつ。ど〜きゅ〜せいだろ」
「………………」
なるほど、どうやらリエスくんが止まったのはセルテくんの力のおかげだったらしい。ゆっくりと一度瞬きをして、怪しく光る瞳を抑えたリエスくんは、ため息をついた。
「リエスくんへは、メアくんライくんと一緒に言い聞かせまあす……リューネせんぱい」
「え……?」
「それでも、リエスくん。ほんとに……リューネせんぱいのこと、嫌いじゃないですから!」
「う、うん……」
え、なんでこんなに空気重いの?
「リューネ」
「はいっ?」
「怪我は」
「ないですけど……」
「じゃあ、あいつと共に帰りなさい。あなたがいると面倒なので」
「わ、かんないけど、わかりました……?」
ペッカー先輩にアレウス先輩の方へ誘導されて、私は一気に静かになったその場を離れる。
「パリッソ君」
「……なに?」
最後、後ろ髪引かれる思いで振り向いた私が見たのは、どこか不気味な笑みを湛えたニオくんだった。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!