一切驚いた様子もなく、ただただ地に向かって落ちていくジュスティ先輩。腕の傷が開いたのか、風にあおられて、以前よりさらに赤い包帯が見えた。
なにこれ! なんでこんな……!?
私とペッカー先輩が今いる位置よりさらに高いところから、ジュスティ先輩は落ちている。なんでそうなったのか理由はさっぱりわからないけれど、それが紛れもない真実で、そしてこのまま地面に叩きつけられては彼は死んでしまう。それも本当に確かな事実だった。
「そうだ、先輩! ペッカー先輩!」
振り向くと彼は少し目を見開き驚いた表情のまま固まっている。
「……え?」
よくよく辺りを確認すれば、世界はいつかのように停止していた。今はどうやら選択肢タイムのようだ。私は、いつもの電子音すら聞こえないほどに焦っていたらしい。
「よ、よかった……」
いや、現状はそんなに良くはない。しかし、じっくり考える時間があるのはありがたかった。だってすっごい、いやもうはちゃめちゃにびっくりした。選択肢の内容によっては即決かもしれないけれど、それにしても心を一旦落ち着けたい。
深呼吸をする。吸って、吐いて、やっとのことでピンク色のウィンドウに向き合った。
【どうする?】
「ほんとだよ……」
もうさっきからずっと、史上最大のどうする? どうしよう? のお時間だ。何しろ、他人の命がかかっているのだから。
おかしな選択肢でないことを願い、そっとボタンを押した。
【A、飛び降りる(高)】
【B、何もしない(高)】
「いやおかしいな!?」
そして、文字の意味を理解した途端ツッコミを入れた。だってこれ……飛び降りるも何もしないも、この状況では正直ちょっとどうかしているだろう。究極のゼロかイチかみたいな選択肢だ。
しかも、今回は何故か両方に(高)の表示が付いている。変わり種にするな、味を変えてくるな!
「………………」
にしてもこの(高)……今までは(低)と共に現れていたし、何となく好感度の増減のことだと信じていたが、何もせず好感度が上がるとは思えない。飛び降りるのも助ける行為という判定なら好感度は上がるのかもしれないが、流石にやりすぎというか……それよりも先に来るのは共倒れ。ふたり揃って綺麗にお陀仏の可能性の方が、あまりに高いはずだ。
「……ん? たか、い……?」
そこまで考えて、ふと私の頭は無駄によく働いてしまった。
そうだ、好感度の増減だとしたら、それこそ(増)とかそういう表記の方がわかりやすい。なのに何故かこの選択肢で使われているのはいつも(高)と(低)だ。
これってもしかして、死亡率のことを表しているのでは……ないだろうか?
「っ………………」
もうここまで来ると、声すら出せなかった。信じたくないが、そう考えると辻褄が合う。あまりにもピッタリと、合ってしまうのだ。
今まで選んできた(高)の選択肢、その後に起きたことは何だった? 何かしらの要因による私の死と、それによる巻戻りである。狙撃されたことや、心臓を刺されたことを思い出す。
「もうやだ……」
私はおもむろに頭を抱えた。世界、あまりにも私に優しくないのでは? せめて優しさ二倍デーとか、あってもいいのでは?
「っていうか……これ、じゃあ今回の場合って……」
再度選択肢を確認する。どう見たって何度見たって、選択肢の後に付いているのは両方とも(高)だった。いや、わかってた。わかってたけどさ……。
味変どころの話じゃなかった。このままではデッド・オア・デッド、私の冒険はここで終わってご愁傷さまでしたとエンドロールが流れてしまう。
というかそもそもここまでの道のりが間違ってたとかそんな説すらあったりする?
しかし残念無念。例えこの先死んだとしても、おそらく巻き戻るのはこの地点まで。私は結局どちらかを選び死ぬしかないのだ。
「これは……詰んだ、かな……!」
そろそろ一周まわって清々しさすら感じられてくる。私はとりあえず飛ぶことにした。うん、なんか、丁度タイミング良くそういう気分!
そうしてピンク色が溶けて消えて、世界は動き出す。
「っリューネ!」
強制力のおかげで私の足はなんの躊躇もなく絨毯を蹴り、強制力のおかげで私の両腕はジュスティ先輩に迷いなく伸ばされた。
「ペッカー先輩、よろしくお願いします」
唯一頭部は動かせたので、私は飛び降り際に伝言にすらならない一文を言い残す。私まで落ちていくものだから、ジュスティ先輩は全身で驚愕を表していた。
最早涙は枯れ果てたつもりだが、それでもなんだか泣きそうな心境だ。きっと私は久方ぶりに酷い顔をしていることだろう。
「死なば諸共、ですね」
でもどうかな、意外と死なない可能性もあるかも。だってみんな優しいし、百万分の一くらいはさ、あってもいいんじゃないのかな。
「っき、さま……!」
「私、リューネですよ」
まあ無いか。
びゅうびゅう感じる風はもうただ痛いほどで、よくわからないけど面白くなってしまった。
貴様呼びが気に食わない訳ではないけれど、言い返せるのもきっと今だけなのでへらりと付けられた名前を言ってみる。ジュスティ先輩はやけに息を詰まらせた。あれ、そんなに気にしてたっけ?
こんな雑談をしている間にも、どんどん地面は近づいてくる。やっぱり助からないな、と悟った。
「リューネ!!」
その時、身体がグッと引き寄せられる。
「ええ?」
そして気づけば、私はレムレスくんに抱えられていた。ああ、せっかくジュスティ先輩を掴んでいたのに。一瞬そう思ったが、ジュスティ先輩の方はペッカー先輩が何とかしてくれたらしい。よかった。にしてもよろしくお願いします、だけでよく伝わったなあ……。
「っ……舌噛むなよ!」
「え、あ、うん?」
たしかにレムレスくんは飛行術の成績が良くないようだ。私が増えた途端、彼が乗っていた原木は制御を失った。私はレムレスくんに抱えられたまま、地面を転がる。しかし痛みはなかった。
「……? あ、先生」
「リューネ、スプークト、怪我はないか。ジュスティ、意識はしっかりしているな? 落ちた経緯を説明しろ」
どうやら、先生が魔法をかけてくれたみたいだ。ブレスレットがあってもなお少し具合が悪くなってきたので、多分難しい魔法なんだろうなと思う。
「……はい」
ペッカー先輩の絨毯がゆっくりと空から戻ってきて、乗り降りができる程度に地面から浮いたあたりで動きを止めた。まだどこか混乱した面持ちだが、ジュスティ先輩はしっかりとした足取りで絨毯から地面へと降りる。彼も無事に怪我なく帰還できて何よりだ。
「俺は──」
ジュスティ先輩が先生に事情を説明しているのを、私はぼんやり見つめる。
何故だろう、百万分の一が叶ってしまった。
「ふしぎ、だなあ……」
予想外かつ怒涛の展開についていけなくて、ついポツリと呟けば「こっちの方が不思議だ!!」とレムレスくんに怒られた。
「せんぱあーい! もー、無理しちゃめっですよおっ! ぼくたち、心配したんですよお?」
セルテくんは先に地上戻っていたらしい。駆け寄ってきた彼も、座り込む私の前に膝をつき、長い前髪の隙間からうるうるとした瞳を見え隠れさせて様子を伺ってくる。「ほんとに怪我とかないですかあ?」と、わかりやすく不安げだ。
「なんで、なんであんなことしたんだよ!」
「なんで……なんで?」
そうするしか無かったんだよ、とはとても言えない。私は首を傾げ、なんとか嘘ではないごまかしの言葉を探す。
「助けなきゃなあって、思った……?」
私が死んでも死に戻りがあるけれど、みんなは一度死んだら終わりの人生だ。いや、本来はそっちが正しいのだけれど、私はとにかく私以外が死ぬのはちょっと、見過ごせなかった。のだと思う。一応、多分。それをやめたら、なんだか人間じゃなくなってしまいそうだし。嘘ではないはず。
「だからって……!!」
「……リューネ」
「はい?」
今にも殴りかかってきそうなほどの気迫だったレムレスくんを押しのけ、目の前にペッカー先輩がやってくる。
「…………なぜ、アレウスを?」
「……そうしなきゃかな、って」
じゃないと結果的に私が死ぬのだから、仕方ない。
「あれ?」
そういえば、それなのに、(高)のくせに私、死んでない。
それに気づいた瞬間、意識がパッと明瞭になった。まだ終わっていないのだ。まだ何か驚異が来るはずなのだ。
「……リューネ?」
忙しなく辺りを見回した後、私は立ち上がる。今度はやけくそじゃない。確固とした意志を持って、ジュスティ先輩を庇うことにしようと思った。
ブローチ、はないけど……なんならこの世界線で捕まえたあの暗殺者より絶対今回の人、強いけど……それでも引けないことってある。
それで私が死ぬとしてもまあ、次の私がもうちょっとだけ、半歩分だけでも、進んでくれるはずだし?
「……おい、何を……!」
「先生! 特にあの、その……よろしく、お願いします!」
ジュスティ先輩の咎めるような声を遮りそう叫べば、先生は何かを察してくれたようだ。ダメダメ語彙なのに、すごい。
「リューネ、ジュスティ、近くへ寄れ! 他は各自、身を守れ!」
キンと何かが弾かれる音がして、何も無かったところから黒いフードの男が現れる。同時に、先生を中心として形成された、半透明なドーム状の壁が揺らめいた。男の手には見覚えしかない短剣がある。この壁がなければ私はまた上手い手口でサクッと殺されていただろう。いや、それとも直接ジュスティ先輩を狙っただろうか?
「なっ……! 貴様!」
「えっいや、ちょっと待ってください??」
誰も彼もが臨戦態勢の緊迫した中、なぜかジュスティ先輩がずんずんとこのなんだろう、壁? 結界? から出ようとしたので私は慌ててそれを止める。
「出ちゃダメですよ! なんか見るからに怪しいじゃないですか……!」
「怪しい怪しくないという話ではない! 俺はあれに聞かなくてはいけないことが……!!」
「いやいや、ダメでしょう……だめ、ですって……」
なんとか説得しようとするが、それよりなによりこの半透明の中にいるだけでどんどん気分が悪くなってきた。何故こうも私の身体は空気が読めないのだろう。
まあ異世界人だからなんですけど……。
「うえ……」
「おい! 急にどうした!?」
「ちょっともう、無理ですこれ……逆に死んじゃう……」
私はフラフラと壁をすり抜け外に出た。別に殺されてもいい。だって未知の死因よりは知ってて経験済みの痛みの方が心構えができるので。
「っ俺に出るなと言った貴様がノコノコと出てどうする!!!」
「これは不可抗力です……死活問題なので……」
外に出るとなんとなく気分が良くなった。それでも頭を押さえたまま、私は暗殺者に話しかける。
「あの……うーん……えっと、すみません、今回は見逃してくれたりしません……??」
こんなに大勢に姿を見られ、しかも先生のような手強いであろう相手もいる状況で、さすがにターゲットの殺しを強行しようとはしないと思うのだ。皆殺しをするにもそれはちょっと、リスクとあっていないだろうし。
「おい! 何をしている! 早く戻れ!」
「いやだから無理ですって……その方が死んじゃうんです……」
片手で先生に制されながらも私に怒鳴ってくるジュスティ先輩を適当にあしらう。今だってばたんきゅーと行きたいのに我慢しているのだから、どうかわかってほしい。
その時ふと、暗殺者の男が口を開いた。色んな声色が何重にも重なり、ぐちゃぐちゃとしていたが、内容は思ったより聞き取れた。
「対価は?」
「ないです」
「………………」
「だって、取引でもなんでもないです。これ、お願いです」
「命乞いというやつか?」
馬鹿にするように男は笑う。
「それも違いますね……うーんと、えっと」
私は構え直された短剣を見ながら、殆ど回らない頭で考える。
「人を殺すのって、疲れません? 私はあんまり、あなたにそれ、して欲しくないです。うん、それだけ」
もう自分が何を言っているのかわからなくなってきた。しかし案外良いことを言ったような気がしなくもない。
「お願いです」
最後にまたそう言えば、そのうちに男は溜息をつき姿を消した。呟かれた「今回だけだ」という言葉は、他のみんなにも聞こえただろうか。
なんだ、結構優しいじゃん……。
それを噛み締めて、私はそこでやっと、なんとか死なずに気絶できたのであった。
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