カーテンの隙間から朝日が差し込んでくる。枕元のチェストに置いた時計が控えめに音を立てた。
「…………ふあ」
あくびと寝返りをそれぞれひとつして、私は起き上がる。カーテンを開ければ太陽がやけに輝いていた。ユニットバスへ通じる扉を開けて、中の洗面台で顔を洗う。ひやりとした水の冷たさで私の意識は完全に覚醒した。
アレウス先輩の一件を解決してから五日が経った。張本人のアレウス先輩は何度かいたりいなかったりしていたし、恐らく学園長も何かしらの対応が目白押しだろうが、私の生活はいっそ怖くなるほど変わりない。教室での座学、実験棟での実技、あとはたまに校庭でみんなが飛ぶ中走り込みをしたり、先生の補佐をしたり、そうして日々をこなしてきた。
まあもちろん、平和さに腑抜けてうっかり一、二度死んだりもしたのだが、今こうして休日を迎えれたので何も言わないでおく。
ちなみに今日はなんと、後輩のセルテくんとそのお友達と町へ出かける日だ。二日前、私の部屋にやってきたセルテくんが、内装を見た瞬間「ええーーーーっ!!」と叫んだのをよく覚えている。それから、物の無さに不安を覚えたらしい彼にあれよあれよと流されて、気づけばお出かけの約束が取り付けられていた。
「うーん……」
チュートリアルの時に置いたっきりのクローゼットを開ける。やはり、外行きに出来るような服はあまりない。いや、だからこそ外へ出向くのか。
これが本当にゲームなら、それこそあのガチャガチャとかで洋服もインテリアも獲得するのだろうが、生憎マシンはベッドの下の隅の隅に布を被せて置いてある。出す気は一生ない。多分。
「よし、これにしよう」
とりあえず、こちらへ転移してきた時の服は目立つ。制服も休日のお出かけで選ぶ最適解ではない。そんなわけで学園長からいただいた私服のうちの一つである、落ち着いた白と紺色のワンピースにした。
腰のベルトを境目に上下で色が別れており、胸元にはスカート部分と同じ紺色の大きなリボンが着いている。スカートの裾とリボンには薄らと花のような可憐な模様も入っており、生地も薄くなく、秋口にぴったりだ。
鏡の前で一通り身だしなみを整えて、私は学園長からのお小遣いが入った同色系のハンドバッグを片手に、部屋を出た。
階段を降りれば、ホールの端に設置されたキッチンスペースに、早速セルテくんを見つけた。彼はコンロの前でコーヒーにたっぷりミルクを注いでいるところのようだ。スプーンか何かでくるくるとマグカップの中身を混ぜては一口飲んで……とても幸せそうな表情をしている。
「おはよう、セルテくん」
「あー! せんぱいだあ、おはよおございます!」
声をかければセルテくんは私を見て、人懐っこくくふくふ笑う。近づく程に、コーヒーの良い香りがした。
「コーヒー、美味しそうだね。好きなの?」
「はいーえっと、ちゃーんと豆を挽いて作ってるんですよう」
「え! それはすごいねえ」
コンロの横の調理台には、コーヒーミルやサーバーが置いてある。しかしコーヒーの粉は調理台に少しも散らばっておらず、セルテくんが如何に手馴れているかがよくわかった。
「……あの、私も飲んでも大丈夫?」
「わあ、もちろん! ミルクとお砂糖もありますよお」
「ありがとう、いただきます」
好奇心と眠気覚ましのために一杯、コーヒーをもらう。今日もセルテくんは袖余りで、手は指先ほどしか見えないが、それでも器用に淹れてくれた。前みたいに火傷をするもんか、としっかり息をふきかけ、表面を冷ましてから口をつける。
コクリと飲み込んだそれは、芳醇な香りも合わさりとても美味しかった。
「あ……おいしいね」
「やったあ! くふふ、喜んでくれるとぼくも嬉しいです。いつでも淹れますねえ」
「あはは、ありがとう」
さすがにブラックは苦かったので、ミルクを少し足す。以前の私はコーヒーを飲んでいたのだろうか。コーヒーには記憶力を向上させる効果があるという。コーヒーを飲む度自分のことを思い出せたらなあ、なんてバカなことをぼんやり考えた。まあそこまで行くと別の効果だけれど。
「そういえば、もうひとりお友達が来るんだよね?」
「あ! そう、そうなんです。んーと、もうすぐ来ると思います!」
セルテくんは持っていたマグカップを調理台に置いて、振り返る。私もその視線の先を追う。すると、廊下の奥からメアくんがやってきた。
お友達って……メアくん?
「セルテ、俺の部屋に忘れ物をしたのはこれで六回目だ」
「えへへ……ごめんねえ、メアくん。ありがとお!」
セルテくんはメアくんからヘアピンを受け取る。爽やかな青緑色の前髪を深紅のピンが彩った。いつもは隠れているセルテくんの桃色の瞳が、まるでネオンのようにきらりと輝く。その色味は最早、蛍光ピンクと例えた方がしっくりくるほど眩しく、不思議な魅力を放っていた。
「次は気をつけた方が良い」
「うん! 頑張るよう」
左右共に三つ編みにした横髪を揺らしながら、セルテくんはこくこく頷く。どうやら彼は忘れ物常習犯のようだが、メアくんは……相変わらず何を思っているのかよくわからなかった。ただ少しだけ、敬語じゃないことに新鮮味を覚える。
「おはようございます、リューネ先輩」
「あ……うん、おはよう」
しかし、やはり私にはあの淡々とした敬語を崩さない。少々気まずい別れ方をしてから、結局彼と話す機会は全くなかった。あの時はたしか、私が彼を庇って命を危険に晒したのが琴線に触れてしまったのだったか。
挨拶を返したものの、ここからどうすべきか悩んでしまう。すると、メアくんの方から話しだした。
「それと、お疲れ様でした」
「え?」
「俺は生憎教室が違うので人伝ですが……随分と大変だったようですね。アレウス先輩の件、解決していただきありがとうございます」
「ああ……! うん。えっと、こちらこそありがとう……?」
たしかに大変だった。とても大変だったが、まさかそれをメアくんが労わってくれるとは。
「せんぱい! 実は、メアくんにはぼくが教えたんですよお」
「えっそうなの?」
「んっと……リューネせんぱいは、なんだか危ないことをいっぱいするねって、一年のみんなでお話したことあるんです」
なにそれ、そんなことあったの? 私、後輩にトラウマ植え付けてたってこと??
「でもでも、ぼく、それって全部誰かを守るためなんじゃないかなって思って! それで教えたんです!」
「な、なるほど……そうなんだね……?」
なんだか過大評価なような気もするけれど、とにかく私の無茶は良い意味に捉えられているようだ。トラウマじゃないなら一安心……。
「以前は失礼な態度をとってすみませんでした。けれど、自分の身は大切にしてください」
「あ……いいんだよ、気にしないで! それに……そうだよね、メアくんだって私より強いしね……あの時はこっちこそ、ごめん」
お互いペコペコ謝れば、セルテくんは私とメアくんを交互に見てからにんまり笑った。
「よくわかんないけど……仲直りーですねえ? よかったあ!」
丁度、開いた口の中と、口元のほくろが隠れる位置に手をやり、彼はくふくふ笑い声を漏らす。もしや私たちが気まずいことを知っていてこの面子にしたのでは……と少しばかり思っていたのだが、どうやらそういうわけではなかったらしい。
ならば尚更、ここで仲直りができてよかった。微妙な空気のままでショッピングだなんて、セルテくんに気を遣わせてしまう。
「そうだ! ねえねえせんぱい、ぼくらの服! どうですかー?」
ふと、セルテくんがそう言ってくるりと回った。それに合わせて、彼の黒いケープのような外套と、その胸元で結んだ大きな深紅のリボンがふわふわ揺れる。同じく深紅色のスキニーにはサスペンダーがついていた。黒白深紅だけでの纏め方と、上下のシルエットの差が何ともオシャレだ。
そして、セルテくんに手を引かれ、戸惑いながらも同じようにくるりと回ったメアくん。彼も黒と白を基調とした洋装だった。深い紫のベストが良い差し色になっている。セルテくんよりややカッチリとした装いだが、ブローチと共に胸元を彩るジャボや上着の袖先に付いたボタンなど、要所要所に可愛らしさが散りばめられていて、とても素敵だ。
「ふたりとも、かっこよくて可愛いよ」
パチパチと控えめに拍手を送る。するとセルテくんは満面の笑みを見せた。
「やったあ! よかったねえ、メアくん。ふたりで悩んだもんね」
「ああ。難しい問題だった」
「そうなの? でも、素敵だよ。センスいいねえ」
「えへへーせんぱいのも、とっても素敵です! ねっ」
「たしかに、良くお似合いです」
「え、ええ……ありがとう。なんだか照れるね……」
褒めていたつもりが、なぜか褒められ私は苦笑する。どれもこれも学園長が用意してくれただけなので、素直に受け取るのは気が引けた。まあただ少なくとも、学園長のセンスはたしかなようだ。
「じゃあ、そろそろ行きますかあ?」
「あれ、朝ごはんはいいの?」
「ふっふっふー実は、町に美味しいパン屋さんがあるんですよう!」
「へえ……!」
「好きなパンを選んで、店で食べていけるんです。朝早くだと、おまけに好きな飲み物が一杯無料になります」
「わ、すごい」
「ぼく、あそこのレーズンパンが好きなんですー」
具体的なパンの名前をあげられると、途端にお腹が空いてくる。
「俄然行きたくなってきちゃったな……道案内、お願いしてもいい?」
「勿論です」
「せんぱいは初めての城下町ですもんね! 今日は楽しみましょー」
「うん。よろしくね!」
初めての場所、というのは私にとってかなりのフラグだが、今日ばかりは死にたくない。
私はハンドバッグの持ち手をギュッと握り直し、ふたりと共に寮を出た。
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