月を背負ったファム・ファタル

君のために世界は回る
月浦 晶
月浦 晶

二十八話 楽しいことは沢山あります

公開日時: 2021年7月28日(水) 19:56
更新日時: 2022年4月21日(木) 22:49
文字数:2,947

 そんなこんなで歴史以外にも国語や数学なんかを学んでいるうちに、私は気づけばお昼まで生き延びていた。

 因数分解はどこの世界でも一緒だったし、国語は詩や小説を読み解く授業だったので、案外何とかなっている。


 ちなみに今のところ全ての授業に出ているのは私だけだ。まさか、セルテくんが無理やりペッカー先輩を頷かせて数学を一緒にサボるとは予想していなかった。

 代わりにレムレスくんはいたけれど、それでもあの時は、そんなに計算苦手なの!? という思いと、やっぱりセルテくんめちゃめちゃ勇気あるよね?? という思いが言葉にならず拮抗した。


「はー……」


 いやしかし学生も中々疲れるものだ。普通はもっと楽なのだろうが、現状はどう足掻いても普通じゃないので仕方ない。いや……ほんとに仕方ない、のかなあ……?

 ちょっとだけ、腑に落ちない。


 ぐっと前に腕を伸ばした私は、無人の教室をなんとなく見渡してみる。


「お昼かあ……」


 さてはて、どうしよう。いつぞやかに案内された大食堂で食べようか? いやでも人が多いところに行くのはちょっとな……。


 ニオくんが絶賛していた美味しい学食を食べてみたい気持ちはあれど、私を知らない人間に囲まれるとその分うっかり死んでしまう可能性が上がるので困る。

 それに私は、Ⅳ組への風当たりが強いことをまだ飲み込みきれていない。また何か陰口を言われているのを見てしまう、聞いてしまう、なんてことになったらこのモヤモヤが悪化してしまいそうだ。


「あー……」


 前日の魔法アレルギーもどきの影響もあるのか、立ち上がる気力すら湧かなかった。なんなら私は数分前からこのくだりをやっているというか……ぶっちゃけ三限目が終わってからほぼずっと無駄に時間を潰している。

 最初はA教室のみんなに声をかけられたが、余程私が疲れて見えたのか、少し話したら放っておいてくれた。一人の時間の大切さをわかっているなんて、みんな大人だ。……授業はサボるけど。


「リューネ」

「……? えっ……あ、はい!」


 もういっそ仮眠でも取ろうか、と思ったその時、酷くグダグダな私のことを誰かが呼んだ。それは聞き慣れない声で、私はゆるゆると顔を上げ、声の方を見る。手前の出入口のところに、先生が立っていた。

 そうして私はその事実と、今更理解した声の主の正体に驚きながらも、慌てて返事をする。


「ど、どうしましたか先生……?」


 なんか悪いことしたっけ……!?


「まだここに居たのか」

「あー……まあ、はい」


 ああ、質問はスルーなんだ……。


「食事は……いや、いい。リューネ、学園長からの呼び出しだ」

「え? な、なんで……?」

「……はぁ。とにかく、迎えに来た。ついてきなさい」

「あっ……はい……」


 ため息を吐かれてしまうと私は弱い。私はサッと立ち上がり先生へ駆け寄った。さっきまでは立ち上がるのにもあれだけ渋ってたのにね……。

 けれど怖いものは怖いので、これこそ仕方がない。


 というか……呼ばれた理由、絶対昨日のなんかじゃない?


 候補がちょっと多すぎるけれど、とにかく昨日起きたどれかのせいで呼ばれたことは明白だ。つい、なんで? なんて言ってしまったが、よく考えたら当たり前だった。だって多分私でも他人が私みたいなことをしていたら普通に呼び出すし。なんなら正気を疑う。


 あれ? ならじゃあ、私も正気を疑われてたり??


 先生の三歩後ろをついて行きながら、私は考える。良い精神病院を紹介するね、なんて言われたらわかりやすく終わりだ。もしそうなったら……逃げ、うーん……。

 ぶっちゃけ逃げれる気がしない。いや、逃げると書いて死ぬと読む選択肢なら一応あるのだが、そんなのなるべく選びたくはないし……。


 三階より更にひとつ上を目指して階段をのぼり、絵画や花瓶なんかで少し豪華に装飾された廊下を進む。


「ついたぞ」

「あ、はいっ!」


 気づけば学園長室の大きな扉の前までやって来ていた。ノックをして、返事が聞こえて、それから先生は扉の右側を開けてくれた。何か言うのも怖かったので、その行動に甘えて私は先に入室する。

 数日ぶりにお邪魔した学園長室は相変わらず広くて、何もかもが整っていた。それはいっそ、生活感がないほどに。ほぼ寝るだけの私の部屋といい勝負かも。


「やっと来たか。待ってたよ」

「リューネ! いらっしゃーい」

「いやいや、お前の部屋じゃないからね?」


 けれど、室内に人がいると、やはりその分華やぐものだ。先に呼び出されていたニオくんに小さく手を振り返し、学園長の元へ近づく。


「学園長、こんにちは」

「はいこんにちは。じゃあそこに座ってね〜」

「はぁい」


 以前来た時と家具の配置は違っていた。なぜかはわからないが、学園長の性格的に、案外ころころ模様替えを楽しんでいそうだ。深く考えるものではないだろう。

 学園長は私が座ったのを確認して、執務机の上で手を組む。そして先生も、その右隣に控えた。私とニオくんの真正面に二人がそうやって並ぶものだから、なんだか圧迫面接みたいで変に緊張してしまう。


「そうだ、お昼は食べたかい?」


 けれどそれでも学園長はいつも通りにっこり笑っていた。尋ねてきた内容もなんだか当たり障りの無いことで、少し気が抜ける。


「あ……まだ……」

「オレもー」

「そうかそうか、ならお食べ」


 学園長は私たちの答えに頷くと、片手の指先をくるりと動かした。すると、私とニオくんの前のテーブルに湯気が立つオムレツが現れた。サラダとコンソメスープも添えられており、まとめて銀色のプレートの上に乗っている。なにこれすごい。


「やったー! いただきまーす」

「えっ……あ、じゃあ私も、いただきます」

「うんうん、ゆっくり食べなさい」


 一瞬、もしかしてご飯で油断させて気づいたら病棟だったり……なんて考えも浮かんだが、せっかく出していただいたものを拒否するのは胸が痛む。なにより、ちょうど私はお腹が空いていた。人間なので、この欲望には抗えない。


 私はフォークを手に取る。オムレツを一口分切り分ければ、とろりとチーズが漏れ出てきた。見えたオムレツの断面には、チーズだけでなくほうれん草やハムなどの具材も沢山詰まっている。そのボリュームに少し気分が上がった。息をふきかけ表面を冷ましてから、口の中にオムレツを放り込む。


「美味しい……」


 見た目からしてふわふわで美味しそうだったオムレツは、やはり味も期待通りであった。バターと塩胡椒の加減が絶妙で、半熟風の卵部分と具材の食感の違いもまた良い。


 食は心を豊かにするってほんとだなあ……!


 もしかしたらこの世界における私の一番の娯楽は食事なのかもしれない。帰る前に一度くらい美食巡りとかしたら、この異世界のことも死に戻りのことも、楽しい思い出で終わらせられたりして? いや、無理か……さすがに。


 けれどまあそれはそれとして、この食事はとても良い。別に普段食べているのがおいしくない訳では無いが、疲れた身体と心によく沁みるのだ。

 しっかりと噛み締めながら何口か食べ進めた後、今度はコンソメスープに手をかける。澄んだ淡黄色の中には、小さく角切りにされたにんじんやじゃがいもが見えた。そしてもちろん、これも美味しい。



 そのうちに強ばっていた身体からは力が抜けて、食事を終える頃には少しどころか、随分と、リラックスした心持ちで話を聞けるような気になっていた。



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