この魔法学園にただ一人の特待生、リューネの手首がポッキリ行ってから、リエス・ワルドには日課が増えた。それはざっくり言えば、リューネの利き手の代わりを担うことである。
当初はリエスがリューネの骨を折った張本人だという理由で反対されたりもしたけれど(主にニオ・パリッソとかに)最終的にはメア・パラミシアが合理的かつ淡々とした説き伏せを見せた。同じ一年生としてリエスは彼のことを知っているが、その時やけにメアの人間味が増しているように思えたのを覚えている。
と、そんなわけで、力仕事に向かないメンバーを集めた新聞班と、それ以外で構成されたアトラクション班。そのどちらにも属さず、リューネの右を陣取って、リエスは今日も彼女の仕事をサポートするわけだ。
わけ、なのだが……。
「先輩! ちょっとわがまま言わないでよ〜」
「いや……だってさすがに……!」
ここは食堂のとある一角。食堂は紅月祭の準備が始まってからいっそう賑わいを見せている、学生諸君の憩いの場だが、今リューネとリエスはそこで謎の攻防を繰り返していた。
「だ〜か〜ら! 手、使えないんでしょ〜!?」
「ひ、左手があるよ……!!」
二人の座る席のテーブルには盆がある。その上には量の違う食事がそれぞれ並んでいるが、どちらも減っておらず、なんなら現在進行形で冷めつつあった。
「なんでそんなに嫌なのさ〜?」
「な、なんで……?」
そりゃ嫌だろう。何せ、この押し問答の原因は、リエスがリューネへまるで雛鳥に餌をあげるがごとく、手ずから食べさせようとスプーンを向けることなのだから。
「なんで〜!」
二人は紛れもなく加害者側と被害者側。リエスに罪の意識があるゆえ、リエスのためにも彼を頼った方が良いことは馬鹿なリューネにもわかっている。
しかし、だからといってリューネは幼児ではない。たしかに赤ん坊より魔法への耐久力はないけれど、見た目は他の生徒達と大差ないのだ。一応高校生が年下に所謂あーん、をされるなんて、リューネにとっては恥ずかしいどころの話ではなかった。
「え、ええ……?」
今も彼女は、ほんとにわからないの? こっちがなんでだよ? とか思っていることだろう。
けれど、わからないのか否かはともかく、なんでと。なんで、そんなことをするのかと仮に問われても、リエスはそれに答えられない。
リューネという女は、リエスにとって正直気に食わない相手だ。突拍子もなく現れて、特待生なんてものに選ばれて。それだけで怪しいのに、友達も先輩もいつしかリューネの話をしだすようになったから。実際に顔を合わせてもオドオドしてて、到底強くは見えなくて。その前だって見かける度Ⅳ組の人間や学園長に守られ気遣われているくせに、役名通り特別待遇だって言うのに、彼女はふとした瞬間に、ぼんやりと全てを諦めた瞳をする。
小さいことが積み重なって、紅月祭の実行委員に選ばれた時なんて最早、リエスはリューネの何もかもが気に障るような状態だった。
「も〜先輩! 昼休み終わっちゃうよ〜」
それが、なんで?
やっぱりリエスは答えられない。それとももしかしたら、無意識にまだ気づいていないフリをしているだけかもしれない。
「………………」
「………………」
相変わらず困り顔のリューネを、リエスはじっと見つめる。向き合う瞳は今日も深く暗い黒。リエスだって髪や瞳の彩度は低い方だけど、リューネは別格だ。
「……ひ、一口だけね……?」
黒は何を混ぜても黒のまま。なんならこうしてこちらを侵食してくるのだから、油断も隙もない。
沈黙に耐えきれず了承したのだろうなと、そういうところがダメなのだと、そう思いながらリエスは無言でリューネのオムライスを掬う。
「え、あの、リエスくん? ねえ、だからってそんな一口大きくしなくても……え?」
なんだかごちゃごちゃ言っているけれど、リエスはリューネが気に食わないので無視をした。
「はい、あ〜ん」
「えっ、いや……あ、は、はい……」
早く世界に馴染んで欲しい。
そうしたら、今よりちょっとは安心できるから。
そのためなら、次も自ら進んで手足の代わりになってあげるから。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!