その後、ジュスティ先輩と入れ違いで保健医さんが帰ってきた。ついでにニオくんもお見舞いに来てくれたのだが、なんでも教室の窓から私が落ちていくのが見えたらしく、心配したんだよ! と怒られた。
あと……それから、何かあった? とも聞かれてしまった。どうやら私は余程わかりやすい顔だったようだ。
だが、私が言えることも私から言うべきこともない。
なんでもないよと返し、特待生としての学園生活初日は死亡回数約十回、午前の二時限目でリタイアなんて酷い結果で幕を閉じたのだった。
そして先生が私やみんなにかけた衝撃を吸収する? 魔法も、あの透明な結界を作る魔法も、やっぱり割と高度なものだったらしく、私はまた保健室で一晩を過ごした。
そろそろ保健室のベッドが一つ、私専用特等席になってしまいそうで怖い。
疲れもあってか、一度眠ってしまえばすぐに朝が来るものだ。何の変哲もない、いつも通り死に戻りの恐怖と戦う一日の幕開けである。
実技以外の授業内容を期待しつつ、保健医さんへ「いってきます」と一礼をして、保健室を出る。
ニオくんがいた。なんで??
「あ、リューネ。おはよう!」
「……おはよう?」
「あれ? なんで驚いてるの?」
「ええ? だって……」
そりゃあ驚く。まさかいるなんて、しかも何も言わずに待っていたなんて、考えてもみなかった。
「……? リューネ、大丈夫? 慣れるまで登下校は一緒! って決めたじゃん」
「ああ……そう、そうだね。うん」
けれどたしかに、そういえばそうだ。私が一切口を開くことなく周りが決めた約束事な上、ニオくんとの登校がもう遠い昔のことのようで、すっかり頭から抜け落ちていた。
そのせいか、ふと過去を懐かしむ気持ちが湧いたが、それもすぐに失せる。だってそんな振り返りができるほど期間は空いていない。何ならそれ以前の問題で、ろくな過去がないから懐かしむ必要性もない。
ところでそろそろ学園長、帰り道見つけてたりしない? しないよね、うん。
「それに、昨日のことがあったでしょ! オレが心配だからさ。一緒に行かせて?」
それを言われてしまうと、致し方なくとはいえ少々無茶をした自覚がある分、何も反論できない私だ。いや、そもそも別にそんな頼まなくても良いっていうか、全然逆に有難いんだけど……。
「……そうだね、行こっか」
まあ、わざわざ訂正するようなことでもないだろう。私が微笑みかければ、ニオくんもにっこり笑ってくれる。それを見て私はとても素直に、今日も頑張って生き残ろう! と思えた。
ただし、間髪入れずに心の中の虚無に支配されたもう一人の私が「それが既におかしいんだよ」と囁いたため、私の一瞬暖まったハートにはすぐさま冷水がぶっかけられたのだった。あーあ……。
さて、今日の一限目はなんと歴史らしい。座学だ! と一人でテンションが上がったが、それよりなによりジュスティ先輩が欠席になっていることが不審で仕方ない。正しくは公欠なのだけど、正直今の私にとっては似たようなものだ。あの人は本気で私の前から姿を消すつもりなんだろうか。
……本気だろうなあ。
答えはすぐに出た。だってジュスティ先輩はいつだって真剣だった。ちょっと、いや……まあ、かなり? やりすぎな面もあるが。例えば過去、私を殺した時とかね。
とにかく正式には出会ったのは昨日だが、私はそれより前からジュスティ先輩を知っている。多分、みんなと違う部分をほんの少しくらいは。なのでそれも込みで推測するに、彼は恐らく私が何か飛びっきりの意表でも突かないと、関わることは不可能だろう。
でも、そもそも関わっていいのかな。
私としてはもう一度話をしたい。彼がぽつりと零してくれたご両親の話もちゃんと聞きたいし、出来ることなら彼の重荷を軽くしたいと思っている。だがこんなの、ただの私のエゴなのだ。ジュスティ先輩のことを思うなら、近づかない方が良いのかも……。
と、そこまで考えたあたりで予鈴が鳴った。ぐるぐる負のループに入りそうだったので、悪くないタイミングかも。
ちなみに歴史に限ったことではないが、私は実質飛び入り参加なので教科書が無い。そのうち届くらしいけれど、だからそんなことしていただく前に帰りたいんですって! と言わなかった当時の私は偉いと思う。
「おい、リューネ」
「ん。なあに?」
今日もホームルームで名前を呼ばれ、ギリギリの滑り込みで出席扱いになったレムレスくんは、今はぱっちり起きているようだ。
彼はおもむろに私を呼び、そしてポイと本をこちらに投げて寄こした。
「教科書」
「え! ありがとう……」
慌ててキャッチしたそれは、やけに真新しい。装丁はおしゃれなアンティーク調のよくある洋書だし、別に紙質が特別良いわけでもない。それでもなお綺麗に見えるのは、使い込まれた形跡が一切ないせいだろう。
「……新品?」
「や、俺が勉強してね〜だけ」
「そっかあ」
ぱらぱらとめくってみる。読める文字に変換されてもまだ意味がわからない、この世界独自のものであろう単語がちょこちょこと目に留まった。それから、後半の方には魔法の成り立ちなどについても載っている。
意外なことに、この教科書の内容なら、私でも教えられながら頑張れば理解が出来そうだ。
「借りていいの?」
「いい」
「ありがとう」
まあ、ずっと思い詰めていたってどうしようもない。それよりはこのせっかくの学びの場を生かすことを考えなくては。
教科書の難易度がそこそこなお陰で、少しできそう感というか、やる気も湧いてきた。
それにきっと、この世界を知ることは帰ることにも繋がるはずだ。
私はジュスティ先輩のことを無理やり後回しにして気持ちを切り替え、これから始まる授業へ意識を向けた。
片手に教科書を持った先生が、もう片方の手で綺麗な赤色をした指揮棒のような杖を振る。すると、その後ろの黒板には勝手に文字が刻まれた。こんなところまで魔法なんだな、などと思いつつも、私はそれを教科書と照らし合わせてく。
今のところ、ついていけないことはない。死にそうな予兆もなく、私は真面目に説明を聞けていた。
「──遠い昔、月が世界に一番近づいた日があった。それと同時に産まれた一人の赤子は、不思議な力を持っていた。これが魔力を持った存在、魔法使いの始祖である。そこから次々と魔力を持つ者が増え、その魔法の力によって文明の発達も急激に進んだ。そしてそのうちに、誰かが言った。始まりの魔法使いが産まれた日が、我々の新しい世界の始まりでもある……と」
これは私の故郷で例えるならば、西暦に値するものの話だろう。こちら独自の名前がつけられた、少し似ている紀年法、というところか。
「よって、今の我々にも深く浸透している創魔暦はここを元年としており、それ以前の時代のことは紀元前と称す。また、当時は特に、魔力は月からの授かり物だ。という認識が強かったため、月が世界に近づく度に祈りを捧げ祭りを開いていた。今も、昔ほどではないが、その風習は確かに残っている。この学園の紅月祭も、その一種と言えよう」
紅月祭というワードが出た途端、セルテくんが顔を明るくさせたのがわかった。
実は現在、この教室には私含め生徒はたったの三名だけだ。スカブルさんとやらは今日も欠席、ジュスティ先輩も今日は珍しく欠席、レムレスくんは私に教科書を貸してくれた後どこかへ行った。いやあ、もうなんだか清々しいというか、一周回って尊敬してしまうほどの自由っぷりである。
とにかくそんなわけで、昨日は最前列に居たセルテくんは、一人だけ離れてるのは寂しいから! と、一列後ろ。私から見て左斜め前に座った。ペッカー先輩もその分下がって、私の隣の長机に。
はっきりと見えるわけではないけれど、それでもチラチラと視界に入るセルテくんの喜怒哀楽はわかりやすい。
「せんせえせんせえ! 紅月祭って、今年はいつですかあ?」
彼は上にあげた手を振り、前のめりにそう尋ねる。きらきらと期待に満ちた表情だ。そのまま「みんなはクラスで出店とか出すんですよねっ?」とはしゃぐ様子から考えると、もしかして、紅月祭とは学校祭のようなもの? なのだろうか。
「……毎年、本格的な秋に入った辺りで、月の動きに合わせた一番最適な休日を開催日としている。一日目は民間人に学園内を開放する。二日目も午前中は学園外の者が来るが、午後からは生徒達だけの時間となる。また、二日目は大抵、夕方から夜にかけて真っ赤な満月が丁度大きく見えるようになっているため、その時間帯は敷地内でダンスパーティーが行われる予定だ」
セルテくんの熱意に負けてか、一つため息をついてからそう説明した先生は、しかしそこで終わらせず言葉を続ける。
「それと、確かに他のクラスは習った魔法やそれぞれの特技を使い毎年展示や出店をやるようだが、Ⅳ組は基本ない」
「ええっ! そんなあ。なんでですかあ?」
「当たり前でしょう。僕ら、Ⅳ組ですよ」
そこへ、授業中ずっと退屈そうに頬杖をついていたペッカー先輩が、とうとう口を挟んだ。
彼が言った、Ⅳ組だから。という理由は、私が思っていたよりもっとずっとⅣ組所属の彼らにとっては腑に落ちる理由らしい。期待を打ち砕かれたはずのセルテくんも、それなら仕方ないとばかりに肩を落とした。
「ううっ、そっかあ……」
「……そういうことだ。どうしても何かしたければ、紅月祭実行委員のⅣ組代表と相談しろ。授業に戻るぞ」
「むむむ……はーあい」
そこで紅月祭の話題は終わり、授業は本来の内容へと軌道修正がなされる。そして私は、なんだか少し、寂しいな。と思った。
正直そんなに他人を思いやれる余裕は無いと言えば無いのだけれど、セルテくんは紅月祭を楽しみにしていたのだろう。それに、他のみんなにとってもおそらく紅月祭は大事な行事だ。だと言うのに、ろくに参加も出来ないなんて……やっぱりちょっと、寂しくはないだろうか?
過去も忘れ、死に戻りの代わりにほぼ全てを失ったと言っても過言ではない今だからこそ言えることだが、大切な思い出はきっと沢山あった方がいい。
紅月祭実行委員、かあ……。
私は一応、それを心に留めておくことにした。あともちろん、授業内容も。
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