ニオ・パリッソが、リューネを連れて部屋を離れる。扉がきっちり閉まりきり、足音が離れていくと、学園長は浮かべていた笑顔を削ぎ落とした。それはリューネは見たことがなく、しかしこの学園の生徒……特にⅣ組の者達ならばよく知る、学園長本来の姿であった。
「クトゥム、レムレス」
自分達より遥かに小さく恐ろしい学園長に見据えられ、彼らは揃って背を正す。一度ゆっくりと瞬きをし、学園長は彼らに魔法をかけた。
「っ……!」
「……う、ぐ……」
かけられたのは、主に拷問用に使うような、名のない魔法。使用できる者などほぼおらず、強いて級をつけるとするならば、間違いなく最上級魔法であるそれ。それを学園長は詠唱すら飛ばし、指先ひとつでかけたのだった。
魔法名とそれに付属する詠唱は、本来魔法をかけるにあたり重要な要素である。名を捉え、言葉を紡ぐことで、イメージも魔力の循環もやりやすくなるからだ。生活に必要な無級魔法や一部の初級魔法ならばともかく、このような暴挙を行える学園長にかなう生徒などいない。
「大した厄介事でもないかと放っておいたんだがね。こういう形で無関係の者にも被害が及ぶとは」
学園長が大袈裟にそう言う間も、正面の二人は内側からギリギリと響く痛みに耐える。
「クトゥム、お前、バレても良いと思ってやっていただろう。わざわざレムレスも巻き込むな。子供じゃないのだから、自分の欲は自分で満たしなさい。次にレムレス、今回の誘拐はお前に恨みのある連中の犯行だ。素行には今より注意を払え。そして、自暴自棄でこういう輩の口車に乗るのはおすすめしない。人間関係を見直しなさい」
淡々と冷たい声で放たれる事実がそれぞれに突き刺さった。魔法は解かれても、図星を突かれた彼らは何も言えない。尚も僅かに痺れる身体を縮め、バツが悪そうに黙り込む二人を見つめて、学園長はため息をついた。
「本当は、別に良いんだよ。Ⅳ組の生徒は今までろくな奴がいなかった。しかも皆、そこらの魔法使いじゃ相手にならないと来れば、まあ、勝手にやりなさい。となるだろう? 事実大した支援をしない分、ある程度まで自由にやらせていた」
確かに、リューネが居なければ今回のこともクトゥム・ペッカーが満足したあたりで、ただの噂話として処理されていただろう。今まで通り、記憶に作用してでも上手く揉み消されていた。そして真実はⅣ組だけのものとなるのだ。
レムレス・スプークトがクトゥム・ペッカーに従い、犯人として非難されるのを良しとしたのも、過去の事件が無かったことにされてきたのを知っていたからだった。そうでなければ、彼にとって切っても切れないムカつく相手からの汚れ役の押しつけなど、たとえ自暴自棄でもうんとは言えない。
「でもほら、リューネが来てしまったからね。こういうことをされると困るんだ」
いつの間にか笑顔を浮かべていた学園長の口から出た名前に、またか、と二人の心境が一致する。
リューネ、異世界から来たという、か弱い少女。
そもそも、人々が憧れるこの王立魔法学園の全ては、学園長の匙加減で改革されるし壊される。今代の王でさえ、肉親であり命の恩人であり王位を譲ってくれた彼には頭が上がらない。学園長は元々の魔法の才にも恵まれ、何もかもをうまくやってきた箱庭の主なのだ。
だと言うのに、そんな彼がたった一人の女に狂わされているのは……どう考えても、おかしなことだった。
「わかるね?」
しかし、今度も彼らは何も言えない。いや、これに関しては言わない、のだ。何しろ彼らも大なり小なり、リューネの脆弱さに庇護欲を掻き立てられ、リューネの無償の信頼にほだされ、ここに居るのだから。
これは、はぐれ者であるⅣ組の生徒だからこその弊害だった。
「はい、じゃあもう帰りなさい。晩御飯に遅れてリューネが落ち込んだら可哀想だ。ただし私の言ったことは忘れないように。そしてリューネとは仲良くするように!」
すっかり優しい笑顔の猫かぶりに戻った学園長は、魔法で二人を浮かせ出入口の前に放り投げる。ようやく開放された彼らは、部屋から出る前に少しだけ学園長の様子を伺った。
普段は忘れがちだが、生徒達にとって学園長とは、名も経歴も全て不明の不審人物だ。ただ圧倒的な魔法の腕とそれに見合う圧倒的な権力を持つというだけで、それ以上を知る生徒は恐らくどこにも存在しない。
後ろで手を組み、貼り付けた綺麗な笑顔のまま首を傾げ、逆光を背にこちらを見守る学園長は、やはり得体が知れず、薄気味悪かった。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!