出入口から遠い最奥の席を選んだばっかりに逃げ道も無く、何かを言われている現在。
彼らの声が似ていない分、なんとなく聞き取れそうなのだが、それでもやっぱり絶妙に聞き取れずもどかしい。どうしてこうなった?
リスニング能力が足りていないようだ。まあさすがに悪いことは言われていないと思うけれど、気分は動物園の一番人気である。
もしかして私って珍獣なのかな……そうかもしれないな……?
実際、異世界人なんてほぼ新種の生き物だ。とりあえず聞いてるっぽく頷きながらそう考えれば、ペッカー先輩がピタリと話すのを止めた。一人分声が減って、みんなもなんとなく喋るのをやめてくれる。
「いや、あなた……それは変でしょう……!」
ペッカー先輩は口元に手をやり、愉快そうにくすくす笑っていた。ああなるほど、また読まれたらしい。
「解せないです……」
「ふ、ふふ……全く退屈しませんね。じゃ、僕は先に行きます」
「ええ?」
言うだけ言って勝手に面白がって、彼は先程の先生のように姿を消した。ちょっと待ってよ先輩……あとそれ履修必須の技能なの?
「…………………」
とりあえず、比較的身近な人に置いていかれたことだけが確かだ。私は自然と困った顔になる。ペッカー先輩が消えた場所から周りのみんなの方へ首を動かすと、何故か彼らも不思議そうな表情を浮かべていた。
「……珍しーですねえ?」
「ああ、珍しい!」
「や〜珍しいっちゃ珍しいけど、単純に気色わり〜わ」
一人は可愛らしくこてんと首を傾げ、一人は腰に手を当て胸を張り、一人は椅子の背もたれに腕を乗せ頬杖をついている。そして口を揃えて、珍しいと言った。恐らくペッカー先輩のことだろうが、何がそんなにも珍しいのだろう。
「くふ、いいもの見ちゃった! せんぱいったら、すごおい!」
「あ、ありがとう……?」
サーハシュくんが袖から指先だけを出した状態で、ぱちぱちと拍手をくれる。目を細め、明るく軽やかな笑い声と共に私を賞賛してくれる彼だが、大きく開いた口元では鋭くとんがったサメのような歯が主張をしていた。
ついそれにくぎ付けになり彼を見上げていれば、彼は私の視線に気づいたのかキョトンとした顔をする。それからそっと、口を閉じた。更にニッコリ笑みを深めたことからして、触れてはいけなさそうだ。
というかそれ以前に、珍しいからと言って人のことなどジロジロ見るものではない。ちょっと反省した。
「じゃあーぼくもそろそろ行きますねえ? せんぱいのことも気になるのでー」
「ああ! 早く行け!」
「はーいっ」
サーハシュくんは指先だけで器用に腕時計を操作する。カチリと音が鳴り、彼の姿は消えだした。なにその機能?
「あ、せんぱい! ぼく、セルテ・サーハシュ。これからよろしくお願いしまあす」
「えっ? あ、うん……!?」
咄嗟に返事をしたが、一歩遅かった。最後に私に向かって可愛らしいポーズを決めたセルテくんは、もう跡形もない。
「なにこれ……」
出てきた言葉はそれだけだった。ずっと異世界に惑わされている気がする。
「何、って魔法科学だろ〜がよ」
「レムレスくん……」
「まあ別に時計なしでも出来るやつは跳ぶけどな」
ぐっと腕と背筋を伸ばし、怠そうに立ち上がったレムレスくんは、机の上に散らばった荷物をまとめ始める。次から次へと手に取ってはリュックの中へ突っ込んで……なんとも雑な片付け方だ。物が多くない分マシだが、後々困ったりはしないのだろうか。
それが終わるのを待ってから、私はレムレスくんに問う。
「飛ぶって?」
「……こういうことだ」
真っ黒なリュックサックを右肩に引っ掛けた彼は、面倒くさそうに腕時計を操作した。セルテくんと同じ動きだ。そしてやはり、同じようにレムレスくんも消えていく。
「じゃ〜な、向こうで待ってるわ」
「ええっ」
そうじゃない。再現して欲しかった訳ではなく、原理が知りたかったのだ。
あとお願いだからジュスティ先輩と二人っきりにしないで!?
「おい! 課題を忘れるなよ!」
「ハイハイ、わかってっすよ〜」
そうして教室には私とジュスティ先輩だけになった。いや、まあ、厳密に言えばあの暗殺者がいるからまだ一体一ではないが、暗殺者に頼るのは普通におかしいので実質タイマンに違いない。
レムレスくん、絶対眠くて説明するの面倒だったんだろうな……。
以前殺された恨みはもう無かったけれど、ほんのひとつまみほど復活しそうだ。
「………………」
「おい」
「は、はいっ!?」
俯いていれば声をかけられてしまった。私はジュスティ先輩を見上げる。
「跳ぶ、というのは飛行ではなく空間移動の俗称だ。だから、飛ぶ、ではない。次に空間移動は本来魔力だけでも行える。が、完璧に望んだ場所に転移するには行先のイメージや座標の把握が大切になる。なのでこの学園では魔法だけでなく科学技術も使って補佐ありで跳ぶ。この腕時計もその一つだ。ここまでいいか」
「……? は、はあ……」
「わからないのか? ハッキリ言え!」
「あ、いえっ! わ、わかります! だいじょぶです!」
わからないのは内容ではなく、彼がそんな説明を急に言い出すに至った思考回路の仕組みの方だ。
しかしそれをそのまま言うのはあまりにも失礼である。とにかく理解の姿勢を示すため、私は頷く。
「よし! そしてどうやって腕時計で空間移動をしているかだが、ここの部分を決められた通りに動かすと内部で移動の準備が始まる。そこで魔力を流しながら行きたい場所を思い浮かべると、学園内に限り勝手に座標が計算される。それが終わると今度は自動的に流した魔力を使って向こうに自分が再構築されるというわけだ」
「な、なるほど……? でも、再構築って……」
「空間移動は正しく言うと、ここにあるものを一度分解して異なる場所で再構築する魔法だからな。同じ魔力は惹かれ合い上手く繋がるようになっているため、早々おかしなことにはならないが……失敗すると片足だけ近くに転がったりするぞ」
「えっ……それは、いやですね……?」
それに怖い。空間移動自体もそうだが、何故そんなリスキーマジックを当然のように使っているのか。
自分が一度バラバラになることを考えると、私は絶対跳びたくない。あと恐らく私には魔力もないので、千歩譲って跳ばないといけない状態になって跳んだとしても、上手く戻れず死ぬだろう。
この腕時計、もう一生触りたくないな……。
「ああ、貴様も気をつけるように。では行くぞ! 一限目に遅れてしまう!」
どうやらこれで説明は一通り終わったようだ。また縄でぐるぐる巻きに縛られた暗殺者を肩に担ぐと、ジュスティ先輩は教室から出るためか歩きだす。
「あれ……先輩は空間移動? しないんですか?」
「当たり前だ! 俺は貴様のことを任されているのだからな」
そのセリフは、意外にも私の心によく刺さった。
「……あ、ああ……なるほど、です」
なんとか反応はできたが、まさかそんな返答がくるとは思っていなかったのである。
次第に私の頭には、限りなく真実に近そうで、しかしかなり有り得なさそうな一つの仮説が浮かび上がった。
「あの……そういえば空間移動のこと、なんで教えてくれたんですか?」
確信を得るため、更に彼へ尋ねてみる。
「そんなの貴様が知りたそうだったからだ!」
それに対し、なんの躊躇も淀みもなく、ジュスティ先輩はそう答えた。
「………………」
「急になんだ? 早く行くぞ!」
「……はい。あの、ありがとうございます」
いつだって急なのはジュスティ先輩の方だったよ、とか。不審者じゃないだけでここまで対応が変わるんだな、とか。
ぱっと思いついただけでも言いたいことは色々とあったが、なによりも、割とちゃんと私のことを考えてくれていたのが驚きだ。素直に感謝の言葉が口から零れた。
私も鞄を片手に彼の後を追う。三歩後ろくらいを謙虚について行くことにした。
「ははは! 俺は学園長から貴様を任されたからな、当然のことだ! そしてそれは例え貴様が握手を断り逃げるような無礼者だとしても、だ!」
「うっ……そ、その節は大変申し訳なく……」
正直、逃げたのは選択肢という名の私にはどうしようも出来ない力のせいなのだが、それを言えない以上謝り倒すしかない。
「冗談だ! あの時の貴様の選択は間違っていなかったぞ」
「え?」
「あの後すぐこちらが狙撃された。そこまでは貴様も音でわかっただろうが、更に二、三発ほど銃弾が来てな。それの対処と現場検証をしているうちにホームルームの時間になった。そしてそこで俺を直に狙った暗殺者も現れた。咄嗟に腕で庇い、最終的には一発入れたが逃げられ……それを昏倒させたのが、貴様だ!」
「あっ……そうなんですね……」
ペッカー先輩の話は嘘じゃなかったようだ。ガチガチに命を狙われまくっていて、若干引いた。それでもここまで堂々としていられるのは、ある意味彼の凄いところである。
「パリッソは貴様のことをやけに気にしていたが……ああ、噂をすればというやつだ!」
ジュスティ先輩の影から少し身を出せば、廊下の先、C教室の壁にもたれ掛かるニオくんがいた。
ジュスティ先輩の声はよく通るようで、ニオくんはこちらへ振り向く。
「リューネ!!」
私も彼の名を呼ぼうとしたが、それよりも早く、まばたき程の間で、ニオくんとの距離は縮まっていた。一瞬、ぎゅっと抱きしめられる。
「わっ……」
その勢いにびっくりして、少しよろめきたたらを踏めば、ジュスティ先輩が片腕で私が後ろに倒れないよう支えを作ってくれた。ええ〜??
私を殺してきたくせに、随分と優しいものだ。いやでも、もしかしたらこっちが本当の普段の彼であって、人を害することはそうないのかもしれない。まあ、どの道融通は全然効かないけど……。
「リューネ大丈夫だった? 怪我とかしてない?」
「だ、大丈夫だよ。心配してくれてありがとう」
「もー! びっくりしたよ! リューネが急に走り出したと思ったら、今度は窓の向こうからチュン! って!」
「あ、はは……そうだね。ちょっと怖かったよね」
ぷんぷんと怒るニオくんは、きっとあの私が撃たれて死んだ時も怒ったし悲しんでくれたのだろう。
こんな激弱の私のことでいちいち心を砕かせるのは申し訳ない限りだが、その優しさはやはり嬉しかった。
「おい。話すのは良いが、歩け! 間に合わなくなるだろう!」
「あ、はーい。リューネ、最初なに?」
「あ……なんか、実験棟? ってところでやるみたい」
「じゃあ一緒だ! そっかそっか、楽しみだね。初授業!」
「うん。あんまり危険じゃないといいんだけど……」
これは本当、切に願っている。いっそ危険じゃなくても死ぬし。
「初めてだとしても、そこまで怯えるようなものではない! 安心しておけ!」
「いやいや、無理ですよー監督先輩! リューネはほんっとに、すっごく弱いんですから!」
その通りだ。ぐうの音も出ない。私は苦笑いをしておく。
「なんだと?」
「初級魔法当たったら死ぬ、って学園長からもお墨付き貰ってるんです! 真綿に触れるくらいで接してくださーい」
「………………」
ニオくんの発言を受けて、とうとうジュスティ先輩は黙ってしまった。肩の暗殺者を落とすことも、歩くのをやめることもないが、頭の回転は止まっているかもしれない。
何せジュスティ先輩は、自分の命の危機すら自力で撃退できる程度には強いのだ。私みたいな存在のことなんて、考えたことすらなかったりして。
「……貴様」
「あっはい? 私ですか?」
今のところ、彼に名前で呼ばれないのは私だけだ。謎に早歩きになっているジュスティ先輩へ私は駆け寄る。
「貴様、学園をやめろ」
「え?」
……え?
今度は私の思考が止まる番だった。
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