異世界に来て一週間と一日。今日からいよいよ、特待生として学園に通うことになる。やだなあ……。
昨日は朝早くから学園長が山ほどの荷物と共に現れ、寮の改築までしようとしたので大騒ぎだった。
最初学園長は「もう面倒だからリューネ用の三階とか作る?」なんて言っていたが、それは流石にない。他の寮生に顔向けもできない。なので最終的には私が折れて、部屋にユニットバスをつけていただくことで決着がついた。
そしてこれは手帳的にどうなんだ……? と思って後で確認したら、取り外し不可の家具扱いであった。
まあ、それはいいんだけど……こんな機能あっても模様替えとかすることあるのかな……。
兎にも角にも、憂鬱な今日だ。お馴染みの制服に袖を通して、私は部屋を出る。着替えも何着かいただけたので、朝ごはんで制服を汚す心配は無くなった。代わりの心配事が大きすぎて釣り合っていない気はするが、見て見ぬふりをしよう。
「おはよう……」
「おはよー!」
玄関先で待っていてくれたニオくんに挨拶をする。元気いっぱいに返された。とても眩しい。つい学生鞄の持ち手を強く握った。
「じゃ、いこっか」
「うん」
当初の予定通り、ニオくんが私のお目付け役に任命されたので、慣れるまでは彼と登校だ。
本日のニオくんは、黒シャツの上に袖の長い白パーカー。首元では白いリボンを結び、背中には髪色と近い暗めの赤色のリュックサックがある。
今から遊びに行きます! とでも言うような、随分ラフな格好に、歩きながらもチラチラ確認していれば、笑われた。
「あはは、気になる? 一応ブレザーに指定のベスト、シャツ、それとネクタイが制服なんだけどさ」
「……かなり違うね?」
というかそれで行くとニオくんの格好はもう制服ではないのでは?
「なんとⅣ組、そこら辺も緩いんだよなー!」
カラカラと快活に言い切る彼に、私はつい苦笑いを返す。「だからリューネもそのうち好きな服、着るといいよ」なんて微笑まれたって、私はこのブレザーにかけられた糊が落ちきらないうちに帰りたいのだ。
「そっかあ……あれ。そういえば、みんなは?」
今更無人の事実に気づき、辺りを見回すも、登校コースには全く人がいない。忘れずつけてきた左手首の腕時計を確認すれば、七時四十分。早くも遅くもない時間のはずだ。じゃあなんで?
首を傾げた私へ、ニオくんは少々気まずそうな顔で説明をしてくれる。
「あ~……だいたい皆遅刻ギリギリだよ。たまに早い奴もいるけど、Ⅳ組は、うん。ほかより緩いから……もう基本全部そのせいだよ!」
「あっ……そうなんだね」
そんな状態なら、たしかに以前の問題児だらけという言葉に偽りなし、だろう。これ以上突っ込むまい、と私は景色に目を向けた。
やはり木々の葉はところどころ落ちていて、数日前より更に少ない。本格的な秋はきっともうすぐだ。冬は……来る前に帰りたい。
「はあ……にしても、遠いね」
「あ、ごめんね。慣れないとキツいよね。でも、もうちょっとだよ!」
つい零れてしまったため息を誤魔化すために言ってみたら、丁寧に励まされる。でも、案外嘘でもなかった。
正方形の敷地内で、私たちⅣ組の学生寮は北西の端。門塀の向こうはすぐ森で、少し中央に向かって歩けば、同じくこちら側に追いやられた蔵書庫があり、本校舎の裏口? が遠くに見える。
きちんとした入口は南側で、学園とそれ以外を隔てる門から真っ直ぐメインストリートを歩いた先。要はかなり遠いのだ。
しかも私の場合、登下校中に死ぬ可能性が無いとは言いきれない。そんなことある? あるんだよねえ……。
「……おんぶとかしようか?」
「えっいいよ」
ふと、ニオくんが真剣な顔でとんでもない提案をしてきた。反射的に私は遠慮する。
「ええ! なんで?」
「こっちがなんでだよ……?」
そんなこと、さすがに申し訳なさ過ぎてさせられない。しかしそのまま伝えたところでダメだと思うので、それっぽい理由を並べてみる。
「体力はまだ大丈夫だし、これからも歩くなら慣れなくちゃでしょ」
「それはそうだけどー……」
「無理はしてないから。ほら、このブレスレットもあるし」
右手を軽く上げ、金色に輝くサークルに透き通った丸い石が飾られたそれを振る。最初ニオくんに見せたら「学園長こんな高いのあげたんだ!」と驚かれたので、値段はお察しの代物だ。
ちなみにブローチはさすがに目立つので、これまた頂き物である革製の学生鞄の中にある。
「ん……そうだね。ごめんね、リューネの初登校だからか、オレもなんか緊張しちゃうんだよねー」
腕を組み、ニオくんはわざとらしく悩む素振りをする。それから「これが兄心ってやつ?」なんておどけてみせた。
「……変なの」
私も自然と笑ってしまう。そして楽しい話ばかりを続けていれば、気づけば昇降口にも辿り着いていた。
Ⅳ組の教室は三階の右奥にあった。ⅣーA、ⅣーB、ⅣーCと、三つのクラスが存在するようだ。その手前には談話室や倉庫、職員室などがあり、ほぼⅣ組専用の階層らしい。
「オレはCなんだけど、リューネってどこ? 多分一緒かな?」
「あ、なんか、寮監督の先輩が教えてくれるって……」
「あー、あの人かあ」
「知ってるの?」
「まあねー! あの人ならこの時間にはもういると思うんだけどな……」
一度、ニオくんは無人のC教室に入るとリュックを置く。とりあえずそれを廊下から見守っていれば、隣の教室の扉が開いた。
「初めまして、先輩。これからよろしくお願いします」
「え、あ……はじめまして。えっと……あなたは?」
突然、流暢な敬語で話しかけてきた相手は、私を先輩と呼び頭を下げた。急な対面に混乱しつつも、私も会釈をする。
「俺はメア・パラミシアです」
きっちり伸びた綺麗な姿勢と、隙なく着こなされた制服は、敬語と共に彼の真面目そうな性格をよく表していた。
しかしその割に、首の辺りで切りそろえられた深い紫髪は、向かって左側の一部分だけ結ばれ、ただのボブカットからアレンジされている。耳に空いているピアスも、隠すような素振りがない。ただ真面目、というわけでもなさそうだ。
「私は、リューネ……です……」
「リューネ先輩、ご挨拶が遅れて申し訳ありません」
「あっいえ、全然お気にせず……!」
「ありがとうございます。リューネ先輩、俺に敬語は必要ありません」
「あっはい。あ、や、うん……!」
つり目つり眉のメアくんに見据えられ、私は大袈裟な程に頷く。少し挙動不審になりつつ、握手も済ませた。
嬉しいことに彼も私を殺したことはない。けれど、その厳しそうな面貌から発せられる丁寧が故の淡々とした敬語は、正直ちょっと怖かった。
「リューネ、お待たせーって、メアじゃん!」
「ニオ先輩、おはようございます」
「はよー」
誰とでも仲良くできるニオくんは流石だ。笑ってこちらに近づいてきた。メアくんも正確な動きでニオくんの方へ身体を向けて、私からは視線が外れる。こっそり一息ついた。
「ねえメア、監督先輩知らない?」
「アレウス先輩は現在、校内の見回りに出かけているはずです。まだ戻った姿は見ていません」
アレウス先輩、それが寮監の方の名らしい。学園長には「あいつは目立つから見たらわかるさ」と面白がられただけで終わっていたが、果たしてどんな人なのだろう。
「えー……じゃあ探さなきゃダメってことじゃん」
「俺から連絡してみますか」
「頼める?」
「はい」
メアくんが腕時計を操作し、青緑のウィンドウが宙に浮かぶ。そういえば最近あの魔のピンク色、見てないな……。
なんならあのプチ厄日から一度も死んでいない。生きているとは素晴らしいものだ。
ちなみにガチャマシンは一度頑張って窓から投げ捨てたことがあるのだが、気づけば部屋の目立たないところに戻ってきていた。あまりの恐怖にそれからは布をかけて放置している。
「その必要はない!」
そんな感じで何もすることがなく、ひとり平和を噛み締めていたら、突如大声が後ろから響いてきた。声はそのままずんずんと近づいてくる。
「監督先輩! 今日も元気だねー」
「ああおはよう! パリッソ!」
相変わらずフレンドリーに対応するニオくん。なるほどこれが件のアレウス先輩か。にしてもどこか……どこか聞き覚えのある声だ。嫌な予感がする。
「パラミシア! 俺を探していたのか?」
「はい。俺ではありませんが、何かアレウス先輩に用事があるようです」
「なるほど! それで、彼女は誰だ?」
「え、監督先輩、学園長から聞いてない?」
ああ、そうか。話題の矛先が私に向いたと同時に、思い出した。私は意を決して振り向く。視界に飛び込んでくるのは、青。やっぱりだ。強く鮮やかなこの青には、覚えがある。
「ああ、そうか。これがリューネか! Ⅳ組へようこそ、俺はアレウス・ジュスティだ!」
握手を求められ、遂に散々追いかけ回された記憶が蘇った。
この先輩、三回くらい私のこと殺してる人じゃん!!
読み終わったら、ポイントを付けましょう!