茜と雪花がパーティで用意されたお菓子に舌鼓を打っていると先程の司会がマイクを使って話し始めた。
どうやらこのパーティの為に多くの著名な歌手を集めていたらしく、突如会場が暗転する。そして暗闇の中にステージが浮き上がり、もうそこには歌手グループらしき人影がポーズを決めていた。
それが男性のみなのは招いた資産家の娘を喜ばせる為だろう。現に悲鳴に似た歓声があちらこちらから聞こえてくる。そして餌を撒かれ引き寄せられる鯉のようにステージ前に娘達が殺到した。それは雪花も例外ではない。主である茜を置いてステージの前へ。
更に音楽が始まると何か決まりでもあるのか、娘達が皆一様に片手を独特のサインに変えて天に掲げた。そして満面の笑みで音楽にあわせて手肘を曲げ膝を曲げ、その歌手グループのダンスや歌を楽しんでいる。
「はぁ~、茶がうめぇ」
彼等のダンスや歌、それに合わせて奇怪な行動をとる娘達を肴に、茜は羊羹で甘ったるくなった口をリセットし、新たに羊羹を口に運ぶのだった。
その後も代わる代わるにステージに別の歌手やダンスグループが現れては芸を披露する。
だがそんなものに一切興味がないディランは茜達のいる広場を見下ろせる一つ上の階にいた。手すりにもたれながら溜息と共に白い煙を吐いている。
「はぁ……うるせぇなぁ」
任務中だというのにやる気の無いディラン。
しかしそれもそうだろう。ここで目立ちレナードに認識されるという目的は果たしたのだ。ディランとしてはさっさと式に立ち合い、氷結の魔術師と再会を果たしたいと思っているに違いない。
「一本いいですか?」
そんなおり、ディランは誰かに話しかけられた。
見れば金髪でディランよりも少し上くらいの中年の男。
「ああ、ええっと」
ディランは慌てて煙草の箱が入っているズボンのポケットをまさぐった。
だがここには金持ちの集まる場所。煙草が無ければ買えばいいだけの話。現にこの会場に入る前に売店があったのをヘビースモーカーであるディランは確認している。
そんな金持ちが煙草をねだる。その浅ましい行動は単なるきっかけで、ただ話したいだけなのだろう。問題はわざわざディランと話しに来た人物の意図がなにか、という事だ。
ディランはズボンのポケットから煙草の箱を取り出し一本渡す。そしてそれが最後だったのだろう、箱をくしゃりと握り潰しポケットにしまい込んだ。
「おっと、これは申し訳ない。時を誤りましたかな」
「いやいや、そんな事は。我が娘のキャットファイトに胸焼けがしたから口直しを」
とは先程の茜とミシェルの事だろう。
そしてそれをわざわざ口に出したのはその中年男性がそれに関係ある人物だからだ。
「そちらもそうなのでは?」
「ふふ、バレてしまいましたか」
改めてディランはその男の顔を確認して確信する。
朗らかに笑うこの男は先程茜がやり合っていたミシェルの父親だった。
だが子が喧嘩したとて親までもがいがみ合う理由はない。だからディランも快く最後の煙草を差し出したのだ。
「娘が飛んだ失礼を。ああ見えてじゃじゃ馬でして」
「こちらこそ、娘がとんだ粗相を……しかし、一つお忘れかと」
「……というと?」
「その上着の内ポケットにあるのは煙草の箱なのでは?」
よく見れば、ディランの鍛え抜かれた胸筋に押し出されたのか、煙草の四角いフォルムが上着越しに浮き出ている。
「あ、ああ、これは……」
「ふふ、分りますよ。一箱は常に新品で置いておきたいというその気持ち」
笑ってミシェルの父親はディランと握手を交わす。
喫煙者同士の気持ちが通じ合ったからなのか、ミシェルの父親は和やかに話し始める。
それは終始、自分の娘であるミシェルの話だった。気が強く負けず嫌い、そして手段を選ばない策を講じる所もあると。
困った事だと話しながらもしかしそこがいいと隠すことなく娘への愛情を主張する、ただの親馬鹿発言だった。
そしてひとしきり話し、ディランとの別れ際。
「ああ、そうそう。娘はどうしても我慢が出来ない性格でしてね」
「はあ」
「あなたの娘さんに危険が及ぶ可能性がありますのでご注意を」
「……なぜそれを私に?」
「ふふ……あなたの娘さんはとても魅力的だ。もしかしたら最終日に顔を合わせる事もあるかも、と思っただけです」
それは自分の娘が最終日まで残る自信と、茜の美貌に惑わされた事から来る発言だろう。
「それに自分の思い通りにならなかった人間を許せないたちでして。そちらの娘さんの出し物に期待はしていますが……いえ、では」
「では」
と、最後に何やらばつの悪そうな顔になって暗闇の中に消えて行った。
そして別れ際の言葉。
「こちらディラン。茜、どういう事だ? どうぞ?」
『こちらじゃじゃ馬娘。全く分からん。どうぞ?」
ディランは資料に目を通していた筈だが出し物などという文言は一切出てこなかった筈だった。見過ごしたのかと、茜に連絡を取ってみるもそんな返し。
この任務は元々リリィが担当していた。そのリリィに一目見れば惚れる程の容姿はない。だとすればどうやって一週間後の式までこの島に残るつもりだったのだろうか。
とそこまで考えてディランは首を振る。
そもそも式まで居ないといけなくなったのはそこに氷結の魔術師が出席する可能性が出てきたからだ。
リリィの任務はこの島で工作し発電所を爆破してセキュリティを無力化する。そして逃げ場のないこの島で袋の鼠になった指名手配犯を一網打尽にする作戦。式に出席する犯罪者もいるだろうが無理にその期間、島に潜入する必要もないのだ。
だがやるのであれば最高の成果を目指すのが定石。
「セレナ、どうなってやがる。何かあるのか、ないのか」
『丁度今、リリィさん達がこちらに到着したころなので伺ってみます』
今回の作戦は袋の鼠を取り押さえるとはいえ、ヘイブン島にはびこる鼠は多い。それ故、人海戦術となる為人員が集められているのだ。
◇ファウンドラ社シェンチェン支部。
「はぁ、久しぶりにセレナ様に会える……どれだけこの日を待ちわびたか!」
恍惚の表情で廊下を歩くリリィ。
更にその横には呆れたように笑みを浮かべる男。
「リリィ、君は相変わらず敬虔なセレナ教徒だねぇ」
「はぁ? あなた誰? 赤の他人が気安くセレナ様の名前を口に出さないで」
「いやいやいや、俺達同じ部隊だろっ、気の知れた仲だろっ」
「ああ、誰かと思えば……誰だっけ?」
「どうも初めましてローランでーっす」
そしてリリィの強烈なボケに突っ込みを入れる細身で少しチャラそうな男はローラン。ファウンドラ社の第二特殊部隊所属のエージェントだ。
「ああ、そんな奴もいたようないなかったようないなかったような」
「ここにいるだろ! ったく、セレナさん以外には全然興味がないねぇ君は」
「さんじゃない、様、でしょ?」
その徹底ぶりに降参の意を示すように首をがっくりと落とし、サイコロを象ったピアスを揺らすハリス。
「オーケイ、分かったよ。分った。セレナ様、これでいいか? っと、噂をすればセレナ様」
「お久しぶりです、ローランさん」
「こんちゃ~っす。お元気そうで」
「はい、あなたも」
軽く片手を上げて挨拶するローラン。
対するリリィは片膝を突いて深々と頭を下げる。
「セレナ様! お久しぶりです!」
「リリィさん。お久しぶりです。資産家の娘役、長い間お疲れ様でした」
「はい! その間もセレナ様の事をいつも想っておりました」
そんなリリィの言葉に、ローランは少しひきつった表情を浮かべて「ぶれないな」と苦笑い。
セレナはニコリとほほ笑むだけ。
「今回は私の隊員がご迷惑をおかけしました。急な変更に対応いただき感謝いたします」
「そんなっ! もったいなきお言葉です!」
「いつの時代の人なんだか……」
セレナの言う変更はディランの事だろう。
ディランは氷結の魔術師を追う手伝いをしてもらう代わりにファウンドラ社にいる。カーヤの仇を打つために。だからの今回の変更は多方面に迷惑をかけた事だろう。
「ところでリリィさん、一つ伺いたい事が」
「はい! なんなりと!」
「茜さんの事で」
「茜……ああ、あの図々しくもセレナ様の部隊に入った小娘ですね!」
「私が引き入れた茜さんに怪我を負わせたとか?」
当然、リリィと茜が一戦交えた報告はセレナの耳に入っている。
そしてセレナが自分で自分の部隊に引き入れたという事実にリリィは目を丸くする。そして嫉妬と共にそんな人物にけがを負わせてしまった。いうなればセレナの所有物に傷を負わせてしまったという事に他ならないのだ。
「あ、う……その……大変……申し訳……ありませ……」
「お、大人しくなった」
意気揚々、セレナに敢えて笑顔だったリリィは何処へやら。
その変貌にローランは口に手を当てて笑いを堪えている。
「部隊員同士での争いは御法度です。御存じありませんでしたか?」
「……いえ、知ってます。ただ……その……実力を確かめようと思い……」
気づけばリリィは頭を地面に擦りつけ「申し訳ありません!」と叫んでいた。
「お、でた。土下座。日和の国で学んできたのかい?」
「うるさい、コロスワヨ」
「ユルシテ」
リリィのあまりの気迫に押され、両手を上げて降参するローラン。
それにセレナは溜息だ。
「無事だったから良かったですが今後はお気を付けください」
「は、はい! 今後はこのような事のないよう――」
「もし次、茜さんに手を出したら、私があなたを」
その先をセレナはリリィの耳元に顔を近づけて囁いた。誰にも聞こえぬように。
みるみるうちに変貌していくリリィの表情がセレナの囁きの恐ろしさを物語っている。その後リリィは小さく「はい」と生気の無い返事をするのだった。
「それで、リリィさん。もう隠し事はありませんよね」
「は、はい! 私がセレナ様に隠し事なんてっ」
ディランの個人的な理由による急な変更により、リリィは引継ぎの資料をセレナに送ったのだ。だが今回、ミッシェルの父親から発覚した出し物というワード。更にリリィは御法度である部隊員同士の争いまでするくらいには茜を憎んでいる。それはセレナの部隊にすんなり入ってしまったから。
だからその資料に茜が不利になるような細工をしても不思議ではないのだ。
「例えば、私に送った資料に抜けがあるなんてことは?」
「はい! もちろ――」
と、ここでリリィは固まってしまう。
なにか思い当たる節があるのだろう。
「え? もろち?」
いつも強気なリリィを責められるからか、ここぞとばかりにローランが茶々を入れてくる。
当のリリィはそんな茶々など気にも留めず、ただ固まったまま。だがその額からは大量の汗が滝のように流れてきている。
「リリィさん? 先程も言った通り、ここで嘘をつくような事があれば私があなたを――」
「も、も、もろち……わた、私がそのようなことを」
「あ・り・ま・せ・ん・よ・ね」
泳ぎに泳いだリリィの目が白目を向いたかと思うと、その額がまたしても地面にくっ付いていたのだった。
「土下座って便利だねぇ~」
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