「茜ちゃんは大丈夫みたいね」
「いやいや、少年達は大丈夫なの?」
「いつもあんな感じだから」
折り重なった少年の上に女王様の如く鎮座する茜を見て唯は笑ってそう言うだけ。
そしてその後ろから一人の女性が声を掛けてくる。
「やるじゃないあの子。あの三馬鹿を手玉に取るなんて」
「あ、クララさん」
「え?」
雪花が振り向くと自分よりも背の高い女性が孤児院の柱に腕をかけて笑っている。
唯にクララさんと呼ばれる女性はクルクルの茶髪。そのボリュームを抑える為なのか、頭にはとてもカラフルな極彩色のバンダナを巻いている。
「おや、その子も唯の友達かい?」
とは、目下の雪花を認めて。
見たところ四十代半ばといった所だろうか。
頬は少しコケていて日々の苦労を描くように皺が刻まれている。口調はとても砕けていて茜よりも男らしいかもしれない。
「うん」
「お、お久しぶりですっ、覚えてないかもしれませんが雪花です」
雪花は慌てて向き直り、頭を少し下げてあいさつをする。
雪花は昔ながらの唯の友達なのだ。以前何度か遊びに来たことがある。
それにクララは困ったように頬を掻いて愛想笑い。
「あ、ああ、ゆっこちゃんね。覚えてる覚えてる、本当に」
と、雪花の存在は頭の中からすっぽりと抜け落ちているようだ。
四年以上前の事だ。覚えている方が不自然だろう。
そこにすかさず唯が笑いながらクララのお腹に突っ込みの平手を入れる。
「ゆっこじゃなくて雪花だよ。クララさんたらっ」
「うっ、そうそうそれそれ。まあゆっくりしていきな。子供達と遊んでもいいし、てか遊んでくれ、あの体力無尽蔵の可愛らしい化物達と」
子供達を化物と呼ぶクララ。
子供達を預かる親のような存在がその言い草はどうか、と雪花は思う。
だが実際、子供達の体力は底を知らない。だから大人の体から見れば確かに化物に見えるのだろう。
「それであっちの青い髪の子が茜ちゃんだよ」
「成程、あの子が唯を助けてくれた女の子ね。可愛い顔してる割に気が強そうじゃない」
女王様のような茜を見てクララは言う。
唯が茜の事を話したのだろう。いじめっ子から自分を助けてくれた事を。
「それより唯、夕飯のカレー作るから手伝……って友達来てるんだったわ」
クララはよれよれのチェックのシャツにエプロン姿だ。料理をしていたのだろう。
デニムのズボンは元々なのか、それとも自然になのか、所々穴が開いている。
「じゃああの三馬鹿共でも使って――」
「あ、私が手伝います!」
そこで意外にも雪花がカレーの手伝いに名乗りを上げる。
「へ? 手伝ってくれんの? 嬉しいけど、折角遊びに来てくれたのに」
「いいの雪花?」
「うん。急に押しかけて来たのはこっちだし。それに私……子供苦手なのよ。あと、唯の事だからクララさんにだけ働かせて私の相手してられないでしょ?」
「でも……」
唯は戸惑いながらクララを見る。客である雪花に働いてもらうのは忍びないのだろう。
かといって唯と雪花が楽しく話している間クララは働いている。それで安穏としていられる程、唯は無神経ではない。
「うちは万年人手不足でね。雪花ちゃんさえよければ、よろしく頼むよ」
クララは自分から手伝いを買って出る雪花を快く受け入れるようだ。
「は、はい!」
「じゃあジャガイモ五十個剥いてくれる?」
「五十!?」
「あいつらたくさん食うからね、これでも足りないくらいさ」
雪花は唯達と孤児院の調理場へ連れて行かれるのだった。
その様子を茜が見送ってうんうんと頷いている。
その下には文字通り、茜の尻に敷かれた少年達が。折り重なったまま、茜に自分の名前を売り込み終えたところ。
「あ、あの茜様」
そして茜の事は様を付けて呼ぶことにしたようだ。
これは茜が強制したのではない。少年達の内から自然に出た敬称だ。
「ん? 何だテルマツ」
「あ、俺はガイです……あの、さっきから何だか独り言話してませんか?」
茜に自分の名前を売り込み損ねたガイが先程とは違い丁寧な言葉遣いで茜に話しかける。
「ふふん、秘密」
「そ、そうですか。そんな茜様も可愛いです」
「じゃあ今度は普通にサッカーしようぜ。お前ボールな」
「喜んで!」
「……冗談だよ」
その頃、雪花はジャガイモ五十個の皮をひたすら剥いていた。
その横ではクララがニンジンの皮を手際よく向いている。
唯はと言えば昼に使った食器を洗ったり、洗濯物を干したりと他の場所で家事を行っているようだ。
昼食からまだそんなに時間が経っていないにもかかわらず、今から夕食の用意をしなければいけないとは何ともハードワークだ。
その間、子供達の世話や見張りもしなければいけない。子供達と遊んでやっている茜はクララ達にとって助かる存在なのだろう。
「何だかぼろぼろですね」
雪花はジャガイモの皮を剥きながら孤児院の内側から壁や天井、調理道具などを見てみる。
天井には穴が開き、そこからは蜘蛛の巣が見えている。
壁は所々剥がれ落ち、段ボールやガムテープで補修された跡が目立つ。
「修繕費が無くてね」
「孤児院って補助金が出たりしてないんですか?」
「出てたよ。でも一年くらい前からかな、なぜか打ち切られてね。私の貯金もすっからかんよ。最近は託児所までやって稼がないとやってらんないし」
「そうなんですか。大変ですね」
「毎日毎日誰かは泣いてるし、悪さしたら近所からクレームくるし、子供は増えるのにスタッフは給料払えなくて全員辞めてくし」
見た限り五十人近い子供。
そのほとんどが親がいない。いたとしても赤子の頃に捨てて行方は不明だ。そんな子供を預かり育てる孤児院には通常、公的機関から補助金が出るのだが打ち切られているようだ。
託児所で稼いだ金もこの人数では焼け石に水。すぐに無くなってしまうだろう。
「収入も少ないんじゃこの人数養っていけないんじゃないですか?」
「そうだね。そろそろ限界かもね」
と、クララは笑いながらさらりと諦めるような言葉を吐く。
アルドマン孤児院が経営出来無くなればここにいる子供達は別の孤児院に連れて行かれることになるだろう。しかし一気に五十人の子供を受け入れる事が出来る孤児院はないだろう。であれば子供達はバラバラになってしまう事になる。
「せめてねぇ、物心ついた子達は一人で生きていけるまでは育ててあげないとね。離れ離れになったら可哀そうだし」
そう言うクララの手は淀みなくニンジンの皮をさらさらと剥いていく。
そしてなんの関係もない雪花の手が止まってしまった。
「それは……そうですが」
「でもまだ赤子がたまに門の前に捨てられるんだよね。まいっちまうよ」
「ええ!? まだ増えてるんですか!?」
「今年は三人はかねぇ。いや四人だっけかな。ほら、四年前の天空都市襲撃で補助金やら観光で人が増えたじゃん? それでだね多分」
天空都市襲撃で国から補助金が出て多くの人々が移住してきた。人が増えればそう言った赤子を孤児院に捨てていく親も多くなるだろう。
更に観光地となった為、多くの土地が買われていっのだ。その波に古き良き街並みは飲まれ消えてしまった。アルドマン孤児院はその波から生き残った遺物といった所だろう。
「クララさんは明るいですね」
「え? あはは、まあ無神経とも言われるけどね。でも親が笑ってないと子供達も笑えないでしょ」
「そうですね」
子供達にとってクララは親も同然。その親がずっと不機嫌で居たら外で遊んでいた子供達にも笑顔はなかっただろう。
だから雪花は迷わず同意したのだが、そこでクララの手が止まった。
「でもね、笑ってるだけじゃ腹は膨れないみたい……生きていくには食べ物がいる。でも金がない。なら盗むしかない」
「え? 万引きですか?」
「ちょっと前にね。そう思いつめてしまった馬鹿が居たんだよ……いくら綺麗ごと言ってもあいつらに犯罪させちまうならいっそ潰してしまった方が皆幸せなんじゃないかって思うんだ。最近ね」
「そんなっ」
「でもその子、自分のすきっ腹を満たす為に盗んだってんならこっぴどく叱ってやる所だったんだけどさぁ、私の好物を盗もうとしてくんだもんねぇ。これには流石のクララさんも参っちゃうよ」
そう言ってクララは困ったように笑って頭を掻く。
自分が育てた子供が自分の為に何かを盗んでくる。それは確かにいけない事。
しかしそれが自分の為だと分かって複雑な気持ちなのだろう。
クララの表情を見るに嬉しさが少しだけ勝って少しだけ照れているようにも見える。
クララは身を削って自分の貯金をはたいて子供達を育てている。それが間違っていなかったと感じる事が出来たのだから嬉しくないわけがないだろう。それが例え犯罪だとしても。
「だからアイアンクローで見逃してやったよ」
「あ、結局やったんですね……」
「ケジメはちゃんとつけないとね、あはは。でもそれで個人的に援助してくれてた人もいたんだけど打ち切られちゃったんだよね。頭痛いわ」
「え? それじゃもう持たないんじゃ?」
「そうだね。後一、二ヶ月って所かな」
「そんなっ」
「でもまあ、それまでは頑張らないとね」
そう言ってクララはまたテキパキと人参の皮を剥いていく。
そこで雪花がポツリと一言。
「クララさんはすごいですね」
と、実直な感想を述べる。
肝っ玉母ちゃんとはまさにクララの事だろう。
子供の事を自分の行動軸に据えている。更に子供が悪い事をすればしっかりと叱り、不測の事態が起こったとしても動じず笑っていられる。
そんなクララを凄い以外の言葉で形容できる言葉がない。
「私なんてまだまださ。凄いのは唯だよ」
「え?」
ここで唯の名前を出すとは意外だと、雪花はクララを見る。
肝っ玉母ちゃんのクララが唯を凄いと褒めるのはどういう訳なのか。
「あの子まだ十六だよ? 十六って言ったらやりたいことなんて山ほどあるじゃない? 化粧もしたいし、お洒落な服なんか一杯買いたいし、友達とカラオケやらボーリングやら、彼氏といちゃこらしたいざかりじゃない?」
「そ、そうですね」
「でもそれは全部お金がかかるでしょ? だからあの子バイトしてるのよ。そのお金で遊んで、ってなったらいいんだけどね」
「まさか孤児院に?」
「そう。食料買ったり備品買ったり、孤児院の為に使うのよ。雪花ちゃんだったら自分で稼いだお金どう使う?」
「私だったら……自分の為に使っちゃうかなぁ」
雪花は唯と比べ、自分が恥ずかしくなったのだろう。俯いて小さな声で正直に吐露する。
家庭の環境が違うのだから恥じる事は無いのだが、雪花はファウンドラ社で仕事をしている。そこでお金も受け取っているのだ。もちろん実家にお金を入れているわけでもなく、全て自分のお小遣いとして欲しい物を買っていた。
「ああ、いやいや、それが普通なのよ。唯にも余計な事すんなって言ってんのに聞かなくて。雪花ちゃんからも言ってやって欲しいわ。けど……それで助かってるところもあって強くも言えなくてね。情けないでしょ? あはは」
「……だから後一、二ヶ月でここを?」
「……そうさ。それでこのアルドマン孤児院は……終わり」
流石にこの一言でクララの表情は少し曇る。
だがすぐさまクララの顔は明るくなって雪花を笑顔で見据えた。
「そういえばさ、雪花ちゃん達がいじめから助けてくれんだってね」
とは登校初日の事だろう。
茜が止めて剣が追い払い、雪花は後からノコノコ出てきただけだった。
「いえ、私はノコノコ、じゃない! ……あ、何でもなくて、茜と友達が」
「あ、ああ、あの青い髪の子ね。ありがたいわ。後で抱きしめてあげよう」
「……あの、唯へのいじめって以前からあったんですか?」
「そうね、ぶたれたり体当たりされたり、色々よ」
「ええ!? 警察には?」
「証拠がないって言われて門前払い」
「そんなっ」
「唯もそんないじめに負けたくないって学校行ってたんだ。そんな時さ、いじめの写真撮っててくれた生徒が居てね。警察に証拠だって突き出してくれたんだよ。そしたらどうなったと思う?」
「え? その子もいじめられた……とか?」
いじめを止めれば次は止めた者がいじめられる。
これが一般常識だろう。だがクララの言葉はその先を行っていた。
「証拠を出したその生徒が退学処分になったのよ」
「っ!?」
これには雪花は驚きすぎて声が出なかった。
「警察は警察で証拠はでっち上げ、孤児院の子供がどうせまた暴力を振るったんだろとか言ってね。もうめちゃくちゃよ」
「嘘……まさか警察もグル?」
「だろうね。それで唯も参っちゃったんだろうなぁ……以前みたいに堂々と学校に行かなくなっちゃった」
そう言って雪花もクララも調理の手を止めてしまった。
お金の絡むところにはヤクザや役人が絡む事が多い。そしてヤクザと役人が仲良く手を組んでいる事も多いのだ。
「正義の象徴の警察がいじめを黙認するなんて……唯……」
雪花は信じられないと呟くように吐き捨てる。
唯も辛かっただろう。正義を語る警察に裏切られて。
唯の正義感が強い所に茜は惹かれたと言っていた。
だがその正義感は脆い。自分の振りかざした正義の余波が他人に被害をもたらした時、脆くもその正義感は崩れ去る。
巨大な悪には唯のような小さな正義では歯が立たないのだ。
「因みにさ、一、二ヶ月って言ったけど」
「あ、はい、お金が尽きるとかで?」
「それもあるんだけどね。唯が夢を見たらしくてね」
「夢……ですか?」
「そう。もうすぐ正義のヒーローが助けに来てくれるんだって。だから諦めないでって言われてね」
だが巨大な悪は巨大な正義によって滅ぼされる事もままある事。
「正義のヒーロー……ですか?」
「あははは、笑っちゃうでしょ? でもよく当たるんだよねあの子の夢。だからまあ後一、二ヶ月くらい待とうかなってね」
その傍らには正義の名の下に日々暗躍している組織、ファウンドラ社のトップエージェントが控えているのだから。
「雪花、御苦労様。大体分った」
茜はイヤーセットにそう言って雪花との通信を切ったのだった。
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