四年前、日和の国の桜之上市に天空都市アマデウスが襲来した。
天空都市の独自兵器、重力砲によって桜之上市のとある施設が跡形もなく破壊されてしまう。
そこへ天空人が舞い降り、桜之上市の人々は逃げ惑った。
当時十二歳だった葵光は早朝、天空人の隙をついて天空都市に忍び込み、重力砲制御施設を破壊。
その際、葵光の母も後をつけて天空都市にやって来ていたのだ。そして一足先に重力制御施設に忍び込み重力砲を止めようと画策していた。
そこへ運悪く、光が茜色の奇跡を放ち、母を巻き込んで殺してしまったのだ。
「光……」
「え? 母さん?」
どこからともなく、光を呼ぶ母の声が聞こえてくる。
「あなたは桜之上市の人達を救った。親としてこれ程あなたを誇りに思った事はないわ」
「母さん……」
母の優しくも力強い、敬意を込めた言葉。
子供として、これ以上ない誉め言葉だっただろう。茜の顔には自然に笑みがこぼれた。
母を殺してしまった自責の念がこれで報われる。
これは茜が殺してしまう前の、理想の母から作り上げた虚像だ。
「私……今はこの力で、世界の人達を救ってて――」
実の母を殺してしまった事は悔やまれるが、人々を救うための対価なのだ。
これは仕方のなかった事。母の死を無駄にしない為に懸命に生きよう。
そう決心したのも束の間だった。
「嘘よ。あなたの事を誇りに思った事なんて一度もない」
先程とは一転、冷たく硬い母の言葉が茜の言葉を遮った。
「へ?」
茜は間の抜けた顔をして、しかし張り付けた笑みはそのままで固まってしまう。
「私の事は殺して、桜之上市の人達を救って英雄気取り?」
「英雄を気取ってなんか……」
茜は張り付けた笑みを落とし、顔は影を落とす。
茜は落としたものを見つめるだけで何も言えなくなってしまう。
実際、桜之上市の人々は茜色の奇跡を誰が放ったかは知らないのだ。それは茜が誰にも話していないから。
「私を殺した力を使って世界の平和を救って正義の味方を気取ってるのよね」
「でも……力を持つ者の運命だって、昔見たヒーローは言ってたし……だからこの力は皆を守る為に使って――」
「私を守れなかったのに?」
母は茜の言葉を遮ってそんな事を問う。
ヒーローはたまに選択を迫られることがある。
少数の身近な人を守るか、その他大勢を守るかの二択を。
子供用の戦隊ものやアニメではどちらも救うことが出来るように企画されている。だが現実はそんなに上手くできてはいない。どちらかが助かればどちらかが死ぬのだ。
そして大事な人を守れなかった茜にヒーローを名乗る資格があるのか、と。
「それは……」
これは茜の生前の母の口からは出てくるはずのない言葉。
だがこれもまた茜の自責の念が作り出してしまう母の虚像なのだ。その問いに、茜は答える事が出来ない。
「よくも母さんを殺したな」
「兄貴?」
茜の自責の念は想像以上に強いらしい。
兄の虚像も作り出してしまう程に。
「俺達を、女手一つで、必死に働いて育ててくれた母さんを」
「ごめん……私、知らなくて」
「許すわけないだろ」
「……許されない事は分かってるよ……罰は受ける」
「なら、俺がお前を殺す」
光の兄が自分の首に手を伸ばす。
「茜さん」
その時、聞きなれた声が耳をついて、茜ははっと目を覚ます。
目の前には天井の木目がやっとわかるくらいの薄暗い部屋。
下には布団が敷かれ、体には軽い毛布が掛けられていた。
茜はそこで寝かされていたようだ。
茜は再度目を瞑って一つ深呼吸をする。
「夢か……」
起き上がり、額を触ると少し汗ばんでいる。悪夢にうなされての事だろう。
最近はあまり撃つことが無かった茜色の奇跡。それを撃った反動だろう。
「全く……」
毎度毎度、撃つたびにあの悪夢でうなされるのだ。悪態の一つでもつきたいだろう。
「ここは?」
茜は畳の上の布団に寝かされており、イ草のいい匂いが部屋には充満している。
そして人の顔と勘違いしそうな木目の天井。
服装は意識を失う前そのまま。今度はワイシャツ一枚だけではない。
「体は女のままか……」
茜は胸を手で持ち上げてみる。男に戻っていない事を再確認してうなだれた。
もしかしたら少女の体になったのは夢で、寝て起きたら元に戻っている。そう思ったのだろうが当てが外れたようだ。
茜が辺りを見回す。それは昔何度か訪れたことがある場所だった。
『目を覚まされたようですね』
「セレナさん? おはようございます」
先程茜の悪夢から引き戻したのはセレナの茜を呼ぶ声だった。きっと悪夢にうなされる茜の寝言をイヤーセットを通して聞いていたのだろう。
『また、例の夢ですか?』
「はい……こっぴどく呪いの言葉を浴びせられちゃいました」
そう言って笑う茜の声はどことなく元気がない。
無理もない。虚像とはいえ実の母と兄に呪いの言葉を吐かれるというのは想像以上に堪えるものだ。自らが殺してしまった人物であれば尚更。
『あまり思いつめないで下さいね。あなたのお母様は絶対にそんな事思っていません』
悪夢の内容をセレナは知っている。以前茜本人から聞いたのだ。悪夢にうなされると。
「分かってます。母は死んでいるので真意は分かりませんが」
茜もそんな事は分かっている。
だが心の何処かでそんなわだかまりがいつまでも取れないのだ。母は死んでしまっていて何を思っているのか聞けはしない。だからそのわだかまりは一生取れる事はないだろう。
だがセレナの次の一言で茜は目を丸くする。
『あなたの事を誇りに思っている』
「え? どうして……」
それは夢の中で茜が作り出した母の虚像が言った言葉だった。悪夢の事は話したが詳細に言った訳ではない。
『そう言うと思いますよ』
あっけにとられる茜にセレナはそう続けた。
セレナは茜を育ててくれた恩人だ。元気づけようとしてくれているのだろう。
驚く茜だがそんなものか、と一つ溜息をつく。
茜は「そうですね」と同意して笑うのだった。
「それで、私は今どういった状況でしょうか? ここは雪花の家に見えますけど」
『あなたが気を失って約半日ほどが過ぎたところです』
気を失った茜を剣と雪花がファウンドラ社所有のジェット機で日和の国の桜之上市に輸送したとの事だった。
桜之上市とは茜や剣、雪花達が生まれ育った場所。
目玉と言えば山の上にある桜之上神社だろうか。常に桜が咲く常桜樹という珍しい木があったのだが今は腐ってしまい何も咲いていない寂れた神社となっている。稀に遊びに行った子供達が神隠しにあったという噂から今は立ち入り禁止だ。
海に面し昔は造船業が盛んだった。
今は天空都市に襲撃された地として観光業が盛んになっている。
「その節はご迷惑をお掛けしました」
空輸の手間を取らせてしまったと、謝罪する茜。
『いえ、それは良いです……ですが、一つ分からない事が』
「何でしょう?」
『あなたは奇跡を放った後、意識を失ったという報告は今まで一度も無いのですが』
茜は男の姿の時、組織の重要施設を破壊する爆弾代わりに数回程度、奇跡を放った事がある。
男の姿でも多少の疲労はあったものの気を失う程ではなかった。
「私も初めてです……女の体になったからでしょうか? 久々という事もあって小石を飛ばすくらいの力で試してみようと思ったんですけど」
『小石……ですか?』
バドルを奇跡で吹き飛ばそうとしていた。だがその際の共鳴力の高鳴りは小石を飛ばす威力を優に超えていた。
それはセレナも間近で体験しており、自ら茜の力を散らしたほどだ。
「でも制御できなくて急に共鳴力が膨れ上がって……撃った後は立っていられなくなってあの様です」
『……今は何ともありませんか?』
「はい、寝たら治りました」
多少の体のだるさを感じつつも茜はそう言ってセレナを安心させる。
『そうですか……では、あの後の事を簡単に報告します』
セレナの説明では化け物になったバドルは完全に消滅。
剣と雪花は一緒に日和の国に送還。
クリスは一旦引き取り、事情聴取を行ってキルミア国に引き渡したとの事。
何故クリスがバドル傭兵団にいたのか、という茜の問いには呆れた答えが返って来た。
『旅行先で偶然バドル率いる傭兵団にスカウトされた為、これ幸いと入団したとの事でした』
「偶然……本職じゃなかったから容易くハニトラにひっかっかったということですね」
クリスは潜入捜査を行う諜報員ではなくキルミアの特殊部隊に配属されている軍人だ。
命令されて潜入捜査を行うのであれば相応のスキルを身に着ける必要がある。だが茜のハニートラップに簡単に引っかかっていた。訓練を受けていないだろう事は火を見るよりも明らか。だがその理由がまさか偶然の産物だったとは夢にも思わなかっただろう。
『茜さんの誘惑、可愛らしかったですよ』
セレナのそんな言葉に茜は苦笑いだ。雪花にせがまれてやっただけで本心はやりたくなかったのだから。
だがセレナはそんな雑談をする為に茜を起こしたわけではない。そして茜もその事は分かっている為、自ら切り出した。
「そういえばいくつか分からない事があります」
『なんでしょう?』
それは今回の終了した案件の報告だ。
報告といっても大体の事はイヤーセット通してセレナも分かっている。そこから導き出される情報や疑問点を報告するのが慣例となっているのだ。
「何故、飛空艇アシェットで古代の遺物を運んだんでしょうか」
茜はそこがずっと引っかかっていた。
古代の遺物から悪魔を召喚するにはフードの女の力が必要であることが分かった。
だが飛空艇アシェットで輸送などせず、フードの女が現地で古代の遺物を操作し、バドルに化け物を吸収させれば茜達に邪魔される事はなかったのだ。
『実は少し前、多額のお金が動いていました。動きを追った所、どうやら犯罪組織に支払われてようです』
「犯罪組織?」
『先日、ギャリカさんが壊滅させたシズネという犯罪集団です』
そう言えば、と茜は思い出す。
ルシャワ大学附属病院のエレベータの中でギャリカが潰した組織がそんな名前だったことを。
「それと何か関係が?」
『はい、それもまた古い遺跡が見つかって調査を行っていたようです。しかし賊が侵入し、何かが運び出された形跡があったようです』
「例の古代の遺物と同じ石板だと?」
『引き渡された後なので不明ですが、そうであればフードの女がいない事に説明がつくのでは』
一人で二つの離れた場所に同時に行けはしない。
シズネという組織が盗み出した古代の遺物を先に処理し、後日、バドル達が盗み出した古代の遺跡を処理するつもりだったのだろう。そして少しでも時間のロスを無くす為、飛空艇で空輸していた。
だが茜達に襲撃され、釣りだされ、悪魔もバドルも失ってしまった。
顛末としてはこんな所だろう。
「また一匹、あんなのが生まれているかもしれない、という事ですね」
バドルが憑かれた悪魔の力は想像を絶する強さだった。それを差し置いて先に処理しなければならない事象は同等か、それ以上の何かでなければならない。
「因みにシズネ壊滅の依頼を出したのは?」
『老会の方々です』
「え?」
ここで茜は何かが頭につっかえたような気がした。
飛空艇アシェットで空輸されていた古代の遺物を沈める依頼も老会からだったからだ。これは偶然だろうか、と。
「その古代の遺物関連の調査をファウンドラ社がした形跡は?」
『ありません』
「ない?」
セレナにはファウンドラ社で依頼される全ての情報が入ってくる。
セレナ達のような裏で暗躍する部隊にとって情報は命と言っても過言ではない。
通常ファウンドラ社が自分で依頼を出す場合は事前にその情報を掴んでおく必要がある。わざわざトップエージェントの茜達が古代の遺物を追って飛空艇に乗り込み、何もありませんでしたでは恰好がつかない。
恐らく老会はファウンドラ社以外の情報網を持っているのだろう。
情報網が他にあるとして何故それを黙っているのか、何故古代の遺物の情報を渡さないのか。
もっとも、茜達に言い渡された依頼は飛空艇を沈める事だった。だから余計な情報は渡さなくてもいいと判断したのかもしれない。
茜はしばらく黙考するが分からない。それは老会にしか分からないだろう。
『気になりますか?』
その沈黙を破ったのはセレナのそんな質問。
「気になりますね。情報源も、老害が何故あの化け物に執着しているのかも」
茜の好奇心は悪魔をも釣り上げる。
古代の遺物をバドル傭兵団が護衛していた事が府に落ちず釣りをしたくらいだ。気にならないわけがない。
『終末の悪魔』
「え?」
『石板にアズール文字で刻まれていたようです』
そんな事をセレナが言っていた事を思い出す。古代の遺物に終末の悪魔と刻まれていたと。
「アズール文字って昔、天空人に使用されていたとされる文字ですよね」
『考古学の権威であるツクモ教授からの報告ですが』
古代の遺物に終末の悪魔と刻まれた文字があり、実際にその悪魔が姿を現した。
何を持っての終末と示すかは不明だが良い兆候ではないという事だけは確かだ。
「世界で何かが起きてるのか……?」
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