茜も雪花に尋ねられたのであれば応えなければならない。時間もあまりない。
三人の視線が茜に集中する。剣は何故茜が、と不思議そうな表情。
茜は以前、トイレと称してハイジャック犯を剣に届けた功績がある。
剣は偶然だと思っているだろう。しかしその後のハイジャック犯の体をスキャンするという特異な行動に茜は少しも驚いていなかった。物怖じしない少女という印象を剣は持っているだろう。だから剣はそんな茜であればこんな状況でも、何かいい案を持っているかも知れないと考える。
現状はひっ迫していて手詰まり状態だ。剣は一般人であると信じて疑わない茜の意見に傾聴する構え。
「何かいい案があるのかい?」
そしてクリスも例外ではない。
茜の数々の常人離れした知略と剣術、そして胆力には脱帽ものなのだから。そこに美しさも併せ持つ茜の言葉を待つ。
茜は三人の視線を剣からクリス、と見返していき、最後に雪花を見る。
全く余計な事をしてくれたと茜は雪花を迷惑そうに睨みつけるが、諦めるように目を瞑り、ため息を一つ。
すると茜はころっと表情を変えた。不満げな表情は不敵な笑みに変わり、雪花を見据える。
それは茜が脱出する方法を知っていると推理した雪花を褒めるように。
こうなってしまっては茜も口を開くしかない。
「……剣はさ」
そして茜の可愛らしい桃色の唇が白い息と共にぽつりぽつりと言葉を吐きだした。
注目された第一声は剣の名前。
茜がずっと見つめていた先は剣だった。つまり脱出のカギを握っているのは剣だという事。
急に自分の名前が呼ばれ、剣は背筋を正す。
「え? ああ、何だ?」
「私を連れて脱出する時、ルイスが用意した脱出ポッドで逃げたんだろ?」
「ああ」
「じゃあその、光君……と脱出する時はどうするつもりだったんだろうなって思っただけ」
茜は自分の事を君付けで呼ぶのに少し戸惑ったのだろう。少し言い淀んで先を続けた。
雪花は少し目を瞬かせていたが今は突っ込む時ではない。クリスも脱出する時という言葉に引っかかったようだが、とりあえず流す事にしたようだ。
「それは……大型貨物室にある訓練用戦闘機で壁を破壊して脱出する手筈――」
目の前には部外者のクリスも一般人の茜もいる。だがこんな状況だ。剣は言葉を続け、そして何かに気づいたのだろう。はっとして言葉を止める。
その剣の目は光明を見たように輝いていた。
「そうかっ、あの戦闘機なら脱出できる! 皆、大型貨物室へ――」
「待て待て!」
大型貨物室は一つ上のフロアだ。剣はライトを照らし進もうとするが、そこでクリスが待ったをかける。剣のいう戦闘機で脱出という所が引っかかるようだ。
「正気か!? ここは深さ六千メートルの海底だぞ!?」
戦闘機は空を飛ぶものであり、水中を泳ぐものではない。
それでどうやって深海六千メートルから脱出しようというのか。クリスには分からないのだ。バブルトンネルを通るにしても真上への飛行は速度がいるし、この狭い空間では無理だろう。
「ああ。でもあの戦闘機はエルヴェイトール型だった。最近運用が開始された機体で通称ランチャーホーク。キルミアにも導入予定の、知らないか?」
「ランチャーホーク……軍事国家ミリタニアで開発された戦闘機か。聞いたことはあるが……」
流石キルミアの軍人だ。名前だけは知っているようだ。そしてキルミアにも導入予定と聞いて眉を引くつかせるクリス。
実はランチャーホークはミリタニアからキルミアへ輸送途中だったのだ。
だが茜達は飛空艇アシェットを落とす予定。だから一機数千万ウルドもする戦闘機を、せめてもの恩情でファウンドラ社が逃走用機に指定したのだ。
クリスは現在、キルミアを離れている。その為、軍内部の動向が分からないのだろう。
そして雪花はもう何が何やら訳が分からず首を傾げるだけ。
「とにかく時間がない、一つ上のフロアへ」
「分かった」
耳を澄ましてみると水のざわめく音が近づいているのが分かる。じきにこのフロアも水没してしまうだろう。
剣は上へと続く階段に向かって走り出す。その後を雪花、茜と続きクリスが最後尾をついてくる。
「ねぇ、茜。エルヴェイ何たらって何よ?」
「ああ、それは打ち上げ式垂直離着陸機の事だよ」
「……何それ」
「つまり滑走路の要らない戦闘機の事」
「ああ、何かテレビで見た事あるかも。宙に浮くやつ」
「それのもう一つ上位版だよ」
「へー」
それでも雪花はあまりよく分からないようだった。
そんな情報をよく知っているなと、クリスが口を開く。
「茜、何故そんなことを知っているんだい?」
「世界の常識だよ?」
「そうか……世界は広いなぁ」
茜は知識として知っている程度だが一般の少女がそんな情報知っている筈がない。だが茜はもう既に一般人の枠から外されているだろう。クリスは頬を掻いて苦笑いだ。
四人は階段を駆け上がり二階に辿り着く。そして大型貨物室の前まで走り着いた。
そこには高さ二十メートルはあろう巨大な防水シャッターが聳え立ち、行く手を阻む。
「剣! 閉まってる!」
「任せろ」
雪花の泣き言を押しのけるように前に出る剣。
剣は拳を共鳴力で強化する。
先程の悪魔とは桁違いの共鳴力を拳に載せているのか、剣を中心に空気が振動し始める。
そして拳を突き出すと空気が弾ける音と爆発めいた振動が茜達の体を襲う。然るべく、六千メートルの水圧に耐える防水シャッターを破壊し吹き飛ばしたのだった。
実際にはこれ程大きい防水シャッターには重力制御が掛けられており、衝撃にはあまり強くない。それでもこの破壊力は先程バドルと対峙した時とは比較にならない程、強大だ。
先程の無数の触手を素手で弾き飛ばした時といい、剣の共鳴強化の力はとどまることを知らない。
「行くぞ!」
剣の後に茜も続く。
「もうこいつが何を壊しても驚きはしないわ……」
「……行こう」
呆れる雪花と驚くクリス。二人を尻目に茜と剣は二階大型貨物室内部へ侵入していく。
中には小型の旅客機や戦闘機が多く格納されていた。あまりの規模の大きさに、雪花は息をのむ。
「こんなのどうやって運び込むの?」
「今は閉まってるけど、外側に専用のでかい運搬口があるんだよ。そこから乗り入れたり、下から運んだり色々さ」
離着陸専用の滑走路もある。それを挟んで多数の航空機が並んでいる。
中でも戦闘機がずらりと陳列されている様は壮観だ。しかし沈んだ時に動いたのか、一部ずれや傾いて羽が折れてしまっている機体もある。
そのうちの一つの戦闘機に剣は梯子を掛ける。これは脱出用に燃料やミサイルを設定しておいた機体だ。壁をミサイルでぶち壊し、脱出する予定だったのだ。
「操縦は俺がする」
脱出する時も剣が操縦する予定だった。そして先程、茜が剣に防寒着を渡した理由の一つがこれだった。あまりの寒さにかじかんで手が思うように動かなければ操縦を誤る可能性があったからだ。流石は茜、抜け目がない。
「で、これは二人用なわけだが」
それは練習用の戦闘機。前と後ろに一つずつ座席がある。
そこで茜は剣の前に立って腕組みをしてクリスと雪花に向き直る。
「ごめんな二人とも、これ二人用なんだ」
「あはは……」
その言葉は、ここに残って死んでくれ、と言っているようなもの。
茜はこんな時でもまだ遊んでいるようだ。クリスも笑うしかない。
「あんたをどこかに縛り付ければ一人分空くわよね?」
雪花が茜に詰め寄ると手を上げて直ぐに降参したのだった。
「まあまあ、一つの席に二人ずつ座れば飛べるさ」
クリスは言うが戦闘機の座席はとても狭い。
剣は百八十センチ以上あるしクリスも剣より背が高い。更に二人とも体格が良く筋肉質だ。
であれば男女で分かれて席に着くのがベストだろう。
「じゃあ茜、僕と一緒に乗るかい?」
「まて」
クリスは茜をご所望のようだが、すぐさま剣が待ったをかける。
「何だい? 君と雪花は幼馴染だと聞いていたが?」
「操縦するのは俺だ。体は小さい方がいい」
小さい方というのは茜の事だろう。雪花と茜では一回り程、身長が違う。
当然二人で一つの座席には座れない。だから座席に座った人の膝に載せなければならない。
操縦する剣は前が見えたほうがいい。と、意地の張り合いではなく、論理的に茜を奪いに来る剣。
「そうかなぁ。あまり変わらないと思うけど」
「そんな事どうでもいいからさっさと決めて!」
苦しい抵抗をするクリス。
雪花としては茜の取り合いになどどうでもよく、さっさと決めて欲しいのだ。海水がすぐそこまで迫っているのだから。
「じゃあ茜さんに決めてもらおう」
「え? 私?」
「そうだな、どちらがいいか選べ」
男同士の醜い争いが始まった。
だがそれも仕方のない事だ。茜の外見は誰がどう見ても超絶美少女なのだから。
そんな醜い争いに流石の茜も辟易しているだろう。だからか、茜はとんでもない事を言い出した。
「私は雪花がいいんだけど、剣とクリスペアじゃダメ?」
茜はそんな事をぬかすのだ。
茜は雪花のふくよかな胸をご所望だ。そして元男だから男とはくっつきたくないのも理由の一つだろう。だがそれが仕事であれば茜はあまり気にしない。
だが茜のそんな要望をよそに、雪花は別の事を想像していた。剣の上に座るクリスを。
「絵面的に無いわぁ……」
少し気分が悪そうな表情で雪花は一言。
剣とクリスはほっと胸を撫で下ろすのだった。
茜もその組み合わせは無理だと分かっている。
そしてクリスが何と言おうと茜がどちらを選ぶかは明らかだろう。何故なら茜は剣に自分へ告白させようとしているのだから。加えて体の小さい茜が操縦する方に座る、というのは理にかなっている。
「じゃあ剣頼むぞ」
「おう」
剣と茜、クリスと雪花のペアとなった。
「私ですみませんねっ」
雪花はクリスを睨み、拗ねたように言う。どうでもいいと思っていたのだろうが、やはり雪花も年頃の女の子。少し癇に障っていたようだ。
「いや、全然……その、ごめん」
ばつが悪いクリスは平謝り。
そんなやり取りの間に剣は戦闘機に乗り上げ、着々と離陸準備を行っていた。
戦闘機外部にあるレバーを引くとコックピットを覆うガラス、キャノピーが開く。
茜達は二人一組で戦闘機に乗り込んだ。
操縦席に剣が乗り込みベルトを締める。その上に茜が乗り込んだ。まるで父親が子供を膝に乗せるように。
「変なとこ触るなよ?」
「わ、分かってる」
茜が冗談めかして言うと、顔を赤らめる剣。やはり女性に不慣れなようだ。
茜は背中を剣と密着させ可愛らしい小さなお尻を剣の膝に置いた。脚を開いて剣の膝に跨ると茜のニーハイソックスとミニスカの間から白い太ももがちらりと姿を見せる。
女性に耐性がない剣にとって、これはかなりの密着度だ。視界も良好過ぎてこのままでは運転に支障が出るかもしれない。
「そ、それよりあまり動くなよ。操縦が狂うからなっ」
剣は平常心を装い、せめてもの抵抗として剣はそんな事を言う。
「はいはい」
茜は呆れるように言うが待てよと、ふと考えた。
男女が密着するこの状況。本来であれば元男の茜は気持ち悪いの一言に尽きる。だが剣に告白させるための一歩として使える状況であると。
告白させるに至らないまでも、その前段階として、強制的なボディタッチは降ってわいたチャンスだ。剣は意識しないように感情を抑えている事だろう。そこへ意識せざるを得ない発言をしてやればイチコロだ。
「それよりこの体制」
「ん?」
「何かに似てると思わない?」
「は? 何かって……なん、だよ?」
そう言って剣が何かに気づいたように言葉に詰まり、しどろもどろになる。
男の上に女が跨り密着しているこの状況。そんな状況は一つしかない。
「もしかして……気づいた?」
更に頬を赤らめ、恥ずかしそうに茜が言うものだからより一層、剣は意識してしまう。
「なっ、こんな時に何を言ってんだよ!」
「何をって何だよ? あ、やっぱ気づいてるな?」
「いや、これはそのっ」
「やっぱ剣は変態だなぁ」
「誰がっ」
茜の誘惑に剣は必死に抵抗するがどうにもならない。
元は男とは言え、今は女。女性特有の柔らかさが剣を刺激するのだ。抗えないそんな気持ちに折れそうになる剣。
だが茜の次の言葉に、剣は真顔になってしまう。
「やっぱじいちゃんばあちゃんが孫におしっこさせる体制に似てるよな」
いっぱいいっぱいだった剣の思考はその一言で空転する。
確かに剣の膝の上に股を開いて乗っているこの体制は茜の言うように似ている。
茜は剣に勘違いさせて気持ちを高ぶらせるだけ高ぶらせて落とす作戦だったようだ。それでも劣情を掻き立てるには十分な体制ではある。
「そんな体制……俺はされたことないけどな」
「私もないからな!」
何を張り合っているのか分からないが茜は膝に座りながら体を捻って剣を睨みつける。
「あいつら、何をやってんのよ全く……」
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