剣が補習に向かって別れた後、雪花と茜は学校を出て一路ルココの家に向かって歩いていた。
「剣は補習か……もうちょっと勉強しろての」
「全くね」
「雪花は補習ないのか?」
「当たり前でしょ! 私は全部九割とれてるから」
「ふーん、意外」
「なんでよ……」
補習はテストの結果が悪かった生徒が受ける講義だ。
茜と雪花は合格し、剣は点数が及ばず補習を受ける羽目になったのだった。
「しかし剣が光に嫉妬してるとか……全部知っている身としては見る分には面白いわね」
影でその一部始終を見ていた雪花は面白がって笑う。
もちろんそんな雪花に対し、茜は煩わしそうに口を開く。
「私は面白くない。早くゲロって楽になりたいのに……この姿だと周囲の視線が鬱陶しいし、さっさと元の姿に戻りたいなぁ……しかしここまでして告白してこないとは重症だな。イノセントボーイシンドローム恐るべし」
「奥手って言ってよ。面倒くさい……でも戻っちゃうのもったいなくない? めちゃめちゃ可愛いのに」
そう言う雪花に茜はきっと睨みつける。
茜は誰がどう見ても美少女。男は皆、茜に一目惚れし、女は茜の容姿に憧れる。だがそれで中身が男の茜が優越感を得られることはないだろう。
茜の睨みに雪花はさっと顔を背けて逃げる。からかいと本気が入り混じる雪花の言動に茜はやれやれとため息をつく。
「まあいいさ、この姿なら知り合いに気を使われる心配もないし、夏は唯を誘って海にでも繰り出すかな~」
茜はこの姿を満喫するつもりだ。そして好意を寄せている唯と夏を楽しむつもりなのだった。
唯は現在ホテル住まい。食事も出るし子供達の世話係も戻ってきたようだった。前の孤児院にいた時ほどの忙しさはないだろう。
そんなウキウキしている茜に雪花は一言。
「泳げないくせに」
「うっ、そうだった」
茜は少女の姿になって以来何故か泳げなくなっている。
「じゃあ山だな。山でバーベキュー」
「えー、山は虫がいるし、あんた川で溺れるわよ」
「どうして溺れる前提なんだよ。助けろよ。あっ、ていうか私が溺れた時、お前助けに来なかったよな!」
「だって濡れるのやだし」
「そんな理由かよ! 友達の命を救えるなら安いものだろ」
「うーん、天秤が」
「天秤が?」
「天秤がどちらにも傾かない」
「その天秤壊れてるぞ」
二人は寮の前を通り過ぎ、例の茜が海に落ちたふ頭へ続く道を曲がって海岸沿いを歩いていく。
「そういや、ルココはなんの用だろうな」
「え? 聞いてないの?」
「ああ、家に来てくれってだけしか」
「ふーん……用件を伝えない呼び出し……伝えたらあんたが来ないって事よねぇ」
「珍しく頭使ったなぁ」
「……あんたなにか気に障る事でも言ったんじゃないの? 今みたいにっ」
「うーん、雪花以外にはちゃんとしてるつもりなんだけどなぁ……はっ、まさか」
「え? なになに? なんて言ったの? それとあとでちょっと殴るから覚悟しておいて?」
「下着選ぶ時に面白がってエッチなやつを指さしたらそれ選んでたなぁ、困り顔で。顔も赤くして。でも買うの私だから店員さんから変な目で見られて私が恥ずかしかったんだよなぁ」
つい先日、茜はバンカー王国で一時的に男の姿に戻った。その際、ルココに借りた青いパンツを駄目にしてしまったのだ。だからその罪滅ぼしにと、一緒に下着を買いに行ったのだった。
「馬鹿じゃないの? 男って皆そうよね」
「そう言えば、お前さっき授業で男の事を知ってるような話ししてたけど、股間を見るだけじゃ男の事なんてわからないからな?」
「は、はぁ!? 仕方ないでしょ! 実戦経験が、す、少ないのよ!」
「少ないじゃなくて無い、だろ。一度でも経験してたら分かるもんな!」
「あ、あんただって無いじゃない!」
「無いけど知識はある。女がなにを求めているかとかな。ファウンドラ育成プログラムで習った」
「え? 男がじゃなく?」
「は?」
「あ、もうあんたが女だと思ってしゃべってちゃってたわ」
「このっ」
この姿でも女だと思われることに抵抗があるのだろう。既に逃げる雪花を茜が追う。
そうこうしているとついにルココの家に着いた。
「でか」
「でかいわね」
それは家、というよりも屋敷だった。白く高い塀で囲まれており、所々に監視カメラが設置されている。
やがて二人は門の前に。だがインターホンは無く、御用聞きのボタンもない。あるのは茜達の行く手を阻む鉄細工の装飾が施された鉄格子の門だけ。
「誰も出てこないわね。どうする?」
「そりゃあ友達の家に来たらすることは一つだろ」
「え?」
その一瞬、雪花は嫌な予感がよぎる。
だがもう遅い。茜は両の手で筒を作って口に当てる。
「あんたまさか――」
「るーこっこちゃーん! あっそびっまっしょおおお!」
茜は屋敷の大きさに比例するように力の限り大きな声で叫んだ。
雪花は恥ずかしいのか辺りをきょろきょろと見回して人がいないか確認する。
幸いなことにふ頭からこっち、誰ともすれ違うことはなかった。そもそもこのあたりには家もない。時折、使用されていない倉庫が姿を現すくらいだったのだ。周囲に人はいない。
そして意外な事にすぐ返事が返って来た。
「はーあーいー!」
と茜に合わせ、おどけた文句。だがその声の主は男。そして聞いた事のある声だった。
それは茜達の背後にいた。
黒髪と優しそうな緑色の瞳を持つ青年。夏であるにも関わらず、黒いスーツを纏っている。
「お、フォンさん」
「お待ちしておりました茜様。どうぞ」
フォンがそう言うと鉄格子の門がひとりでにゆっくりと開く。
「お久しぶりです」
「お久しぶりです。雪花様もどうぞ」
呼ばれていない雪花も取り合えず中に通される。
その屋敷の外観は赤いレンガ造りのややレトロな造り。だが中に入ってしまえば床は全面白い大理石で覆われていた。ロビーには誰もおらず、数組の机と椅子が。
「申し訳ないのですが、雪花様はここでお待ちください」
「あ、はい」
元々雪花は呼ばれていなかった。更に要件を伝えずに茜を呼び出したのだからあまり口外されたくない事なのだろう。
フォンは何か飲み物とお菓子を運ばせると言い捨て、雪花を残し茜と二人で更に奥へ歩いていった。
廊下に設置された等間隔の窓からは西日が斜めに突き刺さり、少々薄暗い。
そしてフォンの表情も少し暗く、冴えない。
何か面倒事か、と茜は不安になるがそこへフォンの確定的な一言。
「茜様……先に謝っておきます。申し訳ありません」
「……帰っていい?」
茜の言葉に苦笑いを浮かべるフォンだが少し遅かったようだ。
「茜、来たわね」
廊下の突き当り。陽の光から隠れた闇より、ルココがぬっと姿を現したのだ。
「よぉっ、約束通り来てやったぞ」
その声を聴いて安心したのかフォンは音もなく姿を消した。
「それで? なにかややこしい事でも?」
「……あなた以前、何でも言うこと聞くって言ったわよね」
「え? ああ、言ったけど、カフェに行って終わったよな?」
「でもあなた不満げだったし、欲しい事は他に取っておけって言ったじゃない」
茜は思い出す。獄道ジュリナに屋上へ追いつめられ、そこをルココに助けてもらったことを。そのお返しとして何でも言うこと聞くぞと軽く約束してしまった事を。
ルココは一度目、茜と友達になりたいと言ったが断られ、二度目は一緒にカフェをしたいと言って叶いはしたが簡単すぎる願いに、茜のプライドが許さず受け入れられなかったのだ。
「うん……言ったな」
「でしょ? それでお願いがあるのよ」
茜は完全に忘れていたのだが、人助けは嫌いではない。
だから茜は胸を張る。
「おうっ、なんでも言ってみろ」
「そう、良かった。じゃあ私に話しを合わせて欲しいの。あなたなら出来るでしょ? なにせファウンドラ社の特別な何か、なんでしょ?」
「……誰にも言うなよ?」
「いいわ。じゃあ靴を脱いで入って」
そう言ってルココが手をかけるのはドアノブではなく窪み。そこにあったのは木製の引き戸だった。
ここは日和の国で、引き戸はよく使われている。しかしこのレンガ造りの屋敷には少し似つかわしくない。
ルココが開くとそこは多くの照明で照らされ、全面畳み張りの道場のような場所だった。
「お爺様、連れてまいりました」
「うむ」
奥には道着を纏ったお爺様と呼ばれる老人。更にその奥には白いすべすべの肌を露出した大きな流木が。
茜はバンカー王国で財宝の手がかりを探していた時、ルココが流木を拾ってきたことを思い出す。そして役たたーずとして砂浜に皆で正座した事を。
「ふっ」
「ん? なに?」
「いや、なんでも」
茜はその事を思い出してつい笑ってしまう。
そしてこの状況から推察するにその老人はルココが流木が価値あるものだと信じさせた人物であることは間違いない。
その流木とは違い、老人の肌はシワシワで背丈も茜と同じか少し高いくらいしかない。
茜たちは老人の前へ歩き横に並ぶ。
「して、ルココよ。ワシに合わせたいという人物はその娘か?」
「はい」
茜は「茅穂月茜です」と軽く会釈する。続けてルココが一泊置いて開く口からはとんでもない言葉が飛び出してきた。
「この人が今お付き合いしている私の彼氏です」
ルココは手の平を上に。そしてその動作が指し示す人物は茜以外にない。
「ん?」
「ん?」
茜は一瞬自分の正体がバレたのかとぱっとルココを見る。
老人は彼氏と言われた人物が女である事に違和感を覚えルココを見る。
「へ?」
「へ?」
そして茜はバレるはずがないと考え直し、これは一体どういうことか、と老人を見る。
老人もルココのいう事が理解できず茜を見据える。
「ええええ!?」
「なんじゃとおおおおお!?」
二人の理解できない感情が爆発した瞬間だった。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!