「メインホールで何するの?」
茜と雪花は船の二階にあるメインホールに来ていた。
テレビが複数設置されており、それを見ながら酒を飲んだりアイスを食べたりして暇をつぶしている人々が見て取れる。
簡易なバーもあり、そこには五人が掛けれるカウンターがあった。
「じゃああのバーに座っている大男いるだろ」
「筋肉ムキムキの?」
背の高い大男。癖のある、少し長めの金髪を撫で上げたような髪型。青い瞳の先にはバーに備え付けられたテレビがある。
黒い半袖のTシャツから見える腕は剥き出しになっており、隆起がよくわかる程に鍛えられている事が分かる。
「そう他の席は空いているのに、肥大化した筋肉を怖がって隣に誰も座ってない。そこに座るしかない状況だ。今行っても怪しまれないだろう」
「うん」
見ればバーカウンターの前に椅子が五つ。端三つはグループだろう若い男女が腰掛けている。その横に一つ席を空けて例の男。椅子と椅子の感覚はそれなりに距離があるものの男の体格がいい為、狭く見えてしまう。
そして茜は雪花にとんでもない事を支持するのだった。
「隣に座って、あの男の情報を何でもいいから聞き出してこい」
「ええ!? いきなり!?」
「そう。当たって砕けろだ」
「私は砕けたくない!」
「どんな手を使ってもいい。お前なら胸がでかいからハニートラップで」
「ぶつわよ!?」
雪花は茜の胸倉を掴んでビンタの姿勢だ。
「ま、まあまあ、私が助言してやるから」
トントンと茜は耳の通信機を叩いてウィンクする。
「な?」
「聞き出すだけ?」
「聞き出すだけだ」
「………分かったわよ。やってやろうじゃない」
雪花はおもむろに男の隣に座る。男と逆側に座る男がちらりと雪花を目だけで追うがどちらもすぐに視線をもどす。
「あ、アイスティー下さい」
「承知しました」
バーテンダーに注文すると、雪花は例の男に話しかける。
「あ、あの」
「え?」
男はバーの向こうにある備え付けのテレビを見ていて今気づいた様に雪花に顔を向ける。
「何?」
「いえ、その……いい天気ですね」
さもありなんといった話しかけ方。
雪花は恥ずかしそうに少しうつむいてカウンターの上に置いた自分の手をもじもじさせながら言う。
「ん? ええと……」
現在の位置はフェリー内部であり、雪花の位置では窓から海は見えるもものの天気が分からない。
男の口元には笑みがこぼれているが、眉根を細め困ったような表情。
「ここからじゃ見えないけど……」
「そ、そうですよね」
照れて顔を赤くする雪花。
男は鼻を鳴らして笑い、逆ナンだと思ったのか雪花を表情を伺っている。次の雪花の出方を見ているのだろう。
そんな雪花を見かねて、すかさず茜から通信が入る。
『馬鹿、何聞いてんだよ!』
「だ、だって何話せばいいか分からないんだもん!」
雪花は男から顔を背けて小声で反論した。
顔を背けられたからか男は首を傾げて手元に置いてあった黒い飲料、コーヒーを一口飲む。
『いつまで顔を背けてんだよ! 男見ろ男! そして話す事なんてくらでもあるだろ! 筋肉すごいとか! それに乗じてボディタッチとか! ハニトラ応用編で習っただろ!』
「だから習ってないって! ……でも分かったわ」
雪花は意を決してもう一度男に向き直る。
「あ、お兄さん筋肉すごいですね!」
「え? ああ、ありがとう」
茜の提案をそのまま鵜呑みにして筋肉を褒める雪花。更に雪花の手はもう筋肉に向かっている。
「さ、さわ……触ってもいいですか!?」
「え? ええと……どうぞ」
男は若干顔を引きつらせながら、腕を差し出す。それに雪花は今だといわんばかりに両手で鷲掴みにした。
「おわっ!?」
そんな雪花の行動に腕をびくつかせてしまう男。
雪花も雪花で白い肌が真っ赤に染まり目も泳ぎまくっている。
陰から見守っている茜は顔を両手で覆ってしまった。雪花も恥ずかしいだろうがそれを見ている茜も恥ずかしくて目も当てられなかったのだろう。
横に座っている男女三人組も会話を止めてその様子を見守っている。
それでも雪花は何か言わなければ、と口を開く。
「お、大きいですね……」
「ああ、まあね。鍛えているから……も、もういいかな?」
「はっ」
雪花は未だに男の腕を掴んでいる事に気が付いてぱっと放す。
「最近の女の子は積極的だね」
「あ、あはは……そう、そうなんですよ!」
その雪花の言葉を皮切りに沈黙がその場を支配する。
更に雪花の顔が更に赤くなり、額には汗が滲んできた
この状況は何だと言われればまさに地獄と言っても過言ではないだろう。
沈黙の独裁体制にいたたまれなくなったのか、雪花はおもむろに立ち上がる。
「し、失礼しました!」
雪花は大きな声で男に謝罪し頭を下げた。
男と、その横にいた三人組、更にはバーのマスターも一様に驚き、雪花が視線を独り占めだ。
注目の的の雪花はその視線から逃れるように素早く走り去り、その場を後にしたのだった。
「よう色男、アイスティーをサービスだ」
「あはは……どうも」
バーのマスターが行き場のないアイスティーを男に提供し、その場は終わったのだった。
「あの子は一体、何だったんだろ?」
「さあ、筋肉マニアじゃないかな」
雪花は全力疾走で茜の前に逃げ帰り、膝を抑えて肩で息をする。そして息も絶え絶えに、右手でピースサインを作り、茜に向けた。
茜は笑顔を作り、雪花の人差し指を右手で、薬指を左手で掴んでへし折った。
「いたたたたた」
「何やってんの……おまえ?」
「情報収集よっ」
「……何か分かったか?」
「腕が太いということが……分かりました」
「他には?」
しばらくの沈黙の後、雪花の口から潔く「無いです」と降参の降参の意が示された。
茜が雪花の二本の指の角度が百八十度に達しようとした時。
「イタイイタイイタイ! だって! だって!! 仕方ないじゃない! いきなりだもん! 分からないもん! 戦地に行って治療くらいしかしたことないもん! ナンパもされたことないんだもん!」
雪花の言い分も最もだった。
雪花は自分の能力を生かして医師団にくっついて戦地を訪れ、治療の修行を行っていたのだ。日常で起こるような異性との俗っぽい会話などあまりしたことが無かったのだ。
「もう少し何とかなると思ったんだけどなぁ」
茜はため息交じりに「先が思いやられる」と呟いた。
茜はもしこの先、ハニートラップを仕掛けるのであれば心も体も女である雪花にやってもらいたかったのだろう。だがポンコツ過ぎて話にならなかった。
「そんな事言うならあんたが行ってきなさいよ!」
「え? やだよ」
「は?」
予想外に軽く拒否された雪花は目が点だ。
信じられないと茜を見つめていると茜は口を尖らせて言う。
「だって女装してハニトラの練習とかさせられたのトラウマだし。剣は筋肉すごいから無理だって言われてやらされなかったし、あと剣の奴、女装した私の事見て笑ってたし」
剣と二人でコンビを組んでいたなら、どちらかが女性に変装出来た方がいい。となれば必然的に体の線が細い光となるのだろう。
だが雪花はあれだけ恥ずかしい想いをしてハニートラップを仕掛けたのだ。その指示役である茜に何が何でもやらせたいだろう。
雪花は茜の小さな頭を鷲掴みにして力を込める。
「やれ」
「はい」
更に雪花が睨みを聞かせると、茜は快く引き受けたのだった。
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