しゃがみ込むフードの男は手を床から放し、肩と黒い剣越しに大吾を睨みつける。
その目は凍てつく氷のように冷たく、そして光を通した氷のように青白く輝いていた。
「どういう了見もクソもねぇよ。よくも長い間、俺をこき使ってくれやがったなぁ、氷結の」
そして大吾もしゃがみ込むフードの男を睨み返す。だがそこにフードの男が見慣れている物が無かった。
「ん? 貴様、仮面が……」
大吾の顔に装着されている筈の生命の仮面がない事に気づいたフードの男はしばし言葉を失った。外すなと厳命しておいた筈の仮面を大吾は外しているのだから当然だろう。
そして仮面を外したまま、焦りもしない大吾の様子を見てフードの男は全てを悟ったようだ。「そう言う事か」と静かに呟いて自嘲気味に笑う。
「それで? 逃げずにここに戻って何をしに来た? わざわざ退職届でも出しに来たのか?」
「十年以上お前に尽くしてやったんだ。サービス残業分を貰わねぇとなぁ」
大吾はフードの男の肩に載せた剣を振って斬りかかるがさらりと避けられる。更にフードの男は身軽に飛び退いて距離を取りった。
「ふん、命を救ってやったんだ。たかだか十年程度働いただけでチャラになると思っているのか?」
「うっ……」
確かにと、大吾は顔をしかめる。
フードの男の言う通り、十数年の労働と命は釣り合わない。天秤に掛ければ命の方へ勢い良く傾いてしまうだろう。
大吾は命を救われた。だからこそ実の子供である茜にも再開できたのだ。しかしそれを理由に枷をされ、様々な悪事に手を貸してきた。たとえ命をを救われたからと言って易々と請け負える事ではない。
しかし大吾は生命の仮面を外すと死ぬと脅され無理やり従わされていた。それを考慮すれば幾分か情状酌量の余地はあると言える。
「お前……ブラッドオーシャンっつー組織なんだって? そのやべぇ組織の手伝いを俺にさせてたらしいな」
だから大吾はその悪事を行っている組織、ブラッドオーシャンの名前を出して攻める。
するとフードの男は冷たい氷のような眼を細め、大吾を睨みつけるだけ睨みつけ、口をつぐんだ。
「だんまりか……まあ命を救ってくれたことには礼を言う。だが仮面の事を嘘ついていた事だけは許せねぇ」
「嘘など言っていない。ただ黙っていただけだ」
「お前が操ってるつってたよなぁ!?」
「知らん。忘れた」
「ちっ……屁理屈言いやがって……正直に話してりゃあ一年くらいなら大人しくついて着てやったかも知れねぇのによぉ」
「馬鹿な事を……一つ言っておくがお前の家族は――」
「知ってる。瑠衣菜は死んでんだろ?」
「ほぉ」
実のところ大吾は家族に会わせろと日々懇願していた。だから仮面の秘密を大吾が知れば命令を聞く筈がないと分かっていたのだ。だから家族の事を今口に出したのだろう。
そしてフードの男は瑠衣菜の死を知っていたようだ。教えたら大吾は仮面の秘密を明かさなくても雷地や茜の元へ行ってしまっていたに違いない。
「てか、知ってるなら教えろよ!」
「ふん。どうやって調べたかは知らないが、俺は貴様と争うつもりはない。殺されたくないのであればすぐに立ち去れ」
「へへっ、随分と及び腰じゃねぇか」
その時だった。ドクン、と心臓が波打つ音と衝撃波、そして重く、ねとねととした湿っぽい鼓動が大吾を襲う。
「な、なんだ? この気持ちわりぃ音は?」
その鼓動の方向へ大吾が視線を向ける。そこは先程フードの男が触れていた床。赤紫色に発光していた光が更に強くなっている。
そして次の瞬間、風を切って何かが飛んでくる音が。
「うぉ!?」
大吾が気づいてとっさに避ける。
それはフードの男が飛ばした手の平程の氷塊だった。外れた氷は背後の壁に激突する。信じられない事に手のひらサイズにも関わらず天空の監獄の壁を破壊し、人一人通れるくらいの穴が空いていた。
「避けたか」
「てめぇ! 姑息な事をするんじゃねぇ!」
だがその氷塊は茜達が地上で見たものよりもかなり小さい。それは大吾にも分かっている。かといってそれは避けずにいられる程の可愛い威力ではない。不意打ちで直撃されれば簡単に死んでしまう威力だ。
その手加減から大吾はあることを読み取り、そして一つ笑う。
「なにが可笑しい……」
「へへ、この悪魔がよほど恋しみたいだな」
「……何の事だか」
「なら下でやったみたいに、どでかい氷を撃ち込んで来いよ。出来ねぇんだろ?」
フードの男にとってもやはり悪魔は大事なのだろう。
潜水艇で隠れ、海底六千メートルまで奪いに来るくらいだ。破壊されたくないに決まっている。
「必要ない、貴様如きこれで十分なだけだ」
「ほぉー、ならこの光る床をぶっ壊してもいいんだな~っと」
剣を逆手に持って掲げる大吾。
すると小さな氷塊が飛んでくるが大吾は余裕で避ける。そしてニンマリと口角を思い切りあげて笑った。それはフードの男の弱点が分かったから。
「やっぱりな、お前の目的はこれなんだろ!? オラァ!」
フードの男の抵抗虚しく大吾の掲げた黒い大きな剣は地面に突き刺さった。
「ちっ」
すると床にひびが入って刃の方向へ伸びていく。更に赤紫色の光が少し弱くなった。
してやったりの表情をする大吾。だがここで異変が起きる。
「へっへっへ……やってやったぜ――ぬぉお!? なんだ!?」
大吾は必死に剣を床に押し込むが何かの抵抗にあい、押し戻されたのだ。
「まさか悪魔ってやつか!?」
大吾は剣を勢いのままに更に押し込もうとするがフードの男から無数の氷塊が飛んでくる。
大吾は剣を押し込んだままそれを避ける。時には剣を盾にして。
だが無数に飛んでくる氷塊をよけきれはしない。だから地上で剣と戦ったように腹や肩を共鳴放出で覆って氷塊を弾き返す。
「くっ、この程度ではやはり無理か」
フードの男はすぐさま体の大きさ程の氷塊を作り出す。だがその大きな氷塊は撃ち出される事は無かった。
理由はその衝撃で悪魔を召喚する陣が壊れてしまうからに他ならない。
「はっはぁっ! 往生しやがれ!」
フードの男にとってこの盤面は詰みだった。悪魔を召喚するには赤紫色に光る陣を壊す程の大技を繰り出さなければならないのだ。そうなればどの道、悪魔の召喚はできなくなる。
フードの男の作り出した氷塊は動かない。
然るべく、大吾は更に黒い剣を押し込むとやがて抵抗は無くなったのだった。
「ふぅ……」
そして一仕事終えたとフードの男にしたり顔を向ける大吾。
一方、フードの男は悪魔召喚を阻止した大吾に怒りを向けると思いきや、意外にも出現させた氷塊と共にその怒りも消えた。
フードの男の思惑は既に失敗に終わっている。やられた仕返しに大吾を始末しても何も変わらない。その労力が惜しいのだろう。
「諦めが早いな」
「貴様からこの監獄を破壊せず取り返すのは少し骨が折れる」
「その言い方だと悪魔が居なけりゃ俺を殺すなんて楽勝だって聞こえるんだが?」
「無論だ」
「あんだとぉ!?」
「退職金がわりに見逃してやる。拾った命を消す程、俺も酔狂ではない。大事に取っておけ。そしてせいぜい悪魔が逃げ出さぬよう、その剣を握っておくことだ」
長年連れ回したよしみだろうか。意外に優しい一面を見せるフードの男。
しかしいつまでも剣を握っておくわけにもいかない。だから大吾は調子に乗って聞いてみる。
「ついでに……いつまで持ってたらいい教えてくれると嬉しいんだがな?」
「調子に乗るな」
「だ、だよなぁ」
「だが教えてやる」
「教えてくれるのかよっ。おめぇ、結構優しいタイプか?」
「……お前がその陣を破壊した事で、この監獄の重力制御が乱れた。ここはもうすぐ落ちる」
「なっ!?」
「だから死にたいなら最後まで握っておけばいい。ていうか死ね」
「なんでだよっ!」
「じゃあな」
一瞬優しさを見せたフードの男だったが最後に辛辣な言葉を残し、上着のポケットから何やら細い筒状の物を取り出した。
それを握り、先端を親指で押し込むとフードの男の姿は跡形もなく消えてしまったのだった。恐らくワープ装置だろう。クリスタルを出現させたフードの女が使用していたワープ装置と同様だ。
「俺もワープ装置持ってるけどな。てかあいつが俺に渡したんじゃねぇか……」
大吾もワープ装置を持っているらしい。であればこの監獄が落ちて地面にぶつかる直前まで剣を握っておき、ワープすれば悪魔の召喚は完全に阻止できるだろう。
「おいクソ親父! なんか壁が壊れたけど!? 何してんだ!?」
「その声はクソ娘」
その時、背後から茜の声。
大吾が振り返れば昇降機で上がって来ただろう茜と雪花が駆け寄って来ていた。
「と、雪花ちゃん。ちとご主人様と別れの挨拶をしてたところだ」
「……ご主人様? クソ親父がずっとくっ付いて回ってた奴か!? どこにいる!?」
「もういねぇよ」
「ワープしたか……」
察しの言い茜はそこでフードの男の追跡が困難になった事を悟り落胆し、雪花はホッと胸を撫で下ろしたのだった。
「それより茜、これって」
「ああ、さっきの鼓動はやっぱり」
茜も雪花も飛空艇アシェットと同じ赤紫色に輝く陣を凝視する。
「悪魔はこの剣で押さえてる限り出て来れねぇみたいだ」
「え? そうなの?」
「ああ、だがこの監獄自体がもうすぐ落ちるらしいからな、直ぐに降りろ」
フードの男の言葉を伝える大吾。
大吾はワープ装置を持っているから良い。しかし茜と雪花は持っていない。雲を眼下に望める程のこの高さから落ちれば生きては降りれないだろう。
「その前に、ずっと放置したクソ親父をぶん殴る!」
「はぁ?」
茜がここに来た理由は大吾を殴る事だ。そして地面に刺さった剣を手放せない大吾は隙だらけだった。
「剣を抑えてる今なら実に殴りやすそうだなぁ、いや股間を蹴り上げるって言う手もあるな」
「くっ、姑息な事をするな! 後でいくらでもぶん殴られてやるからお前らは今すぐ降りろ!」
大吾は焦る。フードの男は落ちるとは言ったがいつ落ちるとは教えてくれなかった。予兆無く落ちるのか、それともグラグラと揺れて最終的に落ちるのかが分からない。前者の場合、茜達は死んでしまう事になるのだから。
その大吾の焦りを理解したのか、茜はにやけた顔を普通に戻す。
「……親父はどうするんだよ?」
「この剣を抜いたら出てきそうだからな、ギリギリまで抑えておく」
「抜け出す算段は?」
「ああ、ほれ、このスイッチを押せばペンダントに入っているワープ装置が起動する」
大吾は上着のポケットからフードの男が使用したものと同じ筒状のスイッチを取り出した。
更にズボンのポケットから赤いペンダントを取り出し開く。するとそこには家族全員の写真。その上に黒く平たいチップ。
このペンダントに収まるくらいの小さな黒いチップがワープ装置の本体だ。スイッチを押せばその黒いチップに一番近い人物が受信機を設置した場所まで飛ばされるのだ。
「どうしてあんたがそんな代物……まあいいや、どこにワープする?」
「さっきの焚き火の所だ」
とは茜が大吾に救出されて寝かされていた場所。大吾は荷物を置いて行った。その荷物に受信機が入っていたのだろう。
「じゃあ、また下で会おう」
「……ああ」
再会を約束する大吾に茜はそう言って見上げしばし睨むような視線を送る。
十数年ぶりにあった父と再会し別れ、また再開した。そしてすぐ後で会えるとはいえまた訪れる別れ。
こんなにドタバタしていると、まともに会話も出来ず殴れもしない。それが茜は少しもどかしいのだろう。
「ちょっと茜! なにしてるのよ! 落ちるなら早く逃げないと!」
動かない茜にしびれを切らした雪花が茜の手を握り昇降機へ引っ張っていく。
そして茜は昇降機へ。しかし視線だけは後ろ髪を引かれるように大吾へ流れていく。
「茜」
「え?」
「心配するな。俺は必ず生きて帰るからよぉ」
大吾は実の子供である茜に笑顔で手を振る。
父親なりの気遣いだろう。だが茜はその気遣いを貰うにはあまりにも心がすれていた。
「心配なんかするかっ! 落ちて死んだら埋めなくていいから楽だなって思ってただけだ!」
「分かった、分かった、雪花ちゃん。茜を頼む」
「はい!」
そう言って雪花は不満顔の茜を引っ張って昇降機で降りていった。
「全く……最後の最後まで憎まれ口叩きやがって」
言って大吾は赤いペンダントを優しく親指で擦って一つ笑う。
「でもしっかりしてるところは瑠衣菜に似てやがるなぁ」
大吾は懐かしそうに見つめ、しみじみと言い放ったのだった。
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