茜と雪花が人質として連れていかれた先はフェリーの最下層。
陸から直接車や荷物を運搬し格納する用の場所だ。目出し帽を被ったハイジャック犯達が十数人集まっている。
そして現在、その床には大きな穴が開いている。断面は切り出された岩のようにガタガタになっているのでハイジャック犯達が切り開いたのだろう。その穴にはユラユラと揺れる海面が顔をのぞかせていた。
直径十メートルはありそうな広い穴。そこに最後の仕上げとばかりに円状の金属板がはめられようとしている所だった。クレーンで上から吊るされ、ゆっくりと船底に出来た大きな穴に金属板を降ろしている。
「どうだ? もう降りれるか?」
ホールから降りてきたリーダー格の男は作業中のハイジャック犯に進捗を訪ねる。
気が付いた作業員らしきハイジャック犯が何か口を開きかけたが茜達を見て一度口を閉じる。大方名前を人質の前で言ってしまいそうになったのだろう。
「ええと、あの床板をはめれば水を抜いていつでも下に降りられます」
「下はどうなってる?」
「先行部隊からの報告では水抜き、電源復旧が終わったようです」
「わかった、残りを急げ」
「はい」
作業員はそう言って周囲の作業員に喝を入れて急がせる。
そしてついに金属板がはめられる。海の揺れでゆらゆらしていてとても人が乗れるような状況ではない。
「ねぇねぇ、船のそこに穴なんかあけて大丈夫なの?」
茜にひっしとしがみ付いている雪花が尋ねると、意外にもも二人を船底に連れてきたハイジャック犯が答えてきた。
「大丈夫、この船はもともとサルベージ用に作られた船だからね。それを持ち主がもういらないって売り払ったんだ。それが色々増設されて今のフェリーなっただけさ」
「へ、へ~」
「あまり怖がらなくてもいいよ。終わったらすぐ開放されるから」
「そ、そうなんですねっ」
そんな優しいハイジャック犯の言葉にさっきまでひきつった表情が幾分改善される。
「何だかこの人優しいね」
「なーにびびってんだか」
茜は横目に雪花を見て呆れてそう言った。
そんな心無い一言に、雪花は茜の頬を掴んで引っ張って対抗したのだった。
そうこうしている間に大きなモーター音とともにまるで大量の水が落ちる滝のような音が鳴り響いて船が揺れる。そしてわずか数秒後。
「水抜き完了しました。バブルエレベータいつでも使用できます」
作業員の一言に、他の作業員もほっと一安心だ。
傍にある荷物にもたれたり床に座り込んだりしている。ハイジャックされて二時間程たっただろう。その間ずっとバブルトンネルを作り続けていたのだから無理もない。
「御苦労」
水が抜かれた穴を見てみると、先程ユラユラ揺れていた円状の床板はそのまま宙に浮いている。
これはバブルリングとリンクしているバブルエレベータだ。バブルリングの内側の重力制御によって昇降する。
「よっと」
バブルエレベータに作業員が一人飛び乗ったが揺れ一つ起きない。
雪花と茜がバブルエレベータとハイジャック犯が空けた穴との境目を見る。
「見てみろ雪花、下が見えない」
「怖っ……」
円柱状に穴が開いており、海の底へ続いている。六千メートルあるという事なので遠すぎて先が見えない。
「よし、皆乗り込め」
まずリーダー格の男が乗り込み、続いて茜と足取りの重い雪花、最後に人質の見張りをしていた数十人のハイジャック犯達が乗り込んだ。
その後、沈没船で使用する機材であろう物が次々に手渡されていく。雪花は茜にしがみついて小刻みに震えながら不安そうにその作業を見守っている。
茜は背丈の関係で雪花の大きな胸を頭に押し付けられている。表情は緩んでご満悦だった。
「よし積み終わったな。じゃあ降ろせ」
「はい!」
リーダー格の男の合図で作業員が操作端末であろう物をタップするとバブルエレベータが下降し始めた。
床板は全く傾くことなく動作しぐんぐんと海中を下降していく。等間隔に浮かんでいるバブルリングが最初は五秒に一回だったのが一秒で二個のリングを通り過ぎていくようになった。
まるで落ちていくような速度だ。周囲を泳ぐ魚などゆっくり鑑賞している暇などないくらいに。水が抜かれ抵抗は少ないのだか当然と言えば当然と言える。
あっという間に光が届かなくなり、灯りは床に仕掛けられたライトとバブルリングに取り付けられている気持ち程度の頼りない光だけ。
「何だか暗いね……」
薄暗い中、エレベータは不気味なほどにスムーズに、そして静かに下降していく。
「海獣とかいないかなぁ」
茜は目を爛々と輝かせてキョロキョロしているが暗くて全く何も見えない。
「ふう、全く海中ってのはぞっとしないな」
リーダー格の男がそうぼやいた直後だった。信じられない事にリーダー格の男は人質がいるにもかかわらず目出し帽を取ったのだ。
男は目出し帽で乱れた髪を撫でつけて整える。
茜が見やるとその顔には見覚えがあった。
リーダー格の男の名はダニア=グレイマン。バドル率いる傭兵団の副団長だ。黒髪に眼光鋭い目元が特徴。
以前セレナにバドルの写真を送った後、実はバドル傭兵団の情報が茜に届いていた。
それによると副団長であるダニアは元マフィアの幹部であり、多くの敵対組織を潰し、一般人にまで手を掛ける、有能だが凶悪な犯罪者という経歴だった。どういう経緯かは分からないが現在はバドル傭兵団に所属している。
飛空艇アシェットには乗り込んでいなかったので何かあった時の為、保険として置いておいたのだろう。
「全くですね」
ダニアが目出し帽を脱ぐと、それにつられて他のハイジャック犯達も次々に目出し帽を脱ぎ始めたのだ。
「あの、人質がいるのに取って大丈夫ですか?」
そういったのは雪花に優しく接してくれていたハイジャック犯だ。
「何だお前、新人か? 良いんだよ。別にお前も脱いでいいぞ。俺はこれを被ると痒くてな」
カラカラとそのハイジャック犯は笑い、顔を手で撫でる。
人質がいる前で目出し帽を取るという事はつまり、茜達を生かして返すつもりがないという事を示唆している。
更に不味い事に、この中には剣もいてハイジャック犯に変装している。
変装しているとはいえスキャンしたのは覆面の上からで下の顔は作成していない為脱ぐことも出来ない。
現に剣は目出し帽を脱ぐ素振りすら見せていない。
「何だ、お前は脱がないのか?」
「あ、ああ俺は……だって人質が」
そんな風に尋ねられて雪花に優しいハイジャック犯はしどろもどろになっている。
「ねぇねぇ、これ剣やばいんじゃない?」
雪花が小声で茜に問う。雪花は剣の心配はするものの、目出し帽を取った事についてはまだ理解していないらしい。
「ああ、かなりやばい」
「ええ!? どうすんのよ」
「戦闘になる事を想定しておけよ」
「え……」
人質の前で目出し帽を脱いだ時点で茜達を生かして返すつもりが無いのだ。であれば剣がバレた時点で雪花と剣と協力しハイジャック犯を全員倒すしかなくなってしまう。
剣が動けばそれは容易だろうと茜は考える。
だが剣達はわざわざ六千メートルの深海にハイジャック犯を倒しに来ている訳ではない。古代の遺物を餌にして、大物を釣ろうとしているのだ。もしここで暴れれば大物はかからないだろう。
茜は雪花と剣を見てみるがまだハイジャック犯がマスクを外した真意を見抜けてはいないようだ。二人の鈍感さに感謝しつつ、茜は考えた。剣の目出し帽さえ何とか脱がせなければここは切り抜けられる、と。
「ちょっと会話の色を変えてみる」
「え?」
茜はそんな一言を雪花に告げ、どこかを注視し始めた。
その先には雪花に優しくしていたハイジャック犯が。
「ん? え? な、何かな?」
「どんな顔してるのかなと思って」
さほど広くはないそのバブルエレベータの上、二人のやり取りにその場の十数名のハイジャック犯達の視線が集まった。
に目出し帽を脱ぐことを促しているように聞こえるそんな言葉。
雪花はそんな茜をただ見る事しかできない。当の茜はじっと変わらず見つめるが、結局そのハイジャック犯はマスクは脱がなかった。代わりにこうつぶやくのだった。
「……内緒」
と。
その言葉を聞いた瞬間、他のハイジャック犯達がどっと笑いだした。
「なんだそりゃ、内緒って」
「シャイかよ」
「人質が美少女だからって、スカしてんじゃねぇぞ」
「もしかして気に入られたんじゃねぇの?」
「羨ましい奴め」
仲間に笑われてもそのハイジャック犯は頑なにマスクを脱がなかった。
「人質がいる前で脱げませんって」
からかわれながらも、そう言い返す。新人のハイジャック犯はいじられ役にうってつけなのだろう。
と、そんな中、一人のハイジャック犯がその新人の肩に腕をかけてそっと耳打ちした。
「それは人質が無事に帰る前提の話だろ? 何で副団長があんな美人な子達を連れてきたと思ってんだ?」
下卑た笑いを浮かべて、そう吐き捨てた。そして分かるだろう、と言わんばかりに新人の肩をポンポンと叩いたのだった。
「そんなっ」
振り向いた時にはそのハイジャック犯は欠伸をして荷物の方へ歩いていく。
「ま、好きにすりゃいいがよ。下は寒いらしいしな」
今、季節は夏だ。緯度も低く、赤道に近いため皆薄着だった。
雪花や茜も半袖だ。防弾防刃ではあるが寒さに強い訳ではない。
そのハイジャック犯はごそごそと積み込んだ荷物から防寒着を取り出した。そしてハイジャック犯全員に投げ渡してやる。
「冷蔵庫状態らしい、低体温症で死にたくなけりゃ着ておきな。ああ、もちろんマスクは外さなくていい。なんてったって」
そして雪花に優しい、新人のハイジャック犯だけには丁寧に手で渡した。人質分もまとめて三着分。そして一言。
「お前はシャイだからな」
そう新人を馬鹿にしてハイジャック犯達はゲラゲラと笑っている。
「ん? 何だお前も外さないのか?」
見ればその質問を受けているのは他のハイジャック犯だ。ちらほらとまだマスクを被っているもの達がいる。
「俺は……シャイなんだよ」
そのハイジャック犯は本当にシャイなのか、防寒着を羽織る茜をちらりと見る。元工作員である茜はそのハイジャック犯の視線にすぐさま反応し目と目が合う。
「あ」
茜と目が合うと、そのハイジャック犯は視線を逸らし目を泳がせる。本当にただ単に恥ずかしがり屋なだけだろう。
「んで、お前もシャイなのか?」
とは剣への質問だった。
雪花と茜の視線がそこへ誘導される。
「俺は寒がりだ」
「何だそりゃ」
剣も問われるが寒がりにしておくようだ。
どうやら茜の一言から話の流れが変わり目出し帽を取らなくて済んだようだ。雪花と茜はほっとして胸をなでおろす。
「ふう、何とか成功したな」
「え? 見つめてただけで?」
茜は喉を鳴らして笑い得意げに言う。
「ふふん。関係性・場所・ケース、それらを踏まえた人心掌握術だ。ファウンドラ育成プログラムの――」
「受けてない!」
新人の男と他のハイジャック犯との関係性、そしてこの閉鎖された密室に近い場所ではすぐに会話は聞き取られ伝染する。
そして美少女が人質にされており、新人はマスクを脱ぎたくないというこの状況に茜の視線は話を変えうる、うってつけの分岐点となったのだ。
「ま、あれは出来過ぎだけどな」
その時、耳に装着した通信機からセレナの声が聞こえてきた。
『人質の皆さん・並びにハイジャック犯に扮した剣君、報告です』
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