四人は枯れた水路をひた走る。四方をコンクリートで固められた水路をこんこんと打ち鳴らして。
中は暗い。だが時折天井から漏れてくる光があり、進めない程ではなかった。
暑さでだろう、水は枯れているが独特のにおいが鼻を突く。
「嫌な臭いね……」
「そりゃな」
そんな汚らしい水路をお嬢様であるルココもついてくる。誘われたからと言って簡単についてくるとは思わなかった茜。
だからルココが無理していないか、顔色を伺う茜。
悪臭で顔を歪ませてはいるが引き返す様子はない。
それにルココが気づく。
「意外そうね」
「意外だよ」
その茜の言葉にルココは何故か得意げになる。
「ふふん。もう私はやりたい事をやるって決めたのよ。私は変わったのよ!」
「無理するなよな」
死を間近に感じ、生を知ると良くも悪くも人は変わるものだ。
だがそれに茜は少し困り顔だ。ルココについてこられるとまずい事情があった。
「それより……あなた名前は?」
ルココが尋ねるのはルークの姉の名前。まだ聞いておらず、話しかけようにもあなたでは分かり辛い。
「私はキリカ、十四歳です。この子は四つしたの弟のルーク」
キリカは走りながら答える。
「そう、キリカ。広場に残っている人達はいいの?」
「大丈夫!」
キリカは自信満々に応える。
だがルココにはその自信の根拠が良く分からず首を傾げた。ギカ族に手を貸したのなら咎められるのではないかと。
「ギカ族がその場にいないんだから罪を追求しようがないだろ?」
だから茜が答えてやる。
ギカ族は働いてはいけない。だが今、広場にいるのはディアン族だけ。問題はない筈だ。
「それより、いつもここを使って抜け出してるのか?」
「やばい時はね。警官は水路は汚いって入りたがらないし。それに捕まえたら捕まえたで面倒とか言って見逃してくれる事もあるよ」
「なんか適当だな」
「十年前までは一緒に暮らしてたんだし、そんな程度でいきなり逮捕はないかな」
その言葉で広場に残った演奏者達の言葉に納得がいく。彼らは言っていた。仲が悪いのは王族だけだと。
ギカ族を迫害する者も少しは居るだろう。だが王族が紛争を起こして入れ替わったのは十年前。年長者程ギカ族と対立はしていないのだろう。
その時、茜が何かに気づく。
「ちょっと止まれ!」
「え?」
キリカが振り返るのとほぼ同時。角から黒い影がぬっと出てくる。
「きゃっ」
「よし! 捕まえた!」
先頭を走るキリカの短い悲鳴。
そして喜びを隠し切れない男の声。
「ちょっと! 放してよ!」
角から出てきた男はキリカを捕まえて片腕に抱え、右手から何かを取り出し暴れるキリカに突き付ける。
光の加減でキラリと光るそれはナイフ。
「大人しくしな! 死にたくなかっ――」
だがその時、青い閃光が走る。
そしてコンクリートの床に、カランと乾いた金属音とドサリと響く鈍い音。
「へ?」
見れば男の右手は切り落とされ、ナイフも地に落ちていた。
止まったルークの後ろから茜は走り込み、青桜刀を出現させて男の腕を斬り落としたのだ。
「う、うわああ! 俺の手があああ!」
手を切り落とされたショックで男はキリカを放り出す。
落ちたキリカはルークの元へ。
更に茜は男を足裏で蹴って仰向けにし、逆に青桜刀を首に突き付けた。
「何者だ!?」
「ひっ」
茜の青桜刀に怯える男。
見れば金髪に白い肌。ディアン族でもギカ族でもない。
服装もこの暑さにもかかわらず、長袖長ズボン。現地に居着いた人間でもないだろう。更に腰には拳銃を装備していた。
「まさか、こいつら……」
茜の予想が正しければすぐにでもルココと別れなければならない。
そしてすぐさま茜は周辺を共鳴力で探る。
「もう二人、前と後ろから来る!」
「そのようね。後ろは任せて」
足音でだろうか、それとも共鳴力で感知したからだろうかルココも人の気配に気づいたようだ。
ルココは手に剣を出現させる。それは茜と戦った時に使用した棒ではなく、突きに特化したレイピアだった。
「銃を持ってるかもしれない! ルココ下がってろ!」
「馬鹿言わないで、誘拐犯くらい余裕よ!」
「危険すぎ――」
その時、前から男が茜達に向かって突っ込んでくる。
「いたぞ!」
「ちっ!」
相手が子供だと油断したのか。男は真っ直ぐに突っ込んでくる。
茜は青桜刀の性質を利用してその側頭部に峰内の一撃を叩き込んでやった。
雪花でも持ち上がらない程の青桜刀の一撃に男は目を白黒させて壁に打ち付けられる。
問題は後ろにいるルココだ。
一般人を危険な目に会わせるわけにはいかない。今度こそ執事のフォンに怒られるかもしれない。
「下がれるこ――」
「一丁上りよ」
ルココの前の男は足や腕、肩をレイピアで打ち抜かれ、うめき声を上げて倒れていた。
「やるぅ」
茜と棒で互角の勝負をしていたルココ。そしてその男もルココを甘く見たのだろう。銃は抜いていない。
茜は倒した男から拳銃を抜き取った。黒塗りの9ミリの拳銃だ。
「キリカ!」
そして茜はキリカを呼んだ。
「は、はい!」
「出口は!?」
「こっちです!」
キリカはルークの手を引いて茜の前を走る。
それに茜とルココもついて走る。
その茜をルークは見上げてきた。
男を二人も戦闘不能にした茜。しかも一人は手を斬り落としたのだ。さぞや怖がっているだろうと思って茜は苦笑いを見せようとしたのだが、どうやら違ったようだ。
「か、かっこいい……」
ルークはそう呟きながら手を引かれて危うくこけそうになっていた。
「逞しいな……」
そう言って茜はやはり苦笑いをするのだった。
「あれが出口です!」
正面には淵を覆い尽くすような光の塊。
茜は共鳴力で周辺を探るが正面には怪しい気配はない。
「よし! 急げ!」
茜達がその光の塊に飛び込むと、そこは既に街の外。
畑や川、舗装されていない道が見えるのどかな風景になった。
「茜……さんでしたよね?」
キリカが茜に少しビクつきながら尋ねる。
茜の強さを見たからだろう。しかしその表情はルークと同じ尊敬の眼差し。
「そうだよ」
「あそこにサミーがいます!」
「サミー?」
キリカが指さす方向には一台のタクシーが。
ギカ族はバンカー王国の中心には住む事が出来ない。だから少し離れた島の東にある町に住んでいる。
そこへは四十キロ程離れており、歩いてここに通うのは無理だ。だから車で送ってもらったのだろう。
「ようキリカ。アイスクリームは食えたかい」
キリカがタクシーに駆け寄ると外で煙草を吸っていた白髪の男が声を掛けてくる。恐らくそのタクシーの運転手だろう。
「今はそれどころじゃないの! 今すぐ出してサミー!」
「お、おう?」
ものすごい剣幕で迫るキリカにサミーは直ぐに運転席に乗り込んだ。
そしてキリカが助手席に、ルークが後部座席。そして
「おいっ、ルココ! お前は降りろ!」
「どうして?」
ルークの奥には既にルココが乗り込んでいた。だからルークを挟んで茜はルココの肩を掴む。
「追われているのは恐らくこの子達だ。だからお前は逃げる必要がない。ここで降りろ」
茜はそう言ってルココを降ろそうとする。
茜は追ってきた男達の正体が分かっていた。犯罪集団であるキックスの手下達だという事が。
この島にはギカ族とディアン族がいる。そしてディアン族とツクモが合同で遺跡を発掘していた。
その合同で得た情報を犯罪集団のキックスに奪われた。だがそれでも宝が見つからないとすればもう一つの種族、ギカ族から情報を得ようとするのは自明の理。
「あなたはどうするのよ?」
「私は……キリカ達を守る」
「じゃあ私も守るわ」
「なんでだよっ! 危険すぎる! お前は何も関係がないんだから!」
「あら、あなたも関係無い筈よ? なのに彼らを助けているわ。私はあなたと友達なの。だから彼らを助けるあなたを助ける為に私は乗るの」
茜は宝探しという任を受けて動いている。
そして実は広場でキリカ達と出会ったのも偶然ではない。事前に調べていたのだ。ギカ族の二人が広場に来ることを。
これは宝が見つからない場合の作戦だった。キックスと同様に、茜達もギカ族に接近し情報を得ようと思っていたのだ。
茜は剣達に置いて行かれてしまった。だから茜は先んじてギカ族の二人に接触した。そこで騒ぎが起きた為、それに便乗して助けようとしたらルココに止められ、更に仮面の男に先を越されてしまった。
一旦間を置いて、再度訪れればキリカ達が居た。そしてルココの提案にこれ幸いと便乗し今に至るのだ。
だが誤算だったのは犯罪集団が既にギカ族を狙っていた事と、ルココが付いて来てしまった事。
「なら私はお前と友達を――」
ルココが茜との友達の関係を理由に危険に飛び込むというのであれば縁を切ればいい。ルココが危険な目に会うよりはマシだ。
茜がそう言いかけた時、ルココの目が潤む。
「友達を……なに?」
茜はまだ何も言っていないのにルココの目に涙が貯まり、そして溢れ零れだしてくる。
ルークはそんな二人に挟まれて茜とルココを交互に見るだけ。まだ十歳の少年にはどうしたらいいか分からないだろう。
「……いや、そのぉ」
ルココは友達の関係に只ならぬ執着を持っている。
金のしがらみから放たれた関係を持つ茜とは縁を切りたくはないだろう。
茜もそう簡単に友達関係を切りたくはない。だがこのままではルココが危険な目に会ってしまうのだから心を鬼にして縁を切るべきだ。
ただルココの涙が茜の決心を鈍らせる。茜の罪悪感に訴えかけるその涙に。
「な、なにも泣く事ないだろ?」
酷い言葉をかけて危険から突き放す。よくある物語のスパイスだ。
だがそのスパイスは茜にとっては辛すぎた様子。むせて、肝心な言葉を口に出す事が出来ない。
その時、車の屋根から足音が。
「安心してください、茜様」
「え?」
「お嬢様は私が守ります」
茜は開け放たれた窓から上にいるフォンに疑問を呈す。
「あんたは護衛対象を危険に晒して平気なのか!?」
「いいえ、ですが先程の茜様の行動に比べると微々たるもの」
とはパラシュート無しでのスカイダイビングの事だろう。
「あれは別に……そんなに危険ではないだろ?」
「いえいえ、あれに比べれば――」
そんな言い争いをしていると後ろから黒塗りの車が迫って来るのが見えた。
「茜様、どうやらもう時間切れのようです」
「出してサミー!」
「あいよ!」
キリカが言うとサミーはアクセルを踏むのだった。
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