ビリビリと空気を震わせる程の抑えきれぬ殺気が茜と雪花を襲う。
茜にとってディランはところ構わず煙草を吸いまくる、臭くて憎まれ口を叩く口煩いおっさんだった。だがその腕は信頼はしているし価値観も会う所はあった。どちらかと言えば飄々とした振る舞いで本気で怒ることなどあまりなかったのだ。
そのディランがこうも殺気を剥き出しに、更に口に出す事に茜は違和感を覚える。
「そ、それはまずいんじゃないですか? その人からブラッドオーシャンの情報を聞き出した方が……」
そこにおずおずと、茜の腕をとってしがみ付く雪花が正論を口にする。
茜もそう思っていた為、口を開かず、ディランに注視するにとどまった。
ディランを見ればどこか遠くを睨みつけているような視線。
「いや、あいつは俺が殺す。誰にも邪魔は――」
その殺気から雪花が更に茜の背後に隠れようとした所でディランは我に返るように顔をあげ、視線を茜に向ける。
「なんてな、これは冗談――」
「なるほどな」
また、へらへらと笑おうとするディランの表情を固めて止める茜。
「急遽、お前がこのヘイブン島攻略に参画したのは氷結の魔術師と浅からぬ因縁があるってわけだ」
と、茜が真っ直ぐにまだ幾分か殺気を孕んだディランを見据えそんな事を言い放つ。
茜がリリィと交代する事は先程話した事由で理解できる。だが現在、ディランがダリオ=ウォーカー扮する既存のエージェントと交代する理由がないのだ。しかし、先程のディランの言葉と殺気で何故この異例の事態になったのか、分かり過ぎる程に分かる。
「……まあな」
言って、ここまで口走ってしまった自分を悔いるように額に手をやるディラン。
茜は目ざとい、言い訳を探すにはもう遅いだろう。
「そしてこの可愛らしい容姿を使ってその因縁にけりをつけたい。だから私に下手に出てると」
その茜の言い回しは自分をただの道具としてとしか見ていない発言。そこを肯定すれば茜への心象は悪く、下手をすれば協力しないと言い出すだろう。
長い沈黙の後、ディランの口から出た言葉は
「そうだ」
だった。
真正面から茜の言葉を受け取って正直に答えた。
それに対する茜の答えは
「断る」
だった。
雪花は怒り出すのではないかと目だけをきょろきょろとさせて茜とディランを交互に見る。
そのディランは面倒くさそうに溜息をつくだけ。
「ただし、お前がどうしてそんなに氷結の魔術師にこだわるのか、話してくれたら考え直さなくもない」
お断り発言の直後、茜は腕を組んで不敵に笑う。まるでチャンスをお前に与えるとでも言わんばかりに。
茜は見た目ほどディランを嫌ってはいないだろうが煩わしくは思っているだろう。だからそのディランに無条件で協力なんてしたくない、という体裁を保ちたい。そんなところだろう。
そして何より茜は好奇心旺盛だ。そのディランの事情と命を懸けた任務とを天秤にかけて情報を引き出すつもりなのだ。
しかしディランも言いたくない事はある。
「それは……プライベートな事だ」
上司にあれこれ聞かれる部下が使う言い訳のような物言い。一般の会社ではその言い訳は成り立つだろう。だが今茜達が身を置いている場所はそんな倫理観は存在しない。
だから茜はつい笑ってしまう。「冗談だろ?」と。
だがディランの反応は冷たい。
「お前には関係ない事だ」
と突っぱねる。
それならばと、茜も出るとこに出るしかなくなってしまう。
肩をすくめ、鼻で息を吐き「そっか」と軽い言葉。
「残念だ。私も他人のプライベートに口を挟むほど、おせっかいじゃないし、手を貸してやる義理ももない」
茜は立ち上がり、丸見えになっている胸の前に垂れたブラウス同士を胸の前で結び隠す。この任務を遂行しないのであればこれ以上、ここにいる意味はないという事だろう。
氷結の魔術師にこだわる理由がプライベートな事で立ち入るなというのであれば茜は手を貸さないという事だ。
「私は降りる」
「え? でもこの電車終点まで止まらないよ? 途中下車出来ないし……まさか飛び降りるの?」
「この依頼から降りるって言ってんだよ! 場合によってはそれもありだが」
茜は軽く伸びをし、体をほぐす。
「今ならそんなに進んでない。飛び降りて引き返せば明日の昼頃には着く。唐揚げもまだ食えるぞ~」
「そ、それはそうだけど」
ちらり、と雪花はディランを見る。
その直後だった。
「契約だ」
とディランはポツリ。
伸びをする茜は横目に見て「なんですかー、声がちっさくて聞こえませーん」と挑発してくる。
「……俺はこの隊に入る時にセレナと契約した。氷結の魔術師を殺す事。それが出来るなら入ってやるってな」
茜の挑発にも声を荒げず、淡々とディランはそう言った。
これが急遽ディランがダリオ役に取って代わった理由だろう。
バンカー王国の件で氷結の魔術師の存在が発覚しグラント社の息子の結婚式に出席する事が判明した。だからディランの契約を守る為、ディランをダリオ役に。そして結婚式当日まで氷結の魔術師は来ない。だからその日まで残れるよう、茜の容姿が必要になった。
だが、まだ肝心な事が聞けていない。
「で? どうしてお前は氷結の魔術師に執着する?」
茜の問いにディランはまた沈黙する。
よほど話たくないのだろう。話す相手が年下であまり仲があまり宜しくない関係性の茜。
気持ちは分からないでもない、とそこに雪花が助け舟を出す。
「……あ、茜っ、そんな人のプライベートをほじくり出さなくてもっ」
「そうか? 私達は今、命のやり取りをする危険な船に乗っている。そしてその舵はこいつが握ってんだ」
茜は指をディランに向けて、その眼前に突き出した。
「どこに進むかも分からない、下手をすれば死地に追い込まれるかもしれない危険な船だ。なのにその舵を取る奴の事情がまるっきり分からない。お前はそんな船に乗ってられるのか? こっちは慈善事業じゃないって話だ」
「誰も話さないとは言ってないだろ。早とちりすんな」
事情を話すのであれば茜も黙って聞いてやろうとストレッチを止めて座る。しかし言い方が気に入らなかったのかいささか乱暴に。
「あと煙草を――」
「駄目だ。くさい」
「……ちっ」
横暴な茜の意見にしかめっ面をしながらディランは立ち上がる。
いい加減愛想が尽きたと部屋を出て行くのかと思いきや、部屋に備え付けの冷蔵庫から茶色いガラス製のボトルを引き抜いて栓を開けコップに注ぐ。
酒だろう。飲まなければやってられない話のようだ。
一杯酒を煽り、ディランはぽつりぽつりとゆっくり話し始める。
「あれは俺がまだ駆け出しの頃だ。貧乏生活を抜け出したくてな一発あてようと賞金稼ぎをしていた。それで運よく、大物賞金首を捕まえて一躍有名になってニュースになって……浮かれて騒いでた青二才だった。その賞金で仲間を雇い、情報を買い、また大物を捕まえて最高潮に浮かれていた時だ。そいつを引き渡す為に車で街に戻る途中、俺は煙草を吸いに一人外に出ていた。そして戻ってみたらそこはもぬけの殻」
「それって裏切られたって事ですか?」
「ああ、街に戻っても賞金は換金された後。仲間だった奴らの影も形もなかった」
「ひどっ」
「それでどうして煙草をまだ吸っているのか疑問だけどな」
「煙草は関係ないだろ」
「あるだろ。ていうかまさか、それが氷結の魔術師ってわけじゃないだろうな?」
茜が心配になり、そんな質問をする。
仲間に裏切られた恨みはあるだろう。再会したら殴り倒すくらいはするだろうが先程の鋭い殺気の説明にはなっていない。
果たして、ディランは首を振る。
「そんなんじゃねぇ。俺は結構な額をその情報と仲間につぎ込んでいてな……金がなければ情報も買えねぇ。俺は金欠になり、その日暮らしの生活。そんな生活が一ヵ月程続いた時だった」
「一ヵ月も……」
「もう限界だった。いっそ盗人にでもなろうかと思った時、そいつに出会った」
「まさかその人が氷結の魔術師だったんですか!?」
今度は雪花がはやる気持ちを抑えきれず尋ねる。
それにディランは辟易したようにため息をつき、軽く雪花を睨みつけた。
「……お前ら、人の話を最後まで聞けよ」
と、ディランは面倒くさそうに言って酒を注いでチビっと口を付ける。
「そいつは年端もいかないガキだった。名前はカーヤ。だがそのちっせぇ手には似つかわしくないくらいの札束が握られていた。驚いたことにそれを俺に差し出してきやがる。震える手でな。当時の俺は若気の至りか、最初は金持ちの娘が気まぐれに施しでもしてるのかと思って睨みつけて追い返そうとしたもんだ。だがカーヤはつっぱね、逆に俺を睨みつけて来てな、最終的には強引に札束を俺の胸に押し当てて来やがった。聞けばそれは施しではなく頼み事。雪山にも咲く小さな花を探すっていうな」
「雪花か」
「私かぁ」
そんな茶々を入れられながらもディランは舌打ちを繰り出し、話は続く。
「どうやらカーヤはニュースで俺を見たようでな。その俺を丁度見かけて依頼して来たらしい。花を見つけるだけで三万ウルドも貰えるならと、俺も渋々を装って飛びついたわけだ」
「渋々を装って飛びつく」という独特な言い回しに茜が無表情で鼻から息を出す。笑いを堪えているのだろう。
そしてディランがいうにはその花は極寒の特殊な環境下でしか育たず、市場には出回っていなかった。だから雪山に採取しにいったのだがカーヤも着いてくると言い出したのだという。
「俺は危ないから待っとけと断ったが口約束の依頼だ。心配だからと無理やり付いて着てな」
「で? 見つかったのか?」
「ああ、わざわざ咲いてるっつう標高の高い雪山に登ってな、周りが何も見えないくらいの猛吹雪の中、そいつは咲いてやがった」
「私が……咲いてた」
「……だがその時、俺達は大規模な雪崩に襲われた」
「ええ!?」
「まさかそれを氷結の魔術師が――」
そう茜が口を挟むとディランは黙って立ち上がり出て行こうとする。
それを雪花がディランの腕を掴んで止めた。
「ちょ、ディランさんまだ話は終わってないですよ! 茜! 茜!! あんたも止めて! そして謝って!」
「ごめんなさい。あとお前も謝るんだよ?」
「なんでよ!?」
「私が……咲いてた!? みたいに言って遊んでただろ」
「遊んでなんかないわよ! ねぇ、ディランさん!?」
「……」
「ごめんなさいっ!?」
二人の説得に、ディランは渋々と戻り、不服そうにどかりとソファに座り直す。
「でだ、雪崩に襲われ俺達は死にかけた。たかだか二十年程度、貧乏生活を送っただけの、クソみたいな人生だったと思えばすっぱり諦めもつくってもんだが、俺の背後にはカーヤがいた……小さいながらに大金握りしめて、怖いだろうに見ず知らずの大人に話しかけて、あまつさえ花を取って来いとねだってきやがるガキが。カモられても不思議じゃない生意気なガキがな……だがカーヤは金の無くなった俺に仕事を恵んでくれた恩人でもある。だからカーヤだけでも守ってやりたい。そう思った直後だった。俺の頭に誰かが囁いてきた」
「囁く? 走馬灯ではなく?」
「ああ。走馬灯というにはあまりにも……情景もクソもない。ただの言葉だ……」
「……で、なんて言葉だよ?」
そこでディランは黙ってしまう。そして茜と雪花をちらりと見て一言「笑うなよ?」と釘を刺して来る。
雪花は良いとしても笑いの沸点が低い茜にとってその刺した釘の穴はもうガバガバだろう。
「笑う訳ないだろ? お前がこれだけ真剣に話してるんだ。私だって空気ぐらい読める」
と、そんな事を言い放つ茜。
それならリリィの時に話したアイドルの感想も空気読んで発言しろ、と思わなくもない雪花である。
そんな言葉を言われたらディランも言わざるを得ない。一つ目を瞑り深呼吸、そして目を開くとほぼ同時に口を開く。
「力が欲しいか、その力を持って誰を守りたいかって囁いて来やがった」
その時、鼻から空気が抜けた音がしたのは意外にも茜ではなく雪花だった。
そして茜はと言えば少し同情するような表情で口を開く。
「俺つええ小説でも読んだのか?」
「俺は本は読まねえよ」
「じゃあアニメでも――」
「見てもねぇよ!」
「あのさディラン……執筆中の話は別に聞きたくは――」
「書いてもねぇんだよ! だから嫌だったんだよ! お前らに話すのはよ!」
「あ、私も入ってる」
「笑うなって言うのに笑うからだろ。見ろ、拗ねちゃったじゃん」
赤面しているのか、顔を両手で押さえうずくまるディラン。
雪花はどうするのと視線を茜に向けてくる。茜はお前が笑うからだろと非難がましい視線で応戦する。
だがそれでは何も事態は進行しない。
だから茜は決心したように息を吐き、ぱっと顔を明るくする。
「それでそれで? 願ったんだよな? 力が欲しいってその子を守りたいって! 続きを聞かせてくれよ! ディラン! なぁなぁ!」
まるで話の続きをせがむ子供のように、茜はディランに迫り肩を揺さぶった。激しく、ディランの頭が跳ね上がるくらいに。
そのディランの表情は力なく、どこか諦めたような表情。
「まあな……思ったっつーより願った。カーヤを助けるだけの力が欲しいと……」
「うんうん! それで!? その後どうなったんだよ! 続きをはよぉ!」
「その直後、誰かの記憶か何かが頭に入って来た。そしたら今まで気配の感知くらいしか出来なかった共鳴放出の使い方が沁み込んだ……釣ったらいいのか……共鳴放出で雪崩を吹き飛ばす事が出来た。達人級だった共鳴強化も今じゃ化物級だ」
ディランの話はまるで創作のそれ。
だが今まで犯罪者達を多く葬って来た茜にはその真偽が分かる。犯罪者の浅ましい弁明とは似て非なるものに聞こえていたのだ。ディランは嘘をついてなどいない。
「へー、そんな事もあるんだな」
「笑うなら笑え」
だから茜は頷いて、そんなディランの言葉も軽く流し笑顔を見せる。
「笑わないさ。そんな事で笑うのは雪花だけだ」
先程我慢しきれずに笑ってしまった雪花。「わ、私は別に笑ってなんか!」と慌てて弁明するも、ディランは酒をチビっと飲むだけ。
「だけどまだ肝心の氷結の魔術師が出てこないけど?」
「……ああ、まあ慌てるな。その花を持って街に戻ると、どでかい屋敷に連れて行かれてな。だがそこは慌ただしく人が多く出入りしていた。どうやらカーヤのじいさんがもうすぐ死ぬっていうんで遺産相続争いの真っただ中だったんだろう。屋敷の中にはじいさんのガキであろう奴らが大勢いた。でもカーヤの両親はそこにはいなくてな、まさかとは思ったが聞けば両親は最近車の事故にあって他界。カーヤは奇跡的に助かったらしい」
「それって……まさか」
「ああ、骨肉の争いって奴だ。資産家の間じゃそう珍しい話でもない。じいさんはカーヤの両親に全て譲ると話していたらしいからな。ガキ共は気が気じゃなかっただろう。だがカーヤの両親が死んで、次はまだ幼いカーヤに遺産を全て譲ると言い出しやがったらしい。そのカーヤが居なくなって大騒ぎだったみたいだがカーヤは帰って来た。俺を連れてな。突き刺さる視線を貰いながら俺とカーヤはベッドに寝かされている死にかけのじいさんの所に案内された。そこでカーヤは採って来た花をじいさんに渡して……笑ってた。それはじいさん夫婦の思い出の花だとかなんとか。その後もカーヤは興奮気味に雪山に行った事をじいさんに話していたな。俺はその横で飯を食ってた」
「飯なんか食ってたのかよ。話に入ってやれよ」
「雪山からどこにも寄らず帰って来たから腹が減ってたんだよ。カーヤが早く渡したいってな。それに二人の間を邪魔するのも悪いだろ」
「意外と優しいんですね」
「もっと金よこせとか言い出すのかと思ったな」
「お前ら……俺を一体何だと思ってやがる」
「煙草臭いクソヤロー」
「JK拉致監禁口悪粗暴おじさん」
ディランは腕を組んで鼻で息を吐く。
「最近のJKは懐刀でも隠し持ってんのか? 人の心を抉ってきやがる」
「で? その口が臭くて性格のどぎついクソヤローはそのまま飯食って帰りましたって?」
「お前程性格は悪くねぇよ。あと口が臭いは悪口でしかねぇ」
「でも煙草の臭いしますよ?」
「……でだ、そのじいさんとカーヤが話し終わった時だ」
「あ、話逸らした」
「気にしてんだ。放っておいてやれ」
「……いつの間にかカーヤは寝てしまってな。そのカーヤの話を聞いてじいさんは俺にとんでもない事を言いだしやがった」
「とんでもない事?」
「俺にカーヤの執事兼護衛を頼むと」
「おお! 意外と優しいから!?」
「まあ……な、俺の行動を見ての判断だろう」
ディランであればカーヤから大金を奪うのは簡単な事。それをしなかったという事で信用されたのだろう。そして雪崩を吹き飛ばす強さとカーヤを送り届ける誠実さを評価されたに違いない。
「それで受けたんですよね? 執事兼護衛」
「いや、そんな権力争いに巻き込まれたくねぇって断った」
「ええ? そのままじゃ、カーヤさん殺されちゃうんじゃ!?」
「ああ、だからカーヤを死なせたくなけりゃ相続を他の子供に譲れって一言言って俺はその屋敷を出た」
「なるほど」
「だが、俺がその屋敷を出た直後だった。目を覚ましたカーヤが俺を追っかけてきやがってな。その時、カーヤに向かって一台の車が突っ込んで来やがった」
「え、ヤバ」
「当たる寸前で……いやちょっと当たったかもしれないが、なんとかその車を吹っ飛ばして助けたんだがカーヤは気を失っていた。俺は頭に来てな、轢き殺そうとした運転手を引きずり出して誰に命令されたのかを尋問したんだ。大方遺産相続争いの連中かと思ったが違った」
「え? 誰だったんですか?」
「じいさんだった」
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