光と茜の差分

裏組織のトップエージェントが超絶美少女になって世界を救う
天澤清二朗
天澤清二朗

第166話 ~謝罪と贖罪~

公開日時: 2024年2月7日(水) 08:00
文字数:4,472

「光!?」


 なぜ下に降りたはずの茜がまた上に登って来たのか、大吾は分からなかった。


「おっ? 親父。その様子だとドッキリ成功だな」


 茜は歯を見せて笑う。驚く大吾を見て。

 そんな危機感のない茜を大吾は睨みつけ怒鳴る。


「馬鹿野郎! なんで来たんだ!?」

「昇降機で。でもここに着く直前で止まっちゃって、しかも落ち始めてさぁ、焦った焦った。だからとっさにショットナイフで上がって来たんだよ」


 茜はそう言ってカラカラと笑う。

 

「移動方法を聞いてんじゃねぇよ! おめぇ、ここが今どんな状況か分かってんのか!?」


 大吾は焦る。

 なぜなら今、手元にワープ装置がないからだ。更に昇降機も動かない。今二人はいつ落ちてもおかしくない天空の監獄に閉じ込められているのだ。

 それを明示するように監獄は微振動を繰り返し、天井からは砂埃が落ちてきている。

 

「分かってる……分かってるからここに来たんだよっ」

「はぁ?」


 言って茜がポケットから取り出したのは大吾が落とした赤いペンダント。中にはワープに必要なチップが入っている筈だ。


「おめぇ……それ」

「これ、落ちてきた。雪花の……頭にな」


 雪花に直撃したのは小石ではなく赤いペンダントだったのだ。茜はそれを巧みに隠し、雪花を引き離して死を待つだけの大吾に会いに来たのだった。

 茜は無表情でそれを見つめ、対する大吾は目を大きく見開いている。


「そうか、おめぇが……」


 そこで大吾は長く大きな深いため息。

 そして口を開く。


「良かった」

「良かった?」

「ああ、それがおめぇに拾われててな……ほらよっ」


 大吾が言って何かを放り投げる。それは茜に向かってくるくるくると回転しながら山なりに飛んでくる筒状の物体。

 大吾が茜に投げてよこしたのはワープ装置を起動させる為の筒状のスイッチだった。茜が使えという事だろう。

 もちろん茜はそれを使うつもりだった為それをキャッチする。そして茜は大吾を見つめた。またしても表情のない顔で。


「今更、親父面するんだな」


 それは大吾が残り、茜が無事に逃げ出すという事。


「そりゃあおめぇ、俺は親父だからな。なんだ? 俺がお前から無理やりチップを奪い取るとでも思ってたのか?」

「それならやりやすかったんだけどな」


 その意味が大吾には分からなかった。だから「やりやすい?」と問い返した直後にはもう茜は歩いて大吾に近づいていた。そして


「これがなっ」

「いてぇっ」


 茜は雷地と話した事を実現した。大吾の顔面を思いっきり殴ったのだ。

 

「そんな事言われたら……拳が鈍るだろうが」


 少し照れるように俯いて、茜はそんな事を抜かす。


「ああそうかいっ……意思の鈍った、いい右ストレートだったぜ……」

 

 先程の「やりやすかった」という茜の言葉は情けも何もなく殴れるという事だったのだろう。

 だがその右ストレートになんの加減もためらいもなかった。それに大吾は苦笑いしかない。

 対する殴り終わった茜の表情といえば何かをやり遂げたようにすがすがしい表情。加えて「あースッキリした」と爽快な言葉と笑顔。

 

「さっき死亡ドッキリを仕掛けた事もこれで水に流してやるよ。これで最後だからな」

「ドッキリじゃねぇんだが……まあいいや。しかし、やっぱ縁起がいいな」

「なにが?」

「そのワンピースの柄だよ」

「ああ、クチナシの?」

「そう。確か花言葉が縁起がいいものらしい。意味は忘れたがな」

「忘れたのかよ」


 茜は呆れたように一つ笑い、大吾も済まなさそうに笑った。

 これで茜は無事に下へ降りる事が出来るだろう。だが茜の表情は浮かないものになる。


「で、お前は何しに来たんだ? まさか殴りに来ただけじゃねぇだろうな?」

「……考えてなかったな、遺言でも聞いてやろうか? 隠し財産があるならな」


 茜はそんな事を抜かし、悪戯っぽい笑顔で大吾を見る。

 これで茜と大吾は今生の別れになる事は間違いない。


「光、最後に抱きしめさせてくれないか?」


 だから大吾はそんな我儘を言う。

 何度も茜に断られた再会の抱擁、親子の抱擁を。

 しかし茜からの返答はない。見れば口を尖らせそっぽを向いている。

 

「なんだ? 嫌なのか? 嫌だっつっても俺はお前を抱きしめるからなっ」


 大吾は先程、死に直面しながら強く思っていた。茜が嫌がっても無理やりにでも抱きしめればよかったと。

 例え茜に嫌われたとしても、ここは引くことは出来ないのだ。だがもう既に大吾は茜に嫌われていたようだ。


「なんて言うか、その……気持ち悪いというか」


 だからそんな茜の抵抗など、大吾はもう意に介する事は無い。

 手を伸ばせば届くところにもじもじとしている血の繋がった子供、茜がいるのだから。


「ったくよぉ」


 大吾は強引に茜の腕を取る。


「お前、意外とシャイだろっ」


 茜の少々の抵抗。

 だがそれをものともしない大吾の剛腕と意思。


「うぁっ!?」


 口をついて出てしまう声ごと引き寄せた茜の体を強く、しかし潰さぬよう優しく抱きしめた。

 茜の細く柔らかい体に大吾の太い腕がぐっと食い込んでいく。

 

「ずっとこうしたかった。お前を、俺の子供を抱きしめてやりたかった」


 茜は少々の息苦しいだろうか。だがそれを超える程の、大吾の熱い想いが体を包み込み、味わったことのない暖かさと心地よさを感じていた。母とはまた違う、ごつごつとした父の力強さを。

 

「大きくなりやがって……どうだ? 親父との抱擁は? わるく……な……」


 茜が口走ってしまった抱きしめられたらどんな気持ちなのか、茜は今体中で味わっている事だろう。

 そう、しみじみと話す大吾から最後の言葉は消えてしまった。代わりに聞こえてくるのは鼻をすする音。

 夢にまで見た子供との再会からの抱擁なのだ。無理もない。

 恥ずかしい過去を蒸し返すなと言い返そうと思っていた茜はもう一人思い出した。自分を抱きしめた時に泣いた人物を。

 

「全く、なに泣いてんだよ……」

「な、泣いてねぇよっ」

「兄貴と同じだな。流石親子」

「そうか……」


 小刻みに揺れる監獄の中、大吾は茜を抱きしめて放さない。茜は気恥ずかしさからか、軽く大吾を抱きしめるに留まった。

 もう監獄が落ちるまで僅かな時間しかない。大吾はその時間を抱きしめたまま浪費するつもりだろう。

 しかし茜も殴る為だけに登って来たとは言ったが、他にやりたい事、というよりも言いたい事があった。

 十数年、家族を放置し、母や雷地に迷惑をかけた大吾に言いたい事は山ほどあったのだ。

 それを茜が大吾の胸の中でぽつりぽつりと吐露し始める。


「私はあんたが嫌いだ」

「ああ、分かってる」


 それを大吾は涙を滲ませながら静かに肯定する。


「あんたは母さんを苦しませたっ」

「そうだな」

「兄貴も辛い思いをしたんだっ」

「悪かった」

「でも、私も母さんを……あんたの大事な人を殺してしまった」


 そこで大吾は抱擁を解いた。

 解いた両手で茜の細い肩を掴んで視線を合わせる。

 茜は罰の悪そうな表情。俯いて影を落としている。悪戯をして捕まり、後は裁定を待つだけの子供のように。

 

「光」

 

 大吾にはもう時間がない、だから最後に茜の罪悪感だけは拭い去ってやらなければならないのだ。


「それはもういいって言っただろっ」

「いいわけねぇだろ!」


 茜は大吾の手を振りほどいて距離を取る。


「いいわけがない……謝ってもどうしようもないって事も分かってる。でもこれだけは言っておきたかった」

「ふふん……分かってねぇなおめぇは」

「なにがだよ……」

「瑠衣菜はな、お前に殺された事を絶対に恨んでなんかいない。後悔もしてねぇ。してる筈がねぇ。あいつが惚れた男の俺が言うんだ。間違いねぇよ」

「でも私の好きな人が誰かに殺されたら……私はそいつを絶対許せない」

「え? おめぇ、好きな奴がいるのか!?」

「まあね」

「まさかっ、俺を殴ったあの剣って奴か!?」

「なんでだよ……私は男だっての」

「むぅ、そうか……そうだよなっ、複雑だな」

「まあ、だからさ、恋人を殺されたあんたの気持ちもわかるよ」


 茜の気持ちも大吾は分からないでもない。

 母を殺した罪の意識は誰が何と言おうと一生消えはしないのだ。現に茜は四年間悪夢にうなされたのだから。

 しかしそこは茜の父。茜では知り得ない気持も理解していた。


「おえめぇには分からねぇよ。おめぇ子供いねぇじゃねぇか」

「むぅ……確かに」

「もうすぐ俺は瑠衣菜に、母さんに会える。あの世で一緒に暮らすからあんま気にすんなよ?」

「母さんは天国だ。あんたは会えないだろ」

「このやろっ……」


 いつまでも憎まれ口を叩く茜に大吾は迫る。

 だが茜はスイッチを前に突き出し、迫る大吾を牽制した。

 

「寄るなっ、クソ親父! 巻き込まれるだろ!」


 ワープ装置は一人用だ。

 近くに人がいるとどちらを転送するか判定できず半分ずつ運んでしまう悲惨な事件が起きたことがあった。

 だから大吾は止まらざるを得ず、茜は後退り、更に距離を取る。


「ちっ、やっぱ育て方を間違ったんじゃねぇか? あいつ……」

「あ、そうだ。兄貴はさ、あんたと暮らしたいって言ってたけど、あんたは一緒に暮らしたいと思うか?」

「ははっ、そりゃなぁ……嬉しいけどよぉ」


 それは無理だと、大吾は笑う。

 大吾としても雷地と暮らしたいは暮らしたいだろうがこの状況で何を言うのかと茜を見る。


「そうか。なら兄貴によろしく言っておいてくれ」


 その茜の言葉に、大吾の思考が空転する。

 母には会えず、雷地には会う事が前提の言葉。何かの謎かけかと大吾は首をひねる。


「お前、こんな時に何を――」


 最後なのだから餞別の言葉でもかけて来いと大吾は思うのだが、ここで大吾ははっとする。

 その茜の謎かけのような言葉の意味が理解できたのだ。

 それは大吾が考えうる限りの最悪の未来。

 大吾は急いで体のあちこちをまさぐってそれを探す。


「私はもう、誰も失いたくない」


 天国の母には会えないという茜の言葉が今、違う意味となって大吾の心をざわつかせる。

 これは大吾は地獄に行くから会えないではなく、大吾はそのままこの地に残ることから来た言葉だった。

 やがて大吾はそれを探し当てる。

 果たしてズボンのポケットの中にそれはあった。茜が大吾を軽く抱きしめ返したた時だろう。

 ズボンから引っ張り出した大吾の手には赤いペンダントと茜が雷地から貰った青いペンダント。


「待て! 光!」

「じゃあな、クソ親父。地獄で待ってる」


 大吾は二つのペンダントをそのまま握り、振りかぶる。

 茜に投げつけようというのだろう。

 だがその一連のモーションが終わるまで待つほど茜は間抜けではない。


「この大馬鹿やろ――」


 その振りかぶった姿のまま、大吾の姿は消えた。

 残ったのは微振動から来る揺れと軋む音。そしてその場に立ち尽くす茜だけ。

 すると茜のポケットからも振動が。それは茜のスマコン。

 画面には雪花の文字。


「雪花か……しつこいなぁ……さよなら言えなかったけど、出ようかな……いや」


 イヤーセットは竜巻に巻き込まれた時にもう吹っ飛んでいる。その為、残る通信手段はこれだけなのだ。

 茜が昇降機に乗ってからこれまで何度も何度も雪花からの着信でスマコンは振動していた。それだけで雪花の焦りが伺える。

 茜は振動するそれを少しの間見つめた後、手を腕ごと脱力した。

 そしてスマコンは茜の手からこぼれ、地に落ちたのだった。


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