「う……ん……」
茜が次に目を覚ますと目の前には木組みの屋根。視界の端には青い空と幾人かの女子生徒の顔が覗いている。
後頭部には柔らかく、暖かい枕。
「あ、茜ちゃん大丈夫?」
その声には聞き覚えがあった。
「はる……こ?」
それは以前、茜を待ち伏せし脅そうとしたが失敗し友達になった春子だった。
「あれ……」
と、茜は体を起こす。
茜は中庭のベンチに寝かされ春子に膝枕をされていたようだ。
周りを見ると夏子と秋子、そして冬子が中庭のベンチに座って茜の事を心配そうに見守っている。
「茜ちゃん、良かったぁ。いきなり倒れるから心配したよ」
と、春子は言う。
聞けば春子達は正門で茜を待ち伏せていたらしい。
茜を見つけた四人は話しかけようとした。しかし男子生徒に告白されて追いかけられる茜を春子達も全力で追っていたのだった。
するとホソカワの上に重なるように倒れる茜。男子生徒に見つかり迫られたところを春子達が遮り救出したとの事だった。
「いやぁ、助かったよ。あのまま気絶してたら胸やら足やら触られてスカートに手でも突っ込まれるかと思った」
「あんた……えげつない思考回路してるわね」
と、茜の冗談に冬子が鋭い指摘。
そんな茜に春子は首を振る。
「ううん。こちらこそだよ」
「え?」
春子が茜を見ると眉をハの字にして困ったような表情。しかし口元は微笑んでおり、目には涙を浮かべていた。そして我慢できないといった具合に春子は茜に抱き着きその上から夏子が抱き着いた。
「茜ちゃん! ありがとう!」
「茜さんのおかげで私と春子の退学処分は取り下げられたの……ありがとうっ」
茜はポンポンと二人の背中を軽く叩いてやる。
春子は体を震わせて泣いていて、夏子もまた茜に見せぬよう、涙を拭う仕草。
話を聞けば昨日の獄道組が潰された件に連動してジュリナによる退学処分が取り消しになったようだ。
「そっか、退学取り消しになったんだな。でも私のおかげって?」
と、茜はすっとぼける。
「あなたが春子と夏子を助けてくれたんでしょ? ありがとうね、茜ちゃん」
そう秋子が目に涙を浮かべてお礼を言ってくる。
「あるべき姿に戻っただけだろ? 逆らって退学とか、どこの独裁者だって話だよ。でも良かったな。警察が突入してくれたおかげで獄道組が潰されて」
と、茜がすっとぼける理由はこれだ。
茜が描いた正義が悪を懲らしめる構図。そこに茜というか弱い少女は登場しないのだ。
「まさか本当に獄道組が潰れるなんてね。今まで警察も動かなかったのに。あんたは一体何をしたの?」
と、冬子が茜にそう尋ねる。
「私はただ獄道組を潰してくれって警察にお願いしただけ。桜之上市の警官の中にも不満を持った奴がいたんだろ?」
冬子の質問にあくまでもとぼける茜。
そんな茜に冬子は少し不満顔だ。
冬子には茜がどこかで関わっているという確信があった。そして茜に協力してジュリナから情報も得た。茜を誘拐するという言葉もジュリナから引き出した。だから何処かで茜を仲間だと思っていたのだ。
その茜がすっとぼけるのだから冬子は面白くないだろう。
「でもニュースでやってたわよ。一人の女子生徒が誘拐されて、それを機動隊が突入したって。あれってあんたなんでしょ?」
と、大方の予想はついているようだった。
だがそれはあくまで予想だ。
「でも誘拐された女子生徒の名前って出てないだろ?」
「そ、それはそうだけどっ……どう考えたってあんたでしょ!?」
テレビで流れる報道番組では未成年の名前は伏せられるのが通常だ。
「ニュース見た?」
「ニュース? ちょっと待って」
と、茜の言葉に秋子が手の平が隠れるくらいの小さなディスプレイを取り出し机の上へ。
そこに映し出されていたのはネットニュース。
そして獄道組事務所から保護されたであろう女子生徒の姿がモザイクを掛けられて映し出されていた。だがモザイクをかけたとしても髪の色くらいは分かる。
「ほらね」
そこに映し出された女子生徒の髪の色は誰がどう見ても青ではない。
「た、確かに、でも……どうして……」
冬子は茜の切った啖呵とジュリナが茜を誘拐するという情報から茜だと確信していた。
だが実際には違う女子生徒が映し出されている。
「私は警察に獄道組を潰して欲しいってお願いしただけ」
「うーん……」
冬子は納得いかない顔でしばらく唸るが、諦めるようにその疑問を吐き出したのだった。
もちろんこれにはからくりがある。
茜はファウンドラ社のトップエージェント。世間に知られる行動は極力避けなければいけない。だがその性質から目立つ事件を起こす事も珍しくはない。だから影武者を用意する事もまた珍しくないのだ。
今回も例に漏れず、茜の代わりに誘拐された女子生徒を演じる影武者を用意しておいたのだ。モザイクがあろうがなかろうが茜の存在が公にされる事は無い。
茜達は裏で動く正義のエージェント。それは当たり前の事であり感謝されたいわけではない。ただ任務を遂行し、春子達のような被害者を助け、その笑顔を見てほくそ笑むだけの存在なのだ。
「冬子? さっきから何の話してるの? 茜ちゃんが警察にお願いしてくれたんでしょ?」
と、何も知らない春子が尋ねてきたので冬子も降参を示すように肩をすくめた。
「分かったわよ……でも今まで何もしてくれなかった警察が良くいう事聞いてくれたわね」
と、冬子の最後の抵抗にも茜は軽くウィンクを一つ。そして「ちょっとしたハニートラップ」と説得力の塊を口から吐き出して意地悪く笑うのだった。
その後、五人はどういう経緯で退学中止になったのかを報告し合っていた。
昨日の事件の後、春子と夏子の家に電話がかかって着たとの事。
「桜之上学園の獄道組関係者がみんな連れて行かれたからそれが関連してると思う」
「それでエクレール理事長の計らいで獄道組関係で退学処分になった人達が全員退学撤回されたんだって」
と、春子と夏子の証言。
エクレールと言えばD棟屋上にいた金髪の少女、ルココの姓だ。
そしてルココが屋上でジュリナに言い放った言葉を思い出す。「ビジネスライクで」という言葉にジュリナはすごすご退散した。
恐らく獄道組はエクレールグループに土地を貸していたのだろう。それを割安にする代わりに獄道組の構成員が桜之上学園内部に食い込んでいたに違いない。現に生徒を退学させるくらいの権限を持つことができていた。これだけの規模だ。学校の備品の購入先を獄道組管轄の店舗に指定するだけでも大金が舞い込んでくる。
そんなビジネスライクの関係を結んでいたルココとジュリナが敵対すればどちらの利にもならない。だからジュリナは素直に引いたし、ルココは茜に冷たかったのだ。
「成程ね」
と、茜は春子達の言葉に頷いた。
だから獄道組壊滅の一報でエクレール理事長は素早く動いたのだ。
獄道組がよほど気に入らなかったのか、もしくは不法な退学処分を表に出したくなかったのか、はたまた両方か。いずれにせよトカゲの尻尾切りともいえるエクレール理事長の素早い判断には茜も舌を巻かざるを得ない。
「茜ちゃん、困ってることがあるなら何でも言ってね」
「何でもするわ。遠慮なく言ってね」
春子と夏子は恩人の茜に何でもする、という構えだ。
「ハニトラで警察動かすなんて凄すぎるし」
「真偽は置いておいて、あんたのおかげだって事は確かよ。私達に何かして欲しい事ないの?」
続いて秋子と冬子も何やら恩返しがしたいようだ。
何でもするという言葉を茜は何処かでしたなと、一瞬思い出しつつも「あの男共を追い払ってくれただけで満足だよ」と軽く躱すのだった。
それで貸し借りは無しだと茜は肩をすくませる。
「それじゃあ私達の気が収まらないの!」
「そうね。一度はあんたを虐めようとしてたわけだし」
断る茜を断る四人。
確かに先程の騒動と獄道組を潰した功績は釣り合わない。
「あはは、義理堅いねぇ」
茜は頬杖をついてからからと笑う。
そして目を細めどうするかと茜は考える。
その時、皆一様に目を丸めて静まり返った。
美少女である茜の容姿は以前では同姓の神経を逆撫でしかしなかった。しかしそれは今回、逆の効果が働いたようだ。
頬をくしゃりと潰して頬杖をついて笑う。それはよくハニートラップで使用される技だ。
今回は自然に出てしまったそれが春子達の視線を釘付けにする。
「ん? どうした?」
「あ、いや、その……やっぱり茜ちゃんって可愛いなって」
「え? そう?」
「そうね、春子。分るわ」
「一瞬キュンってしちゃった」
「女子もそうなの?」
「そうね。でもあんたは何というか女女してないのよね」
「おんなおんな?」
「口調が男っぽいというか」
「そのギャップがまた萌えるのよね~」
「分かるー、ボーイッシュよね」
「あーもうチューしたい」
「それな」
茜はそのやり取りに少し嬉しくなる。
中身が男なだけに好意を持たれるのは全て男。先程の告白ラッシュもそうだ。
茜はそんな環境に辟易していた。だから女子に好意を持たれるというのは中身が男の茜としてはとても嬉しいものだったのだ。
「そうだっ」
そこで冬子がおもむろに立ち上がり皆に、提案する。
「茜親衛隊を私達が結成するのよ!」
その言葉に茜以外、一様にその手があったかとぱっと表情を明るくする。
「いい! それいいよ! 冬子!」
「成程! 分かるわそれ!」
「うんうん! それでいこう!」
「よし! 今ここに茜親衛隊を結成するわ!」
現時点を持って、四人の茜親衛隊が結成されたのだった。
茜は考える。あのしつこい告白ラッシュから四人が守ってくれるならそれはそれでありだと。
だが茜は想像した。兄、雷地のように大名行列を作りながら学校を練り歩く様子を。
「……はい、解散~」
現時点を持って、四人の茜親衛隊が解散されたのだった。
茜は断固拒否し、ただの友達になろうと言うと春子達は嬉しそうにすんなりとひいたのだった。
その後は告白ラッシュの話を聞きたいとせがまれた為、茜は話してやっていた。
「断ったら両肩掴まれて、なんでだよって凄まれた」
「ええ!? 危なっ!」
「そいつ絶対DV男よ!」
「自意識過剰男ね」
「それでそいつどうしたの?」
「ガタガタ抜かすから顎を蹴り上げてやったよ」
「や、やるわね」
「だからジュリナにも物おじしなかったんだね」
「そういえばこの学校にも空手とか剣道とかあるよ」
そんな感じで茜と春子達はガールズトークを展開していた。
「戦闘技術って言うのもあるよね」
「戦闘技術?」
「そう、空手や剣道とは違った何でもありの実践で相手を倒す術を学ぶんだって」
「へー」
茜は戦闘技術という単語に聞き覚えがあった。
桜之上学園がまだ小さい頃にも戦闘技術という科目があった。
そして茜の実の父、葵大吾がそこで活動していたという記録が残っている。
「そこで優秀な成績を収めた人はドアナ大陸の開拓使に推薦されるんだって」
「ああ、あの未開の地の」
「でも一人も帰ってきた人はいないのよね」
「こわいよね~」
「でもドアナ大陸ってなにがあるのかな~」
そんなこんなで女子トークをしていると雪花がやって来て春子達の茜の御守りが変更された。
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