茜が短く叫ぶ。
同時にクリスにドロップキックをくらわせ、その反動で雪花の胸に突っ込んだ。
「うっ!?」
「ちょっ!?」
クリスは倒れ、雪花は茜に体当たりされて床に背を打ち付ける。
直後、いくつもの激しい爆発音がそのフロア一帯を埋め尽くす。
続いて鞭がしなり、風を切るような短い音が幾重にも重なって奏でられる。
「な、なんだなんだ!?」
倒れたクリスは直ぐに体制を立て直し周囲を見渡す。
最初に目に入ったのは先程バドルの背中から生えてきた平たい触手。そしてバドルと自分を結んだ延長線上の壁に拳ほどの穴が開いているのだ。
壁は金属製だ。銃でも拳程の大きさの穴を開けるなどそうそう出来るものではない。
恐らく、その平たい触手がやったのだろう。
さっきの爆発音は鞭が音速を超えて破裂音を鳴らすように、音速を超えた平たい触手が空気を打ち砕いた音に違いない。
「これは平たい……触手?」
平たい触手はやがて役目を終えたとばかりに、根元に向かってすーっと縮んでいった。
クリスの位置はバドルからかなり離れている。それでこの威力なのであれば近くにいたハイジャック犯達はどうなっているのか。
クリスは柵から身を乗り出して下のフロアの様子を伺う。
それはまさに目を覆いたくなる程の惨状だった。
「嘘だろ……こんな事って」
バドルの周囲にいたハイジャック犯達はダニアを含め、まだ直立していた。
だがそこに、生命の宿る肉体は一つもない。
何故なら下のフロアにいるハイジャック犯達の頭という頭が皆消し飛んでいたのだから。更に胸や腹を貫かれたのだろう穴が開いてしまっている者もいる。
副団長であるダニアも例外ではない。防ごうとしたのだろうその両腕が無くなっており、更に頭も無くなっている。
茜がクリスにドロップキックを見舞った直後の、瞬く間に起こった出来事。いや、瞬く間もなかったかもしれない。
ただの肉塊となった首無しの胴体は、そこに生命はないと気づいたのか。均衡を失い鈍い音を立てて次々と倒れ、冷たい金属製の床に鮮血を注ぐ。
「なんて酷い事を……」
バドルから比較的近い場所。古代の遺物を運び入れた船舶用の扉も粉々に破壊され、外にあるヘドロが少し中に流れ込んでいる。
そのヘドロの向こう側、飛空艇の外にクレーンの一部が飛び出しているのが見て取れる。恐らくクレーンに乗っていた剣はヘドロの中だろう。
「はっ」
その凄惨な光景にあっけにとられていたクリスは他に二人の少女が居る事を思い出す。茜と雪花だ。
どうにか無事であってくれと視線を向けるが、やはりそこにも信じがたい光景が広がっていたのだ。
「茜!?」
腕に力なく、だらんと落とす茜。
茜の頭は無事なものの、しっかりとホールドされて体が宙に浮いてしまっている。
だがそれは平たい触手によってではなく、雪花の手によって。こんな状況で何をやっているのか。実に信じがたい光景だった。
しかもその雪花の表情はなぜか怒りの色が強い。
「ゆ、雪花ちゃん? 何をして――」
「あんた、どさくさに紛れて私の胸に顔うずめて……ただで済むと思ってるの?」
そこであった惨状をつゆ知らず、雪花はどすの効いた声で問い詰め、茜の小さな頭を片手で握りつぶそうと持ち上げている。
「あんた、時と場合を考えなさいよ?」
茜はだらんと落とした手をどうにか動かし、先程まで傍観していた場所を指さした。凄惨な現場と化した場所を。
雪花はその先を目だけで追うと小さな悲鳴と共に茜を放し、腰を抜かしたのだった。
「な、な……えええ!? お、おうえぇっ……」
その非現実的で凄惨な光景に、雪花は嗚咽が喉に詰まりうずくまってしまう。一般の少女である雪花には少し刺激が強すぎるだろう。
クリスは落ちてくる茜を支え、無事を確かめる。
「二人共無事だねっ?」
「お、サンキュ。クリスも無事だったみたいだな」
支えてくれたクリスにお礼を言いながらクリスの心配もしてやる茜は笑顔だ。
こんな惨状にも関わらず、何故この少女は笑っているのだろうとクリスは思う。だがどんな最悪な状況でも人の笑顔は力を与えてくれるのだろう。更に茜のような美少女であれば尚更だ。
クリスも困ったようにだが笑いながら微笑み返す。
「君のおかげでね」
クリスは茜のドロップキックがなければ間違いなく下のハイジャック犯達と同じ末路をたどっていただろう。
ただ、もう少しやりようがあったんじゃないか、と口を開きかけた時だった。クリスはびくついて言葉に使う息を逆に吸ってしまい、小さくむせてしまった。
何故なら周囲を警戒していたクリスの視線がバドルの視線とかち合ったからだ。
「これはっ……げほっ……まずい」
茜もそれに気づいて笑みを消す。
「まずいなんてもんじゃない、この状況はかなりやばい……あ、バドルの後ろに誰かいる」
「え?」
全員殺されたと思われたが、まだ生存者がいたようだ。そこにはゆっくりと歩み寄る人影が。
それは先程のフードの女。茜達が捕まえようとしている大物だ。どうやら無事だったようだった。
遠すぎて顔は見えないが、動作で視線が茜達に向いたのが分かる。
フードの女は恐らく、都市伝説に名高いブラッドオーシャンといわれる組織の一員だろう。
「やばいなんてもんじゃないな、これは……絶対絶命だ」
茜がそう断言するには理由がある。
これまで慎重で姿を現さなかった都市伝説となっているブラッドオーシャン。それがフードで隠れているとはいえ部外者に見られてしまったのだ。
ならばどうするか。疑わしきは消せ、となるのは火を見るよりも明らかだ。
現に直接ではないにしろ、バドルに近づいただけでファウンドラに所属する追跡専用部隊ハウンドの一人は消されてしまっている。
バドルも元々がかなり強いレゾナンスであったのに、そこへ先程の悪魔の力が加われば鬼に金棒だ。今の非力な茜ではとても太刀打ちできないだろう。そしておそらく、同等かそれ以上の力をフードの女も持っている可能性がある。
「雪花! 立て!」
状況が悪化した。
うずくまる雪花の腕をとる茜。だが視線はフードの女から放す事はない。
そこでフードの女はバドルに何かを伝える。バドルが頷いた直後、フードの女は胸ポケットから何か取り出した。
「まさかっ」
茜はそれが何であるか瞬時に気づいたがもう遅い。
フードの女の周囲が一瞬ゆがみ、息を吹きかけた蝋燭の火のように、ふっと消えてしまった。
この世にはワープ装置が開発されている。人一人を一瞬で指定の位置に飛ばす装置だ。
だが使用するには特別な鉱石が必要でコストも高い。一度のワープに数千万ウルドかかる。そのため大金持ち以外、費用対効果が薄すぎるとして使うものはそうそういない。その鉱石の所在も作り方も開発者一人を除いて誰も知らないのだ。その開発者とは他でもない、茜を少女の体にしたルイスだ。
これは誤算だった。茜達でも特殊なケースでなければ携帯が許可されない一品なだけに完全に意識外だった。フードの女は恐らく緊急用に持っていたのだろう。それもそのはずだ。今まで補足される事のなかった伝説の組織なのだから、
「フードの女が消えた……」
茜のその言葉はセレナに伝わり、肩を落としていることだろう。
フードの女を見失ったことでブラッドオーシャンへの有力な手がかりが消えてしまった。セレナ部隊が待ち望んだ大物は針を飲み込み、餌を食らうだけ食らって逃げてしまったのだ。
だがまだ終わりではない。その大物にくっ付いてきたコバンザメが、その餌を食らい形を変え姿を変えて悪魔のような力を得てしまった。
そして先程消えたフードの女から受けたであろう、恐ろしい命令を遂行するために茜達を睨みつけている。
「気をつけろ、何か仕掛けてくるぞ」
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