「どうしてぇ……?」
そんなカーヤのすがるような声。
ディランはカーヤを降ろして立ち上がり、煙草に火をつけている。
「どうしてもだ」
「どうしてもって……そんな適当な言い訳通るわけないでしょ!?」
ディランはカーヤの告白を断った。
その理由がそんな一言で済むような、おざなりで杜撰なもの。だからカーヤは納得できずにいたのだ。
「ディランは私のこと……どう思ってるの? 私、大人になったでしょ? ガキは嫌いだって言ってたからお化粧とか覚えたし、、髪型とかもいろいろ工夫してみたり……」
「容姿の事は関係ない」
「じゃあ性格? そんなに悪くないと思うけど」
「性格でもない」
「じゃあ何!? 納得のいく理由を――」
「じゃあ教えてやる」
鬼気迫るカーヤの迫力に臆せず、ディランが煙を吐き出しそう言ってカーヤの言葉を遮った。
何を言われるかとカーヤはぐっと拳を握りディランを睨みつける。
これからディランが話す理由を論破してやろうというのだろう。
「俺とお前は護衛とその庇護対象だ。間違いないな?」
「うん」
「俺とお前がそう言う仲になれば距離が近くなる。すると喧嘩もするだろう。その時お前は俺の指示を聞いてくれるのか?」
「聞くよ! プライベートと仕事は分けるし!」
「なら、俺が捕まって、殺されそうになって、お前の命と引き換えに助ける、なんて言われたらどうする?」
「そんなの決まって――」
と、だけ言ってカーヤは笑顔のまま固まってしまった。
カーヤはディランに恩義を感じている。恋心まで抱いている。だとすればカーヤの選択肢は一つだろう。
だがディランはカーヤを守る事が仕事。そこでカーヤがノコノコ出て行けば本末転倒なのだ。
カーヤはそれに気づき寸でのところで言葉を止めたのだが次が出てこず固まってしまう。ディランはやれやれと煙草を吸って鼻から長く吐く。
その長い煙が空気に溶けてなくなるように、カーヤの強い意思もまた溶けてなくなったのだろう。顔を俯けて黙ってしまった。
理解が早く助かると、ディランは一つ笑う。
「お前は頭がいい。器量もいいし顔もいい方だ。男なんてすぐに出来る。だからこんなおっさん、やめておけ」
そして自分の好きな男に他の男を勧められるという屈辱的な言葉。
そこでカーヤは顔をあげる。口を引き絞りきっとディランを睨み上げた。
「じゃあ……じゃあディランは私が他の男と付き合っても平気なの?」
これはカーヤによるせめてもの抵抗。
だがこの抵抗はディランにとってこの上ないくらいに効果的だった。
ディランはカーヤをただの庇護対象と思っている。好きか嫌いかで言えば好きなのだが、それは恋人ではなく我が子のように思っていた。
だから恋人か我が子か、どちらにせよカーヤが他の男と恋仲になるというのはあまり良い気はしない。
しかしそこで気軽に平気だなどと言えば怒るだろうし嫉妬するだなんて言えばカーヤの思うつぼとなる。
つまりディランにとってこの盤面は詰みなのだ。実際、ディランは口を開けてはいるが白い煙が滞留しているだけ。
それはディランの気づかない深層にあった独占欲。そしてその独占欲があるにもかかわらずカーヤを突き放す愚行。
これにカーヤが気づけばどうなるか。
と、その時、カーヤの姿が呆けるディランの前から消えた。
「ディラン直伝!!」
「え?」
「みぞおち抉り!!!」
そして次の瞬間、ディランのみぞおちに身を低くしたカーヤの右ストーレートが突き刺さった。
全くの無警戒からのカーヤ渾身一撃。腹には何の力も入っていない。あるのは煙草の煙だけ。
体をくの字に曲げ、無理やり押し出されてくる煙にむせながらディランは更に膝を折ってしまう。
「かはっ……ちょ……おまっ」
カーヤには何かあった時の為に最低限、護身術を教えていた。さほど才能はないがカーヤもレゾナンス。アスリート級以下だが共鳴強化も扱える為、大人くらいの力は出せるのだった。
ディランはそれが自分に返って来るとは思わなかっただろう。まだ腹を抱えて唸っている。
カーヤは顔をクシャッとしながらべーっと舌を出し、そしてそそくさと元来た道を歩いて行ってしまった。散歩でもするかのように後ろに手を組みながら。
「ふんふふーん、あー気持ちよかった」
などと抜かしながら。
「お、おいカーヤ! 一人で何処に――」
「ついてこないでよねっ」
「んなっ」
腹を抑え、必死に立ち上がってついていこうとするディランにカーヤは振り返って睨みつけ、とどめの言葉。
そして踵を返して行ってしまった。
ディランは茫然とその後ろ姿を目で追うことしかできない。
そしてカーヤの姿が見えなくなるとうなだれるように草原に倒れ込んで大の字だ。
「なにやってんだ……俺は」
と、先程の質問に言い淀んでしまった自分を悔いる。こんな事になるのであれば平気だと応えていればよかった、と。
だがどちらにせよカーヤは怒って行ってしまっただろう。下手をすれば関係にひびが入り、今後の護衛に支障が出てしまう。だからあの場面では答えない、という答えが正解だったのだろう。少なくとも突き放しはせず、カーヤに多少の想いはあると伝わったに違いない。そう、ディランは結論づける。
「我儘な所はじいさん譲りか……」
そしてディランの頭に嫌な思い出が蘇って来る。手に入らなければ殺してしまえとのたまうカーヤの祖父を。
今後カーヤがまた策を練ってくるかもしれないなと思案しながらディランはまた煙を長く吐いた。
「先が思いやられるな……」
目の前を不揃いの雲がゆっくりと通り過ぎていく。それらを一通り目で追ってディランは目を瞑る。
秋の風が大地をなで、その音がディランの鼓膜にも伝わって来る。少し肌寒いが背中からは日光で暖められた地面のぬくもり。
いい陽気にディランはつい目を閉じてしまっていた。
「っと……十分くらい経ったか?」
スマコンを見れば驚いたことに二十分を少し過ぎた頃だった。思ったよりも時間が経っていて少し焦るディラン。
「寝過ごしたか」
とはいってもカーヤの護衛はディランだけではない。少し離れたところに部下を数人待機させている。
寝ていても気づきはするが部下からの着信が無いかをディランは一応確認した。果たしてその知らせは無く、ほっと一安心だ。
山に行く事は部下には伝えている。それに山頂までは一本道で誰もいなかった。
山に誰かが登ってきたら部下から連絡が来るようになっているがそれも無し。だから今、この山はカーヤとディランの貸し切り状態。
ただ、まだ子供とは言えそれだけの時間を歩かれると流石にカーヤと距離が離れすぎだろう。このままだと連絡が入って来た場合、素早い対処ができない。
「はぁ……そろそろ行くか」
と、ディランは重い腰を上げカーヤに買って貰ったクロノスにスマコンをかざして認証する。
「さあ、また頼むぜ」
山頂から麓まで歩いて帰るには結構な時間がかかる。
カーヤは幼い頃、極寒の雪山までついて着た実績があった。これくらいで引き返す事は無いだろう。道中で歩いている所を回収するかとディランは考えながらヘルメットをかぶる。不機嫌で仏頂面のカーヤの表情を想像しながら。
「ん? あれ? 起動しないな」
ディランがスマコンをかざすもののエンジンがかからない。
通常バイクはその所有者とその所有者が許可した人物だけが起動できるようになっている。
バイク販売店を出る時もディランのスマコンで起動できたのだが、その画面を見ると認証エラーと出ていた。
「まさかっ、あいつっ……」
恐らくカーヤがクロノスの運転許可を取り消したのだろう。
こうなるとディランもクロノスを使わず、自分の足で下山しなければならない。
カーヤの足で二十分。女性とは言えその距離はすぐに追いつける距離ではないだろう。
「余計な事をっ」
ディランはスマコンに耳をあてがい、通信を試みる。カーヤだと出てくれない可能性がある為、麓で待つ部下に。
歩いて帰るにも時間がかかるしクロノスをまた取りに戻らなければならない。だから部下に迎えに来てもらおうと。
「あれ、でねぇな……」
だがその部下と連絡がつかない。いつまで経っても応答しないのだ。
スマコンを不機嫌そうに眺めるディラン。
「すぐに出れるようにしろっつっといたのに……あいつら最近たるんで――」
そこで一瞬、頭によぎる最悪の状況。
連絡が取れないという事は部下がそういった状況に陥った、という可能性があるという事だ。
これはつまりカーヤに危険が迫っている兆候に他ならない。
「まさかっ」
◇その頃、カーヤ
「ふっふーん。バイク使えなくしちゃった~」
などと抜かしながら、スマコンをいじりカーヤは上機嫌で跳ねるように歩いていた。
カーヤは持ち前の共鳴力と運動神経を生かしてどんどん下山していく。
森林限界を下回った為か、山肌に色付き始めた木々が生い茂る。
「ここを抜けてショートカット出来ないかなぁ」
と、斜面を見つめるカーヤ。大方、麓まで一人で帰ってきたらディランが怒られるだろうとでも思っているのだろう。
そんな悪だくみで妄想を膨らませ、カーヤは一人ほくそ笑む。
山道は曲がりくねっている為、直線距離の何倍も歩かなければならない。それを突っ切れば早く麓に到着する事が出来るだろう。
山の斜面は徐々に緩やかになってはいる。だが地面は枯葉で覆われていて、足を取られて滑り上手く歩けないだろう。更に所々に崖があり危険だ。
「あの雪山より大した事ないし……いけるかな」
カーヤは標高の高い極寒の雪山を幼いながらに登った。そのカーヤからすればこんな斜面などお手の物だった。
と、そんな林を見つめていると何か音がする。エンジン音だ。
それは黒塗りの車。曲線のフォルムが少々のレトロ感を出している。艶のある車体と燃費の悪そうな重低音で鈍めのエンジン音。山頂に向かうにしては少々似つかわしくない車だ。
それがカーヤの傍で止まり窓が開く。
「すみません、お嬢さん。ちょっとお尋ねしたいのですが」
「へ? はい」
道を聞きたいのか、とカーヤは近づいていく。
「なんでしょうか? 山頂までは一本道ですけど」
「いえ、人を探してまして。あなたはカーヤお嬢様ですか?」
その質問をされた瞬間、カーヤは悪寒に襲われる。更にこれはまずい状況だと一歩下がった。
カーヤは日頃ディランに言われていた事を思い出す。正体不明の者に不用意に近づくなと。状況を判断し最悪の状況を考えて行動しろと。
今は護衛が誰もおらず、相手はカーヤの事を知っている状況。
「ち、違います」
「そうですか」
最近の襲撃はめっきり減って緊張感がなくなってしまっていた。それがカーヤを油断させてしまったのだ。
「では」
車の中から筒状のようなものがカーヤに向けられる。
それは黒いサイレンサー付きの拳銃。銃口はカーヤに向けられていた。
「うっ」
何かが擦れて発射されるような音が二回。
その後にカーヤの喉をついて出る吐息。
その寸前、カーヤの悪寒が自分の体を翻した事が幸いした。一発目の銃弾はカーヤの頬をかすめ、薄皮が引き裂かれ赤いものが噴き出しただけ。
更にカーヤを襲う二発目の凶弾は翻した体の背後から、カーヤの右肩を貫いていた。
カーヤは右肩に引っ張られ回転し、そのまま林の中へ突っ込み斜面を転げ落ちていく。
「落ちやがった」
「ちっ! おい、追え!」
その黒塗りの車からは黒い帽子とサングラス、そして黒いコートを着た男が三人降りてくる。
山の斜面は緩やかにはなっているが右肩を負傷したカーヤは中々止まる事が出来ない。
だがこれはこれで良かったのだろう。車から急いで出てきた男達は斜面に足を取られすっ転んで中々カーヤとの距離を詰めれないでいた。
「うぐっ」
転がり落ちるカーヤは勢いそのまま、木の根元に腹をぶつけてくの字になって止まる。
全身葉っぱや泥にまみれ、更に右肩には穴が開いている。加えて頬に触れると肩がすくむ程の激痛と暖かな鮮血が溢れ出して来る。
「うぅ、痛みは……まやかしっ」
とはカーヤにディランが教えた言葉だ。
痛みは動きだけではなく思考回路も鈍らせる。だから気にするなと。
まだ子供であるカーヤにそれは少々酷な話だが現状は過酷を極める。すぐそこには死が迫っているのだから。
そしてカーヤはこういう状況になる事を覚悟していた。だから立ち上がる。
「逃げないとっ……」
カーヤは林の中を駆け抜ける。
ここで雪山の登山経験が役に立った。転げぬよう、木に手を掛けながら走り降りて行く。
右肩を撃たれ右手は使えない。だから左手だけで木を掴む。そのせいで左の手の平は皮が裂けボロボロだ。
カーヤは何度も襲ってくる痛みをまやかしと言い聞かせた。だがその間も背後から男達の凶弾が襲ってくる。木の幹に直撃し、その木片がカーヤを襲うが幸い直撃は避けられている。
「殺されるっ……」
カーヤは恐ろしかった。
背後に迫る死の恐怖。それもあるだろう。
しかしカーヤにはもっと恐ろしい事があった。
先程のディランの質問で自分の命よりもディランを選んでしまったカーヤ。
「私が死んだら……ディランが責められる」
カーヤが死んで一番非難されるのはディランだ。だからだろう、自分が殺されそうな時もカーヤはディランの心配をしていたのだった。
その時、カーヤは急に無重力になる。山の傾斜が急に途切れたのだ。
崖。
そう思った時にはもう遅かった。
「うわっ」
さほど高くない崖だったがカーヤは宙を舞って地面に叩きつけられてしまう。
幸いなことに多くの枯葉がクッションとなり命は助かった。だが全身を地面に打ち付けられまともに喋れない。更に左足に激痛が。
咳き込みながらも左手で体を起こすカーヤ。
「うぅ……いた……くないっ」
カーヤはそう怒鳴るように叫んで立ち上がる。動かない右腕をだらんと垂らし、左足を引き釣りながらてまた斜面をおりていく。
「逃げるなクソガキ!」
崖上からの追っ手の言葉と凶弾。それに身をびくつかせながら息も絶え絶えに逃げるカーヤ。
「はぁはぁっ……ディランっ……怖いよぉ……助けてっ」
更に恐怖からか、時折視線が滲み、歪む。
覚悟があると言ってもまだ十代の少女。
しかも今までは傍に頼れる護衛が居た。それが今は一人で複数人の殺し屋に追われているのだ。無理もない。
だがカーヤは目を擦って滲みを取り、脚を前に出す。
「馬鹿っ……諦めるな」
カーヤはヨロヨロと立ち上がり森の中を進んでいく。左足を引きずりながら。
「くそっ、しぶとい!」
殺し屋達もカーヤを追いたいのだろうが崖に立ち往生。だがうち一人が回り込み二人もそれに続く。
「諦めるな私っ……私が死んだらディランが責められるっ……私が離れちゃっただけなのにっ」
自分を励ましながら進むカーヤ。
やがて延々と続くと思われた木々が終わりを告げ、少し向こうに日の光と道路が姿を現した。
「あそこまで行けば……誰かっ」
一般の車でもいれば乗せて助けてもらえるかもしれない。
と、一縷の望みをかけ、カーヤは激痛に耐えて進んでいく。
その時、丁度登って来る一台の車が見えた。
「あ、待って! 行かないで!」
カーヤは林を抜ける。
そしてその車の前に転げ出てきた。
車は止まらざるを得ない。
そんな中、縮まらない距離にイラついたのか、殺し屋達は回り込むのを止めて意を決して飛び降りていた。
「うぉ!?」
殺し屋達は着地に失敗しゴロゴロと転がり落ちていく。
「ううぅ、いってぇなぁ……くそっ! あのガキ! ブチ殺してやる!」
「誰を殺すって?」
「だからあの小娘――」
誰を殺すのか。
必死に標的を追っている今、お前は一体なにを抜かしているのかと、殺し屋の一人が振り返ればディランがいた。殺し屋の一人の頭を掴んで。
その殺し屋の顔は面白いほどに回転して首があらぬ方向に向いている。
「ヤバイっ」
とっさに銃口をディランに向けるがその手は既に掴まれていた。そしてねじれにねじれ銃を掴む力すらも残っていなかった。
声にならない悲鳴を上げる殺し屋の男の首を逆側に向けて回転し投げ捨てる。
そして落とした銃を拾い上げ、カーヤに向かって走り、銃口を向けている男に発砲する。
一発、二発、三発と銃を連射しマガジンが無くなるまでの弾丸は全て殺し屋に当たった。
「カーヤ!」
ディランは山頂から走って来たのだ。
山道を駆け抜け、気配を探りながら斜面を駆け下りてきたのだった。
やがてディランも林の終わりへ。日光で光輝く道路が。
すると、カーヤが車に助けを求めている所が見えた。窓から運転席に向かって何か話しているようだ。
まだ生きている。
「カーヤ! 良かっ――」
その時だった、カーヤの体が跳ね飛ばされた。
クルクルと二、三回舞うように回転する。
日光で輝く短めの髪を振り乱して。
「カーヤ!?」
ディランは自分でも何を叫んでいるのか分からない声を上げてカーヤに駆け寄った。
やがて倒れたカーヤにディランはこけるように屈みこんで抱き起す。
カーヤの胸には無色透明の大きな棘が刺さっていた。するとそこから徐々に白いブラウスを鮮血が侵食していく。
ディランは信じられないと、信じたくないと目を丸くした。
「カーヤ!」
それは紛れもなくカーヤ。
先程まで一緒に会話を交わしていた、自分の事を好きだと言ってくれていたあのカーヤ。
「カーヤ! カーヤァ!! しっかりしろ!」
そんな二人を見届けて車の窓が閉まる。
刹那、それに気づいたディラン。
その窓の隙間からはまさに氷としか比喩できないような、薄く青い瞳が覗いていた。それはまさに、茜の父、大吾が見た氷結の魔術師の瞳。
その瞳に映るディランはそれを睨みつけてはいなかった。情けなく眉をしかめて顔を歪め、あまつさえ同情でも請うような表情。ここで追撃すれば何の抵抗もなくディランはやられていたかもしれない。
だがそんなディランを一瞥し車は去って行った。
「でぃら……」
その時、カーヤの声とボロボロの左手が上がり、ディランの目に留まった。
「カーヤッ!? カーヤァ! あぁぁ、すまないっ……俺が……俺が付いていながらっ……こんなにっ……ボロボロになってっ」
「ディラン……やっぱり……痛いや……」
それはディランがカーヤに言い聞かせていた事。
痛みはまやかしだと。
だがその胸を貫く痛みの本流は否応なくカーヤの顔を歪めていく。
「そうかっ、そうだよなっ、痛いよなっ、辛いよなぁ……ごめんなっ、今すぐ助けを呼んでやるからなっ」
ディランはスマコンを操作し、緊急呼び出しボタンを押し、救急を呼ぶ。
「呼んだからな! 大丈夫だからな! 助かるぞ!」
「ごめ……」
「ん? なんだ!?」
ディランはカーヤの口に耳を近づけると「ごめん」と消えそうな小さな声。
「こういう事……だったんだね」
カーヤが言っているのは先程喧嘩した時の事だろう。
二人が恋仲になれば護衛任務に支障が出ると。
そして今、それが現実になってしまったと。
「ちっ、違う……違うっ、これは俺のミスでっ」
。
不意にポトリポトリとカーヤの頬に熱いものが。ディランの目からはせきを切ったように大粒の涙。
カーヤは何を想ったのか笑顔を見せる。
「ディラン……聞いてっ……最後かも……しれな――」
「最後だなんていうな! 助けがくるから」
「護衛なんて……嫌だった……でしょ?」
「は? 何を言って……」
「……お爺様が……私を……ころすから……仕方たなく」
「お前……知ってたのか?」
カーヤは苦しそうに頷いた。
どうやらあの時、気を失っていたというカーヤは意識があったようだ。
それで先程の問答をしていたのだろう。無理やり自分の護衛をさせてしまって申し訳ないと。やりたい事が他にあったのではないかと。
「ディランが……引き受けてくれて……うれしかっ」
カーヤが血を吐き、言葉が途切れる。
ディランが「カーヤ!」と呼びかけるがカーヤの左手がディランの手を強く握った。
「でも……自由を奪う形に……」
「気にすんなつっただろ! お前は俺を救ってくれた! 縛ってくれた! それは俺に生きる意味をくれたんだ!」
「ディランには……自由な人生を……送って……かった」
カーヤはずっと気にしていたのだろう。自分のせいで無理やりディランの人生を縛ってしまった事を。そしてそれでいいと笑ってくれるディランを自由にしてやりたいと。
そんな罪悪感を語るカーヤの目から大量の涙が溢れ出す。
「でも怖くてっ……」
「あ、当たり前だろ! 死ぬのは誰でも怖いもんだっ、俺だって怖いっ」
そんなディランの言葉にカーヤは首を振る。震えているのかどうか、判断できないくらいに弱々しく。
「怖いのは……また一人に……なる事」
孤独は死に至る病と言われる。
カーヤは両親を殺されて一人になった。そして親族にたらいまわしにされて孤独に。祖父に拾われたがすぐに他界。
信頼できた人物は雪山に一緒に花を採りに行ってくれたディランだけだったのだろう。
しかしディランもおらず、祖父も他界したとなればまた孤独。殺されずとも人知れず屋敷を出て路頭を迷っていただろう。子供が一人で生きていくにはこの世界はあまりにも過酷だ。
なにより頼れる人、信頼できる人がいない、というのは寂しい事。
「これで……自由……だから」
だがカーヤが死ねばディランを縛るものはなにもない。過去、気に病んでいた事からも開放されるのだ。
だからか、カーヤは笑う。血を吐きながら、涙を流しながら、苦しそうな表情で。
「分かった! 分ったからもう喋るな! 頼むっ」
「私の……こと……忘れて……ね」
「は?」
何を言っているのか、ディランには分からなかった。
忘れてとは一体何なのか、ディランには全く。
だが問い返そうにも、カーヤの目は閉じられ、上がった左手からは力が抜けていく。
上がっているのはディランが持ち上げているだけ。滑って落ちぬよう、その現実から逃れるように。
「嘘だろ? カーヤっ!?」
そんな分からない言葉を残し、カーヤは息を引き取ったのだった。
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