「あんたが嫌いって……」
茜の嫌いな人種。幼馴染である雪花には心当たりがあった。
雪花は前に立ちはだかってくれている茜に耳打ちする。
「あの人が誰かの熱狂的なファンってこと?」
「ああ、他人の事で怒り狂う狂信者タイプだよ」
茜がまだ幼い頃、とあるクラスメイトが熱狂的に信仰するアイドルについて感想を求められた事があったのだ。
「あんた他人にあまり興味ないもんね。笑顔が嘘っぽいって空気読めない感想言って殴られてたの思い出したわ」
「どうして殴られなきゃいけないのか当時は分からず腹ただしかったなぁ」
しみじみという茜。
相手の気持ちを考えない感想を述べた茜が全く悪いのだが本人は納得がいかなかったようだ。
「今ならわかるの?」
「理論は分かる。でも気持ちは分からん」
「理論って……そういう時は感想を変えればいいのよ。相手が欲しい感想を言ってやればいいのよっ」
「他人の感想を矯正しようなんて、傲慢にも程があるっ」
「ま、まあいいわ……で、あの人誰よ?」
逸れた話を雪花が戻す。そして目の前で不敵に微笑み、ファウンドラ社側であるにもかかわらず茜を襲おうとする黒髪の女性の正体を問う。
「あいつの名前はリリィ=フラメル、歳は私達と同じか少し上だった気がする」
見ればまだ少し幼さが残る顔立ち。
「因みに、そのリリィさんは誰の信者なの?」
「あいつの信仰対象は……」
茜は一泊置いて、済まなさそうに顔を俯ける。
「我らが部隊隊長さ」
「え、あの人の信仰先ってセレナさんなの!?」
どうやらリリィの信仰対象は茜達の部隊の隊長、セレナのようだった。
「なにコソコソ話しているの? 無視しないで欲しいんですけど?」
雪花が茜の肩越しに視線をリリィに移すとほぼ同時、リリィはそう叫んで凄む。手には先程の夕日に染まる刀。その剣先は茜を向いている。
だから茜も負けじとにらみ返し口を開く。
「どういうつもりだ? ファウンドラ社のエージェント同士の戦闘は禁止されている筈だぞ」
「戦闘じゃないわ。ちょっとした試験よ」
「試験?」
試験と言われても茜には全く身に覚えがない。
そこで茜は今の状況を考える。
茜はリリィの信仰対象であるセレナの部隊に最近入隊したばかり。加えてリリィはセレナ部隊には所属していない。
この情報から茜が推測する結論はとてつもなく面倒だという事だ。
「あなたがセレナ様の部隊に相応しいかどうか、のね」
予想通りの言葉に茜は深いため息。そのため息には嫌悪感が多く含まれているだろうが茜の表情からはまだそれが抜けきっていない。
「私があなたに勝てばセレナ様の部隊に相応しいのはこの私、という事にならないかしら?」
やはりか、と茜は最後の息を振り絞ってまたため息。
強さだけが入隊の是非を判断する要素ではないのだ。茜にリリィが勝とうが負けようが、リリィはセレナの部隊に入隊は出来ない。
つまりリリィは茜に嫉妬し、試験という名の嫌がらせをしているだけなのだ。
そんな事は時間の無駄なのだった。
「それはご免被る。こんな事をしている時点でお前はセレナさんの部隊に相応しくない」
「あなたがセレナ様を語るんじゃないわよ!」
茜の返答にリリィは突如黒い髪を掻き乱しながら荒ぶり叫ぶ。
「不愉快っ、不愉快極まりないわ!」
それに茜は予想通りの反応だと、眉間に皺を寄せる。
「ちょっとちょっと! あの人極まっちゃってるけど大丈夫なの!? 強いの!?」
「極みちゃんはファウンドラ社特殊部隊の第二部隊隊員だよ。超人級の共鳴強化を持つレゾナンスだ」
「え? それって……」
「めちゃめちゃ強い」
「えええ……」
また二人だけで話す茜達にリリィは眉間に皺をよせ、鼻の穴をひくひくさせながら見下し、睨む。
「私はね、可愛いってだけでセレナ様の部隊に入隊したあなたが気に食わないのよ!」
「あ、本音出た。妬み嫉みは恥ずかしいぞ~」
「ちょっと茜! 黙って! 刺激しないで!」
「しかもセレナ様にあっま甘に扱われてっ……私だって特別扱いされたいのに! あまつさえ剣君に粉かけまくって……可愛さだけを武器にやりたい放題! 恥を知りなさい!」
何故か剣の事も茜を恨む対象になっているようだ。
リリィによる突然の暴露に、流石の雪花も少し引き気味。
だが茜の中身は男。可愛さを武器にセレナに迫った事なんて一度もない。
だからか、雪花が浅い思考で反論にでる。
「ちょっと待って下さい! 言いたい放題言いますけどね! 茜は別に可愛さを武器につかってなんか――」
ここで雪花は口を開いたまま固まり、あることを思い出す。
セレナは髪を切った直後の茜に可愛さのあまり抱き着いている。更に過保護にし、茜の意思に関係なく部隊にも迎え入れている。
加えて剣には茜のハニートラップ大作戦を仕掛けている。これ以上ないくらいに可愛さで迫り、粉を掛け、雪だるま状態。
「……ねぇ? ほらっ、茜もなにか言ってやってよ!」
セレナの部隊に入りたかったのに入れなかったリリィにはこの上なく不愉快だろうが、この状況で茜の可愛さが関係ないなんて言える筈が無い。
雪花は茜に視線を送って助けを求めるが茜は目を細める。
「反論できねー……」
「ですよねー」
茜は反論の余地がない。それ程の事をしてきてしまっている。
その茜達の反応にリリィは歯を食いしばり、歯茎を剥き出しにして口を開いた。
「反論できないですってっ……」
「ええ!? あの人、どうして怒ってるの?」
「そりゃあ自分の思う限りの気に食わない事が全部確定したからだろ」
「そ、そんなぁ……」
「あなただけが特別扱いされるなんて……許さない!」
リリィは茜を睨みつけ身を低くする。刀を構え一触即発の雰囲気。
その時、雪花はまた浅い思考を巡らせて天に向かって一直線に手を挙げた。
「はい! あの! 私、関係無いですよね!?」
「あ、逃げるつもりだろおま――」
「そろそろ親が油で煮込んだ柔らかい物を細切れにして吸収する作業て手伝う約束をしていまして!」
「唐揚げかー、私も食いに行く~」
ここに来て以前フェリーで見せた裏切りムーブを見せる雪花。
「あんたは、ほらっ、忙しそうだし……良いわよ別にっ」
茜の背後からそろりそろりと帰路へ向けて離れていく。
だが雪花も半強制的にだがセレナ部隊に所属している。それを見逃すリリィではなかった。それ程リリィの信仰は厚いのだ。
「あんたも試験対象に決まってるでしょ海白雪花っ」
「で、ですよね」
雪花はそろりそろりと茜の背後に戻り、茜に「アホ」と罵られるのだった。
「じゃあ準備は良いかしら? まずは茅穂月茜、あなたから料理してあげる」
「もう試験を料理とかって言っちゃってるよあの人! ヤバいって! 勝てるの!?」
「普通にやれば負ける」
「いやあああ! 唐揚げにされるぅぅうう!」
「でも勝算はある」
「え? マジ?」
「ああ、あいつは別に殺す気で来てはいない。更にセレナさんの狂信者だ」
「うん、で?」
茜は万力グローブを嵌めながら冷や汗を垂らして一つ笑う。
「どうにかなる」
何がどう、どうにかなるのか。雪花には分からなかった。
確かにファウンドラ社のエージェントを殺しはしないだろう。
しかし茜は少女の姿になってからというもの、共鳴強化が使用できずにいる。その状態で超人級の共鳴強化を持つレゾナンスに勝てるわけがないのだ。
「行くわよっ」
リリィは不気味な笑みを浮かべながら堤防から飛び降り、高速で茜との距離を詰める。
「そらっ」
という笑みを含んだ掛け声と共に刀を下から超人的な力で斬り上げ、茜を襲う。
茜は青桜刀で防ぐ。
青桜刀は茜以外では重くて扱えず、振れば非力な茜でも剛腕の如く重い斬り込みが出来る。
だがその青桜刀があっても超人級の力を持つレゾナンスには意味をなさなかった。
「くっ」
小さな呻き声と共に青桜刀が跳ね上げられ、万歳の格好の茜。
その隙だらけの茜の体を尋常ではない速さの振り降ろしが襲う。
「その程度なのね」
目にもとまらぬその太刀筋は綺麗に茜の肩から斜めに切り込まれる。そしてその勢いのまま、茜は衝撃と共に道端の草むらに吹き飛ばされる形となった。
「茜!? どうにもなってないじゃない!」
道端の草むらは手入れがされていないのか、吹っ飛んでいった茜が見えない程の高さ。
「さあて、試験は不合格かしら?」
リリィが言って茜が突っ込んでいった草むらを薙ぐように振ると倒れた茜が見えた。
茜のブラウスが襟から脇腹にかけて斜めに裂け、黒い下着と茜の綺麗な肋骨とくびれが見えてしまっている。
「茜! 大丈夫!?」
雪花は今すぐ駆け寄りたい所だが間には茜に向かって余裕綽々といった様子で歩くリリィが阻む。
茜の来ている服は全て防刃性能がついている筈だ。それを上回る刀の鋭さと力がリリィにはあるのだろう。その性能がなければ今頃茜の体は真っ二つに違いない。
「他愛もないわね。そう言えば白海雪花。あなたヒーリング出来るんだったわね」
「え、ええ」
「どの程度なら治癒できるのかしら?」
そう言って振り返るリリィの不気味な笑みに雪花は戦慄する。
雪花は少し前の講義で、暴力反対を訴える茜にもし怪我をしたら治せばいいと言っている。リリィはそれと似た事を茜にしようと言うのだろう。
リリィは茜を殺すわけにはいかない。であれば茜が死ぬギリギリまで痛めつけ雪花に治癒させればいいのだ。
だからその問いに雪花は答えられない。雪花は治癒師としてはかなり優秀だ。即死でなければ雪花であればどんな傷でも治す事が出来るだろう。
「あーら、だまっちゃった……まあいいわボロカスにして剣君の前に差し出してやろうかしら? 服は全部引き裂いて、あられもない姿を剣君の前に差し出すのもいいわねぇ」
言ってクスクスと笑うリリィ。
全く、歪んだ信仰心の持ち主だと、雪花は顔を歪ませてリリィに恐怖する。
「そんな事をしたら……剣は歓喜してお前に礼を言うだろうな」
それは痛みに顔を歪ませながら体を起こす茜。
「あら、まだ喋れるの?」
先程の一撃で茜が立ち上がれず戦闘不能になったと思ったのだろう。
「浅かったのかしら……それとも後ろに飛んで衝撃を和らげたか……まあどうでもいいわ。次で終わりにしてあげる」
刀を振り上げるリリィだがそこに茜が待ったをかけた。
茜が右手を突き出したのだ。その手には鞘に入ったままの青桜刀が。
「どういうつもり?」
「私の負けだ。降参……」
「降参?」
「そう……これ、セレナさんに貰った刀……お前の方がふさわしいみたいだ」
「え? セレナ様の!?」
そこで色めき立つリリィ。
セレナの所有物と聞いただけで神器にでも見えているのだろう。
「茜! それセレナさんから借りた大切な刀じゃ!?」
セレナが青桜刀を茜に貸し与えた現場に、雪花も同席していた。
それはセレナの尊敬する人の形見だと。それをリリィに渡してしまうのかと、雪花は驚いて聞いてしまったのだがそれに茜はにっと笑顔を向けた。
「ああ、セレナさんが大切にしている刀だ。リリィ、お前の方がふさわしいよ」
「……セレナ様の」
リリィは自分の刀を鞘に納め収納石に収納する。
「これが……セレナ様が大切に想っている刀」
リリィは子供のように目を輝かせ、興奮するように手を震わせる。そして茜が鞘に納めた青桜刀の柄を握った。
「リリィ、これは大事な物なんだ」
「ええ、心得ているわ」
「なら、しっかり持ってろよ!」
そこまで言って茜は鞘の部分を引き抜いた。
「え?」
その茜の動作に困惑するリリィ。更にその後、リリィは困惑する事になる。
「お、おもっ?」
リリィも油断したのだろう。既に共鳴強化は解いてしまっていた。
レゾナンスと言えど共鳴強化を解けばただの人。
「あっ」
あまりの重さにリリィは体勢を崩す。しかし手を放さない。何故なら青桜刀は神と仰ぐセレナの大切な所有物だからだ。
かくして、リリィは一歩二歩と前によろけてしまう。
そしてそこにはリリィの真下に滑り込んでくる茜の姿が。
「何をっ」
その茜の表情は片唇を釣り上げ、意地悪く笑っていた。
「吹っ飛べ!」
茜の細く、綺麗な足がリリィの腹に突き刺さる。青桜刀を落とすまいと両手を使用したリリィの腹は無防備そのものだった。
「くっ、こいつっ」
地面を背にした茜の蹴りによってリリィは真上に浮かされる。
ただしあくまでも茜の蹴りは見た目通りの少女のか弱い威力しかない。その茜が力を持つリリィにそんな事をすればどうなるか、ただでは済まないだろう。
「茅穂月茜ぇえっ……ぶっ殺す!」
然るべくリリィは茜に向けて一線を越えた視線を向けてくる。
だがここでリリィは不思議な感覚に陥った。
通常蹴り上げられれば宙に打ち上げられやがて地に落ちるものだ。しかし地面から離れるばかりで茜がどんどん小さくなっていく。
「な、なにっ!? どういう事!? そんな強い蹴りじゃなかった筈なのに!」
不思議な事に、いつまで経っても重力の影響を受けず上昇していくのだ。
「止まらないっ……じゅ、十八メートルっ、くぅっ……これ以上はまずいっ」
いくら共鳴強化で体を強化できたとしても高所から落下の衝撃は抑えることが出来ない。
そこでリリィは思い出す。ファウンドラ社の装備で重力を無効にする装備があったと。
「まさかっ」
丁度、茜に蹴られた腹部。そこには茜が履いていた真っ赤なスニーカーが脱ぎ捨てられていた。
「いつの間にっ!」
茜はスニーカーの重力制御機能を使いリリィの体を無重力にし蹴り上げたのだった。
リリィは急いで真っ赤なスニーカーに手を伸ばす。それを掴んで投げればこの上昇は止まる。
リリィが確信したその瞬間だった。
「つっ!?」
リリィの伸ばした手に小さな衝撃。続いて鋭い痛みが走る。
「な、なんなの!?」
リリィは弾かれるように手を振ってその原因を目視する。そしてその目が真ん丸に見開かれる事になった。
「そう……お前は靴を取り除こうと手を伸ばさざるを得ない」
その手の甲には切り離されたショットナイフの刃が突き刺さっていた。更にその刃にはワイヤーが取り付けられており、その先には不敵に笑う茜。
「お前はもう詰んでいる」
その間にもリリィの体は宙高く舞い上がっていく。
そしてショットナイフの刃は自動で返しの刃が出る仕組み。自ら自分の手を引き裂かない限り外れはしない。
更にもう一度トリガーを引けば高速でワイヤーが巻き取られる仕組みだ。
「あ……まっ――」
それを察したリリィが先程までと打って変わって恐怖の顔。
だがもう遅い。
「えー、今日の天気は晴れのち曇り、時々~」
茜は間の抜けた表情でそんな文句を謳い、涙目になるリリィを見上げ、ニンマリと笑う。
「お、お願い! 待って――」
「リリィ~」
非情にも茜の細く白い指がトリガーを引いた。
更に悪魔の如く、茜は高く上げた凧を地面に落とすように、手を引いて加速度を付ける。自由落下よりもひどい仕打ちだ。
かくして、リリィと悲鳴、そして握られたままの青桜刀が凄い速さで落下し、茜の天気予報が当たったのだった。肉の塊が落下する鈍い衝撃音と共に。
「はぁ……どうにかなっただろ?」
「う、うん……」
その直後、茜は悲痛な表情と共に地面に膝を突きうずくまってしまう。
草むらに落ちたリリィを跨いで雪花は急いで茜の手当てに向かう。
「うぅ……痛い痛い」
「あーあ、結構折れてる……」
茜は鎖骨から逆側の肋骨にかけていくつか骨折していたようだ。茜のブラウスは防刃と言っても衝撃までは防げない。
「じっとして、すぐ治すから」
「服も直してくれ」
「それは無理だわ」
その時、リリィが呻き声を上げて指が動き雪花が小さな悲鳴を上げて飛び上がる。
「大丈夫。全身骨折でもう動けないだろ」
茜が言った通り、指が動いただけでリリィが立ち上がる事は無い。
顎も砕けてはいるのだが幾分か話は出来るようだ。
「私が、負け……た……強化も……使えないのに……」
プライドからか、意地なのか、よほど悔しかったのだろう。目からは大量の涙が零れ落ちてくる。
「なんで……あんただけが……セレナ様に……愛されるの……」
そして一人特別扱いを受ける茜に嫉妬の呪い文句。
そんな扱いを受けようと思って受けていない茜は溜息を禁じ得ない。あまつさえその特別扱いさえ迷惑だと思っているだろう。
「セレナさんに愛されたいなら愛される事をセレナさんにすればいい。それをせず相手を恨んで妬んで貶めることしかしてこなかった自分のせいだろ」
他人を妬んで恨んで足を引っ張ってもセレナの評価は何も変わらない。
そんな茜の言葉を聞いて、リリィは目を閉じたのだった。
「全く……難儀な奴だ」
辺りはどんどん暗くなっていく。この暗さなら茜の破れた煽情的な服装でも目立たず帰ることが出来るだろう。
「そう言えば」
「え? どうしたの?」
「いや、なんでこいつがここにいるのかなと」
「なんでって私達に試験と称して痛めつけようとしに来たんじゃないの?」
「こいつはヘイブン島攻略の任務に就いてた筈だけど」
「ヘイブン島?」
雪花が聞き返した直後、背後に足音が。
「良く知ってんなぁ」
そして男の声。
それは聞いたことがあるような声。
茜と雪花が振り返るとほぼ同時だった。
「うっ」
茜は頭に衝撃を受け目の前が真っ暗になってしまったのだった。
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