茜と大吾、両者服を着て距離を取り、砂浜に腰を下ろす。だが二人は喧嘩中。だから二人の間には仲介役の雪花。
「あーあー、首の所あざになってるじゃない」
「い、痛い……」
雪花が茜の首に触れる。すると茜はビクついて痛がった。
大吾が強く絞めすぎた為か、茜の細く白い首には絞めつけられた跡が痛々しく残っていた。
それは茜の大吾を挑発するような言い方が悪かったからなのだが、大吾も我を忘れていたとは言え、こんな小さな少女に暴力を振るっていいはずがない。
「だ、大丈夫か?」
「……ふんっ」
一応大吾は謝ったのだが、茜は睨み返し、顔を背けたのだった。
それには大吾は申し訳なさそうに溜息だ。
「それで、雪花ちゃんだったか……」
雪花が茜を治癒していると大吾が詳細を聞いてくる。茜が何故自分を「親父」と呼ぶのか。茜が自分の子供なのであれば何故こんな姿になっているのかと。
「これって言っていいのかな?」
「……別にいい」
雪花が尋ねると、茜は口を尖らせてそっぽを見ながら答える。
普段冷静で大人びた印象を見せる茜も実の父親である大吾の前だからか、駄々をこねるただの子供のようだ。
自分で答える事はしないのか、と雪花は考えるが先程の険悪なムードを見て仕方ないかと思い直す。
だから雪花は治療しながら大吾に説明してやった。
四年前、茜は桜之上市を救うため母を殺してしまった事。
その直後にファウンドラ社に所属した事。ファウンドラ社の任務中に茜がルイスの薬によって少女化した事。元の名前が光で少女化した事を嫌い隠している事。
実の親なのだからこの情報をおいそれと敵対する誰かに漏らしたりはしないだろう。
そんな雪花の話を大吾は黙って、しかし眉をしかめながら聞いている。
恐らく半信半疑なのだろう。男を女にするような薬が存在するなんて信じろという方が無理なのだ。
茜の治療を終えた雪花は大吾に向き直った。
「あの光のお父さん……信じられないかもしれないですけど、これは全部真実でして――」
「信じる」
「え?」
大吾を説得しようとした雪花だが肩透かしを食らう。
大吾は意外とすんなりと受け入れたのだ。
「光が俺を恨んでいるって事はある程度予想はついていたからな……それに……そのお嬢ちゃんから出てるオーラの色が一緒だった。あの竜巻で見失わなかったのもそのおかげだ」
大吾は言って茜を見る。
茜もその事実に驚いて大吾を一瞬見るが目が合ってしまったからか、目を背けた。
「それって紫色のですか?」
「ああ、偶然だと思ったんだがまさか本当に光だったとはな」
大吾の言う紫色のオーラ。それは雷地が茜を光だと言い当てた理由の一つ。
大吾は雷地同様、紫色のオーラと茜の自分に対する態度で雪花の言葉を信じたようだ。
「雪花ちゃんにも見えるのか?」
「いえ、私は見えないです」
肉親であれば見えるのか、と雪花は一瞬思うがセレナやディラン、ギャリカにも見えていた。その法則が分からず、雪花は頭を掻いて笑う。
治療を終えた茜は拗ねたように膝を抱えて地面を見つめていたが気になるのか、耳を雪花達の方へ向けている。
「そっか……」
そして大吾はそんな茜へ視線を向けた。
「俺を恨んでいるだろうが……それでも……光、なんだよな?」
大吾は立ち上がり茜に歩み寄った。
それに気づいた茜は後頭部が見える程そっぽを向いて大吾から視線を逃がす。
これは予想よりもかなり恨みは深いなと、大吾はそんな茜を見下ろして苦笑いだ。
「おめぇが元気で良かった」
「……今更父親面かよっ、吐き気がするんだよ!」
心身ともに歩み寄る大吾に茜はそんな辛辣な言葉で突き放す。
大吾は茜を置いて行ってしまったのだ。だから雪花も茜の気持ちは分かる。だが初めて対面し十数年ぶりに会えた父親に向かってそれは少しきつ過ぎないかとも思う。
現に大吾は辛そうに口を引き絞り茜を見下ろしていた。ずっと会えなかった実の息子に合えたのにこの仕打ちは少々酷だ。
「瑠衣菜の……母さんの事、すまなかったな。お前に辛い思いをさせた」
それは茜に実の母を殺させてしまった事。大吾がいればまた違った結果になったかもしれないのだ。
その大吾の言葉には茜は反応出来なかった。
母である瑠衣菜の事を言われると茜も辛い所がある。茜は大吾の恋人を殺してしまったのだから。
「だがな光、雪花ちゃんの話を聞いて流石俺の妻だと思ったぜ?」
そこで茜は大吾に向き直る。
茜は言ってやりたかった。
「あんたに何が――」
ずっと放置し続けた男が何を知った風な口をきくんだと。体を張って桜之上市を守った母の行いをそんな簡単な言葉で終わらせるなと。
「わかっ……」
罵倒してやりたかった。
だがそんな茜の勢いは急速に削がれていく。
「あいつは……最高のおん……なだ」
それは当たり前の反応だった。
茜が生まれた直後から生き別れとなった母、葵瑠衣菜。いつか会えるだろうと思っていた自分の愛する妻。
その瑠衣菜が突如亡くなったと告げられたのだ。
それを殺したのが赤の他人であれば激昂するのは自明の理。だがそれが実の息子で大義名分があるのであればそうなるであろう現象。
「さすが……俺の……」
木製の仮面の下からは涙がとめどなく流れ出してくる。
頬を伝い、顎に到達した涙は大粒の水滴となって砂浜に吸収されて行く。
「悪いな……この年になって来ると妙に涙もろくなってきやがる」
大吾は涙を拭い両腕を広げる。
「光……今は茜って名乗ってんだったか。俺を憎む気持ちは分かる。分かるが……俺におめぇを抱きしめさせてくれねぇかな?」
拭ってもとめどなく溢れてくる涙は次々と頬を伝って白い砂浜に水玉模様を描いていく。
茜も母を殺してしまった罪悪感がある。涙を流す父の思いに応えてやりたいという想いもあった。
「こんな俺でもな、お前の父親だったんだ、ずっと……この時を夢見ていた。ずっと抱きしめたいと思っていたっ」
それは十数年越しの大吾の想い。
夢にまで見た血の繋がった家族との再会。
それを果たす事が出来たのだ。大吾にとってこれほど嬉しい事は無いだろう。
だが肝心の茜の想いが長い年月をかけて冷めきってしまっていた。実の父の胸に飛び込んでいくにはあまりにも時間が経ちすぎていたのだ。
「……嫌だ」
そしてそれが茜の答え。
大吾に背を向けたまま非情に言い放った。
それはあまりにも酷だと、雪花は思う。せっかく実の父と再会できたのだから素直になって欲しいと。だが茜が大吾を憎む気持ちがかなりのものだと言う事も理解している。
これは二人の問題だと、雪花は開きかけた口を閉め、その様子を見守ることにした。
そこに茜が少しだけ大吾に体を向け直し、更に言葉を紡ぐ。
「あんたは……どうして日和の国に帰って来なかったんだよ」
見れば大吾は動けない程の怪我をしているわけではない。
帰りたいのであれば帰れた筈なのだ。なのに何故こんな所でキックス犯罪集団と共にいるのか。
「ああ……そうだよな。当然の疑問だ。俺には帰れねぇ理由がある」
「理由?」
「俺はドアナ大陸で死にかけた」
「え?」
そこで大吾はドアナ大陸で何があったのかを語り始めた。
大吾の説明ではドアナ大陸で死にかけ、それを助けてくれた男がいたようだ。
その男が大吾に仮面を被せると見る見るうちに傷が治り動けるまでになったという。だが仮面を外すと傷は元に戻り、激痛が全身を襲った。
「これが生命の仮面。外すと俺は死んでしまう」
大吾は自分の顔に付けている仮面を指し示し、自分の置かれている状況を説明する。だから先程、雪花に殴られて仮面が飛ばされた時、あんな醜態をさらしたのだろう。
オカルトじみたそんな不思議な仮面の存在。だが茜達はそれを超える現象を目の当たりにしてきた。今更疑う事もない。
「この生命の仮面って奴はその男が術で操っているらしい。だからその男は交換条件を出してきた」
ここまで聞けば茜は理解できた。何故、大吾が日和の国に帰ることが出来なかったのか。
「この仮面で俺を生かす代わりに、自分に従えってな」
大吾は雷地が言うにはかなり強かった様子。だからその腕を買われたのだろう。
それでは大吾が故郷である桜之上市に帰ることが出来ないのも頷ける。その男に従わず故郷に戻れば死んでしまうのだから。
だからと言ってその男を殺してしまったら仮面の傷を癒す力が無くなってしまう可能性がある。大吾は従うしかなかったのだ。
「それが……あんたが情けなく仮面を拾った理由かよ?」
「ああ……」
茜が問うと、大吾は力なく頷いた。
大吾は自分の意思で帰らなかったわけではない。帰れなかったのだ。同情の余地はある。
「だからって……私達を置いて行っていい理由にはならないだろ」
「そうだ……な」
それは茜はどうしようもなかったと言い張る大吾をまだ許せないでいた理由。それは自分達を残してドアナ大陸に行ってしまった無責任さだ。
だが大分茜の溜飲も下がったのだろう。少々の口の尖りはあるものの先程の棘は無い。
「……その男の名前は?」
そこで茜が尋ねる。
今茜達が携わっている案件にはキックス犯罪集団とブラッドオーシャンの影が見え隠れしている。その男はもしかしたらブラッドオーシャンと関わっているのかもしれない。
だから大吾は今どの立場にいるのか。詳細を聞いておきたかった。だが大吾は首を振った。
「分からねぇ……教えてくれなかった。だが皆からは氷結の、とか魔術師とか呼ばれてたな、確か」
「氷結……」
その大吾の言葉に茜は考える。
この世には火を出す事が出来る人物。更に刀を発光させたセレナの存在がある。それは明鏡共鳴と言われるレゾナンスが自身の生まれ持った資質を自分で認知し開花させる共鳴力。世界でも指で数える程しか確認されていないと言われる稀有な存在だ。
先日、セレナが対峙したブラッドオーシャンはクリスタルを操っていたと茜は聞いている。その類なのかもしれないと。
「その人ってブラッドオーシャンだったりする?」
ズバリ茜は大吾に聞いてみる。
雪花も固唾を飲んで見守るがまたもや大吾は首を振った。
「ブラッドオーシャンってあの都市伝説か? さあなぁ……とにかく口数が少ない奴だった。俺が命じられたのは傭兵やら犯罪集団の護衛だ。最近じゃあシズネやらキックスやらだな」
「シズネ?」
「シズネって……ギャリカさんが壊滅させた?」
茜と雪花がその言葉に反応し顔を見合わせる。
シズネという犯罪集団。それは茜が少女化した時に運び込まれたルシャワ大学附属病院の地下へ降りる際、ギャリカが潰したと言っていた犯罪集団。
セレナが金の流れから古代の遺物を運び出したと予想した犯罪集団だ。
「なんだ、知ってんのか? 何か運び出してフードの女がやって来てたな。俺はその周辺を護衛しろって言われていた」
「ブラッドオーシャンだな」
「ええ……やだなぁ」
茜は確信し、雪花は怯えた。
フードの女は終末の悪魔関連で二度程姿を見せている。一度目は六千メートル海底の飛空艇アシェット、二度目は獄道玄と魁人を護送中に。
大吾は目を細める。
「おめぇらまさか危ない事に首を突っ込んでんじゃねぇだろうな」
親心か、茜達を心配して大吾は茜と雪花を見る。
だがその大吾の視線を茜は睨み返した。
「今更父親ぶるなよっ。私達が何をしようと、あんたなんかに関係ないだろっ」
「うぅっ……」
静かに怒る茜に大吾は何も言い返せずたじたじだ。
「す、すまん……ん?」
茜の事を思っているのだからそんなに怒る事ないだろと、雪花は口を開こうとした時だった。
大吾が何かに気づきポケットからスマコンを取り出した。
「俺だ……今は島の東辺りだ。ああ、分かった……すぐ行く。いや、何もねぇよ」
そう言って大吾はスマコンをポケットにねじ込んだ。
「ちと……用事だ」
「キックスか?」
茜は立ち上がり、すぐさま大吾に尋ねる。
大吾はキックス犯罪集団が乗るクルーザーに乗っていた。であれば大吾を呼んだのもキックス犯罪集団だろう。
茜はそう思っていた。だが総出は無いようだ。
「いあ……今回、俺を呼んだのは氷結の野郎さ」
大吾は忌々しく言い放つ。
それは大吾を生命の仮面で生きながらえさせ、いいように使っている男だろう。助けてもらった大吾本人もあまりいい印象は持っていないようだ。
次に大吾はしばし茜を見つめる。
それに気づいた茜ははっとして視線を逸らし体を背けた。
「なんだよ……」
「いや、何も。じゃあな」
大吾は最後に茜を抱きしめたかったのか。
だが茜の気持ちは体の向きと同じだろう、と大吾は結論を出し踵を返して去っていく。
またここに戻ってくるつもりなのだろう。焚き火の横に置いた荷物はそのまま置いて。
「ま、待って下さい!」
「ん?」
雪花の言葉に大吾は歩みを止めて振り返る。
「茜を、抱きしめなくていいんですか?」
「な、なに言ってんだ雪花! 余計な事言うな!」
「だって!」
雪花は茜の体を掴んで大吾に突き出そうとするがその手を茜が掴んで防ぐ。
「素直になりなさいよ!」
「素直になってるからこうなってんだろうが!」
「ほらあれよ! パパ活みたいな感じで嘘でもいいから抱きしめさせてあげればいいのよ!」
「ほんっとうにお前はぺらっぺらだな! 胸はあるのに心はぺらっぺらだ!」
「なにをぉ!」
大吾はそのやり取りを見て笑い、胸ポケットから何かを取り出した。
それに気づいた茜が見ればそれは雷地に貰った青の陶器製で金細工が施されたペンダントと同じ型。だが大吾のそれは青ではなく赤の陶器で出来たペンダント。
「お前さえよければだが……これ、受け取ってくれるか?」
そして大吾は茜にそのペンダントを突き出した。
「もう持ってる。青いやつ」
茜はセレナに貰った収納箱を出現させ中から青いペンダントを出して大吾に向かって突き出した。
「ああ、瑠衣菜が持ってたやつだな」
恐らくペアで買ったペンダントなのだろう。父と母で持っていたようだ。
大吾は懐かしそうにそれを見ると口角を上げて笑った。
「懐かしいな……」
そう言う大吾に茜は嫌そうな顔をして一言。
「あげないからな」
「そうか……なら最後に抱きしめさせてくれるか?」
そう言って大吾はもう一度腕を広げてみる。
これが最後かもしれない。ここで別れたらもう生きて会う事が出来ないかもしれないのだ。
雪花は喜びの笑みを浮かべて茜を見るがそっぽを向いて微動だにしない。
「だよなぁ……」
「あ、茜! これが最後かもしれないのよ!?」
「……」
茜は黙ってしまう。
雪花が言ったようにこれが最後、という言葉が一瞬よぎった。
茜は一度顔を上げて大吾を見上げてみる。
だが、やはりまた俯いてしまった。どうしても大吾が許せないらしい。
そんな煮え切らない茜に雪花は怒りを覚える。
だからか、雪花は茜の背中に手の平を当てた。
「あか――」
「雪花ちゃん」
茜の背中を押そうとした雪花の手を大吾の言葉が止めた。
「へ?」
「ありがとな」
大吾は寂しそうに笑って手を降ろす。
「じゃあな」
「そんなっ」
そして歩いて行ってしまったのだった。
雪花はその背中をしばし呆然と見送って、茜を睨みつける。
「……バカッ」
「ふ、ふんっ……」
そして茜は逆側に歩き出したのだった。
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