雪花が茜にだけ聞こえるようにダイアルを調整して話しかけてくる。
短い息遣いと床を打ち鳴らす音が反響している。走りながら話しているのだろう。
『あんた、なんで笑いながら攫われてんのよ! 私に心配するなってとでも言いたかったの!?』
とは、茜が船室で触手に包まれ連れて行かれた時の事を言っているのだろう。
その声は怒気に満ち溢れている。先程まで涙を流していたのにどういった心境の変化だと、茜は思う。だが次に雪花の発する言葉は怒りを通り越し、あまつさえ憎しみを感じる程に感情をむき出しにしていた。
『善人ぶってんじゃないわよ? 一体何様のつもり!?』
雪花のそんな言葉に思わず茜の視線がバドルから外れる。
しかし正確に言えば目の前にいるバドルを見てはいるがバドルに焦点があってないようなそんな視線。これにはバドルも訝し気に目を細めて茜を見る。
一体どこで爆弾の銅線に火をつけてしまったのか、茜には分からなかった。何故助けてあげたにも関わらず雪花が茜の事をそんなに怒っているのかも。
雪花は気に食わなかった。ただ単に気に食わなかっただけだった。自分を犠牲にして他人を守ろうとする茜の事を。
雪花は茜とは幼馴染で付き合いは長い。
だから自分が知っている茜は自己犠牲なんて崇高な思考は持ち合わせていないと。自分を遊び半分でこんな窮地に引き入れる奴がそんな聖人染みた事をするはずがないと分かっているのだ。
大方、茜が自分を助けて悦に浸っているとでも思っているのだろう。
『これで私を助けた気でいるんじゃないでしょうね? 私をここに引っ張ってきたのは、あんたなの! 責任もって私をここから連れ出しなさいよ!』
それはもっともな意見だった。自己中心的で、我儘な意見だ。だが雪花を心配して掴まって、今にも殺されそうな場面でそのセリフは茜にとって少し酷というもの。
雪花には二面性がある。
道徳的な事を言っていると思えば一転、人として超えてはいけない一線を大股開きで超えてくる。茜がハイジャック犯に連れて行かれそうになった時もそうだった。口で言っている事とやっていることがあべこべなのだ。
そんな人でなしで、しかし人の本性として正常な判断をする雪花を茜は嫌いではなかった。そんな雪花だからこそ茜は気楽に接することができ、長年、友達でいられるのだろう。
『それに今時自己犠牲? ダサすぎ! くっそダサいから! 流行らないのよ!』
ここまで言われる筋合いはないと、現在進行形で触手に雁字搦めにされている茜も流石にしかめっ面にならざるを得ない。更に口を尖らせて不満顔だ。
『それに何より、あんたが死んだら私のせいになっちゃうでしょうがああ!』
それが本音だろう。
もし茜が死んで雪花が生き残れば確実にセレナの攻めが茜の護衛を依頼した雪花に向くだろう。それは雪花にとって、とても恐ろしい事だった。
そんな本音をまき散らしながら疾走する雪花。
その本音が金属製の床や廊下、天井に当たって反響する。それらを纏いながら雪花は走って拳を握る。
その場しのぎの情に訴えず、自らの本音を端的にぶちまける雪花。茜にはそちらの方が心が揺れ動くらしい。
「貴様、先程からどうかしたのか」
そんな茜の表情の変化にバドルは敵ながら心配そうな顔をする。
「いや、別に……」
「そうか、では次は貴様の番だ小娘」
バドルと茜の交換条件だ。
バドルが仲間を殺して満足しているのか。その答えと引き換えに茜が何故バドルの正体を知っているかを話す約束だ。
「お前は何故ワシの情報を知っている? 一体何者だ?」
雪花がここに来るまでもう少し。だから茜はバドルがさらに興味をそそられる一言を口に出してやる。
「正義の味方だよ」
「なっ」
それはバドルを倒し、茜が去り際にはなった一言。バドルにとっては敗北した直後に言われた一言だ。
その一言は鮮烈な記憶としてバドルの脳に刻まれているに違いない。
「き、貴様! もしや何かの組織に所属しているのではあるまいなっ」
敗北の記憶と茜の一言、そして古めかしい武器をもってそう思ったのだろう。依然その一言を捨て台詞に立ち去った少年と同じ組織だと。
それは半分正解で半分不正解だ。光と茜は同じ組織に所属してはいるが別人ではなく同一人物。バドルも流石に少年から少女の姿に変わってしまったとは夢にも思わないだろう。
茜は不敵に笑い、バドルを真っ直ぐに見据える。
「あんたも自己犠牲の精神で取捨選択してみたらいい。案外、仲間が自分の命を守ってくれるかもよ」
「黙れ!」
それはバドルがやろうとして出来なかった事。長いものに巻かれたバドルの神経を逆なでする言葉だ、
触手がにょきにょきとバドルの背後から顔を出す。そしてその矛先は茜を確実に捉えている。
更に触手の締め付けが少しきつくなる。茜は苦しそうな表情を浮かべるが続けて言葉を紡ぐ。
「あ、案外、その方が……人生上手くいくかもよ?」
茜はそう言って天を仰ぐ。
生を諦め、これから行く先を見据える為に天を仰ぐ、というわけではない。
そこからやって来るであろう救世主を心待ちにしているからだ。自分の命を守ろうとしてくれる仲間を。
何故なら茜の瞳には既に、上のフロアから飛び降りてくる雪花が写し出されていたのだから。
「お前の負けだよ」
「む?」
バドルの後ろ、金属の板がこつんと響く。
茜の思いもよらぬ言葉に、バドルは気後れし、一瞬反応が遅れる。振り返ると雪花の拳が既に脇腹にめり込んでいた。
「これもまた一般人、と見せかけた何かか?」
雪花の服装もハイジャック犯とは全くの別物。バドルは自分の脇腹に拳を突き立てる雪花を睨みつける。
「正義の味方だよ。私にとってのな」
雪花の拳は効いていない。共鳴力を持っていない一般人に対してであれば雪花の拳は有効打になりえるだろう。
しかしバドル程の熟練度を持つレゾナンスにはあまり効果がないようだ。
「また正義の味方か。もうたくさんだ。貴様等、全員今すぐころして――」
その時、バドルは体をくの字に曲げ、片膝をついて崩れ落ちる。そしてバドルは口から血を吐き出し口を赤く染めて咳き込んだ。
その際、茜を拘束していた触手が解除される。
「うわっ」
宙で触手から解放された茜は急に無重力になる。だが先程の締め付けが強すぎたせいか、茜はすぐに動けず、人形のように力なく落ちていく。
「茜!」
それを雪花が落下地点に滑り込み、何とか茜を抱きとめた。
「貴様っ、まさかコネクターか……」
バドルは喉に血が溜まり、長く話すことができないようだ。
バドルの言うコネクター、とは共鳴力を持つ能力者、レゾナンスの一種だ。
雪花のように相手の共鳴力を操るレゾナンスは一般的にコネクターと呼ばれている。
コネクターは触れた相手の共鳴力と自分の共鳴力を同化させて操るレゾナンスのこと。皮膚に穴をあけることなく体内に触れる事が出来る。
レゾナンスの中でもコネクター型は希少だ。現在では医療の現場での活躍が多い。
雪花はバドルの共鳴力を自分の共鳴力で同化させ、体内を破壊したのだ。使いようによっては少し残酷な共鳴力となる。
「ぬかったわ……」
バドルは内臓を破壊され再起不能だろう。
「茜! 大丈夫!? 変な事されてない!?」
雪花は茜を抱き起こし、手や足を入念に確認する。手首に少し触手の後が出来てしまっていたが大事には至っていなかったようだ。更に服をまくり上げて体を見ようとする雪花の手を茜が捕まえて「大丈夫だ」と申告する。
「強く締め上げられたくらいだ。安心しろよ雪花、私は死なないから」
茜が雪花の肩をポンポンと軽く叩いてやる。すると雪花の目に、先程絞り切ったばかりの涙がまた溜まりだす。
「本当にばかなんだからっ……あんたが死んだら、死んだらっ」
「お前のせいになって困るんだろ?」
人としての本性に忠実な雪花。
茜が死んでしまったらセレナに怒られてしまうという自己中心的な都合。それは涙を流す程怖い事なのだ。
「そうよ! 偽善者ぶって! 死因が自己犠牲なんてダサすぎる! そんな事で死のうなんて思わないでよ! そんなのっ」
そして雪花には二面性がある。
人としての本性を剥き出しにしていると思えば一転、人として生まれたからには培われなければならない道徳心を前面に出してくる。
「私が……悲しいでしょっ」
雪花はえずくように咳き込んて茜の胸に顔を埋めて泣き出してしまった。
雪花程とはいかないまでも茜の胸もふくよかな方だ。きっと心地よく泣いてくれているだろうと、茜は軽く雪花を抱きしめてポンポンと背中を叩いてやる。そしてダムが決壊するように透明の涙が溢れ出す。それは頬を伝って唇を伝い、茜の胸の上に放流される。
「そうか……ごめん、心配かけた」
雪花は臆病だ。ここにはバドルという悪魔もいて危険もあった。にもかかわらず、茜を助けに来てくれた。全力で地面を蹴って息を切らしながら、恐怖で硬直する体を奮い立たせて。
茜はそんな雪花の行動がとても嬉しく思えたのだろう。茜は胸で泣いている雪花の顔を優しく引き揚げてやる。そして先程、雪花の顔を拭ったように、万力グローブで拭ってやる。今度は強く掴んでしまわないように優しく。留まる事を知らぬ涙を。
雪花はただなされるがまま拭わせている。
「それとそのぉ……あ、ありがとな。結構危なかったから助かったよ」
涙で視界が揺らぎ、見えているかどうか怪しい雪花の目。
だがその目からでもはっきりと分かるくらいに顔を赤らめ、そっぽを向いている茜を捉えていた。
幼馴染とは言え、面と向かって言うにはやはり気恥ずかしさがあるのだろう。しかも先程まで偉そうに守るなどと宣言してしまっていた。それがこの体たらくなのだから雪花の目をまともに見れるわけがない。
「……心がこもってない」
茜が意を決して言ったお礼にもかかわらず雪花の評価は渋い。雪花は泣き顔に加えてしかめっ面だった。
気恥ずかしさを伴う演技が周りをしらけさせてしまうように、茜のそんな言葉もまた雪花をしらけさせてしまうようだ。
「なんでだよ……」
だが付き合いの長い友達同士であればそんなものだろう。そしてその気持ちは雪花にはちゃんと伝わっている。
そんな、いつまでも目を細めて眺めたい微笑ましい光景。だがその背景が少しずつ変化し始める。
「雪花!」
「え?」
茜は何かに気づいたように雪花の前に出て青桜刀を構える。
茜の視線の先には内臓を破壊され虫の息である筈のバドルがいる筈。
雪花は茜の肩越しに覗くと信じがたい光景が広がっていた。
「なんで!?」
立っていたのだ。
先程まで地は這いずりながら苦しんでいた悪魔の憑いた男が。
「貴様、よくもやってくれたな」
バドルは何事もなかったかのように立ち上がり、茜達を見下ろしている。
「どうして……内臓をぐちゃぐちゃにしたはずなのにっ」
「ぐちゃぐちゃって……恐ろしいなお前」
「で、でもっ、確かに」
そんな事を言われてもと、茜は目の前にバドルは立っているバドルを睨みつける。
ただ、先程バドルは血を吐いて倒れていた。雪花の共鳴同化は間違いなくバドルの体内を破壊した筈だ。
であればバドルが何事もなかったかのように立っている理由はただ一つだ。
「どうやら、悪魔の力には修復機能があるみたいだな」
バドルは茜の言葉に片唇を釣り上げて悪魔のような笑みを見せる。
「悪魔の力というやつだ。ワシも驚いたがな。聞いていた通りだ」
茜の予想は正解だったようだ。
これによって状況が一気に悪化する。
金属の壁に穴を空ける程の力と無限に増える触手。加えてぐちゃぐちゃにされた内臓をあの短時間で修復する能力を持ち合わせている。これではもう手の打ちようがない。潜水艦を率いてやって来るのも頷ける脅威だ。
「その力が欲しかったのか? 部下を殺してまで?」
「そうだ」
バドルはその茜の言葉によどみなく言い切った。
「力がいる。だからワシは部下を殺し、キルミアを捨て、あちら側に行ったまで」
「ブラッドオーシャンへ?」
茜はバドルの一挙手一投足を見逃すまいと目を凝らす。
この案件ではそんな都市伝説のフレーズが見え隠れしている。一般人が仲間内で冗談交じりに話すような都市伝説。
しかし今、接触したであろう男が目の前にいる。その男の反応でそれが都市伝説かどうかがわかるというもの。
「お前達は……」
バドルはただ茜を睨みつけ、目を細め、眉をひそめた。そしてバドルの右手には茜と以前戦った時に使用した槍が出現する。
それが何を意味するのか。
口に出さなくとも理解に難くない。懐疑的に見ていた、へたり込んでいる雪花でさえも口が次第に開いていく。
ブラッドオーシャンは実在する。
「知り過ぎたようだな」
「嘘……」
半分独り言、半分問いかけという不思議な声色で雪花がポツリ。
その時、突如雪花の目の前に槍の矛先が出現した。
「へ?」
それは目にもとまらぬ速さでバドルが茜と雪花を貫こうとした槍だった。
それを茜が青桜刀で逸らし、直撃を免れたのだ。
茜の桃色の瞳が対峙しているバドルの動作を一つも見逃さぬよう油断なく見開かれている。バドルは秘密を知ってしまった茜達を確実に仕留めに来ている。
「これを止めるか……だがどの道、お前達はここで死ぬ」
バドルは背後に無数の触手を出現させる。
それは十本やニ十本では収まらない。バドルの背景をすべて触手で塗り替えるように高く幅広く、茜達を威圧するよう展開する。
バドルの背後に蠢く無数の触手の先端が茜達に向いた。
さすがの茜でも五、六本を裁くのが限界だろう。雪花の共鳴力同化もあるにはある。だが短所として相手の体に触れなければならない。修復できるとはいえあの威力を知ったバドルはもう雪花を近づかさせてはくれないだろう。
「さて、終幕だ小娘共」
だがもう一つ、茜には四年前、天空都市を退けた力がある。セレナが意図してつけたかは定かではないが茜の名前と同じ力。茜色の奇跡と呼ばれる共鳴力放出型、山一つを軽々と吹き飛ばす程の力が。
しかしその力は少々大きすぎる。こんな所で放てばバブルドームリングが破壊され海水が流れ込み、深海六千メートルの水圧でつぶれてしまうだろう。
「茜!」
「下がれ雪花!」
数多の触手が茜を襲う。
茜は青桜刀を振り、一本二本と斬っていく。しかし数が多すぎる。茜を半球状に囲み全方位から襲ってくるのだ。しかも切ってもすぐに再生する。茜一人で捌ききれるものではない。
「うっ」
あっという間に茜は捕まってまた手足を拘束されてバドルの目の前に連れていかれる。
「そうだ、一つ疑問なのだが――」
「茜!」
雪花が走って駆け寄ってくるがそれを触手が絡めとる。
そして茜と同じように手足を拘束されて更に口も塞がれ、バドルのすぐ傍に横付けされる。
「うぅ……」
悶える雪花の首に鈍く光るバドルの槍の切っ先が突き付けられた。
「やめろ! 雪花をどうするつもりだ!」
茜は必死にもがくが拘束は固い。せめてもと、必死に睨みつける茜。
それを見てバドルは不気味に笑う。
どうやらバドルは茜に何か聞きたいようだ。雪花に槍の矛先を突き付けた時、笑ったのは茜にとって価値の人質であると確信したからだろう。
「茜とやら、先程言ったな」
「何?」
「正義の味方だとかぬかしていただろう?」
「ぬかしたがなんだっ?」
「お前の正体は何だ? ワシの槍をこの数日で二人躱した。しかもその二人共が正義の味方だとぬかす。これは偶然か?」
それは光という少年と、茜という少女の事。そしてこれは同一人物。
光は任務で、茜はセレナに騙されてやって来た。偶然に近い必然だ。
「言わなければ、この女を殺す」
雪花は口を塞がれて喋れないからか、もがこうとするが槍の切っ先が首に当たって動きを止める。
茜はどうにかしてこの窮地を脱しなければならない。だがバドルは二人を殺すつもりだ。泣き落としも無駄だろう。
だからか、茜が片唇を上げて意地悪そうに笑う。
「前にも言った通り、通りすがりの正義の味方、ただのヒーローだよ」
そんな戯言を聞きたいわけではないと、バドルは口に出そうとして止めた。
そしてつまらんとばかりに鼻で長いため息を吐いて目を瞑る。
「無駄な時間を過ごしたようだ」
残念そうにバドルは首を振って雪花の命を左右する槍を強く握る。
雪花は目を見開いてそして思い切り瞑った。首に突き付けられる槍の矛先の冷たさに備えて。
「じかん……」
「ん?」
その時、茜が呟くように口を開く。
「何か言ったか?」
「時間だよ」
「時間?」
「知ってるか? バドル。ヒーローは時間にルーズなんだよ」
とは、ヒーローは遅れてやって来る、というよく聞くフレーズを言っているのだろう。だがこれは制作側の都合で遅れてきているだけだ。ヒーローが時間にルーズなわけではない。
「やはりただのガキか……もうヒーローはたくさんだ!」
バドルは槍を握りしめ、雪花の首を貫いた。
とバドルは思ったのだ。だが槍がピクリとも動かない。
それは別にバドルが触手を止めたのではない。バドルと雪花の間に割り込んだ人影がその槍の矛先を、手で掴んで止めたのだ。
「待たせた雪花。もう大丈夫だ」
その人影はワイシャツに黒いスーツを纏った金髪の青年。剣だった。
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