一人の女子生徒の青ざめた表情と「やばい」という不穏な言葉。
それに雪花が気づいて反応する。
「え? やばいってどういう事ですか?」
「うん……フォンさんから聞いた話で私も詳しくは分からないんだけど、ルココさんは感情が高ぶったり、追い詰められたりすると発症する病気を抱えてるんだって」
「病気?」
フォンと言えば以前、D棟屋上でルココの傍にいた自称、執事兼ボディガードの青年だ。
「うわっ」
その時、茜の悲鳴。
雪花が振り向くと寸止めした茜の足首をルココが鷲掴みにした。そしてルココは開脚し上げたままの恥ずかしい状態の茜へ乱暴な体当たりをしている所だった。
「ええ!? 勝負はついたのに!?」
茜は掴まれて動けず、軸足も浮かされ宙に浮いた状態。
そこからルココは足を振り降ろし、茜を地面に叩きつける。
「茜!」
だが茜は体が打ち付けられぬよう、棒を地面に突いて体を浮かし、難を逃れる。そして足首を掴むルココの手を蹴って剥がし、棒を支点にして後ろへくるりと一回転。
万力グローブがなければ茜の握力では床に叩きつけられていた事だろう。
「おい! なんの――」
茜が何のつもりだと、ルココを見るとその表情にぎょっとする。
ルココの表情は溢れんばかりの憎しみで覆われ、茜を睨みつけている。
更に特徴的なのはその左目。
ルココはオッドアイで左が紫、右が青紫。その左目が輝き、怪しい光を放っている。
「茜! その子なんだか病気みたいで」
「病気!?」
と雪花が叫ぶが、ルココの棒が茜を襲う。
先程までの綺麗なフォームとは打って変わり、暴力的で荒々しく振り上げられる棒。
「くそっ」
茜は何とかジャンプ一番避ける。
だがそこをルココはついてくる。体を反転させ茜を襲う。
「ちっ」
たまらず茜は棒でガードすると吹き飛ばされゴロゴロと床に打ち付けられたのだった。
茜としては荒々しくなった分技術が下がったと思ったがそうでもないようだ。
荒々しいフォームではあるが技術はまだ意識の片隅にあるのだろう。
「厄介な……」
茜は構えルココと打ち合うが体力が限界に近いのか、肩で息をしている。
「おい! まずいぞ!」
「ああ、止めよう!」
「おいルココさん! 止めろ!」
流石にまずいと思ったのか、男子生徒達がステージに上がる。
「そして俺が茜ちゃんを救う男に――がふっ」
「ふふ、俺がヒーローに――げふっ」
「そこだああああ――げはああああああ!?」
ルココに飛び掛かる男子生徒達が次々と棒で叩き出されて行く。
「おい雪花!」
「あ、茜! 大丈夫!?」
「とりあえずなっ、あいつどうした!?」
「なんだか病気らしいわ!」
「病気?」
「感情が高ぶったりすると発症するって」
茜が男子生徒達を吹き飛ばしているルココを見るとまるで追い詰められた獣のように自我は無い。ただ追い詰められ、鬼気迫る表情ではない。その表情には少しだけ楽しそうな笑みも垣間見える。
それを見て茜が「成程」と呟いた。
そして茜が出した見解は、
「狂化薄心症か」
「何それ!?」
だった。
狂化薄心症とは女子生徒が言った通り、危機的状況に陥ると気が狂う病気とされている。体が壊れぬよう設けられたリミットが外れ眠った力が引き出されるという病気だ。さらに厄介なのはそこに快楽の感情が介入するという事。
危機的状況に陥ったのであれば防衛本能が働き自身を守る為だけに力を使う。しかし狂化薄心症は快楽の感情が働き、その暴力行為が無限に拡散していくのだ。
「とりあえず茜! あんた降りてきなさいよ!」
「……駄目だ」
「何でよ!?」
と、避難を呼びかける雪花だが、茜に拒否される。
「ルココはレゾナンスだと言っただろ!? もし強化型だった場合、手に負えなくなる」
「あ」
現在、リング上は空間共鳴逆位相装置によって共鳴力は無効化されている。
ただでさえ力を増しているルココ。そのルココが共鳴力によって強化されれば手の付けようがなくなってしまう。茜は共鳴強化を行えなくなっている。ステージから出たらもう青桜刀で止めなければいけなくなってしまう。
更に皆プロテクター等つけていない。下手をすれば死人が出る。
「狂化薄心症は操れる共鳴力も増大する」
「そんなっ! じゃあどうするのよ!」
「そりゃあ……この上で勝負つけるしかないだろ」
「あ、茜! 後ろ!」
全ての男子生徒を倒し終えたルココが茜を襲う。
「くっ」
茜は横へ飛びのいて難を逃れ構える。
「ね、ねえ! 今までこんな事なかったの!?」
と、雪花は焦るように女子生徒に凄む。
「え……うん。一度も。それにルココさんが負ける所なんて見た事なかったし」
「うぅ~……フォンさんって言う人は?」
「う〇こ行くって」
「そ、そう……」
狂うルココを止めるのも執事兼ボディガードのフォンの役目なのだろうが生憎トイレに行っているらしい。ルココに勝てる人物がいないと思って気を抜いていたのだろう。
茜はルココと打ち合うが中々決定打は生まれない。
流石は全国優勝のルココ。そして体が弱体し、限界が近い茜では部が悪い。
先程勝ったのもルココの浅い経験の隙をついたからに過ぎない。
「このっ」
茜は弱々しい薙ぎをルココに放つものの合わせられた薙ぎで力負けし払いのけられる始末。
その体制を崩された茜の足を下段の薙ぎが襲う。
「くっそっ」
飛んで躱すがもう着地の力もないのか、倒れ込んでしまった。
「茜!」
「まずいぞ!」
地を這う茜。
そして目の前にルココの姿はなかった。
「なっ」
茜が見るとルココは高く飛び上がっていた。
ツインテールの金髪を振り乱し、宙を舞い、棒を高々と掲げて振りかぶっている。
「やっば」
まるで地を這う蟻でも踏みつぶすように、ルココは薄ら笑いを浮かべて高い位置から棒を振り降ろす。
雪花は目を手で覆う。
周囲の生徒達も目を細め、そして瞑る。
棒が高速で空気をかき分ける音。
そして何かに衝突した衝撃音。
メリメリと何かが砕ける音。
「うぅっ」
と呻く少女の声。
だがやはりそれは茜の声ではなく、ルココの声だった。
「え?」
雪花は目を覆っていた手をぱっとどける。
そこには想像を超えた光景が広がっていた。
信じられない事にルココの手には中ほどで折れた棒が握られていたのだ。
その衝撃でだろう、ルココは手が痺れ折れた棒をポトリと落としてしまう。
「これはどういう――」
雪花は訳が分からなかった。茜にルココの棒が振り降ろされ頭が砕ける所を想像していたのだ。
だが悶えているのはルココで茜と言えばもう立ち上がっている。
これは何も茜がルココの棒を怪力でへし折ったのではない。茜は棒を床に突き立てルココの振り降ろしをてつっかえさせ防いだだけ。
流石のルココも床には敵わない。更にルココの怪力に、棒が先に音をあげたのだった。
「せいっ」
そこへ茜の可愛らしい掛け声が聞こえてくる。
つっかえさせていた棒はルココの打ち込みによって少々湾曲し反動で宙に浮いていた。それを茜が足と腕で回転させたのだった。
それはコンッと小気味よい音を立て、悶えるルココの頭頂部に直撃したのだった。
「ぎゃ」
直撃した頭頂部を抑え、ルココはステージ上を転げまわった。
「お、背中ついたから今度こそ私の勝ちだな」
これは相撲ではないのだが茜は勝ちを周りに知らしめるように棒を掴んで振り上げた。
もうすぐ茜の死体が出来上がるかと思われたこの場に、一発逆転。茜の勝利がもたらされたのだ。
「あ、茜ちゃんが勝ってる!?」
「すげええ!」
「勝っちゃった……」
「ルココさんは!?」
と静まり返った場の空気が徐々に騒めき出す。
そして肝心のルココと言えば。
「あれ? 私……何を?」
ルココの狂化薄心症も元に戻ったようだ。左目の怪しい輝きも光を失っている。
ルココは痺れる手と折れた棒。そして立ち上がって得意げに見下ろして来る茜を見て状況を理解したらしい。
「あ、あの……私……まさか」
ルココは震えている。
自分の体の事は自分が一番よく分かっているのだろう。
周りを見れば傷ついた男子生徒達。
そして舐めてかかっていた茜に屈辱的な勝ち方をされ意識が遠のいた。
であれば自分が何をしでかしたのか。
全国優勝でエクレールグループのお嬢様が勝負に負けた上に発狂し暴れてしまった。これ程恥ずかしい事は無いだろう。
「大丈夫か?」
と、茜は手を差し出してくる。
今にも泣きそうなルココ。気持ちを察した茜はどんな表情をしたらいいか分からず、困ったように微笑みかけてくる。
「ええ……」
茜はルココを立ち上がらせて一言。
「この勝負、私の勝ちな?」
と。
すると周囲から拍手が沸き上がり、茜はそれに応えるようにゆっくりと一回転すると棒を杖がわりに床に突き、とぼとぼと雪花の方へ歩いていく。
「あ、あなた怪我をしたの!?」
「え? いや、ちょっと疲れただけ」
ルココは慌てて茜に問いかける。自分のせいで怪我をさせてしまったと思ったのだろう。
ルココは先程の記憶が一切ないようだ。狂化薄心症とは発症後の記憶は曖昧になる傾向がある。
だが茜は体力的に限界だっただけ。ルココからは一撃も貰っていない。
「そう……私、その、病気で」
と、ルココは言いにくそうに茜に打ち明ける。
「分かってる。でも私は何も被害ないから。止めようとしてくれた生徒はいくらか被害出てるからそっちに謝ってあげろよな」
とだけ言って茜は倒れるようにステージ上から落ちていく。
「茜!? 大丈夫!?」
「ああ」
それを雪花が抱き留めた。
「よし、雪花。この場を離れるんだ」
「え? 分った! では皆さん。お邪魔しました!」
雪花は茜をお姫様抱っこに持ち変える。
盛り上がったのか盛り下がったのかよくわからない雰囲気の中、雪花は茜を抱え足早に第四体育館を去ったのだった。
「あれ、皆さんどうしました?」
そして入れ替わりに、フォンがう〇こから帰って来たのだった。
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