第177話 ~突然の刺客~
ルココの元を離れ、茜とフォンは元来た長い廊下を歩いて戻っていく。
微かに残る西日が等間隔の窓から差し込み、薄暗い廊下を不気味に染め上げる。
「茜様、お爺様を手玉に取る策略、ルココ様を動かす人心掌握術、感服いたしました」
そんな雰囲気の中、斜め前を歩くフォンは嬉しそうに言って笑顔を向けてくる。
それを茜は自らはぎ取った赤いリボンを付け直しながら得意げな表情で迎え、鼻を鳴らす。
「ふふん、褒め過ぎだよ。でもルココがなかなか動かなかったから焦ったよ。年寄りイジメは趣味じゃないんだけど」
「そうですか? 随分と様になってましたよ?」
「演技派なもので」
いくらか弱い茜でも高齢者を何度も足蹴にしていい道理はない。
茜は「後で謝っといてよ」とフォンに頼むが「むしろ嬉しそうでしたよ」という返答が返って来たのだった。
その返答の直後、フォンの表情から笑顔が消える。
「ただ一つ問題が」
「問題? まだあるの?」
「ええ……ルココ様の親友である茜様になら話してもいいと思いますが宜しいですか」
「うーん、重くなければ。重くない?」
ルココとその祖父、蓮慈の問題は婚姻の是非が絡んだ重要なものだった。
これ以上の問題事はごめんだと、茜は予防線を張る。
その質問にフォンは答えない。そして答えないまま口を開いたのだった。
「ルココ様は幼い頃、狂化薄心症を発症し、実の母を殺してしまったようなのです」
そして出てきたのはそんな重すぎる言葉。茜の問いを無視したのはその為だろう。
全く、ルココと言いフォンと言い、エクレールグループはこんな奴等ばかりなのかと、茜は苦虫を嚙み潰したような表情で憎々しくフォンを睨む。続いて何か言い返してやろうと口を開こうとするが止めた。
それは茜が重い事実を受け止めかみ砕き、情報が入って来たから。意外にもルココは自分と同じ境遇だという事実だったからだ。
何故なら茜も自分の母を殺してしまっていたのだから
「……その為、ルココ様は父と疎遠になり――」
茜の無言を前向きにとらえたフォンは話を続けるが茜はそこで一つ気になる事が。
「ん? ちょっと待って、殺してしまったようなのですって、誰も見てないの?」
「はい。私は武術の稽古中で、その場にはルココ様とルココ様のお母様である月夜様、そして私の祖父が護衛として傍に居たのです。しかし強盗団に強襲され、私達が駆け付けた時には祖父は強盗に銃殺、月夜様も息はありませんでした」
「じゃあその強盗団が殺したんじゃ?」
「月夜様はナイフで殺されており、強盗団六人もナイフで一突きに……そして駆け付けた時にナイフを握っていたのはルココ様だけでした」
つまり護衛であるフォンの祖父は強盗団により銃殺され、残りのルココと月夜を人質にしようとした。だがルココが狂化薄心症を発症し強盗団の六人と実の母を巻き込んで殺してしまったということなのだろう。
フォンは少し残念そうな、それでいてほんのりと悔しさが滲み出た表情。今の自分であれば助けられたかもしれないとでも思っているのだろう。
「ルココ様は返り血を受けた姿で茫然とその場で経ち尽くし、妻を失ったルココ様のお父様であるウルク様は嘆き悲しみ、悲痛の叫びと共に動かなくなった月夜様を抱きしめていました」
「そう……ルココはその後どうなったの?」
「幸い、強化薄心症により記憶は混濁しており、私がすぐに握ったナイフを奪って捨て、その場から引き離しました。しかし幼くして人を殺した子供は非行に走る傾向にある。だからルココ様にエゾロフのとある機関から青少年更生プログラムに参加しないかとの案も出たのですが診察後、ルココ様は何も覚えていないという事になり、今も経過観察となっております」
以前、茜と学校で戦った時も勝負がついたにもかかわらずルココは襲い掛かって来た。そしてその記憶は綺麗に消えていたのだ。それと同様の事が起こったのだろう。
「しかし、ウルク様は月夜様を失った悲しみから未だに逃れられず、いつしかルココ様を恨み、憎しみ……ウルク様自身もその事に苦悩されている様子」
茜はそこで思い出した。大吾が天空の監獄へ一人登って行った後、自分も上に登ろうとボタンを連打していた時の事。ルココは父親とあまり仲が良くないと話していた。父親に嫌われていないのだから茜は仲良くしろと。
それを聴いて茜は少し複雑だった。
自分も母を殺してしまい、それを父である大吾に話した。当初は激怒し茜に牙をむいた大吾。しかし事情を話すと大粒の涙を流したが茜を恨むことはなかった。
一方でルココの父親、ウルクはそれが許せず苦悩しているようだ。母を殺したルココは茜と違い記憶が無い。記憶がなければ罪の意識もないし、反省する事も出来ない。もしかしたらウルクはそこに引っかかりを感じ、ルココを許す事が出来ないのかもしれなかった。
茜はそれによって命を捨てかけたのだがそんな事をされるくらいなら知らないほうが幾分ましかもしれない。
「妻を失い、気を落としているウルク様をルココ様はとても気にかけていました。だからウルク様の前で明るく振舞い、気に掛け、声を掛け、元気づけようと仕事にも精を出しておられます。しかしルココ様が頑張れば頑張る程……」
フォンはそこで一旦言葉を詰まらせる。だがその先は茜も大体想像がつく。
妻を殺した犯人が目の前で元気を出せと気にかけ、明るく振舞えばどうなるか。ウルクの神経を逆撫でする意外にないだろう。
「ルココ様は贈り物もたくさんしておりました。ですがそのたびに屑入れの中に贈り物の残骸が溜まっていき……あれは流石の私も辛いものでした」
流石の茜も否応なしにそれを自分に重ねて考えてしまう。
母を殺してなんの罪の意識もなく明るく振舞う茜を大吾はどう思うだろうか、と。大吾はさぞや苦悩したに違いない。
だからと言ってルココに「あなたは自分の母親を殺しました」などと伝えればどうなるか。ルココはただでさえ未来に絶望していたのだ。もうこの世にはいなかったかもしれない。
「それを私にどうにかしろと?」
「いえいえ、そんな事は。しかしお爺様を説得できたとしても、もしもウルク様に命令されたら――」
その時、俯くフォンが跳ね上がるように顔をあげ背後を見る。
背後に何かあるのか。茜は共鳴力を放ち、周囲の気配を探ってみる。
すると道場の方に数人の気配。ここまで誰ともすれ違わなかったので茜が入って来た扉の他に入口があるようだ。
「申し訳ありません茜様っ、少し外しても宜しいでしょうか?」
「一人で帰れるので」
「では」
フォンはルココの壮絶な過去を話すだけ話し、足早に道場の方へ戻って行ってしまった。
「ルココも大変だな……でも、どうにか」
茜はスマコンを取り出す。そして何度か操作し耳に当てがう。
「あ、セレナさんですか? 少し相談が――」
その後、ルココは桜之上市から姿を消す事になる。
そして茜もまた姿を消す事になるとは思いもよらなかっただろう。
◇ロビー
「あ、茜っ」
「よー、雪花」
雪花はロビーにあった椅子に腰かけ、優雅に足を組みティーカップを口に付けていたところだった。
机の上にはクリームのついた皿が。ケーキかなにかに舌鼓を打っていたに違いない。
「遅かったからショートケーキ、八つも食べちゃった」
「予想外の個数言ってくるなぁ、お前」
「十個いけるか挑戦したかったのに」
そう豪語する雪花に茜は呆れて笑うしかない。自分はルココの婚姻を阻止するために体を張っていたのにこの格差はなんなのだろうと。
「ここは食べ放題かなにかかよ、全く……」
「で、あんたなにしてたのよ?」
「老人介護」
「は? なにそれ」
雪花と茜は屋敷を出て帰路につく。
海を眺めながら、堤防に沿って。その途中、茜はあった事を雪花に話していた。
「へー、政略結婚……さすが金持ち。一般人にはあずかり知らぬ所ねぇ」
「どうなる事やら……ん?」
「どうしたの?」
夕日が落ちた薄暗い海岸。その堤防の上に誰かが立っている。
薄暗く表情が見えにくい。しかし背中に至る程の長い黒髪、黒いスカートを履いている為、女性だということがわかる。そして夏だと言うのに黒い上着にワイシャツ。足には黒の二―ソックス。
「あいつはっ」
そこで茜が足を止め、雪花も足を止めてその女性を見上げる。
その女性は不敵な笑みを浮かべ二人を見下ろし、そして口を開く。
「あなたが茅穂月茜ね」
その声調は何故か楽しそうでもあり、しかしどこか攻撃的な棘があるそれ。
「誰? 知ってる人?」
「いえ、違います」
「え? 違うの?」
雪花は茜を見て知り合いか尋ねるが茜は無視しその女性に嘘の返答をする。
「違わないですよ? あんた今……」
雪花はその続きを小さな声で「茅穂月茜になってるのよ」と聞こえぬように茜に耳打ちする。
どうやら雪花は茜がまだ自分の事を「茅穂月茜」だと認識できずにいると勘違いしているようだ。
茜はそんな事、分かっていた。だから茜は迷惑そうな顔で雪花を睨む。
だがもう遅い。雪花がそんな事を言うのでその女性は確信した。雪花の隣にいる青い髪の少女が茅穂月茜だと。
「ふん。そう言ういけ好かない所はもあいつから引き継いじゃったのかしら」
「あいつって?」
「あら、あなた知らないの? その茅穂月茜の先任、葵光よ」
そこで雪花は気づく。この女性はファウンドラ社の人間だと。
黒いスーツにワイシャツ。そして茜が今も着用している黒の二―ソックス。更には光の事を知り、その後任の茜の存在をフルネームで知っている。
「なんだ、ファウンドラ社の――」
「そんな人知りません。こいつもなんだか勘違いしてるみたいで……帰るぞ雪花」
「え? 帰るって――」
茜の肩を掴もうとする雪花の腕を、茜は逆に捕まえ引っ張り、その女性の横を通り過ぎようとする。
だがその通り過ぎ様、突如現れたその女性は茜の方を見向きもせずに口を開く。
「いつまでも、そんなふざけた態度でいられると本気で思っているの?」
海風でなびく黒い髪。それが一際大きく揺れる。
更に一筋の茜色の閃光。
「雪花!」
「きゃっ」
茜は雪花を引き倒しその閃光から身を躱す。
「あら、よく避けたわね」
茜は雪花を抱きかかえながら道に倒れるように転げ、直ぐに起き上がりその女性を睨みつける。
「なに? その反抗的な目。歪ませたくてぞくぞくしちゃうんですけど~」
女性が握るのは銀色の刀。先程の茜色の閃光は夕日に跳ね返ったその女性の剣閃だった。
その剣先を茜に向けて笑う。
「あ、茜!? なんなのあの人!? あの危ない人! ていうか味方じゃないの!?」
「あいつは……」
茜は立ち上がり、手には青桜刀を出現させる。
「私が知る中で一番嫌いな人種だよ」
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