光と茜の差分

裏組織のトップエージェントが超絶美少女になって世界を救う
天澤清二朗
天澤清二朗

第29話 ~人質解放時~

公開日時: 2023年7月23日(日) 08:36
文字数:3,505


 ハイジャック犯に扮した剣がトイレ係を務めて三十分が過ぎた頃。

 茜や剣の言った通り、数人の乗客を残し全員解放するという船内アナウンスが流れた。

 ハイジャック犯達は無作為に人質を選んでフェリーに残るグループを作る。残った人質のグループは五人。全員成人の男三人、女二人だった。

 その他の乗客は非常用の救命ボートに順次乗り込んでいく。長い列を作って。茜や雪花も順番待ちだ。


「これでやっと帰れるな」


 茜は呑気に欠伸しながらそんな事を言う。


「ほっといていいの? 今からあの人達が飛空艇に行っちゃうんじゃないの?」


 残った五人は一人の男を除いて皆不安そうに俯いたり、解放される乗客を恨めしそうな表情で見つめている。

 この後は恐らく船上と深海、それぞれに人質を分けて配置するだろう。もし船上に警備隊が突撃し、制圧されそうになったとしても深海の人質を盾にする事が出来るように。


「剣がいるから大丈夫だろ。それに私はもうあちら側じゃない。ごく一般の美少女だからな」

「自分を美少女て」

「お、次私達だ。いくぞ」

「うん」


 だがここで予想外の出来事が起こる。

 その時だった、先程まで机の上でその様子を見守っていたリーダー格の男が立ち上がり、茜達に歩み寄る。


「おい、お前は待て」


 茜が振り返ると男が自分に視線を向けている。

 茜の周りにいた乗客達は巻き込まれたくないと、サーっと茜から距離を取った。


「へ? 私?」


 そんな間抜けな声。そして他の乗客達も何事かと足を止める。


「お前は人質として残れ」


 低く威圧するような声。

 リーダー格の男の目出し帽から見える眼光は鋭い。

 茶色い瞳。それを多くの皺を刻んだ瞼が挟みこみ、切れ長の厳しい目を演出している。

 

「でも……」

 

 茜はフェリーに残る人質五人をちらりと見た。何故追加で残されるのかが分からない。

 茜は考える。

 もしかしたら人質の幾人かがあちら側で、乗客に扮しているのかも知れない。そして秘密裏に忍び込んできた警備隊が保護した人質が実はハイジャック犯だった。そこから巻き返しを図る作戦なのかもしれない、と。

 再度残った人質グループを見ると一人体格が良さげな男がいる。怯えてもいないしその演技をしようともしていない。

 もう少しどうにかならなかったのかと、茜は人質ながらも嘆きを禁じ得ない。

 傍にいるハイジャック犯に扮した剣を横目に見る茜。剣も助け舟を出そうとしているのか一歩踏み出すが、どうしたらいいのか分からないのだろう。その先の一歩を踏み出せず口を閉ざしている。剣は口下手で寡黙で機転も利かない。下手に庇えばバレてしまうかもしれないのだ。

 そんな場面に、口を出したのは意外にも雪花だった。


「あのっ、もう人質がいるはずですよね? 必要ないんじゃないですかっ?」


 雪花にしては勇気を出した方だろう。その意外な勇気に茜は感嘆の息を吐く。

 その勇気ある行動は茜を支えて欲しいとセレナに言われたことが気になっての事だろう。確かに今ここで茜を庇う行動をしなければセレナに怒られるかもしれない。


「下に連れていく。ここにも下にも人質がいれば手を出せないだろうからな」

 

 茜の予想に反し、人質として残された五人を分ける事はしないようだ。

 茜がその下側の人質として一人連れて行かれるのだろう。最初にトイレへ向かった茜が目を引いてしまったのか、はたまたその度胸が気に入られたのか、単に美少女だったからか、いずれにせよ迷惑な話だ。


「こっちへ来い」

「うぁっと」


 リーダー格の男が自ら茜の肩を抱いて乱暴に連れて行こうとする。

 そこで雪花が待ったをかける


「ちょ、ちょっと待ってください!」

「なんだ?」


 雪花は茜を男から引きはがし抱きとめる。


「何もこんなか弱い女の子を人質に取らなくても」

「不服か? ならお前が人質になるか?」


 雪花と茜の周りをジャック犯達が取り囲む。

 その瞬間、すぐさま茜と自分の命が雪花の頭の中で天秤にかけられる。

 もちろんその天秤は初めから壊れていて茜の方に傾くことは一切ない。そしてそれを正当化するように雪花はふと頭にあることを思い浮かべる。こんな事になったのは全て茜の独断で行われた作戦変更であると。

 雪花は茜を掴んだ手を放す。


「あ、その……やっぱりこの子を連れて行って下さい」


 更に雪花はあろうことか、軽く茜を突いて放したのだった。

 

「いった……お前……」


 茜はそんな雪花のクズさにも耐え口を閉ざす。茜も雪花を巻き込むわけにはいかないので何も言わない、が茜はしかめっ面で雪花を睨む。少しイラっとしてはいるようだ。

 それを見て心苦しくなったのか雪花は一言。


「こ、この子に酷いことしたら許さないから!」


 茜を突き放す雪花のちぐはぐな行動と発言には何の効力も迫力もない。大根役者でももう少しまともに演技するであろうセリフで茜の視線を煙に巻こうとする雪花。

 その時、囲まれたハイジャック犯の一人に雪花は銃口を頭に突き付けられた。


「酷いことをしたら? どうする?」

「……い、いやぁ、人ととして? 言っておかないといけないかなと思いまして。でも全然そんなこと心にも思っていないというかっ、こんな娘でよければ、どうぞご自由になさってください。ではでは~あはは」

「俺が言うのもなんだが……人としてそれはどうかと思おうぞ?」


 そんなハイジャック犯の物言いにも負けず、雪花は頭に突き付けられた銃口を躱し、出口に向かって愛想笑いをしながら後ろ向きで向かおうとする。

 しかし雪花の手が鷲掴みにされた。それはハイジャック犯ではない。他ならぬ茜だった。


「私を一人にしないで」


 そんな戦火に赴く夫に、行かないでと泣いてすがる妻然とした言葉を添えて。


「は? な、なにを」


 茜は感化されてしまったのだ。

 簡単に手の平を反す雪花の非人道的愚行、そして自分だけは助かりたいという卑しくも強い想いに。

 

「友達でしょ?」


 目線は助け乞うように上目遣い、目を潤ませ周囲の庇護欲をそそるその演技力はまだまだ計り知れない。さすがは元裏組織のエージェントだ。

 

「雪花ぁ」


 ダメ押しのカラッカラの目と涙声で乞われるような一言。

 先程は雪花に迷惑を掛けまいと口を閉ざしていた。しかし茜の心はさっきの雪花の発言で枯れ果てしまっていることだろう。だから雪花がどうなろうと枯れた心は動かないのだ。

 雪花は今すぐその茜の手を掴んで振り回し、海に投げ捨てたいところだろう。

 

「な、なーに言ってるのよ。友達を思うなら一人でおゆきなさいなっ、あははは」


 そう吐き捨て、ひきつった笑顔で掴んできた茜の腕をもう片方の腕で引きはがそうとする。口調も変わっていてかなり動揺している。

 茜は少女の姿になったこともあり、筋力が下がっている。雪花に両腕を掴まれて今にも引きはがされそうだ。

 それでも茜は必死に食らいつき、雪花の腹に体当たり気味にダイブして抱きしめる。


「ぐぇっ……は、放しなさいよ!」

「旅は道連れ世は情けっていうだろ!」


 茜は抵抗しながら雪花だけにしか見えない位置でにやりと口だけで笑う。

 だから雪花も小声で茜以外に聞こえぬように反論する。


「こいつっ……そもそもあんたが釣りしたいからこんなことになってるんでしょ!?」

「簡単に友達を置き去りにして恥ずかしくないのかっ、人としてっ」

「人としてって言うなこの手を離しなさいよ! それにあんたなら一人で十分よ!」

「最初は私もそう思ったさ! でもお前のそのクソみたいな道徳心に私の心が揺り動かされたんだ! 私は変わったんだよ!」

「美談みたいに言わないで! 迷惑! とっても迷惑! 三文芝居は止めて母なる海に帰りなさい!」


 そんな小声のやり取りで両者睨みあう。


「おい、何こそこそ話してる」


 そんな小声のやり取りにリーダー格の男が割って入る。

 そして茜を見下ろして睨みつける。

 茜は一瞬、顔を上げて男を見つめそしてそっと逸らす。目には嘘の涙を浮かべ、唇を少し尖らせて拗ねた子供を演出する。

 続けて男は雪花を見る。雪花はすぐに目を逸らし愛想笑い。


「あはは、どうぞどうぞ持って行ってください」


 あまつさえ友人である茜を差し出す雪花。

 そんな雪花の不誠実さはこの男の心も揺り動かしたらしい。男は鼻でため息をしてこう言い放った。


「その雪花とかいう女も一緒に連れていってやれ」


 その一言で雪花は顔面蒼白で固まってしまった。

 かくして、茜の方が一枚上手だった。自分がどう動けば相手にどう見えるかが完全に分かっている。


「二人共、連れて行くんですか?」

「泣かれたら面倒だろ」


 他のハイジャック犯はリーダー格の男には敬語で話す。やはり序列は高いようだ。


「連れていけ」

「わかりました」


 雪花はひきつった笑顔に涙を滲ませていた。


「ほら、君も行って」


 そんなハイジャック犯の声色は雪花に同情してだろうか、少し優しかった。

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