茜達が返っていった後、雷地も帰路についていた。
日も陰り、気温も下がって来た。雷地は他のファンの女子生徒が持っていた自分の名前が入ったタオルをもらい、首に掛けていた。
その斜め後ろには付き添うようにエリナ、ヒソカと続いて取り巻きが困惑しながらついて来ている。
「雷地君、寒くない?」
「ああ……」
雷地を気遣い、体調を伺うエリナ。雷地の体調管理も親衛隊隊長でもあるエリナの役目だ。
雷地は背を丸めてポケットに手を突っ込んで歩いている。
「元気ないね」
茜を溺れさせてしまった自責の念からだろう。雷地の返事に覇気がない。
「……俺、ちょっと強引なところあるだろ?」
「うん」
「今回は流石にやり過ぎたかな……ってな」
そう言って雷地は照れるように笑う。
自負しているであろう強引な所。茜を鯖折りのように力強く抱きしめたり、抱きしめたまま海に飛び込んでみたり。実の弟だからとやりたい放題やっていいというわけではない。
「茜さんも雷地君のせいじゃないって言ってたじゃない」
「そうだな……大丈夫そうだったし」
「ふふ、あのオラオラ系の雷地君が珍しいなぁ。これに懲りたら今度からは優しくする事ね。茜さんは女の子なんだから」
エリナは笑って雷地に忠告してやる。ずっと一緒にいるからか、エリナは雷地の扱いに慣れている。 この事で雷地の強引さが治るといいと望んでいるのだろう。
それに雷地は済まなさそうに頷いた。
「ていうか、お前もなんか元気ないな」
「え? そう?」
「ああ、茜の事を話す時だけ、ちょっとだけテンション下がるよな」
「うぇ!? そう?」
エリナは普段と変わらず喋っているつもりだった。
「そうかな……」
茜はファン第一号。その雷地の言葉が現ファンクラブ会員ナンバー1であるエリナの胸にずっと突き刺さっていたのだ。
雷地とエリナは昨日今日の付き合いではない。四年前の天空都市襲撃以前からの付き合いで気の知れた仲だ。だからエリナは雷地の異変には直ぐに気が付く。その逆もまた然りで雷地もエリナの異変にいち早く気が付いたのだ。。
「そうかも……」
「何だよ、悩み事があるなら相談乗るぞ?」
雷地は斜め後ろを行くエリナを見て軽く笑って問う。
そんな軽い雰囲気の雷地にエリナは意を決して口を開いた。
「じゃあ、一つ聞きたいんだけど」
「ああ、なんだ?」
「茜さんって雷地君のファン第一号なの?」
エリナはストレートに気になっていた事を雷地に聞いた。
それを聞いて後ろを歩いていたファンクラブ会員ナンバー2のヒソカもぎょっとする。その話題を自分から振るのかと。それはまるで自爆しに行くようなものだ。
ヒソカは心配そうにエリナと雷地の表情を交互に見る。
だが雷地の返答は何の溜めもなく放たれた。
「ああ、そうだけど?」
さらりと、軽く、告げられた雷地の言葉はエリナの心に重くのしかかる。
「そ、そうなんだ……そうだよね。そう言ってたもんね……私、何聞いてるんだろう……あはは」
エリナは苦し紛れに笑って動揺を隠す。
雷地は何かエリナが思いつめている事は分かるが何かは分からず首を傾げるだけ。
「それがどうかしたのか?」
「ううん! 全然! 何でもないよ!」
エリナはあえなく玉砕した。
ヒソカは自分で飛び込んで自分で玉砕しているエリナを見て何をやっているんだと、首を振る。
その直後だった。
「あ、そういやエリナってファンクラブの会員ナンバー1だよな」
「え? うん……そうだけど」
雷地がエリナの胸に深く突き刺さっている棘の根幹に触れる発言。
ヒソカはびくついて恐る恐るエリナを見る。だがエリナは何か覚悟を決めた表情。
エリナは肩に掛けていた鞄からパスケースのようなものを取り出した。そしてパスケースに入ったカードを引っ張り出す。
「ほ、ほら、これ。ナンバー1の会員証も持ってるよ~」
と、エリナは不敵な笑みで、雷地の眼前に会員証をアピールするように差し出した。
まるで自分が雷地のファン第一号であり、茜には負けないぞとでも言わんばかりに。
心の中でがんばれとヒソカは呟いて、そのやり取りを見守っていると雷地はとんでもない事を言い出した。
「それ、茜に譲ってやってくれないか?」
そんな事を何の躊躇もなく、雷地はさらりと言い放ったのだった。
ファンにとって雷地のいう事は絶対だ。
だがファンクラブ会員ナンバー1の会員証はエリナのアイデンティティと言えるような重要なもの。そんな重要なものを昔にちょっと出会っただけの、今日再会したばかりの少女に譲れとは一体どういう思考回路をしているのか。エリナには分からなかった。
その雷地の言葉に当然、ヒソカの顔は真っ青だ。
ただでさえエリナは第一号を茜に奪われて自分の立場を危ぶんでいたのに、その証まで茜に譲れとは一体どういう意図なのか。
ヒソカはエリナの表情を恐る恐る目だけで伺う。
「……へ? あの……これは……その」
声は出るものの後に言葉が続かないエリナ。
あまりにも強烈なその言葉に、エリナの表情は不敵の笑みのまま固まっている。ただ目を見開くだけ。
「ちょ、雷地君っ、何言ってんの!? それはエリナのだよ!?」
「でもさ、俺にとってはあいつがファン第一号なわけだし」
「雷地君! ちょっといい加減に――」
ヒソカは思わず雷地の肩を掴もうと手を伸ばす。
雷地は強引な所がある。
自分でもそう思っていると公言していた。しかし、そこに情がなければただの暴君に成り下がる。
暴君に家来はついて行かない。
「分かった」
「ちょ、エリナ!?」
「こ、これ……」
エリナはそう言って雷地の目の前に、両手で自分の会員証を差し出した。
この行動には色々な意味が込められている。雷地のファンを止める事、雷地の親衛隊隊長を止める事、そして雷地との決別。
「雷地君から……その、あ、あ、茜さんにっ」
いつも努めて冷静なエリナだが、表情が一切変わっていない。口は笑ったまま、目は開かれたまま瞬き一つしない。
ヒソカが覗けば、エリナは目にいっぱいの涙を溜め込んでいた。今にも決壊しそうなダムのように。
ただ夕暮れ時の薄暗さが幸いした。雷地からはエリナの目に溜まった涙は見えていない。
「おう、サンキュ」
雷地は片手でぱっと会員証を取り上げ、胸ポケットにしまった。エリナのアイデンティティともいえる会員証を。
そして何事もなかったかのように歩いていく。
そんな雷地の背後からエリナに目を向けるヒソカ。
「エリナっ、いいの!?」
「だ、だって、らい……くんが……いう……ら」
途切れ途切れのエリナの言葉。だが何といいたいか、分かり過ぎる程に分かる。
「そんなっ、良くないでしょ!」
エリナの表情はまだ変わらない。
ただ、雷地がエリナに背を向けた事によってダムが決壊したようだ。
ボロボロと流れる大粒の涙はエリナの頬を伝い、流れに落ちて地面を濡らす。
ヒソカはそんなエリナになんと声をかけていいか分からなかった。
ただ、ただその場で泣き崩れない気丈なエリナをせめて倒れぬように抱きかかえてやる事しかできなかった。
「エリナ……」
「ご……めん……」
エリナはもう立っていられないのだろうヒソカに少しずつ体重を預けてくる。
そんなエリナを助けることができるのは、エリナから会員証を剝奪した雷地だけ。
だが、それは望み薄というものだろう。と、ヒソカが諦めかけた時、雷地の声が。
「じゃあこれからもよろしく頼むぞ」
雷地が歩きながらそんな事を言う。
エリナから会員証を奪っておいてよくそんな事が言えるなと、ヒソカの口が憎しみの形に歪んでいく。
静かに声を出さないように泣くエリナを抱きしめているヒソカが口を開こうとした時だった。
「ゼロ」
「え?」
その言葉にヒソカが口を閉ざし、エリナの表情が動き出す。
「ゼロ……?」
エリナは消えそうな声でそう呟いた。
昔、エリナはゼロと呼ばれていたのだ。それは零膳エリナの零を取って。茜もそれは覚えていた。
それをまだエリナより冷静なヒソカが推察する。
「そう言えば、四年前から雷地君……エリナの事をゼロって呼ばなくなったよね」
「四年前って……天空都市襲撃の年?」
ヒソカに言われてそういえばと、エリナは涙をぬぐって当時を思い出す。
「雷地君が落ち込んでたから……ファンクラブを作って盛り上げようと」
天空都市襲撃で実の母と弟が消え、雷地の表情からも笑顔が消えた。
どうやらファンクラブ立ち上げはそんな雷地を救うエリナの施策だったようだ。ただ、その時から確かに雷地はエリナの事をゼロと呼ばなくなっていた。
それをエリナは身内の事で落ち込んでいたからだと思っていたのだ。
だがエリナがファンクラブ会員ナンバー1の資格を剥奪された今、雷地が「ゼロ」と呼んだ理由は一つしかない。
「お前は俺にとってファン第ゼロ号なんだからさ」
身内である茜はバンドを立ち上げて一番最初にファンになったのだから第一号。
だがエリナはその前からの付き合いなのだ。それはファンを超えた存在に他ならない。
だから雷地はエリナの事をエリナの姓をもじってゼロと呼んでいたのだ。ファンの第ゼロ号とかけて。
エリナは雷地に見せぬよう、絶望で流していた涙はぬぐう。雷地に妙な心配をさせないように。
「だからお前は、俺の一番近くで応援しててくれ」
だがぬぐった筈の涙はボロボロと頬を伝って流れ出していた。ダムは先程崩壊している為、もう涙を止めるものはない。
「って、これも強引すぎたか?」
そう言って雷地はしばらく歩いていたのだがエリナの返事がない。
雷地は不思議に思い、振り返れば号泣しているエリナが。
「え!? 何で泣いてんだよゼロ!?」
「へ……わ、わかんない……ひぐぅ、わかんないけどっ、涙が……止まらないのっ」
雷地がエリナに歩み寄って様子を伺う。だがエリナは涙を両手で手荒く拭うが涙が次々と流れ出して止まらない。
「おいおい、どうした? ヒソカ、ゼロは何で泣いてんだ?」
情のない暴君について行く家来は誰もない。
「そりゃあもちろん……雷地君が強引すぎるからだよ」
だが情のある暴君になら、多少強引で他人の感情に疎くても、皆喜んでついて行くだろう。
「え? 俺また何かやらかしたか?」
その後、エリナの涙はとめどなく溢れ出し、止まらなかった。
それは見られてはいけない涙から、見られてもいい涙に変わっていた。
エリナの流す涙は胸に刺さった棘を優しく洗い流してくれる事だろう。
「おいゼロ、何か悲しい事でもあったのか!?」
「い、いや、ないっけどっ」
「じゃあ何だよっ、俯いてないで顔を上げろよ」
「いや、ちょっと待って、今はっ、ヒソカっ、助けてっ」
そのエリナの表情を見てヒソカはニヤニヤしているだけ。
「あーあー、あんた達、もうさぁ……いや、これはまた後の方がいいね」
ヒソカは二人のやり取りに、これ以上付き合うつもりはないようだ。肩をすくませて生暖かく見守っている。
だが涙の量が少々多過ぎた。エリナの表情はふやけてとろけ、雷地には見せられない顔になってしまったのだから。
「よっし、どんな顔をしてるか見てやる」
「ほ、本当に待って! お願い!」
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