一通り、少し前にあった出来事を晴れて裏の世界へデビューした雪花に教えてやる。
雪花はまだその情報を咀嚼しきれていないらしく難しい顔をして唸った。
「その~……剣は釣りの事は知っているの?」
「ああ、たぶんセレナさんから聞いてると思う。さっき」
「私は?」
「今言っただろ」
「何で前もって言わないのよ」
前もって言ってくれれば心構えや何か対策できたのにと雪花は不満の声を上げる。だが裏の世界にデビューしたばかりの雪花が何か出来る事があるかと言われれば無いだろう。
「お前の任務は何だ? セレナさんから何か言われたんだろ?」
「つ、剣と一緒よ。一応、あんたを守る事」
と、雪花は足手まといになる事と言われた事はやはり言わない。
そして自分よりも弱い雪花が自分の護衛と聞いても茜は驚きもしなかった。そして嫌な顔も不思議そうな顔もせずただ数度頷くだけ。
「まあそんなとこだろうな」
「案外素直に受け入れるわね。嫌がると思ってた」
「え?」
「ん?」
何故自分が嫌がると思われたのか、茜は首を傾げて雪花を見る。そして雪花も何故茜が分からないのか分からないので首を傾げる。
「ああ、そういう事か。私より弱いお前が護衛しても意味ないって?」
「うん」
雪花は頷くと茜は雪花の肩をポンと励ますように手を置いた。そして憐みの目で雪花を見据える茜。
「な、何よ?」
「私を護衛だなんて百年早いっての」
「くっ」
「逆に雪花を私が護衛する羽目になるんじゃないか?」
「それが目的なのよ……」
「え?」
「いやっ、なんでもないっ」
茜が本質に触れそうになったので雪花は慌てて取り繕う。
茜は少しだけ雪花を怪しんで横目に見る。しかし、すぐに溜息に出して話を続けた。
「そもそも私はもう一般人、という設定だ。だからファウンドラは私に直接依頼できない。でも私はファウンドラ育成プログラムを好成績でクリアしたエリート。だから私を依頼に巻き込む形で参画させたいんだろう」
「それで?」
「すると私を守る雪花も巻き込まれる」
茜の言葉に雪花の目が丸くなる。
雪花の役目は茜を守る事。それは変わらない。だが茜が危険な場所に赴けば雪花もついて行き、その危険から茜を守らねばならないのだ。
セレナの依頼の本質はそれだろう。それが分かっていたから茜は嫌がりもしない。加えて憐れみを浮かべた表情で雪花に同情したのだった。
「巻き込み事故じゃない! ていうか私は何に巻き込まれるの!? もしかしてさっき言っていた釣りと、この船に何か関係があるの!?」
その雪花の質問に茜は怪しい笑みを浮かべるだけ。それだけでその問いの答えが分かるというもの。
茜はポンとまた雪花の肩を叩いて元気づけてやる。
「まあ、気楽にいけよ。私達は情報探るだけの諜報員みたいな感じだから。剣が動いてるし大丈夫」
「そ、そうかなぁ」
「それと装備の説明でも軽くするか」
「うん……」
茜の説明からすると驚くことに今着ている服やスカートは全て防弾、防刃らしい。
「こんなに薄いのに? 凄いね」
「でも貫通しないだけで痛みはあるからな。多少衝撃吸収もあるけど当たり所が悪かったら骨折とか、内臓破裂とかする」
「ええ……痛いのは嫌だなぁ」
「後スカートは覗き防止機能が付いている。どんなに激しく動いてもパンツが見えない光学迷彩仕様だ」
「……それ必要なの?」
「さあ。でも女性の構成員の中にはスカート履きたいけどパンツ見られるのが嫌とかなんとかって。だから要望だしてセレナさんが開発のゴーサインだしたんだ」
「セレナさん……何だか思ってたよりも裏の世界ってアットホームな感じなのね」
「まあな。それと小道具について簡単にいくぞ」
雪花はロビーで持ってきてもらった服と共に肩掛けの小さいバッグをもらっていた。
雪花と茜は小型のバックをひっくり返し、中身を全てベッドの上に出してみた。
するとイヤリングや手袋、ネックレス等が出てきた。しかし中でも目を引くのが人の耳と思わしき物体だ。
「な、なにこれ、耳?」
「耳型の通信機だ」
「きもっ……」
茜はひょいっと拾い上げて自分の耳に装着した。
「雪花もつけてみ?」
雪花は恐る恐る拾い上げる。それはシリコンのように柔らかく、耳がすっぽり入るように穴が開いていた。
「つけたか?」
「うん」
「じゃあ、耳の後ろのボタンを押してみ?」
「あ、消えた!?」
茜がボタンを押すと気持ち悪い耳が消えて、茜の可愛らしい耳だけが残った。
「耳擬態式光学迷彩通信機だ」
「へー」
「後ろにボタンがあって、それぞれセレナさん専用とオールチャット、ダイアルを合わせれば特定の人物やグループとだけ会話できる」
「おお、なんだかこれは裏の世界に染まってきた気がする」
「試しにセレナさん用のボタンを押してみ」
「うん」
雪花は手探りでボタンを探し当てて押してみる。それを確認し茜もボタンを押してセレナ専用に繋いだ。
「もしもし、こちら茜。現在雪花に使用方法をレクチャー中です」
『セレナです。了解しました。お願いします』
「あ、雪花です。聞こえてますか?」
『感度良好ですよ雪花さん」
「おお! 何だかワクワクするわね!」
『ふふ、なんだか昔を思い出しますね茜さん』
「私は雪花みたいに、はしゃいで無いですけど」
新しい装備はやはり使ってみなければ分からない事が多い。そしてこういった小さな事から自分がどういう場所に身を置いているのかを理解するのだ。これは雪花にとって自分の立場を認識する大きな一歩となるだろう。
『そうでした。一つ報告するのを忘れていました』
「はい、何でしょう」
『実はアシェットから退避したバドルをハウンドが追っていたのですがロストしました』
「ハウンドが?」
雪花がハンドとは何だと聞いてきたので茜が答えてやる。
茜によるとハウンドはファウンドラ所属の五人構成の部隊。追跡専用部隊の一つだ。恐らく飛空艇アシェットから退避したバドルを追っていたのだろう。
『五角陣形でバドルを追跡していたのですがロストしたそうです』
「五角陣形?」
「ターゲットを中心に五角形の陣を組んで行動する事だ。互いに互いを視認できる位置に置いて見つかりそうになれば他のメンバーが代わりに追跡する」
「へぇ。なんか凄そう」
と、小学生が答える感想を吐く雪花なのだが実際に凄いのだ。ターゲットに着かず離れず囲い込み追跡する。一般人であればハウンドから逃れるのはほぼ不可能だ。
だから見失う場面は限られている。ワープ装置を使うか立ち入りが禁止されている場所に入られるか、はたまた。
「ああ、ファウンドラが誇るかなりの技術を持った人達なんだけど……まさか」
部隊メンバーの身に何か起こったかだ。
『はい。ハウンドの一人が死角に入った瞬間、何者かによって殺害されました』
「……へ?」
少しも沈黙の後、雪花がそんな間抜けな声を出した。
そして茜も同じファウンドラ社の社員が死んでしまった事に哀悼の意を示すように目を閉じる。
「……成程。だから見失った、と」
『はい。バドルの足取りは目下捜索中です』
「方法は?」
『先の尖った何かで心臓を一突きにされたようです」
「わかりました」
人が一人死んだというのに、哀悼の意も程々に話を進める茜を信じられないといった表情をで見つめる雪花。
「ちょっと待って! 何でそんなに平気な顔してるの!? 人が死んだのよ!?」
雪花は今まで表の世界しか知らなかった。出身地の日和の国は長年戦争のない平和な国なのだ。
だが表の世界でも紛争や戦争がある。雪花はそこで怪我人を治療する団体に派遣されていた。そこでは治療が間に合わず死んでしまう事も少なくない。そんな人の死と接してきた雪花だからこそ乾いた会話をするセレナと茜が感情のない人間以外の何かに映ってしまったのだろう。
「雪花、何甘い事言ってんだ? 私達がいる世界はそういう所だってお前も分かっているだろ?」
裏の世界というのは飛空艇撃墜や犯罪組織の壊滅といった派手な出来事に目を奪われがちだ。だがそこには大抵誰かの死が付きまとう。そんな危険な世界に雪花は今、身を置いているのだ。
そしてそれを実感してきた雪花は頭を抱えてしまう。
「嘘……殺されるって、これってそんなにヤバイ案件なの?」
「そうだ。それに五角陣形で他のハウンドに見られず殺すってかなりの手練れであることは間違いない」
「間違いないって……人が死んでるのにそんな呑気なっ! 何でそんなに落ち着いてんの!? 私そんな事に首突っ込みたくないんだけど!?」
『ではお気をつけて』
「え? セレナさん!? セレナさん!」
雪花は話が違う、と一言いいたかったのだろうがセレナは聞く耳を持たないらしい。
セレナの依頼の本質を見抜ける事が出来れば雪花は断っていただろうが、それはセレナもお見通しだ。わざわざそんな事を言う必要が無い。セレナはそういう人物なのだ。
「通信切ったみたいだな」
「ええ!?」
「またボタン押せば向こうに信号行くから」
「本当!?」
雪花はセレナ用のボタンを連打するが全く応答がない。
「どういうこと……繋がらないんだけど?」
「今は気分が乗らないんじゃないかと」
「気分!? そんな引きこもりの子供みたいな事する!?」
「気が向いたらまたかけてくるさ。で、他には?」
「え?」
「他に質問は? この案件から降りたい以外で」
雪花はもう逃げられないらしい。
船も茜のアシェット潜入話の途中で離岸したらしく、もう港も見えないくらいに遠く離れている。もう戻る事は出来ない。
「うぅ……」
「だから気楽にいけって。私はもう一般人何だから。そんな危ない事しないさ」
「そ、そうよね……危ない事なんてないよね?」
茜は力強く頷いて雪花を安心させてやる。
雪花は一度深呼吸して自分を落ち着かせた。
「それで、これからどうするの?」
「そうだなぁ。通信しながら何かしてみるか。私達二人専用のダイアルに合わせるぞ」
「うん」
雪花の裏の世界への一歩目は暗雲が立ち込んでいたのだった
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