「お」
「あ、エリザベスさんだ」
ギラギラと鱗のように輝くドレスを纏ったエリザベスがそこには居た。その後ろには弟子のカミラが黒く地味なドレスを着て佇んでいる。
「やっほ~、遅ればせながら私も登場よ~ん!」
屈強な体をうねうねとくねらせながら茜に投げキッスを放つエリザベス。
そう言えばエリザベスは茜達の為に来たのではなく様々な業界の権威の一人として呼ばれている。別にパーティ会場に居ても何もおかしくはない。
「はぁ? 誰よこのおっさ――」
忌々しくエリザベスを見上げるミシェルだが周囲の女性達に口を塞がれて引き離される。更に何か耳打ちされると徐々にミシェルの表情がこわばっていく。
エリザベスはファッション界隈では知らぬ者はいないだろう。だからこのパーティにも呼ばれているのだろうが資産家の令嬢全員が全員、それを知っているわけではない。
それもその筈、先程ミシェルは茜のドレスを馬鹿にしている。そのドレスのデザイナーがエリザベスだと判明した今、ミシェルは無知と恥を晒し、墓穴を掘った世間知らずのお嬢様に成り下がっている。
茜にコテンパンに言い負かされ、更にエリザベスのドレスで墓穴を掘ったミシェルはその穴に逃げ込みたい心境だろう。
「い、行きますわよ!」
敗者はただ去るのみ。
だがそんな去り際、ミシェルは茜を横目に睨む。
「あなた名前は?」
「モニカ、モニカ=ウォーカーと申します」
「モニカ……ウォーカー……」
その茜の偽名にミシェルは怒りで細めていた目を丸くする。
「なるほど。とことん私にたてつきたいらしいわね。覚えてなさいっ」
自分で突っかかって来て自爆したミシェルの理不尽さに茜は眉根をひそめるしかない。
そのミシェルの傍ら、黒いスーツに黒い長髪の男が敗走するミシェル達の後ろから姿を現す。そして申し訳なさそうに茜に軽く会釈し、ミシェルの後を追うのだった。恐らくはミシェルの従者だろう。男の従者を選んでくるあたり、ミシェルはこのパーティの趣旨をちゃんと理解している。
それに引き換えと、茜は女性である雪花を選定したディランを思い浮かべて深いため息をつくのだった。
「あら、友好関係にひび入れちゃったかしら?」
敗走したミッシェルを見送り、エリザベスは頬をさすって心配そうに問う。
知らぬとは言えエリザベスがミシェルの顔に泥を塗ってしまったのだから。しかもその矛先が茜に向いてしまった。もしかしたら任務に支障が出てしまわないかと、それを心配しているのだ。
そんなエリザベスに茜はけろっとした笑顔を向けて応える。
「大きな溝がアリアナ海溝くらいに広く深くなっただけですよ。今頃対岸からミサイルでも撃ち込む算段で立てているんじゃないかな」
その茜の例えが面白かったからか、エリザベスは小さく鼻で笑う。
「それに敵対してくれている方がこちらとしては動きやすいし」
言って不敵に笑う茜。
エリザベスはその言葉には意味が分からず、首を傾げる。敵対される方が厄介なのでは、と。
だから茜は目を瞬かせるエリザベスを見上げて口を開く。
「戦場で一番怖いのは敵でも味方でもない一般市民ですから」
戦場では敵なら警戒を、味方なら安心を得られる。
だがいつ裏切るともわからない一般市民には気が休まらず、かといって無下にも出来ないからたちが悪い。ならば敵対された方がマシだという事だろう。
だがそれは敵地を侵攻侵略する兵士のような思考だ。
エリザベスはぽかんと口を開け、次の瞬間には感心するようにうんうんと頷いた。
「なぜセレナがあなたを選んだのか分かる気がするわ」
エリザベスは内心不思議だったのだろう。どうしてこんな年端も行かぬ少女を裏世界に招き入れたのか。そんな少女が予想をはるかに上回る成果を上げているのか。その隙間に茜の言葉がカチッと嵌ったのだろう。
それに茜は笑顔だけで返事をする。
そしてエリザベスは「パーティを楽しみましょう」と一言言ってさらりと雑踏の中に消えて行った。
顔見知りとはいえエリザベスという有名人がいち資産家とずっと一緒に居る、という状態はこの任務では好ましくない。どういう知り合いか、などと踏み込まれた質問をされれば説明に困ってしまう。
エリザベスがヘイブン島へ招待された事は予想外の出来事。そのため打合せもしていない。下手に嘘を突けば茜とエリザベスで食い違いが発生し任務に支障が出かねないのだ。エリザベスもそれはわかっているだろう。
「はぁ~、エリザベスさんのおかげでなんとかなったか……」
「お前はなんにもしてないけどな」
茜の後ろでこそこそしていた雪花が大きな胸を撫で下ろし、横に並ぶ。
「で、肝心のでぃら――」
と、雪花がディランの名前を口に出そうとしたところで茜がお尻をつねって止める。
「いっ……ご、ご主人様はどうなされたのでしょうか?」
「ああ、お父様ならミッシェル様が声を掛ける直前に、聞こえないような小さな声で煙草を吸いに行くって上階のベランダの方へ逃走しましたわよ使用人」
「逃走……」
「全く使えないクソ親父ですこと」
と、茜がほっほっほ、と空笑い。
だがその言葉の先にはちゃんとディランはいる。
『八方美人が聞いてあきれるな』
逃走したにもかかわらず、イヤーセットからそんな憎まれ口が返って来る。
そう言えば、と雪花は口を手で覆う。設定では茜扮するモニカ=ウォーカーは八方美人だという設定。にもかかわらず、ミシェルを言い負かすという大立ち回りをしてしまったのだから。
雪花ははっとして茜を見るが余り気にしていない様子。
「本当に八方美人なんているわけないだろ。なにかしら一物抱えてるに決まってる」
「それは偏見が過ぎるような?」
「ターゲットはクズだ。そんな事気にしないさ。むしろ八方美人が毒舌ってスパイス聞いてるだろ」
「ギャップ萌えってやつね」
『萌か……最近のJKの思考回路は地球外生命体だな」
「おっさん臭い事言ってないで手伝えよクソ親父」
『誰がおっさんだ。あんなキャットファイトに付き合ってられるか』
そんな呆れた声調でディランはフーっと何かを吐いている。きっと煙草の煙だろう。
雪花は周囲を確認し、小さな声で口を動かす。
「いいんですか? ターゲットのレナードと話しとかしなくても」
『まあな。ここに入った時に十分目立った。ミシェルって女も言い負かしているし、ここでの任務は完了していると言っていい。後はレナードの方から茜を指名するのを待つだけだな』
ディランの言う通り、パーティ会場で茜達の任務は達成されている。それはレナードに顔を覚えられ、茜の美貌が認知される事。ミシェルも周りから頭一つ抜けた美人ではあったが茜はそれをさらに凌駕している。だからこそミシェルも突っかかって来たのだろうが茜にうまく利用された形となった。弁もたつとなればレナードの目に留まらないわけがない。
「えー、なんだか適当ですね……そんな事でいいんですか?」
『いいんだよ、そんな事で』
「そんな事ってなんだよ。私一人に全部押し付けて」
『チームワークだろ?』
「ただのサボりだろ」
肩をすくませる茜と、肩透かしを食らったかのように溜息をつく雪花。
これは雪花にとって初の本格的な任務。なのにもう目標は達成されているのだから肩から力が抜けるのも当然だろう。
だが目立った割に周囲から声を掛けられない。掛けてきたのはミシェルただ一人だけ。それはミシェルが茜と敵対した事に起因しているだろう。
桜之上学園でのジュリナと同じ構図だ。茜に話しかけたらミシェルに目を付けられると思っているのだろう。
だがそれは茜達には好都合だった。
茜達はリリィとは違い即席の役を演じなければいけない。いくら茜が設定を読み込んでいるとはいえ多人数に話しかけられればぼろが出るとも限らないからだ。
「そういえばリリィって人はなにか目立つ方法を考えていたんですかね?」
『分からないが、氷結の野郎が来るって事は最近分かった事だ。レナードに指名される如何にかかわらず、最後まで残る必要はない」
「あ、そっか」
と、またディランはフーっと息を吐く。
リリィの場合、発電所を破壊し空間共鳴逆位相装置を止めて攻め込むだけ。氷結の魔術師を待つ計画ではないのだから一日か二日、島に滞在出来れば問題ない。だから即日の退去命令が下されない限り、結婚式までの滞在日数を稼ぐ算段など不要なのだった。
「でもなぁ……」
だが茜はここで口元を指先で触れ遠くを見るように黙り込む。
いつもなにかしら思考を巡らせる茜だ。そこに雪花とディランが次の言葉を待つ為の沈黙を作る。が、いつまで経っても茜の口から出てこない。
「なによ、なにか気になる事でもあるの?」
我慢できず、しびれを切らした雪花が口を開く。
「あんたが考え込むと不安になるわ」
『同感だな。碌な事を考えやしねぇ』
「ああ、いや……確かに雪花の考えも必須ではないけど一理あるな、とな」
そして出てきたのはそんな言葉。
茜の口から評価する文句が出てきたからか、雪花は少し嬉しそうに鼻を鳴らす。
「それにさっきのミシェルの言葉だ」
「え? なにか言ってたっけ?」
「とことんたてつきたい、って言ってただろ?」
「ああ、去り際の」
「とことんって事は私達はどこかで接触してたかもしれない? でも極力接触は控えて資料にもほぼ交友関係なんて無かったし、顔も覚えてないみたいだったし……」
「考え過ぎじゃない? 歯向かってきたことがとことん気に食わなかったのよ、きっと」
「それもそうだけど……セレナさん」
『はい、調査してみます』
ノータイムでの返答に雪花はいささか驚いて弾かれるように背筋をピンと伸ばす。
イヤーセットの通信はもちろんファウンドラ特殊部隊隊長であるセレナにも繋がっている。そのやり取りも聞いているので話が早い。恐らくはミシェルとモニカの間の関係性について調査してくれるのだろう。
セレナが動いてくれるなら一安心だと、茜はふぅっと一息ついて周りを見渡しながらゆっくり歩く。そしてその後を雪花もついて行く。
「しかし……異常ですわね、使用人」
「なにがですか? お嬢様」
「結婚を前にした新郎がこんなに女を集めてパーティを開くなんて、新婦が見たらブチぎれるでしょう?」
とは、ルココの事を案じているのだろう。
ルココはこの結婚が嫌だという事で茜を桜之上市で呼び出した。そして同性同士で結婚するなどという嘘までつい祖父である天照蓮慈を説得しようとした。結局ルココと蓮慈は父を説得できなかったのだろうが、それくらいに破棄したい結婚式であるにもかかわらずレナードは神経を逆撫でするようなパーティを開いている。
「今更感はありますが……まあ恋愛結婚じゃないしルココさんなら気にしなさそう」
「そうだけど、これじゃあまるで……」
「まるで?」
「……いや、これは私の考え過ぎですわね。あ! それよりあそこに羊羹がありますわ! 行きますわよ使用人!」
目標は既に達成されたのだ。であれば後はこのパーティを楽しむだけだ。
茜は早歩きで羊羹へ向かう。
「お、お嬢様! お待ちを! 私はケーキのほうがよろしくて、よろし? いいでござんす!」
目の前に並ぶスイーツに茜と雪花は飛びつくのであった。
それを上階のテラスから見下ろすディラン。
「あいつら……遊んでやがるな」
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