直後雪花も呼ばれて返事をし、茜の元に小走りで駆け寄った。
「この並びだと次は剣……やばいって!」
セレナは茜と雪花、そして剣も同時にチケットを取っているだろう。であれば次に名前を呼ばれるのは剣だ。
「ああ、次は間違いなく――」
「おいそこ! 喋るな!」
ハイジャック犯の一人が雪花達に向けて銃口を向けて恫喝する。
「す、すいません!」
雪花は茜を庇う為か、それともただ怖かったからか、茜に抱き着いて放さない。
「次はっと」
雪花は観念し、神に祈るように目を瞑って茜を抱きしめる手に力を込める。
「ば、バレるぅうう」
「苦しっ……雪花っ」
茜は自分を抱きしめる手をタップして苦しさをアピールするが雪花には届かない。
そして次の名前が呼ばれてしまった。
「田中ジョエル!」
しかし呼ばれた名は剣ではなく他の乗客だった。
「へ?」
続けて乗客の名前を読み上げていくが剣の名前は一向に出てこない。
そして最後の一人を呼び終えると、ハイジャック犯は名簿にチェックを入れ、耳に装着している通信機に話しかけた。
「乗客全員確認しました」
通信機で何度かやり取りをすると別フロアに散っていたのだろう、銃を持ったハイジャック犯が十数人、ホールに集まってきた。恐らく誰か潜んでいないかチェックしていたに違いない。
そのままメインホールの乗客を取り囲むように一定間隔の距離で見張りについた。
気が気ではなかった雪花だったがハイジャック犯の動きが無くなって一安心だ。
「ドキドキしたか?」
未だ雪花にきつく抱きしめられている茜は雪花を見上げてにこりと笑う。
「するわよ! 当たり前じゃない! 何で剣は呼ばれなかったの!?」
茜はしーっと雪花をいったん落ち着かせる。
「そのまま私を隠して目線は他のハイジャック犯を見張ってろ」
「う、うん」
雪花は茜を腕に抱いたまま周囲を見張る。
するとハイジャック犯の一人と目があってしまった。だがそのハイジャック犯には怖がる少女を抱きしめて安心させているように見えただろう。すぐにハイジャック犯はそっぽを向いて他の乗客の見張りに戻る。
茜は雪花の胸に押し付けられる状態で説明し始めた。
「こういう時は大抵うちの工作員が剣の名前を名簿のデータから削除してくれるんだよ」
「え、じゃあ言いなさいよ! 先に!」
「こういう刺激的な事を経験していくと、多少の刺激では動じなくなる。良かったな、いい経験が出来て」
茜は裏世界に入って来たばかりの雪花を教育していたようだ。
先程も雪花に現在の状況を把握させ、更にそれを言語化させる。そうする事で現状を自分の意識に正確に刻み込む。
そして危機的状況を何度も経験する事でちょっとやそっとの事では動揺しなくなる。そうする事で危機的状況でのパフォーマンス低下を防ぐ事が出来るのだ。
誰かに教えるには誰かからその方法を学ばなければならない。きっと茜もそうやって危機的状況を体験、または教えられてきたのだろう。
「良かったのかなぁ……」
「でも刺激中毒にはなるなよ?」
雪花は情けない言葉を吐いて溜息だ。
「これからどうなるの?」
「恐らくこのままいけば人質は数人残して解放されるだろう」
「え? 本当!?」
一瞬、雪花は光明を見るように茜を覗き込む。だが茜がこっちを見るなと睨みを利かせたので直ぐに視線を戻す。
「今の人質は百人以上いる。逃げ出さないように管理するにはそれなりの人数をかけないといけないからな。退却する時も然りだ。邪魔だし」
「考えたくないけど、人質を減らしたいからって殺すなんてことは」
「ないだろうな」
「本当?」
「ああ、もし人質を一人でも殺した場合、国によっては犠牲を厭わず突撃してくる場合がある」
「ええ!? 何で!? 人質が一番大事でしょ!?」
「日和の国ではな。でもここは日和の国じゃない」
「ど、どういう事よ?」
「考え方や文化が違うんだよ。日和は人質が何人殺されようと最後の一人まで動けない。勝手に突撃して人質が殺されたら警察の責任になるからな。でもそんな考え方、世界でも日和くらいのもんだ」
「他の国は違うの?」
「ああ、人質が殺されたら犯人はそういう性質の人間だと判断して警察は方針を変えるんだ」
「ど、どういう方針?」
「やられる前にやる、だ」
つまり簡単に人質を殺すような犯人の要求を飲むことはせず、どうやって犯人達を制圧するかに切り替えるのだ。
人質の犠牲を最小限に抑え、犯人達を制圧し英雄扱いされる。日和の国では人質を殺された警察を無能扱いするだろう。それ程の文化の違いがあるのだ。
「だからハイジャック犯も簡単に人質を殺す真似はしないだろう」
「じゃあ遠からず、私達は解放されるって事ね」
「ああ、だから安心しろ」
茜は雪花の豊満な胸に顔を埋め、雪花を安心させるようにニコリとほほ笑んだ。
「う……うん」
雪花は安心し、長い息を吐いて改めて茜をじっと見つめる。茜が今どんな状態なのかを見定めるように。
「ん? どうした?」
自分の胸に可愛らしい少女が顔をうずめている。それがもし危機的状況に恐怖で怯え、震えて涙ぐんでいれば庇護欲に駆られる光景だ。だが命の危険が無くなった、安全な状況から見たその景色は何故だかすごく不快なものに見えたのだ。
何故ならこの少女は少し前まで男だったのだ。そう考えると先程のほほ笑みが単にニヤけているだけ、のようにも見える。それを助長するように茜は頬を雪花の胸に必要以上に強く押し付けている。
「あんたはいつまで私の胸に顔をうずめてんの? 放れなさいよっ」
茜の襟首を掴んで引きはがそうとするが案の定、茜は抵抗し雪花の胸に顔をうずめて放さない。
「ま、待てよ! 折角この感触を味わって……いや、こそこそしてるのがバレるだろ!」
男でも女でも雪花の豊満な胸の柔らかな感触には抗えなかったようだ。
「この小さな頭潰すわよ?」
茜はアイアンクローを受け、小さな抵抗虚しく、その身を引きはがされた。
その二人のやり取りを見ていたハイジャック犯は微笑ましい光景だと何度か頷いて見張りに戻るのだった。
ハイジャックされたフェリーは一路、飛空艇アシェットが沈没した地点へ移動していった。その時、拡声器の音声が船の外から聞こえてくる。
『そこの旅客フェリー止まって下さい! ここから先は進入禁止ですよ! 近づきすぎです!』
調査船と思われる船が気づき、拡声器で警告を促す。
しかしフェリー側は何の反応もない。そして見る見るうちに調査船との距離は縮まっていく。
『止まって! ぶつかりますよ! 止まって下さい! 止まれ! とまっ、出せ出せ!! このままじゃぶつかるぞ!』
徐々に焦りの色が伺える声色になり、余裕がないのか拡声器を付けたまま調査船を動かそうと怒号のような指示を出す。
乗客達も窓から先を見ようとしているが角度がないためよく分からない。
直後、小さな衝撃と何かにぶつかる音。同時に乗客の幾人かが衝撃でよろめいて転び、多くの悲鳴がホール内に溢れた。
「静かにしろ! ぶつかっただけだ!」
ハイジャック犯達はその程度の揺れでは誰もよろけることはない。しっかりと訓練されているようだ。茜達も事前に壁に掴まって事なきを得る。
窓の外を見れば調査船と思われる白い船の船尾部分が抉られたかのように無くなってしまっている。
調査船の乗船員は幾人かが海に投げ出され一人は何とかしがみ付いている有様だった。
「ひどい……」
雪花がポツリと言う。
「でも人は殺さないように調整してるだろ。死人がでたら蜂の巣をつついたような騒ぎになるだろうからな」
茜が安心させようとそう言うと雪花は目をぱちくりとさせた。
「ていうか飛空艇落とした時点で、もう十分大事になってると思うんだけど?」
「まだまだこんなの大したことない。下手したら戦車やら軍艦やらが来たりするからな」
「……あんた何やってたのよ」
「冷戦地帯でわざとドンパチさせて無理やり他国参加させて攻め込ませたり、国家機密エリアに空からダイブして潜入したり、色々さ」
「うわぁ……」
その調査船の奥から複数の船がフェリーに向かってやってくる。恐らくこの海域を警備している警備船だろう。
『そこのフェリー! 何してる! 止まれ!』
当然停止を呼びかけてくる。かくしてフェリーは止まった。
しかしフェリーが止まった理由は停止を呼びかけられたからではない。ちょうどそこが飛空艇アシェットの墜落地点だったからだ。
『あーあー、テステス、こちらフェリーこちらフェリー』
するとフェリー側からそんな言葉が拡声器を通して警備船に向かって投げかけられた。
『このフェリーは我々がハイジャックした。人質も取っている。近づけば人質を殺す。以上だ』
そんな短い言葉を警備船に向けて発した。直後、目出し帽を被ったハイジャック犯が人質と甲板上に出向いて姿を晒す。その人質の頭に銃口を突き付けて。
向かってきた複数の警備船はフェリーを取り囲むように、そして一定の距離を開けて止まった。
『目的は何だ! 乗客は皆無事なのか!?』
少し焦るような警備船からのアナウンスがあったが何のハイジャック犯達は応答もしない。
『本当にハイジャックしているのか!? 金が目的か!? 何か言いなさい!』
ホールは二階に位置する為、小型の警備船から中がどうなっているかはよく分からない。だから人質達の姿も見えずこのままでは対策の打ちようがないだろう。
「うるせぇ奴等だな」
と、今まで机の上にどかりと座っていた男が立ち上がる。
他のハイジャック犯は皆立って見張りを続けているので恐らくリーダー格のハイジャック犯だろう。
そのリーダー格の男が目くばせすると一人の男がホールから出て行った。
その後、幾度となく警備船からの呼びかけがあったが全て無視された。
「どうするんだろ」
「返事しに行ったんだろ」
そんな雪花の問いに茜はそう答えた。
「返事? 人質は何人ですよとか?」
「もっと原始的な返事だよ」
しばらくして、フェリーの甲板に一人のハイジャック犯が姿を現した。
直後銃撃が響き渡る。
ホール内は乗客は皆一様に頭を低くし、小さな悲鳴。
甲板のハイジャック犯が持っていた銃で一隻の警備船を銃撃したのだ。しかも一発ではなく何発も。恐らくマガジン一つ丸々打ち尽くしただろう。
ハイジャックした事実、人質の有無もすべてそっちで調査しろという事だろう。
幸い警備船の乗船員は無事だったようだが船から煙が上がってしまっている。
「け、結構過激なハイジャック犯じゃない? 大丈夫かなぁっ?」
「まあ、大丈夫だろ」
心配する雪花をよそに茜は一つ欠伸をし、壁にもたれて寝る体制に入ったのだった。
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